.
千石船才数をめぐる机上の空論                  才という単位     あゆみ(歩)


はじめに
 千石
船の大きさは、で測ったのか、で量られたのか?

江戸時代の廻船の中でも、「北前船」などに就航した船は、構造的に見て「弁才船」といわれる帆船です。船の大きさは、四百石から六百石というくらいの船が普通で、ほんとうに千石を超える大きな船は珍しかったようですが、私は、才という単位の中で、つぎのように説明しました。

 昔は、10を1と数えていたので、『千石船は、10,000あまりの積荷スペースをもつ船』ということになる。

ところが、(コク)には別の意味があり、「お米」や「お酒」の量を数える単位としてよく知られています。それで、多くの人は「米千石」を思い浮かべて、「千石船とは、米を千石も積みこめるような大船のことだ。」と思っていた。それ以外の根拠はなにも示せないという、浅はかな思いつきですが、それが案外馬鹿に出来ない。誰でもそうだろうと思うことは、現実に行なわれてしかりです。(備考1)

 昔は、10を1と数えていたので、『千石船は、10,000の米を積みこめる船』ということになる。

 これこそが的を得た説明で、「弁才船」の船体構造にも根拠を置くことができるのではないか。
 私が自信満々に語ったのは前者の理屈でしたが、それはいわゆる「ためにする説明」ではなかったかと弱気になってきました。ただ、才数に拠る理解を勧めているホームページも僅かながらあります。(備考2) どちらが本当なのか? ことの真相は、「廻船問屋」の番頭さんや、「弁才船」の船頭さんに尋ねるべきですが、かわりに、日本海事広報協会が作っているホームページを見ると、
 .海と船なるほど豆事典>海のなるほど>トン数のいろいろ
 http://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/fune/fune_16.html

 むかしの日本(江戸時代)では お米の量を「石」 であらわしました。 __ 1,000石積める船/千石船

 ここでは、後者の理屈に従って、斗数に拠る理解が勧められています。それにしても、このイラストはすごい。石(コク)という単位のことを深く考えさせてくれそうな気がするので、是非とも貸出しをお願いせずにはいられません。

トン数のいろいろ
船の大きさをあらわすには、「トン」という単位をあらわす言葉をもちいまが、どうしてトンと呼ぶようになったのでしょうか。
 15世紀のはじめごろ、イギリスでは船に積むことができるブドウ酒の大だるの数で、船から税金をいくら取るかを決めていたとされています。この酒だるをいくつ積めるか数えるとき、棒で酒だるをたたくと「タン、タン」と音がするので、「何たる」というかわりに「何タン」というようになり、やがてなまって「何トン」と呼ぶようになったといわれています。また、大酒だるのことをもともと英語で「タン」といっていたのがそのまま符号となり、「トン」といわれるようになったという考えもあります。現在、船の大きさは総トン、純トン、排水トン、載貨重量トンなど、船の容積や重量であらわされます。
 総トン数は、船の外板の内側から外板の内側まで全ての容積をあらわします。つまり船の中がどのくらい広いかをあらわしていて、商船や漁船などでもっとも広くつかわれています。純トン数は、旅客または貨物を運ぶためにつかわれる場所の大きさをあらわしていて、総トン数から船員室、機関室、船用品倉庫、二重底などをのぞいた広さです。排水トン数は船の重さをあらわし、船を水に浮かべたときに押しのける水の重量であらわします。おもに軍艦でつかいます。載貨重量トン数は積める貨物、燃料、清水などの重さをあらわし、おもに貨物船や原油タンカーなどでつかわれます。
 日本ではむかし、船の大きさを五百石船とか千石船というように、積むことができる米の石数であらわしていました。当時の日本経済は米を基準のものさしとしていましたので、石数であらわすほうが便利だったからです。明治時代になり、貿易がさかんになると国際化が進み、トン数であらわすようになりました。

 俵(たわら)には「米四斗」が収めてある。.......米1俵(ぴょう)。

 米1俵(4斗)の重さは、16貫(60Kg) 米1石の重さは40貫(150Kg)
 米1俵(4斗)の体積は、2.59才(72ℓ) 米1石の体積は6.48才(180ℓ)

