綿 棋験法旅立   .  December 30. 2011〜               あゆみ(歩)
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はじめに 波穂より乗る天の羅摩船

大國主神 坐 出雲之御大之御前 時

自波穗 乘 天之羅摩船而

内剥蛾皮剥爲衣服 有歸來神。

大国主の神、出雲の美穂の御崎に 坐す時            (古事記)

そそり立つ波穂の頂より うち乗る船は 天の羅摩船にして 

内剥ぎに 蚕蛾の繭を 剥ぎたる  綿ぼうしの衣服にして、帰来せし神有り。

(巨大な波が立ったとしても、天まで届くとは思えませんが、ミニチュアな神はミニチュアな世界に居たとすると、その天はずっと低いので、世界地図が波に呑まれるようなことになります。)

綿を積む羅摩の小舟に坐します神霊の名は、少名毘古那神。やがて、大穴牟遲大国主神)と共に、堅ち作るこの国。

大穴牟遲與少名毘古那、二柱神相並作堅此國。然後者、其少名毘古那神者度于常世國也。

大穴牟遅 と 少名毘古那、二柱の神 相い並びて、堅ち作るこの国。然る後、その少名毘古那神は常世の国に渡るなり。

(此の国を作り堅める→堅ち作るこの国 「国体形成」の意図が、"つくりかためる"ではうまく伝わらないので、"かたちつくる"と読むことにしました。
 此豐葦原水穗國者。........此國の名称は「豐葦原水穗國」である。

オオナとスクナ・ヒコナの関係については、マクロ的な精神とミクロ的な精神の現れという雑駁な理解に終わりがちですが、
私は、オオナとは、多くなる・大きくなる(→<→)ことだ。 スクナとは、少なくなる・小さくなる(←<←)ことだ、
という全く算数的な見方をしてみたい。
また、ムチとは、分数において、分母になる数で、ヒコナは、分子になる数ではないかと思う。
これを、"堅ち"=形(かたち)にすると、包摂する大きな全体の形と、包摂される小さな部分の形の関係にあるといえます。
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 羅摩(冬)

わたぼうし

いずれにせよ、スクナ・ヒコナとは、算数の対象になる数であり、形であるに違いない。

そのスクナ・ヒコナの精神は、波の高まるところから、"天の羅摩の船"に乗って、この国に来たという。
ちなみに、"羅摩"という植物の実は、軽々と水に浮きます。

 科名:ガガイモ科/属名:ガガイモ属  和名:蘿摩/生薬名:羅摩子(らまし)
 学名:Metaplexis japonica  日本全土の日当たりのよい道端、空き地、原野、土手に自生

 果実は、大型の袋果で船形、長さ8〜10センチ、表面には不規則な突起があります。
 熟すと、果実が割れて、扁平楕円形の長い白毛を持った種子が風で飛びます。

だから、後の文が、「内剥ぎに 蛾の繭皮を むしりとって 綿の衣服にしていた」 というのは、そのとおりだと思います。天の羅摩船の中をそっと覗いて、船室内の様子を偽りなく描いていると思います。
スクナヒコナの神は、綿ぼうしの衣服を着けて、繊維が1点集中する中心部に小さくなっていた。

実は「剥ぐ・衣服」という言葉には前科があります。 稲羽のシロウサギが、海ワニに捕まって、綿毛のコートを剥ぎ取られる話です。
(伏最端和迩捕我。悉衣服。) この衣服は、後者(
内剥蛾皮剥爲衣服)とは逆で、放射状に「外剥ぎ」ということになります。

それにしても、羅摩の実は、なぜ軽々と水に浮くのでしょうか? 正解は1つです。
軽々とした綿を船一杯に積んでいるので水に浮く。天の羅摩船もそうやって海に浮いていたに違いない。

 わたつみの うみにいでたる しかまかは たえむひにこそ あがこひやまめ
 和多都美乃 宇美尓伊弖多流 思可麻河泊 多延無日尓許曽 安我故非夜麻米 (万葉集 3605 )

 航海神は綿(わた)を績み(うみ)、船は綿(わた)を積み(つみ)、和多都美の海(うみ)を 渡(わた)る。

 単に空洞をなしているだけの船は荒波をかぶると沈んでしまいます。安全な船というのは、撥水性のある綿を船一杯に積んでいる船です。しかし、実際に綿を積むわけにもいかないので、綿積の神に代りをお願いします。この船の美しい舳(へさき)に依り憑いて、タンポポの綿ぼうしの様な御神体を、牛吐き拡げて、船の周りをひとり占めにして(領知して)ほしい。
それが、なにしろ陸の上で育ったもので、しょっぱい海の水は嫌いで、波しぶきをかぶるのさえも厭だという、気まぐれな海神のことを、人々は、「住吉の荒人神」と呼んで、航海の安全を祈願していたようです。

 住吉乃 荒人神 船舳尓 牛吐賜
 すみのえの あらひとのかみ ふねのへさきに うしはきたまえ

 付賜将 嶋之埼前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不令遇         ( 1020 )
 つきたまう しまのさきざき よりたまう いそのさきざき あらなみに かぜにあわせず

住吉(すみのえ)の荒人神(あらひとのかみ)。その名前を聞くと、私は、御伽草子の"一寸ぼうし"のことを思い出します。

 中頃の事なるに、津の國難波の里に、 おうぢ と うば と侍り。 うば 四十に及ぶまで、子のなきことを悲しみ、住吉に參り、なき子を祈り申すに、
 大明神あはれと思召して、四十一と申すに、たゞならずなりぬれば、 おうぢ 喜びかぎりなし。やがて十月と申すに、いつくしき 男子をまうけけり。

航海安全の神様に子授けをお願いするのは非常識ですが、切なる願いに感動した大明神は、荒人神を人の形にして授けたところです。
さりながら生れおちてより後、せい一寸ありぬれば、やがて其の名を一寸ぼうしと名づけられたり。
しかし、身体が異常に小さいことを苦にした人形が、大海に乗り出そうという気持になったとき、ようやく荒人神の本領を発揮しだします。

 刀なくてはいかゞと思ひ、針を一つ うば に乞ひ給へば、取出したびにける。すなはち 麥稈 にて 柄鞘 をこしらへ、
 都へ上らばやと思ひしが、 自然 舟なくてはいかゞあるべきとて、又 うば に「 御器と 箸と たべ。」と申しうけ、名殘をしくとむれども、たち出でにけり。
 住吉の浦より御器を舟としてうち乘りて、都へぞ上りける。
(御器は、蓋付きの食器のこと。)

  すみなれし難波の浦をたちいでて 都へいそぐわが心かな

異常に小さなこの船は、"一寸ぼうし"の特注品です。彼が想ったとおりの形で、想ったとおりの大きさであったことは、間違いないところです。
しからば、スクナ・ヒコナの神が、"天の羅摩船"に乗り、波穂の頂より旅立つ、その船も特注品で、彼の神の想いどおりに作られていた筈です。
(野生の羅摩の実は、上品な船形をしていたので、その名が船に付けられましたが、彼の神が船にしたのは、あくまでも"天の羅摩の実"だということです。)
 "天の羅摩の実"の形は?大きさは? これが、作る堅ち此の国、"この国のかたち"を作る際に標準規格になったと思えば、あらためて興味がもたれますが、
ここに格好の模型(モデル)があります。九章算術に出ている"合蓋"という立体の模型です。大きさは、縦・横・高さ、各2寸というものです。
これは、スクナ・ヒコナの精神をよく表していると思うので、混ぜ合わせて検討したいと思います。

羅摩(夏)

ハコフグ

天の羅摩船(操縦性能をもった船のイメージ)

 

牟合方蓋 と 似-牟合方蓋。陽馬 と 似-陽馬 の 違い。

 牟合方蓋は「其の形」のことではない。それだけは、はっきりしています。

 何以験之。
 取立方棋八枚。皆令立方一寸。積之為立方二寸。
 規之為圓困、径二寸高二寸。又復横因之。

 其形有似牟合方蓋矣。八棋皆然似陽馬。圓然也。

 私は、昨今の教科書的な説明は非なりとして、
 「牟合方蓋に似ている」ものまで、「牟合方蓋」と呼ぶようなことはしない。

 「牟合方蓋(底面を合せた双四角錐)」.......(A)   「似-牟合方蓋」......(B)
  ↑双円錐をいれる容器               ↑球をいれる容器

 というふうに仕分けることにしました。
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牟合方盖(mouhefanggai)

刘徽在研究球体积时引入的一种立体图形。
作一立方体,先自左而右作内切圆柱,再自前而后作内切圆柱。
正立方体经过两次切割得到一个立体图形,象是上下相对的两把方伞,
故名“牟合方盖。”(牟,上下相等之意,盖,伞也)。其图形如下图2。

 http://166.111.120.21:4237/home/database/htm/term/mouhefanggai.htm

 

   

(A)牟合方蓋(陽馬8つになる)が3つ 

 (B)其の形

  似-牟合方蓋(似-陽馬8つになる)が3つ

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牟合方蓋の名を虚しくする人達(違和感を奏でる)

 劉徽は、(A)に似た(B)の形象について「牟合方蓋に似て有る」と述べていたのに、煮ても焼いてもどっちでもいいだろうという。
 牟合方蓋の名を虚しくした人達は、球にかぶせる雨傘だけが欲しかったのでしょうが、雨傘を貸してくれた劉徽という人を馬鹿にすることになります。

