* 地獄の黙示録 *

暗殺へと向かうウィラード大尉

1979年アメリカ
<制作・監督>フランシス・フォード・コッポラ
<脚本>ジョン・ミリアス、フランシス・フォード・コッポラ<撮影>ヴィットリオ・ストラーロ
<音楽>カーマイン・コッポラ、フランシス・フォード・コッポラ
<キャスト>マーロン・ブランド、マーティン・シーン、ロバート・デュバル他

おそらく今までの中で、最も回数多く観た映画ではないかと思います。なぜでしょう? 特に名作とは思わないし、基本的に戦争映画は好きではないのです。思うに、この映画を戦争映画 としてではなく、めくるめく映像ショーとして紙芝居的な娯楽性に酔う瞬間を好んで、つい モニターをオンにするという 観方をしてしまうのでしょう。前半のベトコン村を襲う戦闘シーンは現在のように CGを駆使したものではなく、全て本物の凄まじさがありますが、逆に、後半のウィラード大尉 (マーティン・シーン)と カーツ大佐(マーロン・ブランド)との対峙では、役者のアドリブ的セリフに任せた支離滅裂な やりとりに終始しており、 前半の壮大さを超えられなかった終結によりこの映画は失敗しています。この作品を検証して 実際のベトナム戦争の背景と照らし合わせてどうだとか、結末をどのように解釈するとか、 そういったことを追求すること自体、この映画に関しては意味の無いことなのです。2001年には コッポラ監督の意思により再編集された「特別完全版」が公開され、長年この映画を一度大画面で 観てみたいと思っていた私も、劇場に足を運びました。やっぱり迫力ある大画面で観るのは 格別のものがあり、結局指定席券を取って二回観に行ってしまいました。頭上で鳴り響く耳障りな ほどのヘリ集団の羽音に、ひっきりなしの爆撃音が被さるという壮絶な戦闘シーンを、固まって口を あんぐりと開けながら観るという我ながら不謹慎な鑑賞法を、長年やっています。

ウィラード大尉 さて、この映画も実は、音楽とは切っても切れない関係にあります。キルゴア中佐(ロバート・ デュバル)がサーフィンしたさに、戦闘体制の強靭なベトコン村を襲撃するべくワグナーの ”ワルキューレの騎行”を大音響で流しながらヘリで空を舞うシーンは、あまりにも有名ですね。 ある日AV雑誌(Audio & Visualです)でドルビー・サラウンドの効果バツグンBEST10 みたいな(かなりいい加減なタイトルです)特集で「スター・ウォーズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 などと並んでこの映画のこのシーンが取り上げられていて、 それを読んで作品に触れるきっかけとなったわけです。サー・ゲオルグ・ショルティ指揮の ウィーン交響楽団による力強い演奏に乗せて大空いっぱいに広がるヘリの大群。例えようのないゾクゾク感が、この シーンにはありました。”ワルキューレ”のオペラの世界だけに留まらず、何かの大群が一斉に ひとつの方向に向かって押し寄せる、という場面にこの曲がよく使われるのは、この映画から 作り出された演出による影響が多大かと思われます。音楽という観点から、他にもオープニングとクライマックスで 使われるドアーズの”ジ・エンド”や、ラジオから流れるローリング・ストーンズの”サティスファクション”、 プレイメイトによる余興でフラッシュ・キャデラックの演奏する”スージーQ”、ド・ラン橋で延々と流れるギター・ソロ など、60年代の若者を虜にした文化の象徴としてロックがよく使われています。ロック好きな 私ですが、この映画に限っては”ワルキューレ”の印象の方がかなり強烈なものがありました。

ハート・オブ・ダークネス LD 余談ですが、フランシス・フォード・コッポラ監督の妻、エレノア・コッポラにより「地獄の黙示録」の撮影過程が 記録、撮影されたドキュメンタリー映画”ハート・オブ・ダークネス〜コッポラの黙示録”は、 1991年に公開されました。本作より衝撃的ともいえる撮影にまつわるドラマがあり、アクシデント 多発により 遅れに遅れる撮影、膨大に膨れ上がる製作費、加えて物語の結末を描ききれずのっぴきならない 状況に追い込まれたコッポラ監督は、自殺まで考えたそうです。この他、わがままぶり発揮の マーロン・ブランドとのドタンバでのトラブルや、撮影の進行とともにドラッグに溺れていく 俳優達(カメラの前でも実際に吸っていたというのです)の話など、この映画の撮影自体が どれほど狂気じみていたかを物語っています。また、監督の苦悩を見届け、夫が行き着くところまで 一緒に行こうと決意するエレノア夫人の心情も語られており、強い夫婦の絆を感じさせる作品 でもありました。<2003.10.22>

ワルキューレを流しながら攻撃に向かうヘリ軍団

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