番 外 編

ジャッキー・チェン

ジャッキー・チェン 中華街で買ったレコード
どの家庭にも最低一枚くらいは、あまり人に見られたくない恥ずかしい レコードあるいはCDが存在することと思う。 この「成龍」というレコードは今から15、6年位前に、横浜の中華街に遊びに行ったときに路地裏通りの 小さなレコードショップで買ったものだ。ジャッキー・チェンとは、映画俳優だ。しかし レコードもよく出していたように思う。私は1985年の映画「ポリス・ストーリー/香港国際警察」 を観たときからジャッキーの映画が大好きになり、レコードはこれしか持ってないけど、 ビデオの他に「ジャッキー大百科」とか「成龍のすべて」とか、うら若き女性(あくまでも 当時)の宝物とは思えないようなものがいつの間にか集まってしまっていた。もし私がなんらかの事情で 急逝し、部屋の押入れの中を誰かの手によって整理でもされようものなら、恥ずかしすぎて 死にたくなるような(死んでるんだけど)ブツがいっぱいあった。うかうか入院することも出来ないと、 軽い緊張感の中で過ごす日々であった。ジャッキー好きが高じて 同志と一緒に香港旅行に行ったことがあり、そのときにレコード店で探したりもしたんだけど、 本場では意外と何も見つからなかったのだ。香港では日本のようなアイドル扱いではないのかな、と思った。 それが横浜であっさり見つかったりする。このレコードは、完全なる香港盤だ。歌詞は全て 広東語で、大体の曲が歌謡ポップスといった感じ。ジャッキーは「プロジェクトA」や 「ポリス・ストーリー」などのテーマ曲も歌っており、歌唱力はまあまあなのではないかと思う。 ジャケット袋の中には右下の写真のような12枚綴りの切り取り可能なブロマイドのようなおまけが入っていて、その裏面には それぞれひと月ごとのカレンダーが書いてあるという、用途が意味不明なもの。こういうものが入って いるところを見ると、日本人向けの香港製の商品が、手っ取り早く売るために日本に持ってこられたの かなとも思う。

帰ってこい、ジャッキー!
ところで近年のジャッキーの活動は、ハリウッドへの進出ぶりがめざましい。アメリカでの メジャーデビューは80年の「バトルクリーク・ブロー」を始めとして、「プロテクター」 「キャノン・ボール」でかなり以前から果たしていたが、 このときはあまり注目されなかったようだ。ところが95年の「レッド・ブロンクス」がアメリカでも 大ヒットし、ここからアメリカ製映画への出演が多くなってきた。 しかし、なぜ今ハリウッドなのだろう。ジャッキーや彼を取り巻くチームスタッフが創ってきた映画は、 ハリウッドのアクション物などをはるかに上回るものだ。良くいえば際限ないパワーの溢れた、 悪くいえば節操の無い、東洋人らしい発想の、誰にも真似の出来ない優れたエンターテイメント が存在していた。アメリカ製の映画では、彼の魅力が半分も出せていないように思う。 「プロジェクトA」などは、新鮮なアイディアいっぱいのユーモアあり、アクションありで そこらの見せ掛けハデのハリウッド製に勝るとも劣らない、世界に誇れる大傑作だ。 ユニークなイントネーションを持つ広東語も、彼の映画には不可欠なものである。なぜ一生懸命英語を 勉強する必要があるのだろう?ジャッキー、ハリウッドでの成功が輝かしいキャリアになると いうのは、よくわかる。でもね、あなたには自分の映画作りというものを貫いてほしい。狭い フィールドで頑張れと言ってるんじゃないよ。これからは香港映画こそが世界に羽ばたいていくん だから、ジャッキーの役割はまだまだあると思う。どうかもう一度原点を見つめ直して、 香港へカムバーック!!<2003.12.5>


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