 この際、私は、この素晴らしいイラストにひとつ説明を加えました。

 余計なことを言うようですが、この米俵1個つまり「1ぴょう」の量は「1石」ではありません。こういう標準規格の米俵には「米四斗」が詰められていたので、「むかしの日本(江戸時代)」の米1石の量からすると、その40%にしかならない。
 重たい米俵ですが、その2つと半分で、1石の重さになります。
 それで、沖仲仕の青年が米1石を運搬するときには、四斗入りの米俵を「ふたかつぎ半」します。このことも思い描いてください。

 こうすると、「千石船に積める俵の数」も明確に勘定できるので、
 「米2,500俵積める船/千石船」といったことになります。

1石

   +  + =米1石を運んでいる

 念のために言うと、この余計な説明には、「米1,000石積める船/千石船」という認識の信憑性に疑いをかける意図はなくて、ただ昔の海運荷役の実態を明らかにした上で、石(コク)という単位の成り立ちを考えようという趣旨に出るものです。
 ちなみに「トン」という単位は現在では重量を数える単位に決まっているのに、「総トン数は、船の外板の内側から外板の内側まで全ての容積をあらわします。」 それと同じことです。「石」は重たいものと昔から相場が決まっているのに、米10を1とも数えていた。ただ無性に重たいだけの「漬物石」が、何を勘違いしたのか、「米の容積」をあらわしています。
 それにしても、人はなぜ、これらの「石」という字を見て、"いし"或いは"セキ"と読まずに、"コク"と読むことができたのでしょうか?
 (「川県」は"いし"と読み、「一二鳥」は"セキ"と読んでいるのに、「加賀百万石」になると、"コク"と読んでしまうのは不思議です。)

「石(コク)」の語源

 アジアの稲作地帯においては、古くから、米を藁苞(わらつと)に詰めて、肩に担いだり、背負ったりして、持ち運ぶ習慣がありました。
 米をぎっしり詰めこんだ藁包は、「質のかたくつまったいし」のように固く、加えて「質が密につまったいし」のように重たいといえます。
 しかし、普通の状態の米は、「すなのように小粒で、ざらざらした物」なので、その量は、固形の容れもの、すなわち枡(ます)に詰めてはかり、その容積であらわされていました。

 サ(漢)・シャ(呉) すな {名}すな。 ごく細かい岩石の粒。
   いさご。転じて、すなのように小粒で、ざらざらしたもの。

 量の単位は10進法で、合、升、斗、しんがりは斛(コク)です。
 なおしかし、ますの中でも最も大きな「1斗ます」で何回もはかってつくられた「4斗」なり「5斗」なり「6斗」なりという米俵を、あらためて検量するときには、固くしまった荷姿のまま、重さを一息にはかるのが、簡便で、しかも実質を試験する計量になります。このはかりの単位には、「米1斛」の重量のみを、同じ重さの石が純粋にあらわすことから、「石」という字を当てて、「コク」と読むことになりました。

十合為升

三升為大升一升

十升為斗

十斗為斛

参考

養老令

雑令の量単位規定


さの単位

一石は
’十立方尺



(イ)
容積の単位

一石とは十斗のこと

(ロ)

’船の大き

D名
・古代の漢方医学ではり治療に用いた石のはり

鍼石


に当て
タンと読むことがある

また
斛に当て
コクと読む



トル

現代では



と読む


|ひとかつぎの重さ|

C単位

容量の単位

一石は十斗で
’周代では一九
・四リ


ものが

育たず価値がない

B形

かたくて融通がきかない

働きがなくて不毛である


磬や石鼓など

金石

古代の青銅器と石碑

 

A名

文字を刻んだ石碑や石

また石でつくった楽器

@名
・いし

質のかたくつまったいし

岩石

隕石

ジャク
(呉)

 



(漢)





コク
(慣)

 

漢字源

最初には、1担(ひとかつぎの重さ)が=米1石(コク)であったという。
.
 石が重たいという事実は、人が石を持ち上げたとき、初めて明らかになります。その石を地面から引き離して、空中に持ち上げることが出来たのは、彼の強健な身体が(その石の重さに)打ち克ったからです。「この石は重たい」という感覚は、能くその石を持ち上げた人の身体に属しています。石自体は、重くもなく、軽くもない。「質のかたくつまったいし」であるだけです。

