三身之綱(結び縄)と遠呂智の謎々   2007.11.08. 〜 2009.9.15.(改)     あゆみ(歩)

 ローカルな地理空間の創出と、測量の起源。

ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を予測するために天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃、ナイル河は氾濫したという。氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。
 古代エジプト(フリー百科事典 Wikipedia)
 「地面」というのは原寸大の図面のことです。ひとつの見方によると、この図面が大地に広げられたとき、均質な地理空間が開かれ、国土の測量が開始されます。
 たとえば、古代エジプトでは、ナイル河が毎年氾濫を起こし、ナイルデルタいっぱいにこの図面を広げてくれた。測量と幾何学が始まったのはそのおかげです。
 しかし、「地面」をプレゼントしてくれたのは、なにも大洪水ばかりではない。
 八雲立つ出雲の国では、太陽と金星が同時に沈む頃、肥の河の上流に架かっていた蛇(ニジ)が、空から地上に倒れて来たという。それが「地面」になった。

はじめに
 『古事記』の出雲神話は、伯耆国に境する鳥髪の地において、「古志の八俣オロチ」が殺され切り散らされ、スサノオ命がクシナダ姫と結ばれる話に始まります。これを仮に『古事記』の「オロチ切り」説話と呼ぶことにします。これに対して、
 『出雲国風土記』の「国引き」説話は、島根半島に、海の彼方から4つの小国が引いて来られるという話です。
 (志羅紀乃三埼→支豆支乃御埼、北門の佐伎之国↓狭田之國、
  北門の良波乃国
↓闇見の国、三穂乃埼←高志之都都乃三埼
 2つの説話は、出雲国を山辺(南半)と海辺(北半)に分け合って、出雲国の始まりを語る。話の進行の上では、「オロチ切り」説話は、山辺の「国引き」説話に当たり、「国引き」説話は、海辺の「オロチ切り」説話に当たるものといえます。
 しかし、前者は「オロチ切り」、後者は「国引き」と言い分けて、事柄を排他的に区別するほど2つの説話の内容に相違があるのかというと、私はそうでもなくて、両者を一括して、「国来る」説話と呼ぶことが可能だと思います。
 この際には、前者の性格を見直すことになりますが、「高志之八俣遠呂智....。」という表現(鳥髪の地←高志の国)に「国来る」を見ることができます。  
 そこで私は、「国来る」説話の最大の意義を、「ローカルな地理空間の創出と国土測量の開始」を物語るところにあったと理解します。これは、地域の人々に普遍的な技術の要点をわかりやすく解説するために始めたことですが、山地と海辺の解説が著しく相違することになったのは、地域の景色と技術的な説明をひとつにした喩え話が、それぞれ独自の進化を遂げた結果ではないかと思います。したがって、喩え話に語られる「英雄と魔物の闘い」が熱をおびるときにも、技術的なことがらの解説は依然として継続されていることを忘れてはならない。

故所避追而。降出 雲國之肥(上)河上在鳥髮地。此時箸從 其河流下。於是須佐之男命。以爲人有 其河上而。尋〓上往者。老夫與老女二 人在而。童女置中而泣。爾問賜之汝等 者誰。故其老夫答言。僕者國神。大山(上) 津見神之子焉。僕名謂足(上)名椎。妻名 謂手(上)名椎。女名謂櫛名田比賣。亦問 汝哭由者何。答白言。我之女者自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智【此三字以音】 毎年來喫。今其可來時故泣。爾問其形 如何。答白。彼目如赤加賀智而。身一有 八頭、八尾。亦其身生蘿及桧、榲。其長度 谿八谷、峽八尾而。見其腹者。悉常血爛 也【此謂赤加賀知者今酸醤者也】 爾速須佐之男命詔 其老夫。是汝之女者。奉於吾哉。答白恐 亦不覺御名。爾答詔。吾者天照大御神之伊呂勢者也。【自三字以音】故今自天降坐也。爾足名椎、手名椎神。白然坐者恐。 立奉。爾速須佐之男命。乃於湯津爪櫛 取成其童女而。刺御美豆良。告其足名椎、手名椎神。汝等釀八鹽折之酒。且作 迴垣。於其垣作八門。毎門結八佐受岐 【此三字以音】毎其佐受岐置酒船而。毎船盛 其八鹽折酒而待。故隨告而。如此設備 待之時。其八俣遠呂智。信如言來。乃毎 船垂入己頭。飮其酒。於是飮醉。死由伏 寢。爾速須佐之男命。拔下其所御佩之十 拳劔。切散其蛇者。肥河變血而流。故切 其中尾時。御刀之刄毀。爾思怪。以御刀 之前刺割而見者。在都牟刈之大刀。故 取此大刀。思異物而。白上於天照大御 神也。是者草那藝之大刀也【那藝二字以音】故 是以其速須佐之男命。宮可造作之地。 求出雲國。
(出典 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki1.txt. 文字化けして読めないときには→コピペファイル http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/kojiki1copipe.txt )


 問、其形如何。
 テクニカルな解説の最初の山場は、オロチについて「その形はいかに?」とスサノオ命が問いかけ、アシナヅチがいかにも謎めいた答えを返すところですが、魔物はこの「謎々」の内に潜んでいるとみられます。

  そいつの目は酸漿(ホオズキ)のように赤々と輝いている。
  身体ひとつに、8つの頭と8つの尾がある。また、
  その身体には、(ひかげ;日陰蔓)が生えており、桧(ひのき)や榲(すぎ)も生えている。
  その身長を表すとすれば、谷を8谷、尾根を8尾も数えねばならない。
  その腹は、どこを見ても、皮膚が爛れて血が滲んでいる......(もの、なあに?)

 蘿 ヒカゲノカズラ Lycopodium clavatum ヒカゲノカズラはツル性のシダ植物であり、長く地表を走る茎の所々から根と立ち上がる茎を出す。立ち上がる茎は枝分かれし、密に葉を付けている。 
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/pteridophyta/lycopodiaceae/hikagenokazura/hikagenokazura2.htm

 答白。
   彼目如赤加賀智而。
   身一有八頭八尾。亦
   其身生蘿及桧、榲。
   其長度谿八谷峽八尾而。
   見其腹者。悉常血爛也。
 【此謂赤加賀知者今酸醤者也】

.
 「英雄と魔物の戦い」の前哨戦において、謎々が出題されることがあります。これまで幾多の旅人を魔物の餌食にしてきた意地悪な問題ですが、英雄はさほど困りもしないで、完璧に解き返して、魔物をして「ぎゃふん」といわせます。敵の死命を制する最初の勝負どころですが、まったくの他人事ではないので、私もすこし考えてみました。

身1つにして、頭が8つあり、尾が8つある。 
 この8という数は、はっきり言って「八卦」の 8 に因むものだと思います。謎々の出題者が八卦を心得ていることは、「蘿が生えている」というところに覗えます。この植物の「ひ・かげ」という名称は、八つの卦に、陽(奇数)と(陽)と陰(偶数)があることを言うものです。また、茎が次々に枝分かれする有様は、易占いの(陰陽二気による)2進法的な分岐を、細線の増殖で暗示しているようです。 