 (A)(B)を対比して見せるようにしないと、眼の前にあるものに気持がさらわれる。私も気をつけないといけない、と思う次第ですが(注1)、
 円柱の交差を淡々と図解したところでは、図示されているのは(B)の様相です。(A)の様相は別に描いて見せないといけませんが、
 (A)と(B)の関係の検討は、
祖晅之の場合には、 陽馬.......(a)  似-陽馬......(b) のレベルに落としておこなわれるので、説明が二度手間になる嫌いがあります。

   

     ある高さのところで立方の横断面を切り取って見ると、その高さ(h)が内稘(合蓋)の横断面積(w2)を決定する因子であることがわかる。

 部分的に見たとたんに、(A)3体と(B)3体の体積は皆等しくて、質料的には同じものだとわかります。かたちが変わっただけのことだといえます。
 これは既にわかっていることだから、(A)3体の全体像を描いて見せる必要はない。それよりも、球の体積公式の成就のほうに気持を向けたいところです。
 また、
「牟合方蓋」というのは、てっきり(B)のことだと早合点している者も多いので、あらかじめ(A)に似ている(B)のことを「(A)」と呼んでおけばよい。

 効率的な勉強は結構ですが、課題自体の存立基盤を失うところまで要約が行き過ぎてはいけないと思うので、敢えて言います。
 
   劉徽・張衡二人皆、以圓困、十六為方率、九為圓率、乃設新法。
 
これでは、祖晅之の総括(注2)を真に受けて、劉徽の業績を無駄にすることになり、創業者に対する仕打ちには酷いものがあると。

... 可惜的是,劉徽並沒有求出「牟合方蓋」的體積,所以也不知道球體體積的計算公式。 ... 二百年後,劉徽的願望 終於由南北朝的祖沖之與祖晅父子所完成。
( 劉徽はそれを「牟合方蓋」と呼ぶ。 劉徽は、球の体積公式を算定することはできなかった。「牟合方蓋」の体積がわからなかったのである。)

 結局(B)の体積がわからなかったのだから、彼の貢献は露払い程度の僅かなものに止まる。彼の研究を完全なものとして見てやる必要はない。
 劉徽の仕事を未完成なものと決めつけた人達には、牟合方蓋の名を虚しくして語るのだけはやめてほしい。
 というのは、「(B)の体積はよくわかっている」ということを、劉徽自身が述べているからです。
  則其形有似牟合方蓋矣。八棋皆然似陽馬。圓然也。
 劉徽は、(A)3つを見て、(B)3つを見て、6つを見比べた。(a)24個を見て、(b)24個を見て、48個を見比べた。円(球、円錐、円柱)についても然り。
 肯定的な結論は、陽馬(すなわち、立方体を3で割った1つ)に似ているということです。双方の体積ぶりは同じだということです。
  観立方之内合蓋之外、雖衰殺有漸而多少、不揜判合総結。方圓相纏、濃繊詭互。不可等正。
 しかし、合蓋之外にかかる部分に眼を向けたときには、すこし雲行が怪しくなっていますが、
 (不可等正) ⇒ 欲陋形措意、懼失正理。敢不闕疑、以俟能言者。
 
「(B)の体積はわからない」という否定的な結論は、(体積が同じだということを)形の一致において厳密に証明しようとしたときの話です。
 私が言いたいのは、(B)の体積について、立方体の縦×横×高さを3で割るものではないか、という期待があると無いでは予後が異なるということです。
 3で割れるという期待があれば、そういう眼で観察するので、3で割る証拠をいくつか集めることが出来て、3で割るものという考えを否定できなくなる筈です。
 一方、そういう期待がまったく無ければ、3で割る証拠を集めてみようという気も起らず、3で割るものものではないか、という考えにも至らないでしょう。
 これ(後者)は、この形をいきなり見せられた生徒さんみたいですが、
 劉徽に、この形を創案した本人に、3で割れるという期待がまるで無かったといえるでしょうか。
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 注1 〔A,a〕要素の顕示を主眼にした図解


 陽馬の曲芸  玉もろともに同体の円筒を潜り抜けてみせます。

  

  ○ 陽馬(a)は、似-陽馬(b)に変形を遂げる。これは、円柱側面に底面を置き半径を高さとするような錐である。
  ○ 横幅の縮みは傾斜の増大による縦幅の伸びによって埋め合わされるので、表面積(底面積)はどの高さでも変わらない。

八棋皆然似陽馬。

この文が言うところを臆面もなく図解すると、左図のようになります。
円柱側面の片側の面積は上(下)面の2倍になっているので、葉っぱの形の面積が、上(下)面の円に外接する正方形と、同じであれば、面積2倍円にの内接正方形の役割を果たしていて意味深い。
また、実際そうなのです。


注2  淳風等按。祖晅之謂、劉徽・張衡二人皆、以圓困、十六為方率、九為圓率、乃設新法。祖晅之開立圓術曰、..........

 この球積率(方16・丸9)は、「黄金方寸重十六両、金丸径寸重九両」という工学的な実験の成果(周官考工記)に権威づけられていたものです。ところが、
 ところが、円周率が 3.0 とされていると、円積率(0.75)×円積率(0.75)=/16 が、これに一致するので、円柱を以てする球積率として説明されただけです。
 円柱を以てするにしても、本気でやると、張衡の球積率は、{√(10)/4} = 5/8 (62.5%)、いわば以圓困、十六為方率、十為圓率。というものになります。
 もし、劉徽自前の円周率(3.14)によるならば、(61.6%)になります。それよりも、「方16・丸9」の値(56.7%)の方が、もっと真値(52.3%)に近い。
 前者(61.6%)の非は、図形的な大小関係によって証明されますが、後者(56.7%)を否定することは、真値(52.3%)に拠らずしては不可能です。
そこで、祖晅之が言いたかったのは、
 劉徽が、円柱を以て方率とする球積率を論破した事実。これは認められる。しかし、「方16・丸9」という率に異を唱えたという事実は認められない。
ということでしょう。 私としては、劉徽が「方16・丸9」にさんざん異を唱えていた事実を明らかにしたい。
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棋三品と棋験法の三国(魏・呉・蜀)時代

 結局のところ、(B)2つによる合蓋の大きさが、(A)2つぶんに等しいことは、劉徽にはわかっていたと思う。
 前代未聞の難しい課題に、彼がどのようにして対処して、どこまで到達出来たのか。最近知った棋験法のことに絡めながら、振り返ってみたい。

棋三品  

"棋三品"について、郭書春は、つぎのように考えている。
劉徽よりも前の人々が多面体の体積問題を解決するために使用した、三種類の基本体積模型である。
三品棋を合わせたり三品棋に分解したりすることを通して、多面体の体積公式を論証・検証した。
三品棋とは縦・横・高さがすべて1尺の立方体・壍堵・陽馬の三種類の立体模型である。

 ≪九章算術≫の多面体体積公式と棋験法 小林澄子
 
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1546-02.pdf 

.劉徽の時代には棋験という方法が存在した。そうすると、

 (然此意非也。)何以験之。取立方棋八枚。皆令立方一寸。積之為立方二寸。

"何以験之"は、「私の考えが正しいかどうか、棋験を以って検証しよう。」という意味にとれそうです。
私は今まで、"験"の具体的な内容を知らなかったので、球を最小限に包む形を作図した斬新な発想に驚いているだけでしたが、それは棋験という方法をだんだんに積み重ねた結果であったわけです。
 しかし、まだわからないところがあります。

郭書春は、また、棋験法は特殊形状の多面体にのみ適応する、すなわち分割または合併すると三品棋になる多面体の体積公式の論証にのみ適応するだけで、一般の形状である多面体に対しては力を発揮しない、と述べている。(同上)


 棋験法は、万能ではなくて、特定の多面体に対してのみ適応する方法だというのですが、

  規之為圓困、径二寸高二寸。又復横因之。
  則其形有似牟合方蓋矣。八棋皆然似陽馬。圓然也。

 8棋による立方体の中で、円柱が縦横に交差する形は、とりあえず一般形状の多面体に分類されるので、棋験法が力を発揮しないケースに属するはずです。
 具体的に言うと
 棋験法は"似-牟合方蓋"には力を発揮しません。 棋験法は"似-陽馬"には力を発揮しません。

棋験法は特殊形状の多面体にのみ適応する

 だいたい"其の形"が棋験法に適しないことは自ずから明らかです。"似-牟合方蓋"を分割すると、陽馬になるどころか、"似-陽馬"になっている。
 劉徽も無茶なこと(棋験)をしたものです。しかし、申し訳ないと言わせるのは早いので、ためしに "似-"という冠詞をはずしてみました。

  棋験法は"牟合方蓋"に対して力を発揮します。 棋験法は"陽馬"に対して力を発揮します。

 8棋による立方体の中で、四角柱が縦横に交差して作り成す双四角錐。分割すると8陽馬になるこの形を、劉徽は「牟合方蓋」と呼ぶ。
 言い換えれば、劉徽は牟合方蓋について棋験をおこなった。その平常な棋験に無茶な考えを挿み入れたのが実情であると思われます。
  無茶な考えを挿み入れた、そのやりかたです。...... 規之為圓困、径二寸高二寸。又復横因之。 ........