 生活に必要な力仕事を通じで最低限の「一人前の重たさ」という要素は必ず認識され、その認識は社会の成員において共有されてきました。右に紹介されている「力石」は、このような重たさという要素を仕事から抽出し、労働の外に連れ出して、体力の優劣を競う遊び(力くらべ)において試そうとするものです。
 そこでですが、米を固めて運搬する仕事において、「一人前の重たさ」をもつ米の固まり(塊)がイメージされ、これを担うイメージが「1担」といわれ、つぎに、そこに存在する質量を「1石」というようになったのではないか。そういうことが現にあったとしても大昔のことですが、仮にあったとしても、おかしくない話だと思います。

「俵(ヒョウ)」という規格


四日市大学健康科学研究室;力石の研究
 http://www.za.ztv.ne.jp/takashim/chikara1.htm

「力石の重量」
 重量としては20貫〜30貫前後が多いが、これは16貫(60kg)の米俵一俵を基準として「力持ち」が行われていたためであろう。即ち16貫が最低基準であり、力自慢をするためには、それ以上の重量で競ったわけである。

『「力石」あれこれ』
 昔の人々は、ほとんどの労働を人力に頼るしかなく必然的に個人の体力が必要とされていた。そのため、ほとんどの集落で各種の力くらべや身体を鍛えることが行われ、同時に数少ないレクリエーションとしての役割も果たしていた。 もともと「力石」は、農村では米俵を、山村では材木を、漁村や港湾地域においては醤油樽、油樽、酒樽および鰊粕などの運搬に従事する労働者の間から発生したものである。これらの労働者は一定の重量を担げないと一人前と見なされず肩身の狭い思いをした者もあった。調査の過程で全国のどこでも身体鍛練と娯楽を兼ねた「力くらべ」の情報が得られている。しかし多くの労働が機械化されるとともに種々の娯楽が増え、「力石」は現在その役割を終え、その存在や意味が忘れ去られ続々と紛失している。

 その頃(奈良・平安時代)の米枡の規格は、2つの系統にわかれていました。すなわち「減大升」と「大升」が共存していました。
 2つの規格は、用途を異にしつつ、うまく使い分けられていました。

 とくに食事に用いたのは「減大升」です。(1日ぶんの食料として配給された「米1升」は、「減大升」で量ったものです。)
 とくに運搬に用いたのは「大升」です。(荷札に「調米五斗」と記されている俵米は、「大斗(=大升10升)」で量ったものです。)
 したがって、
「凡よそ、公けにも、私しにも、米を運ぶには、米5斗を俵となせ。」
と規定されたとき この「米5斗」は当然「大升」による定めです。
(「減大升」で量ると、「6斗」くらいになる米の量です。)

 一定に規格された米1俵の正味重量が、「1担」⇒「1石」の半分という軽さであったのは、調米や庸米などの俵を都まで届けるのに、米俵を背負って何日もかけて運ぶので、あまり重くはできなかったからです。駄(荷負いの馬)にしても事情は同じです。
.

. 自余雑物亦准此

其遠路國者

勘重減之

凡公私運米

米五斗為俵

仍用三俵為駄

 

参考

天平十一年四月十四日格

 

延喜式

 

. 参考

表の解字

 

漢字源

表散

表分

多くの人にわけ与える

▼土俵
・米俵
・砂俵
・炭俵
解字
・会意兼形声


+俵
’おもてに出してひろげる


ときのことば

編んだふくろ状の入れ物

A
たわらに入れた物を数える


・@たわら

米や炭などを入れるために
’わら

あしで

意味
・動詞
・ばらばらに散らす

また
’わけ与える

俵散


着ることを示す

外側に浮き出るの意を含む

 


解字


+毛


’毛皮の衣をおもてに出して

 


たわら

 


ヒョウ(呉)
(漢)

 

漢字源

「俵(ヒョウ)」の語源

 人ひとり、米1表を背負う。 2人では、米2表を背負う。
 3人では、米3表を背負う。 4人では、米4表を背負う。 5人では、

 こうして淡々と個数を表現してゆく単位として、2つの字の働きを観察したとき、人(にん)と表(ヒョウ)の間に1対1の対応関係が認められます。「表」という旁(つくり)が、人偏(イ)を選び迎えて、「俵」という字が出来たのは、この点において、結構なことです。
 ただ、「表」という字は、〔衣+毛〕という、オシャレな成り立ちのもとに、多くの有益な意味を集めているにもかかわらず、「俵」を解字するのに、〔人+表〕のようにあっさりと解した日には、ほかにもある大切な意味をほとんど見失うことになる。そこで考えたのですが、