その長さたるや、8つの谷間、8つの尾根を又にかけている。
 とても一眼では捕らえきれない長い距離を見せるので、地図に関係する可能性がある。

その腹を見るなら、皮膚はことごとく爛れ常に血がにじんでいる。
 ここはとくに難解ですが、「腹」は版木の版面、「血」は絵の具(インク)だとして、どこも常に血爛れているので、オロチの形は、いつでも地面に複写しうる状態にあるというのか。

. いろいろ考えさせられたけれども、雑多な要素が一体化された全体像を思い浮かべるには至らなかったのが実情です。
 幸いにして魔物の餌食にはならなかったものの、謎々の回答者として手を挙げるのはまだでしたが、

 

 

謎々の正解は、〔ニジ〕でした。

彼目如。身一有八頭、八尾。亦其

其長度谿八谷、峽八尾而。見其腹者。悉常血爛也。

  【此謂赤加賀知者今酸醤者也】

http://cyako-tyan.cocolog-nifty.com/blog/2008/08
/index.html

 鬼灯....ホーズキは、魔除けのマジナイになるか?
     (「眼一つの鬼」に袋を被せて目隠ししているような。)

虹は川や池、沼などの水から出るという信仰は日本では広い地域に拡がっている。.......。ことに印象深いのは、琉球において虹は雨を呑むものと考えられていることである。...........。たとえば瀬戸内町薩川のユムグトゥ(誦み言)は、虹を擬人化し、その出現の理由を問いかけ、その理由は雨水を飲むためだろうとの憶測から、雨水を飲むのなら、飲んでさっさと唐大和(他界)へ消え失せろと、いかにも虹が水を飲む生命体であるかのようにその竜蛇的怪物の即座の消滅を願望しながら歌いあげている。............
 (大林太良:銀河の道 虹の架け橋)

ひとつの見方としては、「虹(ニジ)にひっかけたこの謎々が、八俣遠呂智という怪物を、生じさせた。」ともいえそうです。

 

 

 

 

八街(や・ち・また)−街路(やまた・ち)⇒八俣〔遠呂〕智(やまた〔おろ〕ち)

 かくして「その形」については確信が得られましたが、「八俣おろち」という名称の生い立ちについても、すこし考えてみる必要があります。
 私が思うのは「八街(や・ち・また)」という言葉です。これは「八・道・俣」ですが、道を主体にして言えば「八俣道(や・また・ち)」です。
 漢字で表すと「街路(がいろ)」ですが、このような道が、「蘿=易占い」のさかんに枝分かれする線形に似ていることは、先に述べました。

橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして  (万葉集0125)
橘の本に道踏む八衢に物をぞ思ふ人に知らえず   (1027)
言霊の八十の衢に夕占問ふ占まさに告る妹は相寄らむ   (2506)
占部をも八十の衢も占問へど君を相見むたどき知らずも  (3812 )

 いま私が考えるのは、この「八俣道」に「おろ」という言葉が挿入されて、「八俣おろ道」になったという経過です。
 「英雄と魔物の闘い」には、英雄が迷宮(迷路)に幽閉される話が付き物ですが、「行きはよいよい。帰りはこわい。」という天神様の細道には、恐ろしい檻罠が、野獣を、追詰め、最後は惑わして「おり(檻)」誘い込み、生かしたまま捕えようとする罠が、仕掛けられている。
 おそらく、このような「おり(檻)」が、古事記の時代には「おろ」と発音されていたのではないか。そういえば、九州に見られる「おろ」という言葉はまったく〔監禁〕を意味しているようなので、私の知る限り2つの例を挙げておきます。
(1) 落ちアユ漁において、追詰められたアユが最後に迷い入る囲い場のことを「おろ」といっている。
オロ垣漁
 
おろがきりょう (熊本県玉名市)
漁法】 この漁法は、9月中旬から川瀬で産卵するために下降し始める落ちアユを狙った漁法で、縄場漁とも言う。
まず、9月上旬〜中旬頃、瀬頭の川幅いっぱいに、下締めと呼ぶ麦藁が締めこまれたしめ縄を沈め、その上に川面すれすれに同じく高締めと呼ぶしめ縄を張る。そして、両岸近くにオロ垣と呼ぶ竹垣を設置する。このオロ垣入口にはひもが付いた敷網が設置してあり、番台からひもを引っ張れば網が立ち入口を塞ぐようになっている。下降してきたアユはしめ縄のない部分(オロ垣入口)を見つけ、ここは安全と思い、この中に入る。これを見た番人が、敷網のひもを引っ張ると、敷網が立って(45度程度)オロ垣の入口を塞ぐ。逃げ場を失ったアユは、敷網の隅などに逃げ込みほとんど動かない。これを番人が手網で捕獲する。
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/
asp/bunkazai/s_frame.asp?id=9&group_id=5&pageCnt=&order_kind=&disp_img=&syu=&syu2=

(2) 野馬追いにおいて、追詰められた馬が最後に迷い入る囲い場のことを「おろ」といっている。
 苙(おろ)は、放牧馬を捕まえる設備で、馬追い広場の中央に、直径6、7mほどの円周に土堤が築かれ、正面に入り口があって、 のような形をしています。勢子に追われて逃場を失った馬は、この窮地から「脱出しよう」と思って、苙(おろ)の中に逃げ込みますが、すぐに出入り口が塞がれると、「もうこれ以上どこにも逃げられない」と悟って温和しくなる。(この「輪廓」はかたちからして虹を思わせます。)
喜入の森
(鹿児島県鹿児島市) 約54ヘクタールの広大な森。藩政時代、馬の放牧地として使われ、オロと呼ばれる馬追いの囲いがほぼ完全な形で残っている。今は自由に出入りできる広場になった。喜入生見町では5月5日の節句の日、小学生がオロの中に馬を追い込んでとらえるマネをする「駒取り」という行事が残っている。
http://373news.com/felia/bn/no169/maturi/index.html
慶長十三年戊申二月、家久公莅伊集院春山村春山野牧馬追、久幸供奉焉、左右為列而圍、蓋習軍旅之隊伍也按今年二月十五日、家久公御状に春山之狩可被催と云〃、然則當在二月十五日以後、
http://machida-net.ddo.jp/machdake/machidashi-seitoukeifu/machidashi-25.PDF
 @おり 豚などを飼うため、さくをたてて、なわをひっぱってつくった囲い。「既 入 其 苙 」(孟子・尽下)
  A薬草の名。よろいぐさ。
(漢字源)

