あしむのうまや  ねしむのさと   ま とこ おう ふすま
安覆驛。祢覆郷。真床覆衾。「覆」を "シム(=寝)" と読ませているわけ

 根占は戦国期までここを支配していた大隅半島では肝付氏に次ぐ雄族として知られていた祢寝氏のネジメから由来するとされ、また祢寝氏も『和名抄』の「大隅国郡郷」のなかの「大隅郡・祢覆郷」の「祢覆」から来た姓であるらしい。治暦五年(1069)の古文書には既に「祢(禰)寝」となっており、確実にはその頃まで下る。
http://kamodoku.dee.cc/minamioosumichouframe.html

 大隅郡の「祢覆」郷は、「覆」を"シム"と音読みするので、"ネシム"。すなわち、現在の「根占」であるという。
 その字本来の表音(フク)を無視して、ここに限っては"シム"と読めという隠語のような言葉使いには呆れてしまいます。
 本当にそんなことがあったのでしょうか?

禰寝氏(ねじめし。表記は多様で、「禰占氏」「祢占氏」「根占氏」「祢寝氏」「寝占氏」などとも綴る)は大隅国の有力国人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/・ヲー・ッ・・ー・

    禰(寝) ⇒ 禰覆(ねシム) ⇒ 禰寝(ねシム) ⇒ 寝占(ねじめ) ⇒ 根占(ねじめ)

 これは、卵(覆)が先か? それとも、鶏(寝)が先か? 発生論的な先後の見極めに悩みますが、
 覆(シム)という音は通常の辞書に載っていないので、やはり寝(シム)が先にないといけないでしょう。

 「祢覆」を"ネシム"と読む発音は、本来から「寝」の音に拠っていたので、禰寝氏は否応なく「禰寝」の氏を用いたわけですが、それにしても、字本来の表音には関係なく、闇雲に"シム"と読ませる隠語めいた言葉使いには呆れてしまいます。本当にそんなことがあったのでしょうか?
 そこで、「覆」という漢字の使用例は他にないかと捜しますと、『和名抄(高山寺本)』は「西海驛」の内に、「安覆」驛の名前があります。

   社埼、 (到)津 、田河、久米、刈田、築城、下毛、宇佐、安覆 以上豊前。

 有難いことに、この「覆」もやはり"シム"と読まれた形跡があります。大分県の安心院(アジム)という地域は、何を隠そう、かって「安覆驛」があったところです。

 安心院は、南の湯布院、西の院内とともに「院」地名が連な地域の中心に位置し、別府市、杵築市、玖珠氏町とも接しています。地形は南側の由布・鶴見連山から延びる尾根が傾斜し、湖成盆地に接する部分に台地が発達しています。そして、大小の支流が集った津房川と深見川が南部から盆地の中に流れ込み、その北側で佐田川と合流して駅館川となります。

 地名については、平安時代の「延喜式」に、豊前国府(福岡県みやこ町)から豊後国府(大分市)に通じる古代の駅名の中に安覆駅が記されているのが参考になります。この「覆」が本来西(し)復(ぶ)の2文字であったと考え、また盆地内に税として集めた稲を収める倉が建ち並ぶ倉院があったことを想定して、安西復院が安心院に変化した、とする説があります。
http://www.usa-kanko.jp/abouts/ajimu#b0

 しかし、院号の由来については、正倉の倉院を持ち出すには及ばす、「安覆驛」に従って直ちに「驛院」のこととするべきでしょう。
 およそ驛院(驛館)というものは、(宿泊者に対して)心安らかに眠る一夜の寝処を提供すれば、これに勝るサービスは無いとすれば、「安覆驛(安寝驛)」が「安心院」に変り、"アンシンイン"が縮まって "アジム" と呼ばれている、という事実があっても不思議ではない。

   安(寝) ⇒ 安覆(アムシム)驛 ⇒ 安寝(アムシム)院 ⇒ 安心(アシム)院 ⇒ 安心院(アジム)