   解字 〔 代 + 表 〕で、「俵」はすなわち「代表」だという。

 会社でいうと「代表取締役」ですが、実際のはなし、大昔の「俵」ひとつは、大昔の「五斗」の米を、その代りになって表していた。また、むかしの「俵」ひとつは、むかしの「四斗」の米を、その代わりになって表していたわけです。
 このとき、代表する「表」は、内実体を包むように、その表体を拡げて見せるとともに、内実体を覆い隠してしまう。 これが「俵」というものではないか。

    ▲

     1担16貫+α

水運業の発達と荷役の職業化(沖仲仕)
 これもイラストのとおりです。米俵や酒樽の重さは常人の域を越えていて、抜群の力持ちでなければ動かせない。

おおむかし

奈良
・平安時代

俵(たわら)は詰められた米の代表

 藁苞(わらつと)1個の中には、米粒がいっぱい詰まっていて、その米粒全体の体積は72リットル、重量は60kgになるというのですが、そういいながら、肝心の米は1粒も見えていない。
 ところで、藁苞(わらつと)自体の体積と重さはいったいどれくらいになっているのか。代表自身のことが語られる機会は少ない。

むかし

江戸時代

.
米俵の重さは何貫になるのだろうか?

 四斗俵の重さですが、米自体の重さは 16貫(60kg)。
 藁苞(わらつと)自体の重さは 2貫 になるとして、全体で、18貫(67.5kg)。

 2俵半 1石ぶんの重さは、およそ 45貫(168.75kg) になるので、
  2500俵 1000石ぶんの重さは、およそ 45000貫(168トン) になる。

.
尺貫法

 長さ 丈、尺、寸、分。(10進法)     1尺=30.30cm

 容積 石、斗、升、合、勺。(10進法)   1升=1.80 リットル

 重量 1貫=1000匁。 1斤=160匁。  1貫=3.750kg

.
米俵のスペースは何才になるのだろうか?

 四斗俵のサイズ 長さ 約75cm 直径 約47cm
 http://nihonmai.com/?pid=7556696

 長さ 2尺5寸 直径 1尺5寸 として、
 四斗俵1個が占めるスペースは、およそ 6才。
 「俵積み」にぎっしり詰めこんだとして、およそ 5才。 

 2俵半 1石ぶんのスペースは、およそ 12才半 になるので、
  2500俵 1000石ぶんの重さは、およそ 12500才 になる。

 弁才船の荷室構造についても考える必要があります。
 「胴の間」の天井になる甲板が取り外しが効くというので、船底から米俵を隙間なく積み上げる。しかし、「さらに甲板の上にも米俵を積むようなことはさすがにないだろう」ということで、

「胴の間」のスペースが、12,500才 以上ある。=千石船
 (おおよそ 350立方メートル〔7m×7m×7m〕になる。)

 私の説明をこのようして終ります。
 それで、およそこのことについては、
 米2,500俵積める船/千石船
 ということにして、具体的に理解することを勧めていると思います。


▲板をはめこみ、並べただけの甲板

荷物を搭載する胴の間と甲板の間の床は固定式ではなく板を並べただけの取り外しのきくものでした。
荷物を積みおろしをするときにはこの板を外し作業をしました。
甲板をはめ込んだ後、更にその上に荷物を大量に積み上げ 航海しました。
荒天時に波が打ち込んで来ると荷物は水浸しになり、たちまち浸水してしまいました。
もっともこれは利益を確保するための覚悟の上なので、改良されることはありませんでした。
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/371bezai1.html

 実際には帆柱が邪魔になりますが、「胴の間」の、間口が 30尺 で、奥行きも 30尺 あり、高さが 14尺 であるとしたとき、(12.600才)
 間口に沿って20俵、奥行きに12俵を並べる。(幅9m×長9m)
 この240俵が1段で、この10段と半分を積み上げる。(高さ 4.3m)

備考1 大昔の「五十石船」

 大昔には、「食べる米」と「運ぶ米」が厳密に区別されていたと言いましたが、あらためて延喜式の「諸国運漕雑物功賃」を見て、「運」と「漕」が合わされているのを見ると、おおきく「米を運ぶ」といっても、それには「陸路を運ぶ」場合と「海路を漕ぐ」場合があり、「運ぶ米」の内において、「陸路を運ぶ米」と「海路を漕ぐ米」が区別されていたということになります。