 あるいは、人が何かのことで前途を塞がれ制止させられたときに、「おろおろする」というのは、こういうことから来ているかもしれない。
 そうでなくても、読者は、「古志(異界)から八俣おろちが襲って来る」と聞いただけで、得体の知れない物体に恐怖感を抱いている筈です。それだけでも情緒たっぷりなところに、八首生ヘビのおぞましいイメージを添加することは避けるべきです。なにしろ「謎々」に包まれた敵を迎えているのだから、あとは冷静に理知的な態度で立ち向かえばよいので、まったくそのようにして、ありとあらゆる謎のかけらを案じ合せたスサノオ命は、ヤマタオロチの形と機能を明らかにして、ひとつの仕事をおこないます。
 その仕事は、おそらく「国引き」説話におけるオミヅヌ命の仕事と肩を並べて、「ローカルな地理空間の創出と国土測量の開始(起源)」を如実に語るものになりそうです。すなわち、「ローカルな地理空間が創出される」には、どういう手続きを要したのか。また、「国土の測量が開始された」とき、初期の作業は手順を踏んだのかということが、2つの仕事を通して、ひろく明らかになることが期待されますが、それには先ず、この方面では定評のある「オミヅヌ命の仕事」から見てゆくことにします。

オミヅヌ神がした仕事

 「国引」説話は、出雲国風土記の「意宇郡」の章から、郡名の由来を説く部分を抜き出したものです。(原文 「意宇郡」の章 「国引き」説話)
 要約すると、オミヅヌ命が測量の縄を引き張るようにして「国(の余り)」を引いて来たという話です。
 (「国の地盤ごとオミヅヌ命が力強く引き寄せて来た」という話になって流布していますが、私は反対です。そういう仕事はしていない。)
 この考えは不変ですが、いま「オロチ」説話との関係を意識するに及んで、新鮮な気分で読み返してみたいと思います。

3以 号2「意宇」1 者。國引坐 "八束水臣津野命" 詔、
八雲 立 出雲國 者、狭布之 堆國 在哉。初國 小 所
作。故、將2作縫1詔而、

  出雲の国々をお引きになられた八束水臣津野命は、詔(みことのり)を、「八雲立つ出雲の国は、狭幅の麻布きれほどの国土しか
  なかったのか。最初の国を小さく作ってしまった。もっと作り縫わないといけない。」と、詔されて、

 オミヅヌ命は、初国を小さく作ったことを後悔していますが、その国は、麻布きれに描かれていて、全体像をしかと見ることができたものです。
 これでは小さいのは当り前ですが、しかし実際のところ、地図という(大地を一挙に縮めて見せる)方法によらなければ、広大な地域の全体像を一目に見ることは容易ではないので、麻布きれほどの国土しかなかったというのは、仮の喩えではなく、ごく正直な感想ととるべきです。
 いずれにせよ、初国作りの仕事というのは、国の全体地図を作ることに集約されることがわかりました。これから新しい国を作るときも、地図を描くため麻布の調達が先になりそうです。

.
栲衾 志羅紀乃三埼 矣、國之餘 有耶 見 者、國之餘 有。詔而、

 「栲衾(白く輝く)新羅の御崎に、『国の余りぎれは有りや?』と見たところ、
     国の余りぎれは有る。」と、詔(みことのり)されて、

 オミヅヌ命は、海の向うの新羅の御埼を遠望して、「国の余りぎれ」を見つけたと言いましたが、それは遥か遠くに離れ去っているので、新しい国(支豆支之御埼)の実像を均等に縮小して「麻布ほどのひろさの『国』になっている」といわれても納得できます。

童女胸鉏 所取而、大魚之 支太 衝別而、波多須〃支 穂 振別而、
三身之綱 打挂而、霜黒葛閨V耶〃爾、河船之毛〃曽〃呂〃爾、
國〃来〃引来、縫 國者、自
2去豆乃1折絶而、八穂米支豆支乃御埼

 童女胸鉏(コンパス)を取り、サメの鰓(えら)の裂目を衝きひろげて4口の空虚を開けて、(直角定規)を取り、風に旗めく薄の穂軸を4方(東・南・西・北)に振り分けて、
 三身之綱(エジプトひも)を杭に打ち掛けて、「クルクル」と山藤の蔓を手繰り寄せるように、「モドレモドレ」と河船を曳き寄せるようにして、
 「国よ来い。国よ来い。」と引いて来て、縫い付けた国は、(麻布が)去豆のところで折り目をつけて絶ち切られている、「八穂米の支豆支乃御埼」である。

 (新羅の御埼に見つけた)ちっぽけな麻布は、支豆支の御埼に到着した時、御埼全体を覆うほど巨大になっていた。その麻布を大地に縫いつけるという大掛かりな裁縫がおこなわれていると思われます。このとき、麻布の経(たていと)・緯(よこいと)は、どれほどの太さになっているかと思うと、オミヅヌ命の測量というのはよほどの力仕事になるだろうと思います。そこでは、コンパスや定規という製図器具でさえも、大きな力の要る工具の部類に数えられて当然ですが、たしかに「三身之綱」は綱を真直ぐに引っ張る力をすぐに必要としています。

 結局、遠くにある国を引いて来ることになった。こういう奇想天外な発想の原動力は何だったのかということですが、最近の私は「三身之綱」=エジプトひも説による説明にかなりの自信があります。

大魚之支太(鮫の鰓裂) unknown

 エジプトひもは、揃いの紐12本、或いは24本を繋ぎ連ねて環紐にしたものですが、
 これを1本の杭(固定点)にかけて三角形の3辺〔3:4:5〕に分けて引っ張ると直角ができます。さらに菱形の4辺〔3:3:3:3〕に分けて引っ張ると正方形をなし平行線ができます。
 「三身之綱」というのは、最初に〔3:4:5〕に分けた「エジプトひも」と同じではないか。「打ち挂けて引っ(張る)」という動作の描写を見ても相違ないものに思われます。
 それで、こういう基礎的な作業の成果を積み重ねて、国土の全体的な測量がおこなわれることは「国を引く」という言葉で表される。
 ただこのときエジプトひもならぬ「三身の綱」を力強く引っ張るので、直角や平行線を完成するには相当の力が要るというというのは一面の真実です。しかもこのパワーは、船に手綱を付けて引き寄せる労働力と、性質が同じだというのが曲者で、「国を引く」というのは、単純に「国を引っ張って来る」ことだと誤解されやすい。

此而、堅立 加志 者、石見國與出雲國之堺、有名佐比賣山是也。
亦、接引綱者、薗之長濱是也。亦、

エジプトひもは 亀井喜久男氏の研究成果です。
 http://www.ctk.ne.jp/~kamei-ki/

 これをもって、堅く固め定め立てた河岸杭は、石見国と出雲国の堺にある、名は「佐比賣山」がこれである。
 また、接ぎ継いで引く綱の1本は、「薗の長濱」がこれである。 また、(引き続き、狭田國、闇見國、三穂之御埼が作り縫われる。)

 こうして繋ぎ留めておかないと、この国は明日にでも新羅の故国に逃げ帰るというのでしょうか。
 (これは巨大化した麻糸の化石だというのなら、麻布を縫いつけた縫針や、端きれを裁断した鋏なども、記念に残しておいて欲しかった。)