 以上の様に、
 〔(寝)⇒覆⇒寝〕という漢字使いの変化について、私は、根占(禰覆⇒ 禰寝 )に加えて、安心(安覆⇒安寝)の事例を挙げました。2例とも「覆」を(音表を外れて)"シム"と読ませているのは解せませんが、確かな歴史事実として何も言わずに受け入れるのが先決です。既に大隅国大隅郡祢覆郷が禰「寝」なる事情を知る者には、「本来西(し)復(ぶ)の2文字であった」という考えは無駄な抵抗としか思えません。

寝院=宿(屋戸)

集歌 3957 安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氐 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氐待登 可多良比氐 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氐安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多波許登等可毛 波之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之波安良牟乎 波太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 [言斯人為性好愛花草花樹而多植於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流 [佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐刀乎由吉須疑] 

豊前国宇佐郡の安覆驛の場合にも、やはり 卵(覆)が先が?鶏(寝)が先か?という問題があった。そして、やはり鶏(寝)が先であったとしか考えられません。
 これは、「寝(シム)」という漢字を「覆(フク)」に置き換えたときに、音においてはずっと"シム"の心持でいたかったために、文書においては「覆」の字を見る読者に、音訓表外の恣意的な読み方を強いる結果になってしまったものでしょう。
 私は、「寝」という漢字が「覆」に置き換えられる事情に思いを致す者だから、覆(シム)というありえない読みが強制されても嫌とは言わない。
 努めて解説すれば、「寝」という漢字を隠しながら顕わす文章技術というか、幽玄の世界にわたる言葉遊びのしわざだと思います。

○「祢覆」郷の場合は、
  「禰」によって「寝」の訓(ね)を表し、「覆」によってその動作を示し、これを"シム"と読ませてその音(シム)を表します。
○「安覆」郷の場合は、
  「安(眠)」によって「寝る」という行為の目的、つまり安(やすむ)眠(ねむる)という極意を示します。「覆」については同様です。

 この際、置き換わる「覆」という漢字がなかなかの曲者です。一癖も二癖もある厄介な漢字だということに注意を払う必要があります。

ところで昔から、「覆う(おおう)」と「覆す(くつがえす)」が、同じ漢字なのにすごく違和感があったのだけど、丁寧に説明してる人を見つけた。http://ceron.jp/url/blogs.yahoo.co.jp/uranai8ukyou/55781983.html

 まったくです。1つの漢字(覆)が、それぞれ(おおう・くつがえす)の場面において、その動作をまるで無関係に表現しているのはおかしい。しかし、ここに「寝る」という概念は、「蒲団をかぶる」動作と、「横たわる」動作を、兼ねて行うのをすこしも苦にしていないようです。
 まことに妙なもので、(割れ鍋に綴じ蓋というか)、瀬を速み岩にせかるる谷川の割れても末に逢わむぞというか、
 「覆」において厳しく分離された観のある2つの動作は、「寝」の1字を通して、再び総合されているような気がします。

覆(フク・おおう)+ 覆(フク・くつがえす) ≒ 寝(シム・ねる)  ..........⇒ 覆(シム・ねる)

 「蒲団をかぶる」と言いましたが、寝床は、褥(しとね) と 衾(ふすま)を合わせたもので、俗に「寝衾」と言われます。
 ただし、神聖な寝床(寝衾)のことは、上品に「真床覆衾(まとこおうふすま)」と言っていたのは本当です。
 ここ(真床覆衾)に「覆」の文字が復活しているのは喜ばしい。それがまた、この四文字熟語にあると、水を得た魚のようです。床(とこ)には覆(くつがえ)るし、衾(ふすま)には覆(おおわ)れる。2つの動作(おおう・くつがえす)が一緒になっておこなわれる。
 これはもう .⇒ 覆(シム・ねる) の境地に到達しているように思われます。

時有豐玉姬侍者、持玉鋺當汲井水、見人影在水底、酌取之不得。因以仰見天孫。卽入告其王曰、吾謂我王獨能絶麗。今有一客。彌復遠勝。海~聞之曰、試以察之、乃設三床請入。於是、天孫於邊床則拭其兩足。於中床則據其兩手。於內床則寛坐於眞床覆衾之上。海~見之、乃知是天~之孫。u加崇敬、云々。
(日本書紀 一書)