 挟杪一人水手四人漕米五十石

 これからして、大昔の「五十石船」という船体が想像されます。 ただ、米以外の雑物においても個々に荷率が定められていたので、その意味は「米五十石(100俵)を積める船」に限定すべきです。しかも、この船を移動させるエネルギーは、人が櫓をこぐ力に依存しているといわれる。それで、「船を動かす力の大きさ」を受動的に評価して、「この船の動力」を「50石」と定めることにはなっても、もっとおおらかに「この船の大きさ」を「五十石」とする観念にまでは至りにくいのではないか。
 それにしても、「米1,000石積める船/千石船」という認識の先例にはなっていると思います。

三十廷

鍬七十口

調布三十端

庸布四十段

商布五十段

銅一百斤

凡一駄荷率絹七十疋

絁五十疋

絲三百絇

綿三百屯

石別米五升

但挟杪一人水手ニ人漕米五十石

石別稲一束

挟杪十八束

水手十二束

自與等津運京車賃

播磨国陸路

十駄五別束稲

海路

等自津国船漕賃與

山陽道
但挟杪一人水手四人漕米五十石
米石別一升

挟杪功四斗

水手三斗

 

若狭国陸路

束駄五別把稲
’十

海路

大自津勝船野賃津
’至



諸国運漕雑物功賃

 



主税寮上

 

 

 

備考2 船の大きさを「風力を受ける帆の大きさ」で表した事例

柏崎百景 弁財(べざい)船の値段  http://blog.goo.ne.jp/hyakkei_2005/e/bc106226a09fce682ea729642058f9f6

    船玉譲証文之事
弐拾反帆辨才廻船      壱艘
   但諸道具別紙注文書之通リ
  代金五百九拾両
    壱〆百拾壱文
      内金弐拾両  梶壱羽代引
   残而金五百七拾両
     壱〆百拾壱文
右は拙者所有之船貴殿江譲渡し書面之代金不残慥ニ請取、船並ニ船具不残相渡し申処相違無御座候、
此船ニ付外方〜如何様之儀申出候共、拙者何方迄も罷出急度埒明貴殿江少しも御迷惑相掛申間敷候、
為後日之船玉譲証文仍而如件
       天保十五辰年二月 早川 長谷川次郎佐衛門
                    代 金兵衛
                新潟宿 高橋次郎佐衛門
                口入人 本間屋太郎平
  荒浜 米屋石三郎殿
  御宿 嶋屋喜兵衛殿

(柏崎市史資料集 近世篇2下より)


 二十反の巾帆を持った弁財船を五百九十両で売り渡した証文だ。
 此頃の船の大きさは千石船など、船に積載可能な嵩で表すが、課税の対象になったのは帆の大きさで、この帆巾でふねの大きさ(石数)が分るという。
 帆反数 十反なら百石船、十八反なら四百石船、千石船は二十五反巾。
 積載量の「石」という単位は、穀類に使う石とは違い、材木の容積を量るのにも使う単位で、一石=十立方尺(約0.28立方メートル)。一石の十分の一で一才という単位もある。千石船の容量は280立方メートルという事になる。
 この証文の船は二十反巾の船だから五、六百石積みの船に当るのだろう。五百石としてみると140立方メートルで、四角い箱を想像するに、長さ10b×高さ2b×巾7b……ちょっと寸胴すぎるから10×3.7×3.7程ならよかろうか。
 千石船の二十五反巾の帆は巾十九メートル、高さ二十メートルにもなったという。それを張る帆柱は太さ七十五センチから一メートル角!

 荷物を積んでも沈まない。これでは、海に倉庫を浮かべただけのこと。「船は、漕がれて、荷物を運んで、なんぼのもんや!」という。
   弐拾反帆辨才廻船 壱艘   代金五百九拾両
 