 これが最初の国引き(志羅紀乃三埼→支豆支乃御埼)で、オミヅヌ命は、あと3つの国引き(北門の佐伎之国↓狭田之國、北門の良波乃国↓闇見の国、三穂乃埼←高志之都都乃三埼)が同様の手順でおこなわれて、

「今者、國者 引訖。」詔而、意宇社爾、御杖衝立而、「意恵」登 詔。故、云2「意宇」1
所謂「意宇社」者、郡家東北辺、田中 在 塾、是也。圍八歩許。其上 有 木茂。

 意宇社(杜)における終了宣言になりますが、今風に言換えれば「測量基盤の初期化(initialize)を完了しました。」ということになるのか。
 おそらくオミヅヌ命は4国の大地(地面)に共通の測量尺度(丈)を1つ与えており、その「ものさし」を、あとから測量する人々に残しておいた。

.
要するに、麻布(狭布)を拡げて裁ち切った(折絶)という。

 以上、「国引き」説話が「国土の測量が可能なわけを理詰めに解明した説話」だということを説明しましたが、とりわけ「地図作りが可能なわけ」を解明しようとしているように思います。
 すなわち、
 「オミヅヌ命が、初国の全体像を、麻の布きれに見た」ことに
 この話は始まり、
 「海外に見つけた国の余りとは余った麻布であった」ことに
 受継がれ、
 「近づいて巨大になった麻布は、大地に縫いつけ、端切れは裁ち切った」 ことに終る。
 なお、
 「佐比賣山」は、ここではただの測量杭(堅立 加志)に過ぎず、
  佐比賣山 郡家正西51里140歩。石見 與 出雲 2國堺。(飯石郡)
 「薗之長濱」にしても、ここではただの測量縄(接引綱)に過ぎない。

  即、水海 與 大海 之間、有山。長22里234歩、廣3里。此者、
  "意美豆努命"之 國引坐時之 綱 矣。今、俗人 號 云2「薗松山」1。(神戸郡)
 

 おおよそ地図には2つの面がある。面の大きさは互いに異なり、形は相似している。
 その大きなものは「地面」であり、その小さなものは「図面」である。

 「国引き」説話の意義は、こういう地図つくりの最も基本的なところを教えていることにあると思います。
 この意味から、オミヅヌ命を地図つくりの神様に祭り上げるとして、この神様のどこが偉いかというと、麻布に眼をつけたところが偉い。麻布を見て(地理空間のモデルにして)、経(たていと)と緯(よこいと)が織り成す単調な平面であることは、「地面」でさえ免れないとしたときに、国図の成功は約束されたわけです。
 したがって、オミヅヌ命の次なる仕事は、麻布でできたまっさらな「図面」を十分に拡大して、大地に縫い付けることによって、まっさらな「地面」をつくることであった。
 その小さな「図面」は、遥か遠く海外の地に、「国の余り」として、求められたわけですが、大きな「地面」との関係において、これは適切かつ有益な説明になっています。その喩えとして、消失点(無限遠点)に至る線路敷の写真を貼りましたが、左右のレールは、とてもそのようには見えないけれども、どこまでも平行しているところを見てください。

ローカルな地理空間の創出という仕事

 麻布(図面)拡大の操作は、線路の上を電車が遠くから向かって来る様子に喩えてよいと思います。麻布(図面)は、仮想の土台に乗ってやって来る。近づくにつれて拡大し、終には本当の土台(地面)に整合するというイメージです。これに動力の説明が加わると、測量の縄を引き張るようにして「国を引いて来た」という話になると思います。オミヅヌ命がなしとげた仕事は、ローカルな地理空間の創出です。「海外4島を根こそぎ引いて来た」という話とは差があります。
.

出雲郡堺 宇加川  7里160歩。(縦縫郡)
通 楯縫郡堺 宇加川 14里240歩。(出雲郡)

出雲御埼山 郡家西北七里三百六十歩
廿(里)の脱落か?または廿に誤写?参考 杵築郷 郡家西北28里060歩。)
高360丈、周96165。西下、所謂天下大神之社坐也。

 陰陽八卦の道にさまよう測量器具たち。

 この「国引き」と彼の「オロチ殺し」がなぜ等しい仕事になるのか? それも、特に「ローカルな地理空間の創出」という一点にかけて、等しい仕事になるのか? 後者の仕事ぶりを実地に見学するのはまだですが、まあ同じ器具を用いていれば、似たような仕事をしていることが想像できます。ちなみに「國引」坐 八束水臣津野命が用いた器具は「童女胸鉏」と「三身之綱」でしたが、「オロチ殺し」の下手人はどんな器具を用いたのか? 彼の道具箱の中をちょこっと覗いてみることにします。

 老夫與老女二人在而。童女置中而泣。  興味深く覗いてみた道具箱の中には、
 「爺さんと婆さんが居て、小娘を中に置いて、二人とも泣いていた。」

 ここの書きぶりも謎めいていて、3体が1つのセットになっているという器具の正体は謎々に包まれている感じですが、ただ、はからずも「童女」という言葉が見られるので、その内の1体は「胸鉏」に相当するものと考えられます。
 つぎに取り扱い説明書があるので、声に出して読んでみます。

 僕名謂「足名椎」。妻名謂「手名椎」。

 女名謂「櫛名田比賣」。

 足(あし)名(な)椎(つち)。 手(て)名(な)椎。

 櫛(くし)名(な)田(た)比賣(ひめ)。

爺さんの本性は、〔足〕の名を負う椎(ツチ)。 婆さんの本性は、〔手〕の名を負う椎(ツチ)。
椎(ツチ)は、槌(つち:ハンマー)。要するに「柄が横様についている打撃具」です。
小娘の本性は、〔櫛〕の名を負う〔田〕。
櫛(クシ)は、串(くし)。いろいろなものに突き刺す棒のことです。ちなみに、「胸鉏」の鉏(すき)は金属製の「くし」と言っても差支えない。
田(タ)は、方田(ホウデン)。つまり、長方形のことです。

爾速須佐之男命詔 其老夫。是汝之女者。奉於吾哉。
...............
爾速須佐之男命。乃於湯津爪櫛取成其童女而。刺御美豆良。
 気が速いスサノオ命は、爺さんにみことのりして、「これナンジのムスメをワレにたてまつらむか。」と言われた。
 気が速いスサノオ命は、婚約相整い次第に、その小娘をユツツマクシに取り成して、御髪にお刺しになった。

しつこく言うならば「櫛名田比賣」転じて「田名櫛比賣」に成るの段ですが、この「湯津爪櫛(ユツツマクシ)」の性能については、参考にすべき先例があります。実は、スサノオの父親、イザナギの命もこの櫛を髪に挿していたことがあります。相方のイザナミの命を黄泉の国に訪ねたときのことですが、この櫛のことが詳しく描かれて、同じく湯津津間櫛といいながら2種類が区別されています。