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自己相似形の破局と棋験法の正理

 いやしくもこの棋験に参加する以上、似-陽馬の大きさが(陽馬と)まったく同等であるのは当然でしょう。
"似-"ているという、その算術的な意味は、「かたちは異なっているが、大きさは同じ。」ということでないと承知されません。
  観立方之内合蓋之(内)外、雖衰殺有漸而多少.不掩判合総結。
 自己相似的な衰微に連続的な変化があり、それによる〔わかれ・合さり・ふさ・結び〕が隠すところなく現れているけれども、

 劉徽は、陽馬・鼈臑が多面体の体積理論において鍵となる働きをすると考えており、陽馬の問題の注で次のように述べている。

  邪解壍堵、其一為陽馬、一為鼈臑、陽馬居二、鼈臑居一、不易之率也。

 (壍堵を斜めに切り分けると、そのうち一つは陽馬、もう一つは鼈臑になる。陽馬はそのうちの2を、鼈臑は1を占め、これは不易の率である。)

      V(陽馬) : V(鼈臑) = 2 : 1

 これは、中国で現在、"劉徽原理"と呼ばれているものである。
 劉徽原理を証明した後に、彼はその他の多面体に対して、それを立方・壍堵陽馬・鼈臑の立体に分解し、それぞれの立体の体積の和を求め、それによって多面体の体積公式を解決している。 (同上)

 牟合方蓋(双方錐)3つという場合、立方8個は壍堵16個に分解され、陽馬16個と鼈臑16個に分解されますが、鼈臑16個は合併して陽馬8個になります。陽馬(/)24個が8個づつに分れて、牟合方蓋1つの体積は(/)になります。2とおりの配置があります。

 似-牟合方蓋3つという場合、立方8個は壍堵16個に分解され、似-陽馬16個と似-鼈臑16個に分解されます。似-陽馬/16個は8個づつに分れて、似-牟合方蓋2つになります。似-鼈臑/16個は、それだけでに似-牟合方蓋1つになります。体積は皆(/)になります。配置は1とおりです。 

 だけど、やっぱり出過ぎたことはするもんじゃなかった。
 方圓相纏、濃繊詭互。不可等正。
 似-鼈臑を似-陽馬の半形に入れ合せようとしても、互いにまるく反り合っている曲面がチグハグになっていて、それが出来ないのです。
( かたちが合同ならば、大きさは同じとする。かたちが異なっていれば、大きさは違うとする。 これが棋験法の正理というものか。
  そうすると、V(似-陽馬):V(似-鼈臑)=2:1 という意見の是非を問われたとき、棋験法の立場からは、決して是とはいえない。)
  欲陋形措意、懼失正理。敢不闕疑、以俟能言者。
 似-陽馬が、似-鼈臑2つを相手にして、合同にならない悪形だとしても、私は、それらの大きさは同等であるという意見を、依然として、措いておきたい。
 しかし、そうしたことが、棋験法の正理を失脚させることに、繋がりはしないかと、おそれてもいる。
 ひとつのジレンマに陥った私としては、あえて疑いの念を持ち続けて、何もかも矛盾なく説明してくれる人が現れるのを待ちたい。

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自由研究(1) 自己相似性を共通項として、2つの形を比較する。

 形の一部を切り取って拡大しても元の形と一致するような形を「自己相似形」と言います。
 そして、自己相似形は同じ形のままでの無限の成長を暗示していると言われ、そこに人は美しさを感じるようです。

  http://blog.goo.ne.jp/designsoudan/e/0a3979f359e03f496e25bedf5eee67eb

 観立方之内合蓋之外、雖衰殺有漸而多少.不掩判合総結、方圓相纏、濃繊詭互。不可等正。

 原文がこれだと「合蓋の内」はあまり観察しなかったみたいですが、実際のところは、「合蓋の内」をよく観察してから、「合蓋の外」に眼を移したと思います。「衰殺有漸而多少.不掩判合総結。」という説明は「合蓋の外」を念頭に置いていたかもしれませんが、もちろん「合蓋の内」にも当てはまることです。
 それで、たぶん「衰殺有漸而多少.」という文は、錐体特有の自己相似性のことを語っていると思います。
 形の一部を切り取って拡大しても元の形と一致するような形を「自己相似形」と言います。
 自己相似形として見たときには、(A)と(B)は瓜二つの形です。劉徽は、(B)を、(A)と同様に、錐体とする見方に傾いていたといえます。(これは、円柱の中央に頂点があり側面に底面を置く錐体です。)
 自己相似形は同じ形のままでの無限の成長を暗示していると言われ、そこに人は美しさを感じるようです。
 もとより立方体も自己相似形ですが、その成長点(消失点)近くにおいて、3つの陽馬にスペースが3等分して与えられたのが(A)であり、2つの陽馬に全てのスペースが与えられたのが(B)であるといえます。

(A)                (B)

    棋験法に花を持たせたい

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自由研究(2)

   

 

「波穂」は、今でいう "軌跡" のことで、
青い軌跡は円の横幅を自乗した軌跡

劉徽は、陽馬の体積問題を解説したときに、次のようなことを述べています。

 數而求窮之者、謂「以情推。不用壽算。」

 数を数えて窮まりを求める者は、
      「情(なさけ)を以て推しはかる。壽算を用いず。」と謂う。

 數而求窮之ということで、わかりやすいのは、極限を追究することですが、連続的な量の変化を緻密に追うことも当然含まれていると思われます。
 壽(ちゅう)は算木のことです。一、二、三と数を数えるときは、必ず算木を用いるものです。
 ものの体積がいくらかを推しはかるのも、たいていは数を数えるのと同じことですが、壽算が役に立たなくなることもたまにはあります。そんなときには、今であれば、ひとつ「グラフ」を描いてみるかということになりそうです。

 そうしたグラフのことを"情"と呼んでいた三国志の時代には、何にしても情感に溢れた表現が望ましいと思うので、私は、体積グラフに表してみたい、似-陽馬や似-鼈臑の、体(内容)のことを、「腹の内」と呼んでみたい。
 そういえば、そうですね。たしかに。
 「お互いに相手の腹の内を探りあう」ような状況になっているのは間違いのないところです。

ここまでのまとめ

 劉徽は、合蓋が立方の(/)を占めていることを知っていて、棋験法による説明を試みたところ、ジレンマに陥ってしまった。

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3つの方柱が交差する街角に帰る。

 故名“牟合方盖。”(牟,上下相等之意,盖,伞也)。

 原義が剥奪されて別物に置き換えられてしまった「牟合方蓋」というのは、踏んだり蹴ったりの末にぺしゃんこになって殆ど原型を止めぬありさまです。
 「牟,上下相等之意」という人は、それを言うには、上下相等之意 を表すには、が最適の言葉なのに、忘れてしまったのでしょうか 。
 だいたい縦横円柱の交差を作図したとしても、"牟"という言葉を引用するきっかけにはならないので、由緒正しい説明が必要です。
 私の牟合方蓋は双方錐ですが、それが"牟合方蓋"と名づけられたのは、方柱の交差による、というふうに説明することになります。

 "牟合方蓋"とは=6から来た立方体がさぼられる街角の内に、四角錐2つが結び合った形のことである。
            これには双円錐を容れるので蓋という。 

 いつか来た道 あの街角に
          ひとり求める 思い出いずこ

 ああ 一度だけ 恋して燃えた
          ああ あのときは もう帰らない

 面影
 作詞;佐藤純也 作曲;菊池俊輔 歌;しまざき由理
 1975

 

 "牟"という漢字は片仮名「ム」の元字ですが、どんな意味があるのか今ではわからなくなっています。最初の意味を尋ねて漢和辞典を引くと、〔動詞〕"むさぼる(貪る)"と書いてありました。
  漢書「漁奪百姓、侵牟萬民
 "牛"でいえば、「空腹な牛が草を(身体の中に)呑み込む」ことだろうと理解されます。
 立体図形では、「空虚な立体が充実した立体を呑み込む」ことだろうと理解されます。

 3方柱が交差する街角。そこに居る空虚な立方体は、6方から来る6個の充実した立方体を牟さぼるとします。
 その内5個ぶんを消滅し、1個ぶんを"吐き"戻したとします。
 そうすると、1方当りでは、/ が消滅され、/ が残されることになり、全体では、3つの牟合方蓋〜四角錐2つが結び合った形のことである〜を組み合せたかたちを形成することになります。

(A) 6立方体の6つの残片の面影(おもかげ)が1面ごとに表れている。
 "街角立方体"の外観としては、これが典型的なものですが、そのほかに、
(B) 外面は黄色一色で、赤・青の面影は奥に隠れて、点と線でしか見られない。
 という場合が考えられます。
 これ即ち、則其形有似牟合方蓋矣。八棋皆然似陽馬。圓然也。
 ただし、方圓相纏、濃繊詭互。不可等正。 棋験法は YES と答えてくれそうにない。
 欲陋形措意、懼失正理。 劉徽はジレンマに陥った。
 敢不闕疑、以俟能言者。 誰か説明してくれたまえ。
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一見して敗色濃厚な戦況報告です。しかし、"意"によっては思う存分に等正した後、潔く撤退して棋験法の本陣に復帰したのであれば、まずは「おめでとう」と言わなくては。
変なことを言うようですが、劉徽は、
鼈臑の体積(/)を、(/)と(/)に分けるため、鼈臑の背面に四分円を描いたのです。
結果的に、これは正しい操作でした。

      V(似-陽馬) : V(似-鼈臑) = 2 : 1

数学的にも正しい推論なので、"劉徽第二原理"と呼びたいものです。
この操作による図形が「陽馬に似ている」という指摘がふつつかな憶測に基づいていたなら、「敢えて疑う」という発言はありえない。彼は、これが正しい操作だという確証を必ず得ていた。しかし、今抱負している説明の仕方は、棋験法の論理を逸脱している。これはよくないと考えた。
棋験法を土台にした説明の仕方は必ずある筈です。あることはわかっているけれども、とっさに思いつかなかったので、夢の実現を将来に託すことにしたわけです。

過ぎたるは及ばざるが如し。

二百年後、祖晅之が、「開立圓術」を著して、"第二原理"を完璧に証明しました。終り良ければ全て良さそうですが、劉徽の"夢"を実現しているかどうかは別問題です。

 開立圓術曰。取立方棋一枚令立樞、.........
 