 寛坐於眞床覆衾之上。 なんにせよ神聖な客人が真床覆衾の上で寛(くつろ)いでおられるのは結構なことです。
 あわよくば、
 安坐於眞床覆衾之上。 安覆驛の名づけに際して、このような願いが意識された事実は「なきにしもあらず」だと思います。

終りに

和銅六年(713)五月甲子
制。畿内七道諸國郡郷名着好字。其郡内所生。銀銅彩色草木禽獸魚虫等物。具録色目。及土地沃瘠。山川原野名号所由。又古老相傳舊聞異事。載于史籍亦宜言上。(『続日本紀』巻六)

右件 郷字 者、依2霊亀元年式1、改里 為郷。其 郷名字 者、被2神亀3年民部省口宣1、改之。
(神門郡)      (715)                          (726)

多伎郷
 郡家南西20里。所造天下大神之 御子 "阿陀加夜努志多伎吉比賣命" 坐之。故、云
2多吉1神亀3年、改字多吉
餘戸里
 
説名、如 意宇郡。
狭結驛
 郡家同處。古志國佐與布云人 来居之。故、云
2最邑1神亀3年、改字「狭結」也。其所以来居者、説 如 古志郷 也。
多伎驛
 
説名・改字、如 多伎郷 也。  (出雲国風土記)

 「安覆」驛の名称については、『神亀三年民部省口宣』を受けて、「改字」された可能性が僅かながら考えられます。
 参考のために出雲国における改字例を見ると、以前の華美な好字(吉、最、邑)が削られて、質素な漢字(伎、狭、結)が貼られているので、この『神亀3年民部省口宣』は、一昔前に猛威を振るった『着好字』の勧めとは反対に、当て字には表情の無い実用的な漢字の使用を勧めていたことがわかります。
 この場合、「覆」という漢字自体は、別に過激な好字ではないので、当て字として合格です。
 ただ私のように、以前は「安(寝)」驛だったときに、「寝」自体は別に過激な好字であることはないので、これを忌避する理由付けに困ります。ですが、「寝」に対しては、審美的な観点からクレームが付けられないでしょうか。驛名にしてはちょっと露骨すぎる表現だというのです。
(安驛は(そのものずばりで)目障りだと感じられる頃、同じ動作を神妙に表現する「覆」の字が、出番を待って、うずうずと控えていた。)
 ただ、いまの説明は、宇佐神宮をおおいに意識して「真床覆衾」を担いでいるので、広汎な説得力に欠けるところがあります。
 「寝」と「覆」の意味的な親密さに甘えて、もし、これ(覆)があろうことか「寝」の異体字とも見做されていれば、当然のように"シム"という音で読まれていることになり、ふとした改字の心配も吹き飛びます。国語の歴史に「たら・れば」は禁物ですが、私としては、その方が有難い。
 いずれにせよ、
 この驛の名称を(改めるなら)改めるのに、『神亀三年民部省口宣』は、最後の機会であったことは確かでしょう。

安寐不令宿( 夜周伊斯奈佐農

集歌4177 和我勢故等 手携而 暁来者 出立向 暮去者 授放見都追 念鴨 見奈疑之山尓 八峯尓波 霞多奈婢伎 谿敝尓波 海石榴花咲 宇良悲 春之過者 霍公鳥 伊也之伎喧奴 獨耳 聞婆不怜毛 君与吾 隔而戀流 利波山 飛超去而 明立者 松之狭枝尓 暮去者 向月而 菖蒲 玉貫麻泥尓 鳴等余米 安寐不令宿 君乎奈夜麻勢

集歌4179 霍公鳥 夜喧乎為管 我世兒乎 安宿勿令寐 由米情在

宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 -- 『万葉集』巻五・802

. 熊毛郡 馭謨郡
多禰

肝属郡 姶羅郡 . 大隅郡 . 囎唹郡 . 桑原郡 菱刈郡
大隅國

 

 

 

熊毛

幸毛

阿枚

謨賢

信有

桑原

鷹屋

川上

鳫麻

野裏

串伎

鹿屋

岐刀

祢覆

大阿

支刀

人野

大隅

謂刈

姶臈

人野 葛例

志摩

阿気

方後

稲積

廣西

桑善

仲川

大原

大分

豊國

益西

羽野

出野

大水

菱刈

 

○水驛 ○水驛 ○大水 ○蒲生