故刺左之御美豆良之湯津津間櫛之男柱一箇取闕而。燭一火。........
亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引閉而投棄。乃生笋等。........
@ 互いに男柱になる2本の櫛がL字形に継ぎ合わされている。
  短い1個を壊して取り外したところ、灯火が点り、(黄泉の暗闇を照らし出した)。
A 2本の櫛が真ん中を軸に番われている。(X字形に開くことができる。)
  引き閉じて投げ棄てたところ、(円錐形をした)筍などに生えかわった。

 察するところ、その@は「矩」、直角定規です。そのAは「規」、コンパスです。ただし、混濁した黄泉の世界では規・矩はまったく通用しない。役に立たない道具は壊され棄てられるのがオチですが、滅亡の間際に、僅かながら理性の光を刺し通し、英知に満ちたかたちを再生したというわけです。

伏犠(直角定規)と(コンパス)

 ただ、私を「ユツツマクシ=規・矩」説に導いてくれたのは、古代中国の「伏犠・女媧」説話でした。道具箱在中の全体像を解き明かしてくれる者は、この「伏犠・女媧」説話をおいて外にはなさそうです。
 「伏犠・女媧」は「神農」と合せて「三皇」と称される伝説上の皇帝です。人間の始祖は兄妹でありながら結婚して子をもうけたというのは世界中によくある神話ですが、中国の「伏犠・女媧」の場合、上半身は人間、下半身は蛇というすがたをしているところが変わっています。それで、伏犠と女媧が協力してどんな仕事をしたのかということは、武梁祠石室の柱に刻まれた一文に簡潔に表現されています。

   伏戯倉精初造王業。画卦結縄以理海内。

 「大地に伏して戯れる昼の陽射しの精と、夜空を覆う円(まる)き暗闇の精は、この世の初めに王たる者の業(しごと)を造られた。」
 「卦を画(えが)き、縄を結び、以て、世海の内を理(ことわり)あるものにしておかれた。」
 「王業」とは何か。それは、「理」=王+里 であるという。それで、現世の王がおこなうその業は、先聖あるいは神によって理解された跡をなぞる行為に過ぎず、決して初めておこなうものではないという賛美の言葉です。(地理を明らかにするのは国土の測量ですが、八束水臣津野命による島根半島4国の初期測量は「初造王業」の事跡として敬われるのではないか。)

 しかし、実際どのように業(しごと)を始められたのかということは、話を聞くよりも、絵を見たほうがわかりやすいと思います。
 まず右の絵(沂南画像石墓墓門画像)を見てください。
 直角定規(矩)を捧げた伏犠とコンパス(規)を捧げた女が上段に描かれています。2人とも、上半身は人間ですが、下半身は蛇のすがたをしています。ところで、伏犠と女を抱きしめて中央に居る者は"高媒神"といわれている直訳すると「タカミムスビの命」という縁結びの神様です。
 つぎに左の絵(武梁祠西壁画像)を見てください。
 伏犠と女媧は真向かいに見合い、手を合わせ、蛇尾を互いに絡めて、1つのかたち、おそらく長方形(rectangle)を成しています。
 ところで、右の絵で女媧が捧げていたコンパスが左の絵に見られないのは片手落ちというか、なにか物足りない感じがしていましたが、よく見ると、2人の真ん中に居る童蛇の尾が2俣に分れて描かれている、これがコンパスというか、コンパスの生れ変わりのようです。
 そうだとすると、この情景をよく語る言葉を、私たちは知っています。
 「老夫、老女とともに、二人在りて、童女を中に置きて泣く。」
 まったく、右の絵を見て書いた文章としか思えない。

  図64 伏犠図            図128 沂南画像石墓墓門画像
  (武梁祠西壁画像の一部)       (その一部・東門柱の画像)
            
信 立詳 「中国漢代画像石の研究」 同成社

 老夫與老女二人在而。童女置中而泣(古事記)

言葉の作図力は衰えていない。

 たしかに右の絵を見て書いたとしか思えない文章ですが、どちらも、円(規)と直角線分(矩)の共働きに、陰と陽の交合・生殖の原理をあてはめ、夫婦・親子関係をあてはめるのは同じだから、同巧異曲になっても変り映えがしないのは当然です。そのことよりも、私が心配するのは、絵において、図形概念の倫理道徳化が進められる一方で、それに先行した作図の存在感が薄れてゆくことです。規・矩の精神が崇拝されても、形態が理解されないことには、神妙な性能は発揮されない。(「道具が通れば、道理がへこむ」という趣旨。)
 しかし、「言葉は作図の必要性を決して忘れていない」と思うので、ちょっと手助けしてみます。

童女胸所取而。三身之綱打挂而。

伏戯倉精初造王業。画卦結縄以理海内。
(武梁祠石室:石柱の刻文)

虹に手足はありますか? あります。

 老夫 與 老女、二人在而、童女 置中而泣。
(足名椎)  (手名椎)      (櫛名田媛)
腰の曲った婆さんと爺さんが、
   二人の中間に、うら若い娘(永遠の乙女?)を置いて泣いている

  (手)+(足)=(櫛)

 虹円の中心を通る直径に当る線分のことを〔櫛〕と呼んでみます。この〔櫛〕をもう1本描き加えますと、虹円周上に4個の点が現れます。この4点を順に直線で結んでゆくと、円に外接する1つの長方形が現れます。その短い2辺のことを〔手〕と呼び、長い2辺のことを〔足〕と呼ぶことにすると、〔手・足〕が2組ある。1組は「老夫」の〔手・足〕、あと1組は「老女」の〔手・足〕ですが、1字づつ取って、老夫は「足名椎(アシナツチ)」と称し、老女は「手名椎(テナツチ)」と称していたわけです。

 椎(ツチ)というのは、槌(つち:ハンマー)のことで、柄のついた打撃道具ですが、本体と柄が直角に固定されているかたちは、腰の曲った老人のすがたにも似ています。それで、に手足があるといっても、実際には、足名椎・手名椎の二人が老体を直角に張って名代を勤めている有様です。
 もう一つ不明なのは櫛名田媛の「田」の意味ですが、古代中国の算術において長方形のことを「方田」と言っていたことによります。虹円周上では、長方形の4頂点がどこに移っても、常に直角を保ち続けていることが重要です。またそのためには、〔櫛〕が折れ曲らないというか、対角線の長さが変らないことが重要です。
 〔櫛名田〕なる長方形においては、〔手×足=S〕の計算結果がその面積の値として承認されます。つまり 横×縦 ですが、そこで「泣」という字に注目されたい。
 後では水沼に降り注ぐ慈雨の如く理解することになりますが、「泣」という字は1粒で2度おいしい。氵(サンズイ)と 立 に分解して見ると、前者(氵)は水が横に拡がる如くで、後者(立)は「たて」と読んでもいる字なので、ごく平凡な面積計算がおこなわれることが、ベタなジョークでもって、示唆されているようにも思えます。

スサノオ命がした仕事  古事記テキスト) http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki1.txt.