樞(とぼそ)は、扉(ドア)の回転軸の上下に付いている突起とそれを受ける穴のことです。樞があれば、そこに回転軸があると思うのは当然です。
 その鉛直な回転軸に添って立方体1個を置いたならば、3つの座標軸(x、y、z)が設定されたも同然の状況が引き起こされます。
 臨時のことにせよ、千年いち早くして、代数幾何学特有の3次元座標空間において立体図形を観察するとは、たいしたものですが、
 内稘の断面積、高さ、円。以上3者の関係を洞察して、立方体の中に密かに隠れている3陽馬を暴き出します。

最初に勾股弦の法に照らして解析するので、3似-陽馬は、勾股弦の法に面接することが先になります。
それはよいとしても、
3似-陽馬が、棋験法に面接するときには、既に 3陽馬の姿に成り変っているのが、可愛くない。(注1)
「私は、こう見えても、底面積が1寸、高さ1寸の似-陽馬です。」という挨拶を欠くのは、棋験法を形式的な手続きに終らせるのと同じです。
彼の、"球に依りかかった"説明ぶりを見て、私は、これは恐らく「劉徽の"夢"を実現し過ぎている」のだろうと思い、悲しくなってしまいます。しかし、「過ぎたるは及ばざるが如し」という意味においては、棋験法を土台にした説明に、だいぶ近づいて来ているといえます。
あとは、勾股弦法による証明が棋験法の論理を僭越している部分を削ぎ落として、すべて棋験法の内に説明することです。

分之二較然験矣 内棋成一合蓋内棋居小方三分之二則合蓋居立方亦三 方則陽馬居一内棋居二可知矣合八小方成一大方合八 容異由此観之規之外三棋旁蹙為一即一陽馬也三分立 乗與断上冪数亦等焉夫畳棋成立積縁冪勢既同則積不 以析 微按陽馬方高數参等者列而立之横截去上則高自 加然也然固有所帰同而途殊者耳而乃控遠以演類借況 之断上冪然則余高自乗即外三棋之断上冪矣不問卑勢 本方之冪余即内減其断上方之冪也本方之冪即外四棋 弦句股之法以句冪減弦冪則余為股冪若令余高自乗減 之以句股言之令余高為句内棋断上方為股本法之數其 而為四規内棋一謂之内棋規外棋三謂之外棋 規復横断 又合而衝規之去其前上之廉更合四棋于是立方之棋分 取立方棋一枚令立樞于左後之下隅従規去其右上之廉 開立圓術曰

(注1) 棋験法原理主義者(見た目重視)の主張(日本書紀)

 .赤玉の 光はありと 人は言へど 君が装し 貴くありけり  阿軻娜磨廼 比訶利播阿利登 比ケ播伊珮耐 企弭我譽贈比志 多輔妬勾阿利計利  
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自由研究(3) 古事記に描かれた街角の情景

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於是詔之。上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。 初於中瀬隨迦豆伎而滌時。所成坐神名。
八十禍津日神。次大禍津日神。此二神者。所到其穢繁國之時。因 汚垢而。所成神之者也。
次爲直其禍而 所成神名。神直毘神。次大直毘神。次伊豆能賣。并三神也。

次 於水底滌時。所成神名。底津綿津見神。次底筒之男命
於中滌時。所成神名。 中津綿津見神。次中筒之男命
於水上滌時。所成神名。上津綿津見神。次上筒之男命

此三柱綿津見神者。阿曇連等之祖神伊都久神也。
故阿曇連等者。其綿津見神之子。宇都志日金拆命之子孫也。
底筒之男命中筒之男命上筒之男命三柱神者。墨江之三前大神也。
於是洗左御目時。所成神名。天照大御神。次洗右御目時。所成神名。月讀命。
次洗鼻御時。所成神名。建速須佐之男命。
 右件八十禍津日神以下。速須佐之男命以前十四柱神者。因滌御身所生者也。

自由研究 過ごす「節の間」から、渡る「世間」へ。 「一寸ほうし」序説

節の間。束の間。どこが違う。

 難波潟 みじかき葦の 節の間も 逢はでこの世を すぐしてよとや 伊勢

葦の茎の節の間は、ふつうは「長い」と感じられるものを、どうして作者(伊勢)は「短い」と感じたのでしょうか?
この問いかけは、私が発した疑問ではなくて、昔読んだ本に書いてあったことの伝えです。

「束の間の逢瀬」という言葉があります。その場合、一束="指4本の幅"は、「短い」と感じられています。最近は、この「束の間」を基準にして、葦の「節の間」は自ずから「短い」ものだと解説する人が多いようです。
それならば、「節の間の逢瀬」という言い方が世間に流通してもよさそうですが、それがまったく聞かれない。
("節の間の逢瀬" 約144,000件。 "節の間の逢瀬"との一致はありません。 google )
この検索結果は、「束の間」という言葉が、「節の間」とはまったく異質の概念であることを物語っています。
それを簡単に言うと、「束の間」とは、蝋燭の燃焼時間のことです。長さが一束の蝋燭が燃え尽きる時間です。
これに対して、「節の間」とは、二十四節気の1節の期間です。(平気法によると)時間は、1太陽年の /24 。15日から16日ほどの明け暮れになります。
ですから、この歌は、「節の間」と言うことにより、暦(こよみ)の時節を招き入れているといえます。

 難波潟 みじかき葦(年)の 節の間も 逢はでこの世を すぐしてよとや 伊勢

 

 

 

 

 

 

葦の茎の節間がいかに長くても、年時の節間の長さには、とても及ばないので、2つの節間に相関性はあるとは考えられません。ひょっとして相関性があるとしたら、葦の節間の長さが、年時のそれの長さを、豊かに超えている。おそらく、とても背が高くて、穂先が天頂まで達しているでしょう。
(時節との関係をさしおいて)、葦の茎の1つの節管は、1つの空間の長さとして直感的に評価して、短いのか?長いのか?
葦の1節管の短さを「束の間」と言う人は、葦の茎をギュツと「つか」んで(把握して)いる人です。和歌においては、そういう無粋な持ち方は許されません。これは葦笛です。横笛にせよ、縦笛にせよ、葦の茎は指先で押さえるようにして持ちたいものです。1節の間に1オクターブも出ているとき、1オクターブの音程があれば「長い」と言うことになりそうです。
だいたい、葦が人の背丈の2倍も3倍も高く延びるのはどうしてか? 1つの節の間が長いからではないでしょうか。

やはり、葦の茎の節の間は、ふつう「長い」と感じられる。(根元に近づくにつれて節管は短くなる傾向があります。)
昔読んだ本の著者が言うとおりだと思います。

「難波潟の葦」を詠んだこの歌を鑑賞する人は、葦の「節の間」を「みじかき」ものと見て、「節の間」の時間に肩を並べたがるけれども、実際に生えている葦の節の間を「みじかき」ものと見る必要もなかったと考えます。ただし、3の倍数でアホになる「世界の葦」ならば話は別です。

難波の岸辺に、世界の葦を詠む。

 難波江の 葦のかりねの ひとよゆえ みをつくしてや 恋わたるべき 皇嘉門院別当

 これで一昼夜です。
世の中が変わると、葦の1節管に対して、本当に短いという感覚を求める人もでてきますが、
そんなときは、根の近く、節の間が寸詰まりに短縮するところを見ればよいわけでした。
平安貴族の御婦人方が大阪に来て泊まるホテルが無くて野宿することはないでしょうが、歌枕の約束があるので、葦の仮屋をこさえ、折敷く葦を寝床にして仮寝をすると、葦の刈根に目が行き、本当に短い「一節(ひとよ)」が目に入ります。
もっとも、葦の1節管に対しては、「短い・長い」というよりも、「狭い・広い」という評価が適切であるような。
おそらく、「空間」と「時間」を総合したところの、「世間」という概念が成立しているような気がします。
それで、1夜という時間を経過することを、もはや「過ごす」とは言わず、渡る(わたる)という。「渡る世間に鬼はなし。」の先例です。

 

箸の秘密

箸(はし)は、東アジア地域を中心に広く用いられる食器・道具の一種で、二本一対になった棒状のものを片手で持ち、ものを挟んで移動させるために用いる。

瀬をはやみ岩にせかるる割りはしの 割れても先に逢わむとぞ思う (崇徳院)
箸(はし)というものは、だいたい、2本の細長い角柱が片手で持ちやすければ、よろしいわけですが、

日本の箸は、片方のみ、先が細くなっているものが多い。
日本の箸の先が細くなっているのは、骨付きの魚を食べる際、骨と身をより分けやすくするためである。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8

こういう先細い箸の形状は、どうも鳥の嘴(くちばし)の形を真似ているような気がします。鋭い端(はし)先で食物を摘み取るピンポイントの攻撃力が重要で、2体の先端が唯1つの点に向かうと、どうしても錐(きり)の形になります。ところが、これは思いがけない果報というか、細長い四角錐の棋(模型)が2個1セットで作られてあるようなものです。算数の教材として活用されていることが考えられます。

塗りを施していない箸には、木目の美しさを強調するために、後端を片面に向かって鋭角に切り落とす
「天削げ」と呼ばれる加工を施したものがある。
近年では、塗り箸にも、装飾のために、「天削げ」の加工を施したものがある。