この場合、「船」に代わって、「帆布」が、その「大きさ」を表しています。潔い「一枚帆」が「弁財船」の胴体をまるごと代表しています。

 「を論じるとともにを論じよう。」という言い草には、なんとなく胸を打つものがありますが、
 このことに関して、直接には関係のない2つの事柄が連想されて仕方がないので、正直に言うことにします。
 ひとつは、「代表」ということに関してですが、
 最近「一澤帆布」の代表権をめぐる訴訟のことをよく耳にすると、やはりそうか「帆布は代表」説も捨てたものではないように思える。
 あとひとつは、帆の面積と、船の図体の大きさ(キャパシティー)との間に、互いに正比例する関係が見られることです。
 仮に、小型の弁才船も中型・大型の弁才船も、一枚帆の縦横比は同じだとしで、帆布の幅を W とします。また船の胴体は、航(竜骨)の長さが基本で、中型・大型の弁才船も、同じプロポーションを保てるとして、船(胴体)の長さを L とします。そうして船の性能も変らないとしたとき、2 L3 とが互いに正比例する関係になりますが、このような数的関係は、「ケプラーの第三法則」に見られるものです。

惑星の公転周期の2乗は、その惑星の楕円軌道の半長軸の3乗に比例する。 (ケプラーの第三法則)

 そうすると「を論じるとともにを論じよう。」という言い草はケプラーのものでもあるらしい。これも一緒くたにして考える(備考3)と、「弁才船の代表として一枚帆がいかに優れていたか」ということに再び気づかれると思います。

備考3

 参考にしたホームページ「ケプラーの第三法則 http://www.nep.chubu.ac.jp/~chikaura/cryst/rikigaku/kepura3.html#2 」では、

 水星、金星、地球、火星などを例にあげ、

 これらの惑星の軌道半径の周期について調べてみる ならば、.......  /a =1.00 になるとして、

惑星 周期T
(年)
軌道半径
a[AU]
/
水星 0.24 0.61 1.00
金星 0.61 0.72 1.00
地球 1.00 1.00 1.00
火星 1.88 1.52 1.00
惑星X 2.83 2.00 1.00

すなわち、ケプラーの第三法則

 惑星の公転周期の2乗は、その惑星の楕円軌道の半長軸の3乗に比例する。 

すべての例において、この法則に完全に従っていることは間違いが無いという。それで、最後の 惑星X は、難問をスッキリ解決した余裕でもって仮に想像してみただけの星で、太陽系に実際には存在しない理論上の惑星ですが、それは恐らくこんなものかもしれないという図を絵に描いてみます。

毒を食らわば皿まで。

 ご存知のように、地球の軌道は僅かに楕円を描いていますが、この図ではきれいな円を描いています。実はこれによって、
  〔地球’ (周期)1年 (軌道半径)1.00〕 という想像上の円軌道が比較の基準として設定されていた。他の惑星たちにしても同様で、楕円軌道を修正して想像上の円周を廻っていたので、やはり眉に唾をつけて「円周上にある水星’、金星’、火星’」のことと受け止めるべきですが、ケプラーは、「長軸が短縮されない限り、いくら近回りしても時間の節約にはならない」ということを知っていて、楕円軌道でも、特に「長軸」の大きさに注目していたので、「軌道半径」と言い換えて円周に看做してもその周期の値が全然変らないのは当然です。

 惑星X を描くときには、その実像を楕円軌道を廻るものとします。仮に
 〔惑星X (周期)2.828年 (半長径)2.00 (半短径)1.732(√3)〕 
と定めました。これでも、軌道のかたちを比較しやすいように配慮したつもりですが、この楕円軌道も修正して円周上を廻るすがたに描きなおします。
 〔惑星X’ (周期)2.828年 (軌道半径)2.00〕
 したがって、
惑星X’は、この円周上を常に一定の速度を保ちつつ進む。いわゆる「円運動」をしていることになります。ここで言うのもなんですが、大きさ・かたちが違う楕円上の不等速運動というのは、とても安心して見比べられたものではないので、このように円軌道に修正する最大の利点は、楕円上の不等速運動をサッパリとした等速運動に変えて、互いに安心して見比べられるようにしたことにあるようです。

 ところが、この円軌道を見て計算すると、
周期○2.828年÷(周期○1年=4.00 
という好まざる結果になります。これはどうしてかというと、円周○上の衛星X’は進みが遅い。一方、円周○上の地球’は進みが速いという、2つの定速の大きさの違いが隠されているからです。

 かといって、「字づらだけを見て計算してください」というのは、飽くなき図解の意志を放棄するに等しいので、周期というものをその大きさで表すように工夫しています。あらためて、仮想T軌道を見て計算すると、(周期○2.828年÷(周期○1年=8.00 になるはずです。 

 

才という単位     あゆみ(歩)