スサノオは金星か。スサノヲが高天原から地上に追放され、アマテラスは洞窟から出て来て、光明がよみがえった。
金星(暁の明星)は太陽の出現とともに姿を消して行くのである。(大林太良)


故所避追而。降出雲國之肥(上)河上在鳥髮地。

此時箸從其河流下。於是須佐之男命。以爲人
有其河上而。尋〓上往者。

老夫與老女二人在而。童女置中而泣

爾問賜之「汝等者誰。」
故其老夫答言。
「僕者國神。大山津見神之子焉。僕名謂足名椎。妻名謂手名椎。女名謂櫛名田比賣。」

亦問「汝哭由者何。」
答白言。「我之女者自本在 八稚女。是高志之八俣遠呂智【此三字以音】 毎年來喫。今其可來時故泣。」


須佐之男命が高天原に上ったときには、〔宵の明星〕になって天に上ったので、降りるときには、〔明けの明星〕になって降りてきたと考えられます。

高天原から追放されて、出雲の国は鳥髮の地に降りて来たスサノヲ命ですが、
簸伊川の上流から箸が流れて来たのを見て、人家を求めて遡って行くうちに、老夫婦がひとりの童女を中に置いて泣いているところに出くわします。
この情景を濫りに解説すると、奥山に降る冷たい大粒の雨が、森の水になって幽谷の小沼に湧き出し、簸伊川の源流をなしていることの喩えです。二人して泣いているのは、天気図を見ると温帯低気圧が通過中で寒冷前線がかかっているので、乾いた冷たい風が湿った暖かい風を冷却して雨雲をつくり、時雨(シグレ)の雨を降らせます。童女は、清純な水の精、美しい水娘というわけです。実は、老夫婦の間には水娘が8人いるのが本当だというのですが、清らかな水が析出する光の彩を、5色でも7色でもなく、8色に数えたのは八卦に配当するためと考えられます。

爾問「其形如何。」
答白。
「彼目如赤加賀智而。身一有八頭、八尾。亦
其身生蘿及桧、榲。其長度谿八谷、峽八尾而。
見其腹者。悉常血爛也。」
【此謂赤加賀知者今酸醤者也】

爾速須佐之男命詔其老夫。是汝之女者。奉於吾哉。答白恐亦不覺御名。爾答詔。吾者天照大御神之伊呂勢者也。【自三字以音】故今自天降坐也。爾足名椎、手名椎神。白然坐者恐。立奉。

爾速須佐之男命。
乃於湯津爪櫛取成其童女而。刺御美豆良。告其足名椎、手名椎神。汝等釀八鹽折之酒。且作迴垣。於其垣作八門。毎門結八佐受岐【此三字以音】毎其佐受岐置酒船而。毎船盛其八鹽折酒而待。故隨告而。如此設備待之時。其八俣遠呂智。信如言來。乃毎船垂入己頭。飮其酒。於是飮醉。死由伏寢。

爾速須佐之男命。拔下其所御佩之十拳劔。
切散其蛇者。肥河變血而流。

ところが、高志の国(他界)から八俣遠呂智がやって来る季節になった。毎年のことだが、あの渇いたやつが沼の水を飲みに来ると、水娘達は蒸発していなくなってしまう。それが悲しくて最後にもう一雨泣いていたというわけです。

しからば問う。その八俣遠呂智の形や如何に。
ところが面白いことに、答えは謎々(なぞなぞ)で返ってきました。
 (彼目如。身一有八頭、八尾。亦其
  其長度谿八谷、峽八尾而。見其腹者。悉常也。)

これは、「八俣遠呂智」というよりも、にひっかけた謎々です。
ただ「虹は多彩な湖水を呑んで色づく」という考えは科学的な説明とは異なります。それもあって、虹は体質的に酒に弱い。この点を計算に入れて、定期の来客には8色とりどりの酒をお供えします。
 (釀八鹽折之酒。.......。置(八)酒船而。毎船盛其八鹽折酒而待。)

(ここまでの話から、ヤマタオロチは旱魃をもたらす虹蛇だったということが明らかになりました。しかし、お呼びで無い余所者を玄関先で追い返そうとするのでなく、座敷に招き入れてどうこうしようというのは様子が変です。時代は下手な雨乞い芝居も打切りになる大きな転換期を迎えているのですが)、
何も知らない風来坊は、虹色のカクテルをただの水と見誤ったのが命とり。気の毒に急激な脱水症状を起してショック死したので、空中に浮いていた身体はどてっと倒れて、地上に伏し横たわりました。

そこで、須佐之男命は十拳の剣を抜き下ろします。
切り散された其の蛇は、肥の河を血に変じて流れた。

虹の正体は大気中の水滴です。血といっても、清らかな水であったことは間違いないので、安萬侶が「蛇」と書いているところは〔ニジ〕と読んでおけばよいと思います。

〔古事記・序〕......寔知懸鏡吐珠。而百王相續。喫釼切。以萬神蕃息歟。 ここも、〔ニジ〕と読んでおけばよいと思います。

別の話によると、オロチが天空から倒れて来たとき、
同心円を重ねた扇形の虹蛇は、8つの首を震に、8つの尾を坤に向けて、1つの身は出雲国の全土を覆ったという。



オロチの化石が見つかった

 古事記(BC712)という書物については、太安萬侶(おおのやすまろ)という朝廷の木っ端役人が濫りに空想したところの神代の有様が思いきり描かれている。そんなものだと考えています。その良い例が「八俣遠呂智」です。
 ヤマタオロチは想像上の巨大生物ですが、そういう巨大生物の遺跡が奈良時代にも確認されていた。というのは、出雲国風土記(BC733)に「国之大體、首震、尾坤。」と記されていることです。出雲の国体には首(頭)と尻尾があり、首は震(卯)に向け、尾は坤(未申)に向けているという意味ですが、これを言葉の綾だという人は臆病者です。信じられない。そんな巨体では身動きが出来ないだろうというのなら、龍のように空中を風に乗って来ることも可能です。

 「ヤクモタツ イヅモ」。スザノオとオミヅヌの両命が、それぞれの仕事の完了宣言において、まったく同じ言葉を述べている。これによって両者の仕事の同質性あるいは継続性が伺えるのではないかと思います。
 太安萬侶が、ヤマタオロチの本性をであると考えていたとすれば、投影される出雲国風土記の著作者は、相槌を打って、「こちらが頭です。尻尾です。」という説明は当然しなくてはいけないでしょう。

〔古事記〕
 
茲大神初作須賀宮之時。自其地雲立騰。爾作御歌。
 其歌曰。夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐。........