これも重宝です。細長い斜四角錐の棋が2個1セットで作られてあるようなものです。また、後端の切断面を「天」と表現していることも注目に値します。

伝統的で正しいとされている持ち方をした場合、二本が 2 - 3 cm の隙間を隔てたまま平行に出来、掌側の箸同士は常に間隔が空いた状態となる。

箸の正しい持ち方がひとつの行儀作法とされている社会において、人々は、箸、すなわち細長い棋の取扱い方を、なんとなく習得しているといえます。この状況を見るに、

二柱神相並

 To be part of this project is a dream come true, and like any dream come true.
劉徽が見た夢は、いまや現実になっているようだ。
 There is a fantastic story to go with it.
そのなりゆきに連れて、夢のような話が語られているに違いない。

 

a dream come trueのdreamは単数形なのに,どうして動詞のcomeはcomesにならないのですか。

http://www.biseisha.co.jp/lab/lab1/31.html


お椀の舟の絵かき歌

さりながら生れおちてより後、せい一寸ありぬれば、やがて其の名を一寸ほうしと名づけられたり

理由が明解に述べられています。せい(背丈=高さ)が1寸あるほうしは、すべからく「一寸ほうし」である。
これが、この説話のコンセプト(最大の目玉)だとしましょう。
しかし、ほうしは本当に せい一寸 であったのか。名前による証明はあてにならないので、あらためて物的証拠が求められます。

刀なくてはいかゞと思ひ、を一つ うばに 乞ひ給へば、取出したびにける。すなはち 麥稈 にて 柄鞘 をこしらへ、

小さな世界サイズの"太刀"が、大きな世界にありあわせの材料を用いて、製作されたわけですが、
太刀の有用性を離れて、その純粋なかたちに着目すると、図形的な意味が浮かびあがります。
「一寸ほうし」の名にかけて、の長さは、1寸としておきます。
麥稈 にて 柄鞘 をこしらえたところで、(線分)は、麦稈(ストロー)による円筒の中心軸をなしています。
つまり、「一寸ほうし」は、刀と称して、円柱形の棋(模型)を作って見せているのです。

都へ上らばやと思ひしが、自然 なくてはいかゞあるべきとて、

航海術全般にかけて天性の才能があるのは、住吉の荒人神ならば当然のことです。今回は一身上の事由により、せい一寸という船を自前で建造することになりましたが、別に船大工を雇わなくても、ありあわせの材料を工夫して素敵な船が造れます。
そういう意味では、麦稈(ストロー)の 柄鞘は、船の胴体の円筒形を思わせているのですが、

又 うば に「 御器と たべ。」と申しうけ、名殘をしくとむれども、たち出でにけり。

御器は舟の材料になります。お椀とその蓋には、「糸底」といわれる出っ張りが見えますが、まるで(立っている)円筒の両端のようです。無駄の無い説明をすると、この円筒を、麦稈の(横に寝ている)円筒と、交叉させて舟のかたちを造ります。
「一寸ほうし」の名にかけて、(錐)の高さは、1寸とします。
舟の積荷はこの箸(錐)です。狭まった先端を船室の中央に置くので、円筒の半径は1寸と決まりました。(線分1寸)のコンパスをひと回しして、この円の直径は2寸だというので、円筒の高さも2寸と決まりました。

 何以験之。
 取立方棋八枚。皆令立方一寸。積之為立方二寸。
 規之為圓困、径二寸高二寸。又復横因之。

急ごしらえの造船台で、一寸船を鋭意建造している様子です。(絵は縦・横の円柱交叉です)

住吉の浦より御器をとしてうち乘りて、都へぞ上りける。

「舟」と言いますが、四面張りの紙風船のような全体は浮きにしか見えません。これが本当に波を切る船なのかと疑問に思われるのは当然です。そこで、あらためて部分的に見て頂くと、小立方体8つごとに、それぞれが船の舳(へさき)になっています。
 住の吉の 荒人の神 船の舳に 牛吐き賜え
住の江の荒人神が牛吐きたまう"船の舳"。それが合せて8つもある豪華貨客船です。

 

 ∴ すみなれし難波の浦をたちいでて 都へいそぐわが心かな 

都へぞ上りける。その言葉どおり、大阪都構想に向けて、おわんの舟は、垂直に上昇するのみでしょうから、
 自波穗 乘 天之羅摩船而、
「そそり立つ波穂の頂より うち乗る船」の帰り船に乗る心地を述べているかもしれませんが、
そうではなくて、数多の箸(錐;高さ1寸)が1点に集中する中央志向の甚だしさを述べているかもしれない。
 内剥蛾皮剥爲衣服 有歸來神。
すなわち、「蛾の皮を 内剥ぎに 剥ぎし  綿ぼうしの衣服」の真意を述べているのかもしれない。

天の羅摩船。その内容(中心角)の解明。

私の僻目で見るところ、御器舟と、天の羅摩船は、うり二つのものであり、その図形が劉徽の「合蓋」を模していることは明らかです。
ただ、御器船の場合、外形を作る経過が説明されているのに対して、天の羅摩船は、いきなり不思議な未確認図体として登場します。

大国主の神様が、出雲の美穂の御崎におられたとき、空のてっぺんに届くような高波の頂から滑り降りて行く 天の羅摩船 に乗って、蛾の繭をその内側から剥いで衣服にしているちっぽけな神様が帰り来られた

そこで、大国主が本人に名前を尋ねたところが答えない。つき従う神々に尋ねても皆一様に知らないと言う。
そのとき、三角蛙(カエル)の多迩具久が「彼の本性は久延毘古が必ず知っています。」と申し上げた。そこで、久延毘古を召して問い質したところ、答えて「彼は、神産巣日神の御子、少名・ヒコナの神です。」と申し上げた。

そこで、その旨を神産巣日神に申し上げたところ、
「彼は実に我が子なり。我が子の中、我が手の俣より茎出し子なり。」とお答えになり、「ゆえに汝、葦原色許男命は兄になり、(彼は)弟になって、その国を堅ち作れ。」と告げられた。
これより、
大穴牟遲と少名・毘古那の二柱の神は、相い並んでこの国を堅ち作られた。然る後、少名・毘古那神は常世の国に渡られた。

事神也 山田之曾富騰者也

此神者足雖不行

盡知天下之

故顯白其少名毘古那神

所謂久延毘古者

於今者

其少名毘古那神者度于常世國也 牟遲與少名毘古那二柱神相並作
堅此國

然後者

汝葦原色許男命爲兄弟而

作堅其國

故自爾大穴

之中自我手俣
久岐斯子也

自久下三字以音

故與

於神産巣日御祖命者

答告

此者實我子也

於子

御子

少名毘古那神

自毘下三字以

故爾白上

即召久延毘古問時

答白

此者神産巣日神之


久白言

自多下四字以音

此者久延毘古必知

其名不答


雖問所從之諸神

皆白不知

爾多迩

羅摩船而

内剥蛾皮剥爲衣服

有歸來神

爾雖問

故大國主神坐出雲之御大之御前時

自波穗乘天之

少名・毘古那神の本性を顯し申した、「久しく延びる」とかいう久延毘古なる者は、今日においては「山田の曾富騰」と呼ばれるに違いない。
この神は、足は行かずといえども、天下の事をことごとく知る神である。
 (古事記)

未確認図体(Un-known Object)の秘密は、その特異な形に精通する者が明らかにします。
多迩具久(たにぐく)は、蟾蜍(ひきがえる)。要するに、蛙(カエル)の一属です。
(ケイ)という漢字のつくりは ですが、圭というのは、先端が将棋の駒のように尖った玉(ぎょく)のことです。算術的には「三角形」のことです。(S=底辺×高さ÷2)
カエルは体型が圭の形をした虫だから、圭という図形のことは当然知っています。また、四角錐の側面は三角形なので、「四角錐」の事情もいくらか知っているはずです。(V=底面×高さ÷3)
久延毘古は、その四角錐の精霊です。今では『 野比 のび太 』といわれる架空の人物です。
四角錐は、未確認図体と自分が因縁のある図形である由を、自分のことだから知っていた。
神産巣日神(かみむすびのかみ)は、その名のとおり、神秘的な結合法則の下にさまざまな結合関係を司る神様です。(〔例〕 直角三角形の3辺、、において、222
神産巣日神が「我が手俣」というのは、端正な角(L)、すなわち直角のことです。
神聖な角の隅から茎出た少名・毘古那神は、様々な角(∠)の中でも、繊細な角を作る者です。
ところが、箸の正しい持ち方が行儀作法とされている社会においては、繊細な角を作る者といえば、それは箸であるに決まっています。というのは、繊細な角というのは、1粒の微小な物体を挟み込んでいるようなものです。箸を正しく持ったとき、その箸が非常に細長いと、粉塵の1粒を箸の先端に挟み取ることができますが、そのときには、繊細な角が作られているからです。

方錐、
下方二尺高一尺、
即四陽馬。






方錐、断面の重なり

 

別の見方がされると、少名・毘古那神の御姿は、嘴が長い蜂鳥(ハチドリ;Hummingilbird)に見えたかもしれません。
日本書紀の一書において、
スクナ・ヒコナ神はミソサザイの羽根毛を纏った姿で出現しますが、(頃時有一箇小男。以白鵞皮爲舟。以鷦鷯羽爲衣。
大己貴神即取置掌中而翫之。則跳囓其頬。

オオナムチ神が、掌の上にスクナ・ヒコナ神を乗せて賞玩していたところ、顔をめがけて跳ね飛んで来て頬をかじった、という。
また、大海を渡る鳥のように常世の国(注1)に渡ったところは、つぎのように描写されています。
至淡嶋而縁粟莖者。(注2)
シャボン玉のてっぺんに浮かんでいる淡(泡;阿波)島に飛び至り、世界葦の茎が粟茎のように細くなっているところに止まったという。

世界葦の茎(弓なりに撓っている)の先端の水平なところに止まったので、引きしぼられた石弓のひきがねを外す結果になって、
彈渡而至常世(とこよ)郷矣。
石弓に弾かれるように弾きとばされて、大海を渡って常世の国に至った。

ハチドリは鳥類アマツバメ目ハチドリ科 Trochilidae の総称である。

分布
合衆国南西部からアルゼンチン北部にかけてのアメリカ(カリブ諸島を含む)に生息する。

形態
鳥類の中で最も体が小さいグループであり、体重は2〜20g程度である。
キューバに生息するマメハチドリは世界最小の鳥であり、全長6cm、体重2g弱しかない。

飛翔
毎秒約55回、最高で約80回の高速ではばたき、空中で静止するホバリング飛翔を行う。
足は退化しており、枝にとまることはできるがほとんど歩くことはできない。

Wikipedia

箸も、小鳥の長い嘴も、微細な粒子を挟んで繊細な角を作るところは、同じです。
思うに、少名・毘古那神とは、
繊細な箸の(錐状をなす)先端の精霊であり、その姿は、2本の縫い針が並んでいるように見えたのではないか。

(注1) 物質が運動し変化するには時間が必要ですが、常世の国には(秒刻みの)時間が無いので、運動量は零になり、変化量も零になります。
      そのとき 時計は 止まり、挟みたくても、挟むものが無い。そこにおいて、
スクナ・ヒコナ神の活動は終止します。
(注2) 於「天浮橋」「宇岐士摩理」蘇理多多斯弖天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣 (古事記)
     則自串日「二上天浮橋」立於「浮渚在平処」而膂宍之空国自頓丘覓国行去 (日本書紀)

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針坊主は招く!

この話の最後に、「久延毘古は、足が不自由でどこにも歩いて行けないくせに、遠くで起きる出来事を知っている。」という不可解な説明がありましたが、
(箸のように)錐の底面が上向いていると、その面を「天面」というので、その錐体はいわば「天の下」にあることになり、
久延毘古はそこを領知する者です。
そのことを楯に取って、「彼は、天下で起きている出来事をすべて知っている。」と言うと、日本全国に話が膨らみ過ぎて、冗談に等しくなりますが、
彼が錐の精霊であれば、自分が戴いている天(⇒地)の面積や高さなどは、それこそ我が天下の事だから、知っていても不思議ではないとはいえます。

スクナ・ヒコナ神の、蚕蛾の繭を内剥ぎにした衣服は、ふわふわした綿の蒲団(ふとん)です。これは、これから「堅ち作られる(日本の)国」が、まだ柔軟だったときの状態を比喩しているように思えます。
ひょっとしてこれは、これから「堅ち作られる国」の"雛形(ひながた)"ではないでしょうか?
さて、この小さなお蒲団の名前は?なんというのでしょうか。尋ねる人もいなかったので、申し遅れましたが、「針坊主(はりぼうず)」といいます。名前のとおり、(裁縫をする人が)縫針たちに着せる衣服です。あちこちに散らばった縫針たちを1個所に呼び集めようとするものです。
スクナ・ヒコナ神の御神体は、2本の縫針のようなお姿だから、針坊主に深々と刺さっていた。そう思うと、天の羅摩船の船室内部のイメージが定まります。
ときに、一寸ほうしはどうでしょうか。彼が最初におこなったのは、1本の縫針を手にいれることでした。
刀なくてはいかゞと思ひ、針を一つ うば に乞ひ給へば、取出したびにける。
刀を拵えるという合理的な理由付けがありますが、心が欲した最初の対象が縫針であった事実は、彼を針坊主とするのに十分な証拠になるのではないでしょうか。また彼は、続いて箸を手に入れますが、
 又 うば に「 御器と たべ。」と申しうけ、名殘をしくとむれども、たち出でにけり。
御器の舟はともかく、「この箸を櫂にした」という説明はオリジナルではないので、信じるに足りません。
「箸によって、舟の形が(円筒曲面を底面とする)錐形であることを説明したのだ」というのが私の基本的な考えですが、いま俄かに、一寸ほうし〕=針坊主説に拠って解説すると、箸は針坊主に突き刺さります。ここに、スクナ・ヒコナ神の霊が招かれたと考えてみたい。

"天の羅摩船"の満艦飾も見てみたい。

(注1) 「天円地平」の宇宙観において、地平を覆う天円面(天蓋)は半球の形をしています。しかし、地平面の形は真四角ですから、天下国家論的な思念に任せると、合蓋の形になりやすいといえます。

 

稲羽の素兎。その外形(表面)の解明。

吾云。『汝者我見欺。』言竟。
私は言いました。「君たちは、見事、私にダマされたのだよ。」と。言い終ったとたんに、
即伏最端和迩捕我。悉剥我衣服
隊列のいちばん端に伏していたワニが我を捕まえて、我が衣服を身ぐるみ剥ぎ取りました。

私の僻目で見るところ、「衣服」を海ワニに剥ぎ取られた稲羽の素兎と、天の羅摩船は、うり二つで、その図形が劉徽の「合蓋」を模していることは明らかです。
天の羅摩船については、内容である中心角のことを解明しただけで、外形、すなわち表面の解明には向わずじまいでしたが、
実は、その表面を定量的に解明する課題は、稲羽の素兎大穴牟遲神の共同作業において、既に取り組まれていたのです。


さまよえる出張鑑定団

大國主神。亦名謂大穴牟遲神。亦名謂葦原色許男神。亦名謂八千矛神。亦名謂宇都志國玉神。并有五名。
「大穴持命」ともいう。空虚で中身が無い。
「大汝命」ともいう。名前のとおり、我々(われわれ)が「あなた」と呼ぶ神霊のことです。

故此大國主神之兄弟八十神(やそがみ)坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。
其八十神各有下欲婚稻羽之八上比賣之心。共行稻羽時。於大穴牟遲神負。爲從者率往。
八十神たちの従者一行の最後を歩く大国主神は、であり、服従の徴(しるし)に、大きな荷袋を背負っています。
この薄汚れた(タイ;しろぬの)が実は大変なお宝であることを、まだ誰も知らない。

於是到氣多之前時。裸菟伏也。爾八十神謂其菟云。「汝將爲者。浴此海鹽。當風吹而。伏高山尾上。」
故其菟從八十神之教而伏。爾其鹽隨乾。其身皮悉風見吹拆。故痛苦泣伏者。
道端に臥せっていた"すっぴん兎"に、八十神は、海水浴と高山での風浴を勧めた。風が塩分を濃縮するにつれて、兎の皮膚は干しワカメ状態になり、苦痛は増すばかりである。

最後之來大穴牟遲神見其菟。言「何由汝泣伏。」菟答言。
最後に真打登場です(話にオチをつける)。「困っているのはわかるが、ここに至った経過を聞こうやないか。」と落着いた態度で話しかけられたので、素裸兎も最初のいきさつから話します。
「僕在淤岐嶋。雖欲度此地。無度因。
 僕は隠岐の島にいました。此の目的地に渡りたくなったのですが、海を渡る結果に導く原因がありません。