 これで古事記と出雲国風土記の接合面を一つ確保したつもりですが、それに合せて、空中を浮遊していた虹の身体がドテンと転覆して出雲の大地に倒れ掛かって来たというストーリーが浮上してきます。

  出雲國風土記
   國之大體、首震、尾坤。東南西山、北属海。
   東西137里 19歩。南北183里193歩。

   所以号出雲者、八束水臣津野命詔八雲立
   
詔之。故云八雲立出雲


(ニジ)を切る間に。
 虹の正体は大気中の水滴です。しかし、虹の身体はおそろしく硬くてしっかりしている。それは身体の水分が凍っているせいなので、大気中の氷滴が雹(ヒョウ)になって落ちて来て、そこらじゅうの地表に降り積っている景色を想像してください。
(色々な雹氷が解けてしまわない内に完了しないといけない忙しい工作です。)
 スサノオ命が、十拳(とつか)剣(つるぎ)を振るって、蛇(ニジ)の身体を切断して回っている間、他の3人(手名椎・足名椎・櫛名田比賣)は何をしていたか? これについては一言も述べられていないので、連中はおとなしく見物していたのでしょうか? 
 仮にそうだったとしたら、3人の名前が泣きます。3つの名前に刻まれていたのは、「いざというときには、虹のとなり、虹のとなり、虹のとなり、三身一体の綱になって、虹のになるまで、働きとおします。」という誓いの言葉でした。あるいは、

 卦を画き縄を結び(三身の綱を張りつめて)、以て海の内を理(ことわり)する。

 プレゼントされた「地面」を大地に定着する。この手順はどこでも欠かせません。
.

童女胸所取而。三身之綱打挂而。

.
故切其中尾時。御刀之刄毀。爾思怪。以御刀之前刺割而見者。在都牟刈之大刀。故取此大刀。思異物而。白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也【那藝二字以音】

スサノオはとにかく虹円周に沿って切っていったようです。

. オロチの体内から草薙の剣(三種の神器の1つ)が発見されたというエピソードです。
 五行の説(金生水。水生木。木生火。火生土。土生金。)では、金気から水気が発生するので、蛇(ニジ)の水気の根源として金気の剣はあらまほしきものですが、今はそのことよりも、蛇(ニジ)を切った切り方の具体例が記録されていることに注目したい。

 

 

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki2.txt
文字化けして見られないときには kojiki2copipe.txt
然而還上之時。山神。河神。及穴戸神。皆言向和而
參上。即入坐出雲國。欲殺其出雲建而。 到即結友。故竊以赤梼作詐刀。爲御佩。 共沐肥河。爾倭建命自河先上。取佩出雲建之解置横刀而。詔爲易刀。故後出雲建自河上而。佩倭建命之詐刀。於是 倭建命誂云伊奢合刀。爾各拔其刀之 時。出雲建不得拔詐刀。即倭建命拔其刀而。打殺出雲建。爾御歌曰。夜都米佐須。伊豆毛多祁流賀。波祁流多知。都豆 良佐波麻岐。佐味那志爾阿波禮

患泣罷時。倭比賣命賜草那藝劍【那藝二字以音】亦賜御嚢而詔。若有急事。解茲嚢口。故到尾張國。入坐尾張國造之祖。美夜受比賣之家。乃雖思將婚。亦思還上之時將婚。期定而幸于東國。

仕事にケチをつけられたか?

「草那藝之大刀」の出現には、もうひとつ、憎たらしい因縁を付けておく意味もあって、出雲建が殺される話につながってゆくのは間違いないと思います。

凶暴な小碓(うす)命に殺されたのは、大碓命。
凶暴な倭建(たてる)命に殺されたのは、熊襲建、出雲建。
おおむね同業者(王業者)の命が狙われる。

大きな碓(石臼)が小さな碓(石臼)に負けるというのは何のことか?
建てる、建てるというけれども、何を建てる人達なのか?

対立関係の継承

 天照大神 草那藝劍 → 倭建命
. 国造大神  十拳劔 → 出雲建

.
故是以其速須佐之男命。宮可造作之地。求出雲國。爾到坐須賀【此二字以音。下效此】地而詔之。吾來此地。我御心須須賀賀斯而。其地作宮坐。故其地者於今云須賀也。茲大神初作須賀宮之時。自其地雲立騰。爾作御歌。其歌曰。夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁
*於是喚其足名椎神。告言。汝者任我宮之首。且負名號稻田宮主須賀之八耳神

虹に始まり雲に終わる話。

 須賀の地を選び宮を造った。
 参考までに、関連する〔施工事例〕を下に挙げておきます。

 所以号出雲者、八束水臣津野命 詔、八雲 立詔之。故云八雲立 出雲

 出雲国風土記では、この発言をオミヅヌ神の所為にしていますが、八雲立 出雲とは、要するに「事件は、虹に始まり、雲に終った。」ということではないかと思います。系譜によるとオミツヌは虹の神様になるのが相応しいし、「八束水」という冠詞に8色の束になった水気という(八俣遠呂智の)雰囲気を感じたとしても無理ではない。
 飽き足りずに入海(宍道湖)の向うにもう1つの虹を建てた話はカットされている。

3以 號2楯縫1者。
"
神魂命" 詔、五十足 天日栖宮 之 縦横御量、千尋栲紲 持而、百八十結結下而
(百結 結、八十結 結下、
六十結 結下而)
(100)2=(80)2+(602 これは直角三角形。
天御量 持而、所造天下大神之宮 造奉。」詔而、御子"天之御鳥命"、楯 為而、天降給之。爾時、退下来坐而、大神宮御装楯 造始給所、是也。仍、至
今、楯・桙 造而、奉2 於 皇神等1
故、云
2楯縫1

、1尋(ひろ)の長さを120cmとして計算すると、千尋栲紲百結び(100,000尋)の長さは120km。
 おそらく、出雲の国土全体が「天日栖宮」の地盤として位置付けられていたので、そこに「所造天下大神之宮」が造られたときには、その宮は出雲の国土全体を敷地とする壮大なものであった。ちっぽけな「須賀宮」を造るのとは話が違うみたいです。

杵築郷 郡家西北28里060歩。"八束水臣津野命"之 國引給之 後、"所造天下大神"之宮 将奉 而、諸皇神 等 参2集 宮處1、杵築。故、云2寸付1神亀3年、改字杵築

 虹の神オミズヌは、一流の建築家でもあった。



系譜

故其櫛名田比賣以。久美度迩起而。所生神名謂八嶋士奴美神【自士下三字以音。下效此】又娶大山津見神之女。名神大市比賣。生子。大年神。次宇迦之御魂神【二柱。宇迦二字以音】兄八嶋士奴美神。娶大山津見神之女。名木花知流【二字以音】比賣。生子。布波能母遲久奴須奴神。此神。娶淤迦美神之女。名日河比賣。生子。深淵之水夜禮花神【夜禮二字以音】此神娶天之都度閇知泥(上)神【自都下五字以音】生子。淤美豆奴神【此神名以音】此神娶布怒豆怒神【此神名以音】之女。名布帝耳(上)神【布帝二字以音】生子。天之冬衣神。此神。娶刺國大(上)神之女。名刺國若比賣。生子。大國主神。亦名謂大穴牟遲神【牟遲二字以音】亦名謂葦原色許男神【色許二字以音】亦名謂八千矛神。亦名謂宇都志國玉神【宇都志三字以音】并有五名。