原因→結果という因果法則に支配された自然現象と違って、意識をもってする諸個人の営みである社会現象は、目的(夢)→手段(原因→結果)→達成(現実)という行為の関連であるので、ひとつの目的(夢)を抱いている個人は、他の人たちが持っている手段(原因→結果)に便乗して、達成(現実)に至ることになります。
欺海和迩(わに)言。
そこで、海和迩に、嘘をついて、つぎのように言いました。
海和迩はすなわち撞木鮫です。八尋鰐ともいいますが、1尋というのは、かるく拡げた両腕(胸びれ)の間の長さです。撞木鮫の場合、その1尋にほぼ等しいトンカチ頭を基準にして、その身長は理想のプロポーションだと8尋になるので、八尋鰐というわけです。
『吾與汝竸。欲計族之多少。故汝者隨其族在悉率來。
自此嶋至于氣多前皆列伏度。爾吾蹈其上。走乍讀度。於是知與吾族孰多。』
淤岐嶋の兎は、兎族と和迩族の員数比べを提案したけれども、群をなす習性のない兎族が全員集合することは夢にも考えられないので、債務不履行に陥るのは必定ですが、そのことは隠して、乗逃げするつもりです。
如此言者。見欺而列伏之時。吾蹈其上讀度來。今將下地時。吾云。
しかし考えてみると、海面に八尋鰐が整然と直列したことはそれだけで大きな意義があります。というのは、八尋鰐が10体並べば80尋。100体並べば800尋、6,000体並べば48000尋。これを数えてゆく(度を読んでゆく)という行為は、充分に海洋測量の体をなしています。
(兎とワニの駆けくらべよりも、プロジェクトX =海洋測量創始秘話の線で理解するのが早い。)
それにしても、和迩族の員数と距離がぴったり合うのが不思議ですが、こういう予定調和は神話ではよくある。
『汝者我見欺。』言竟。即伏最端和迩捕我。悉剥我衣服。
「君たちは私に欺かれたのだよ。」と言ったとたんに最端和迩は(兎)を逮捕して「衣服」を剥ぎ取りました。
しかし、「衣服」といっても、なんでもない兎の綿毛です。これの何文目かで、渡し賃を払い保釈金を贖うのに、十分であった、とは考え難い。これは、裁縫の手が加えられた衣服として、お宝の値打ちがあるのだろうと思われ、同様に綿ぼうしが「衣服」と呼ばれている例(内剥蛾皮剥爲衣服)との関連が疑われます。
それとこれの相違点は、その綿ぼうしが「内剥ぎ」なのに対して、この綿ぼうしは「外剥ぎ」だという点ですが、それさえも、仕切られた空間の内と外を、互いに補完しあう関係であるといえます。
その綿ぼうしの性格は針坊主です。要するに、綿ぼうしが刺さっているのが針坊主ですが、
淤岐嶋の兎の心に、「→氣多前に行きたい」という欲望が生じたのは、戀の矢(←)が刺さったからです。つまり、この綿ぼうしには方針が刺さっているので、針坊主だといえます。
プロジェクトX =海洋測量創始秘話の線で理解する場合)
淤岐嶋⇔氣多之前一千余里の行程は、方向・距離という2つの要素から成るものです。しかし、海面の下に居る和迩たちには海上の方向がわからないので、戀の矢が刺さった綿ぼうしを譲り渡すことによって、その方向を伝授したと考えられます。
因此泣患者。先行八十神之命以。誨告浴海鹽當風伏。故爲如教者。我身悉傷。
なによりも失戀の痛みが大きくて泣き患っていたわけですが、海水浴は、(もし和迩の架け橋が無ければ)魚になって海を泳いで来ただろう。その航跡を追体験して、海の有難味を再認識していると解釈されます。また、山頂での風浴については、淤岐嶋の島影が見える高山の頂が、おそらく方針の発信地点であり、その視認上の目的地にゴールインすることだ、というふうに解釈されます。
しかし、岸辺での苦行によって身も心もボロボロに。彼は、更生して、普通の兎になることが出来るでしょうか。
於是大穴牟遲神教告其菟。
「今急往此水門。以水洗汝身。即取其水門之蒲黄。敷散而。輾轉其上者。汝身如本膚必差。」
一般には「海を行く船は港(水門)に到着するものだ」という理屈を教えたのでしょうが、現状では、皮膚に付着した濃い塩気が自然治癒を妨げているので、これを真水で洗い落とすのは再生治療の基本だといえます。
とにかく清潔にして皮膚が健全になりさえすれば、兎の毛は自然に生え変わるので、つぎに蒲の黄色い花粉を身体に塗り付ける処置は、必要な治療とも思われず、怪しい限りです。そこで、このエピソードを深読みする読者は、大穴牟遲神素兎を欺いて協力させているというか、素兎が、大穴牟遲神のために、一肌脱いでいる場面だ、ということに気付くと思います。
思うに、このエピソードは、大穴牟遲神っていると結びつけて読めば、の性能が発揮されるシーンになって、もっと面白くなります。まあこの場面は、が活躍する最初で最後のチャンスなので、「蒲の穂綿は、袋)に詰めて 蒲団 にしていた」というふうに解釈してしまうのが、無駄の無い読み方だと思います。
そこで、あらためてその「蒲団」をまっ平らな地面に敷いて、裸菟が、濡れた身体を(揺り椅子を揺らすようにして)輾轉すると、裸菟(針坊主モデル)の面影が蒲団の上側に印刷されます。
これを数学的に言い換えると、合蓋四面体(交叉円柱)の1面が平面上に展開されたことになります。

撞木鮫〕 シュモクザメ
(体長;4〜6m、体重;230〜450Kg)

淤岐嶋、渡一海六百餘里、至氣多前

1和迩(8尋)=10m 
1里=10和迩(80尋)=100m
600里=6,000和迩(48,000尋)=60km

 

ハコフグ(針坊主向きのモデル体型)

ハリセンボン(ただし針は自前)

晩秋に綿毛(種)に変わった蒲の穂、
古くは綿毛を蒲団に用い由来となる。

 

合蓋四面体の1面の外観と平面展開図 
.

これは「衣服」の型紙として使えますが、面積を直感的に把握するには不便です。できれば正方形になっていたほうがよい。
そこで、面積は一定で縦横に伸縮する座蒲団にします。これは目視的な測量の様子を触感的に表現し直しただけのことです。
かくして、座布団の上側の布地が海上の面積の1単位を表しているとき、下側の布地は地上の面積の1単位を表しています。
故爲如教其身如本也。此稻羽之素菟者也。於今者謂菟神也。
今は、豊前の国の宇佐に坐す神様だという。この場合の沖ノ島は筑前国宗像の沖合60km(六百餘里)にある孤島になると思います。
故其菟白大穴牟遲神。「此八十神者必不得八上比賣。雖負
汝命獲之。」
を負っているとはいえ、八上比賣のハートを射止めるのは貴方です。」
をシンデレラの話に喩えると、、王子様が、ぴったり合う女性を妻にする、ガラスの靴だ、というわけです。
.

 

 

自由研究 「さるかに合戦」に見る、棋験派と積分派の抗争の歴史。

棋験に臨んでは、面積を語るなかれ。
「(合蓋の)断面積がどこでも(方蓋に)等しい」と言うのも、「表面積が(方蓋に)等しい」と言うのもいけない。
なぜいけないかというと、
面積のことを明らかにしてしまうと、つぎに高さのことが加味されて、体積のことまで明らかになっており、
あらためて「棋験を行なう必要性」がほとんど失われているからです。

欲陋形措意、
くせのある合蓋の体積は立方体の(/)に当ることは疾くに見通しが付いているけれども、
懼失正理
いま思い立って鋭く追求したい真実が既に明らかなことが劉徽を失望させました。これは贅沢な悩みです。
合蓋の体積の究明において、棋験をおこなう必要性を否定するような振る舞いは、なんとしても避けたい。
普通の場合、真実が既に明らかになっていれば無邪気に喜ぶところですが、棋験という方法に思い入れの深い劉徽には残念でならなかった。重大な発見を棋験法の手柄にすることが出来ないのが口惜しかったのです。
敢不闕疑、
この真実には一点の疑惑も入れる余地はない。しかし、私は、棋験のおこないを通して真実を発見したいという願いを、算術が果たすべき永遠の課題として遺したいので、あえて一縷の疑いの念を消さないでおきたい。
以俟能言者。........そうしておいて、能く言う者を(将来に)俟ちたい。
このメッセージを後世に伝えて、課題に答えてよく説明する者の出現を待ちたい。

棋験法再興の鍵は、鼈臑の活用にあるようです。

この頃は、棋験の必要性を頭から否定する風潮がはびこり、劉徽がダイレクトメールを送っても誰にも届かない有様ですが、考えてみれば、こういう事態は、昔から延々と続いてきたことで、今に始まったことではないようです。
祖晅之謂、劉徽・張衡二人皆、以圓困、十六為方率、九為圓率、乃設新法。祖晅之開立圓術曰、..........
祖晅之(南朝・宋)が「劉徽は未だ合蓋の体積(/)に無知であった」という邪見を言いふらしたのが始まりといえます。
彼は、劉徽が合蓋の疑いなき体積(/)をあえて疑った事情をすこしも配慮せず、僅かでも疑ったことを無知の表明のように誤解して ......乃設新法...... すべての手柄を独り占めしようとした。
もちろん私は、劉徽に同情して、祖晅之は恩知らずな奴だと非難します。猿蟹合戦に喩えて言うと、劉徽が柿の木を育てた蟹ならば、祖晅之は柿の実を横取りした猿です。柿の種というアイデア(勾股弦法)を導入した功績は認めるけれども、成果を独占したい欲望にかられて、柿の木の育ての親を虐殺した乱暴狼藉は許しがたいので、懲らしめてやらねばならない。

しかし、劉徽と祖晅之がまったくもって蟹・猿の仲だったというのは妙なはなしで、「猿蟹合戦」という説話は、劉徽の能言者を俟つという呼びかけに呼応して、棋験派の英知を結集した算術解説書だったのではないかという妄想に駆られます。

さるかに合戦  日本の民話の一つ。
ずる賢い猿が蟹を騙して殺害し、殺された蟹の子供達に仕返しされるという話。「因果応報」が主題。

蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿がそこらで拾った柿の種と交換しようと言ってきた。
種を植えれば成長して柿がたくさんなってずっと得すると猿が言ったので、蟹はおにぎりとその柿の種を交換した。
蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えると、いっきに成長して柿がたくさんなった。
そこへ猿がやって来て柿が取れない蟹の代わりに自分が取ってあげようと木に登ったが、ずる賢い猿は自分が食べるだけで蟹には全然やらない。蟹が早くくれと言うと、猿は青くて硬い柿の実を蟹に投げつけ、蟹はそのショックで子供を産むと死んでしまった。
その子供の蟹達は親の敵を討とうと栗と臼と蜂と牛糞と共に猿を家に呼び寄せた。
栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。
そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると栗が体当たりをして猿は火傷をおい、急いで水で冷やそうとしたら蜂に刺され、吃驚して家から逃げようとしたら牛糞に滑り、屋根から臼が落ちてきて猿は潰れて死に見事子供の蟹達は親の敵を討てた。(wikipedia

猿が企画し、蟹が想像した、柿の木。

ずる賢い猿(祖晅之)が蟹(劉徽)を騙して殺害し、蟹(劉徽)の子供(弟子)達に仕返しされるという話。
「サルカニ合戦」を、積分派と棋験派に分れた骨肉の争いに見立てるのはやむをえません。これがいけないのなら、
)おにぎり、鋏、()柿の種、柿の木、柿の実、 {囲炉裏(栗の実)、水桶(蜂)、土間(牛糞)、屋根(臼)}
さまざまな形象がつぎつぎに登場してくる事情をどのように説明しましょうか。
「因果応報」の筋立てもさることながら、「因果は廻る糸車」、個性的な図形達が交錯して生彩あるストーリーを綴るところにこの説話の面白味があるというものです。

それにしても、見ると聞くとは大違い。「(劉徽)がおにぎり(合蓋)を持って歩いている」と聞いていましたが、現実はおおいに相違していて、白い泡(あぶく)の塊でした。(劉徽)がイメージしていたおにぎり(合蓋)というのは、吹けば飛ぶような儚(はかな)い形象だったのかと幻滅しましたが、欲陋形措意、懼失正理......鼻風船を膨らませて会得した(/)では、印象が悪くて威厳を欠くので、学説として提出するのはさすがに憚られたことでしょう。
そんなバブルの時代に大きな転機が訪れます。

ずる賢い猿がそこらで拾った柿の種と交換しようと言ってきた。
これは、本当に賢い猿(祖晅之)が真摯な共同研究をもちかけて来たので、ずるいというのは後回しです。
(祖晅之)は「柿の木がすぐに成長して実がなったら木に登って食べてやろう」という構想を立てていたのですが、すぐに実がなるのは、柿の実。柿の種の現物に非常な想像を加えて、シャボン玉のような儚いイメージに変えているのです。
蟹はおにぎりとその柿の種を交換した
この取引に応じた
(劉徽)しても、非常に賢いことはいうまでもありません。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。(朝聞道、夕死可矣)
朝、道(事物当然の理)を聞いたら、それで修学の目的を達したわけだから、その夕には死んでもいい。
(劉徽)おにぎり(泡)は、そういう心境の吐露、道を求める熱情の吐露であった、といえます。

かくして、その柿の実は泡にイメージ化されました。
「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながら

これは、泡になった柿の木の成長を催促する呪文ですが、本質的には蟹の鋏の分枝を催促していると考えられます。
(劉徽)の腕との構造は、柿の枝ぶりにそっくりです。( 鉛直な幹から、水平に枝が出て、また水平に小枝が出る。)
その種を植えると、いっきに成長して柿がたくさんなった。
(劉徽)が口泡をかねての何百倍も膨らした、その夢のような柿の木は、全体をみても、
おにぎり(泡)柿の実(合蓋)の形をしていたと想像されます。
そこへ猿がやって来て、.......、木に登った。
(祖晅之)は、木登りが得意で高さの実測に熟練していたので、幾枝かの高さ(h)において(合蓋)の断面積(w2)を測って、2=r2−h2 という式に法則化して見せた。(したがって、合蓋の内に陽馬2つ、外に陽馬1つの体積がある。)
ずる賢い猿は自分が食べるだけで蟹には全然やらない。
成果を独占する立場に居ると思い上がってしまったのは仕方ありませんが、
(祖晅之)は、柿の木の上から(劉徽)を見下したために、仰げば尊し我が師の恩を忘れて、自分一人だけが偉いという錯覚に陥ってしまったようです。
 (祖晅之いわく) 劉徽・張衡二人皆、以圓困、十六為方率、九為圓率、乃設新法。
これは、方率16:円率9の見直しが
両先輩に始まったという事情を知る人には、信じられない歴史認識です。特に、劉徽が合蓋を以って球積率を求めたことは、九章算術において本人が広言しており、祖晅之も承知していたはずです。合蓋発明者の栄誉を横取りするために、劉徽圓困(円柱)に縛り付けた祖晅之虚言は、悪意に満ちています。祖晅之がここまで劉徽の学業を貶めたのは、宋朝の学芸員達の間に魏朝の学術全般を見下す雰囲気があったせいかもしれない。
しかし、そういう誤解はいずれ解かれなくてはならないので、
以俟能言者劉徽が待ち焦がれていた者が熱烈に歓迎されたという話をしなければなりません。

 蟹の家 

その子供の蟹達は親の敵を討とうと、栗と臼と蜂と牛糞と共に、猿を家に呼び寄せた。
(祖晅之)による柿の木(合蓋)の観察と分析が合蓋の体積(/)を明らかにしたのは素晴らしいことですが、それは、(劉徽)棋験法の実力(柿の実を成らせる力)に支えられていたことは、柿の木に登った者が身を以って体験しているところだと思います。その意味では、
明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
この命題は、(祖晅之)にも投げかけられていたのです。
子蟹達(劉徽の弟子達)は、(祖晅之)が献体した身体を、柿の実(合蓋)の身代りにして、棋験をおこなおうとしています。
(祖晅之)の身体は正直者で、柿の実(合蓋)を食べて以来、申し分のない合蓋のモデル体型になっていたので、棋験のために格好の木型(模型)になります。
(劉徽)の家は砂浜に掘られた穴倉です。鋳物砂を掘り出して造ったスペースは棋験をおこなうのに適しています。
 取立方棋八枚。皆令立方一寸。積之為立方二寸。規之為圓困、径二寸高二寸。又復横因之。
ただし、この棋験では、既に合蓋(木型)があるので、その形を観察したり大きさを測定した後、木型に臼(鋳型)を被せて1体の立方体を見るという帰納的(還元)的な棋験になります。
栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。
実験の準備は万端整いました。
猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると栗が体当たりをして猿は火傷をおい、
柿の実(合蓋)を針坊主にして、1つの中心を共有する4つの錐形の集まりとして見るようにする。
急いで水で冷やそうとしたら蜂に刺され、
柿の実(合蓋)を水桶に沈めることにより、(1)交叉円柱の形の確認、(2)排水量を見てスペース(V)を測定する。
柿の実(合蓋)の表面に針を刺すことにより、(3)垂線が円柱の中心軸を向いている。.......V=表面積×半径÷3
〔考察〕 
則其形有似牟合方蓋矣。八棋皆然似陽馬。圓然也。
「外側の陽馬2つが、内側の上向きの陽馬を追い出し、円柱表面を底面とする錐をなす」。というように考えれば
陽馬2つぶんのスペースが万全に与えられた条件において、そのような錐(合蓋)をなすことが出来るのは当然の理である。
吃驚して家から逃げようとしたら牛糞に滑り、
柿の実(合蓋)が四足を地面に付けて歩いていたのが、滑りこけたので、頭を上に(尻を上に)する姿勢に転じた。
屋根から臼が落ちてきて猿は潰れて死に
臼は木製の鋳型です。木型になる柿の実(合蓋)が頭を上に(尻を上に)しているところにすっぽり嵌まります。
鋳型と木型が合体して、立方体の出来上がりです。


半數數同而寔拠半故云六而一即得
 以名云中破陽馬得両鼈臑鼈臑之見數即陽馬之  按此術
`
臑者背節也

或曰半陽馬

其形有似鼈肘故
術曰廣袤相乗以高乗之六而一 問積幾何

答曰二十三尺少半尺

今有鼈臑
`
下廣五尺無袤
`
上袤四尺無廣
`
高七尺

.

.

見ると聞くとは大違い。

蟹が持って歩いていた「おにぎり」の正体

 

   合蓋の形の風情をよく残している。
(上から見ると■、横から見ると●。)

袤(廣無し)・廣(袤無し)・高さ〕という蟹の鋏腕の肘構造を真似ている。

ハクセンシオマネキ

大きい鋏は雌を巡る争いやデモンストレーションに用い、餌を採るのは小さい方の鋏だけを使う。

 

 

猿蟹合戦というドラマは、言ってみれば、合蓋体積⇒球体積の究明をめぐる、祖晅之と劉徽の競い合いを、ダイナミックに図解したようなものです。
しかし、陰湿な功名争いの筋書きに図解は要らないので、図解の目的は、知的な生産活動の実情を明らかにすることにあります。

猿蟹合戦という説話の源は算術にある。合蓋体積⇒球体積の解説から発生したと考えましたが、恐らくこれは図星ではないかと思います。
(たとえば、柿の実ひとつをとっても、その形は、四角張って平たいのやら、まん丸いのやら、品種によって様々です。その中で、猿蟹合戦に出て来る
 柿の実は合蓋の形が望ましい、と(私は)言い張ります。源が算術にあるので、このようにストーリーの細部にまで深入りできるわけです。)

ステージの中央に立つ柿の木は、祖晅之の積分的な思考を表す。また、穴倉の家は、劉徽の棋験的な思考を表すものである。
猿は、
祖晅之の積分的な性格・行動をキャラクター化した。また、蟹は、劉徽の棋験的な性格・行動をキャラクター化したものである。
しかるに、猿が積分を研究する柿の木は、蟹が献身的に想像して育成し、また、猿は、蟹がおこなう棋験に我が身を献体します。
本当は、知的な生産のために、惜しみなく協力しあった開発者たちです。いかにも仇敵のように振舞うのは、照れ臭いからです。

純粋に算数のことでも、人が考えることであれば、建前と本音が相違することがあります。そんなとき、思慮分別のある人は、
建前を言い張りながら、それとなく本音を伝えていることがあります。いわゆる腹芸です。
祖晅之謂、劉徽・張衡二人皆、以圓困、十六為方率、九為圓率、乃設新法。祖晅之開立圓術曰、..........
思うに、祖晅之が、劉徽に対して、つらく当ったのも、祖父の背中を掻く孝行者のように賞賛されるのが照れ臭かったからではないか。
劉徽の棋験法の存続のために良い説明が出来て、役に立てたことを、(内心では)おおいに喜んでいる。本当はいい人なんだ。

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終わりに

本当はいい人なんだ、ということで、しつこい疑問が解決しました。

あゆみ(歩)