総まとめ

 「地面」というのは、現地にある原寸大の図面のことです。ひとつの見方によると、この図面が大地に設置されたとき、均質な地理空間が創設され、国土の測量が開始されることになります。
洪水の襲来による 湖沼水平面のプレゼント
 エジプトはナイルの賜物。ナイル河が氾濫するたびに、ナイルデルタ一帯に「地面」がプレゼントされたという話はよく知られていますが、
虹の転倒による 空中垂平面のプレゼント
 空に架かる虹に目を着けて、虹の壁は平たい、その空中に屹立した巨大な平面を横倒しにして、「地面」にしてしまったこともあった。

 出雲の山奥において、足名椎、手名椎、櫛名田比賣と、古志之八俣遠呂智、そしてスサノオ命が共同しておこなった仕事を見るに、虹平面を倒置するという奇抜なアイデアがただちに実行に移されて、原始的な「地面」を設置することに成功しているようです。すなわち出雲国の南半部全体が1個の虹片(首震尾坤)に覆われた。
 出雲の海辺、島根半島において同様の成行きを考えると、明白には語られていないが、前生は虹の神様であるオミヅヌ神が、もう1つの虹を倒して置いたのだろう。(虹を置いたところが、将来、狭田の国と闇見の国になり、副虹のように2つの御埼が付く。)


無限遠景の引き寄せによる 海水平面のプレゼント
 果てしなく広がる大海原に目を着けて、その巨大な水平面を陸地に引き揚げ引き移して、「地面」にしてしまったこともあった。

 「国引き」説話は、(結果的に)各国固有の基本方向線が収束に向かう海外の遠隔地から「地面」が招来され、原寸大の格子パターンが大地に縫いこまれたというふうに説明している。オミヅヌ命が測量のものさし「丈」を遺したことも暗示されているので、これらの神話的事実は、奈良時代の国土測量業務の指針になっており、出雲国風土記の地理記事の凡例として記述されていると考えられる。
 こういう現実的なビジョンに眼を奪われて、「海水平面のプレゼント」が根底にあることを忘れていたようです。1枚の麻布地図に描かれる国ごとに1枚の「地面」がプレゼントされるというのが「国引き」説話の基本で、最初はでこぼこだった風景も、日本海の荒波に揉まれている内に、ペラペラな薄切れになってしまった。

 「古志」の八俣遠呂智の来訪に引っ掛けて、山辺にも『国引き説話』があるというふうに、当初は気安く考えていたのですが、山間地にあって自由に視界が利かない実情では考えられもしないことだと気がつきました。運ぶのは凧にして空中を引っぱって来る方法もありますが、現地が見通せないのが致命的です。だからこそ虹が活用されることにもなるので、「鳥髪の国」の件は取り下げます。
(およそ「ローカルな地理空間の創出」と看做すべき事件に、「地面のプレゼント」という共通項を見つけるまで、およそ2年を要したので、無様なことになりました。)

あゆみ(歩)        このページの先頭に戻る

(備考)手弱女・手力男・手次(たすき)による模範演技

  スサノヲが高天原に昇ると、やがて太陽の女神アマテラスは天岩屋に隠れ、暗黒となった。
  金星(宵の明星)が天に現れ、夜になったのである。(大林太良)
  
須佐之男命が高天原に上ったときには、〔宵の明星〕になって天に上ったと考えられます。

爾速須佐之男命。白于天照大御神。「我心清明故。我所生之子得手弱女。」
因此言者。自我勝云而。於勝佐備【此二字以音】

離天照大御神之營田之阿【此阿字以音】埋其溝。
亦其於聞看大嘗之殿。屎麻理【此二字以音】散。
故雖然爲。天照大御神者。登賀米受而告。如屎。醉而吐散登許曾【此三字以音】我那勢之命爲如此。又離田之阿埋溝者。地矣阿多良斯登許曾【自阿以下七字以音】我那勢之命爲如此登【此一字以音】詔雖直。

猶其惡態不止而。轉。天照大御神。坐忌服屋而。令織神御衣之時。穿其服屋之頂。逆剥天斑馬剥而。所墮人時。天衣織女見驚而。於梭衝陰上而死【訓陰上云富登】

故於是天照大御神見畏。閇天石屋戸而。刺許母理【此三字以音】坐也。

.
男という字は田んぼに力、須佐之男は、田の畔(あぜ)を離ち、溝を埋めた。
つまり黎明になると、星どもを殺す兵士なのだ。(大林太良)
また、形相が光り輝くイデア世界と考えられていた高天原(天空)に、須佐之男は、質量になる糞土(つち)を注入しています。(スサノヲはアリストテレスか?)「天照大御神が直営する御田の畔を離ち溝を埋めた」という洪水が天の河の氾濫によって起されたかどうかは不明ですが、「地を新しく」することに誓って有益性が認められているのは、「氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した」からだと考えられます。
 大地の更新。まっさらな地面のプレゼント。

「天衣織女」に捧げられる犠牲(いけにえ)の「天斑馬」。「馬」を「牛」に換えてみると「牽牛・織女」で七夕の行事ですが、太古の七夕祭りは、半殺しにした牛馬を河にドボンと投げ込むようなことをしていたらしい。(河童駒引考:石田英一郎)
 あまりに残暑がきびし過ぎるので、天の河(銀河)の深淵に忌み籠もっておられる天の機織り神様に季節の更新をお願いしたまでです。ただ、「梭(ひ)が女性の陰部を貫通している」というイメージは、もし2本刺さっているのであれば、童女胸鉏(すき)を思わせ、規(コンパス)を思わせます。

手力男神。隱立戸掖而。天宇受賣命。手次繋天香山之天之日影而。爲鬘天之眞拆而。手草結 天香山之小竹葉而【訓小竹云佐佐】於天之石 屋戸伏汚氣【此二字以音】而。蹈登杼呂許志 【此五字以音】爲神懸而。掛出胸乳。裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而。八百萬神共咲。於是天照大御神以爲怪。細開天石屋戸而内告者。因吾隱坐而以爲天原自闇。亦葦原中國皆闇矣。何由以天宇受賣者。爲樂。亦八百萬神諸咲。爾天宇 受賣。白言。益汝命而貴神坐故。歡喜咲樂。如此言之間。天兒屋命、布刀玉命指 出其鏡。示奉天照大御神之時。天照大御神逾思奇而。稍自戸出而。臨坐之時。 其所隱立之天手力男神。取其御手引出。即布刀玉命。以尻久米【此二字以音】控度其御後方。白言。從此以内不得還入。

 つづいて「天の岩戸」説話ですが、「宇受賣(手弱女)・手力男・手次」と順に拾い挙げて見たとき、オロチ切り説話の「手名椎・足名椎・櫛名田比賣」とそっくりだと思います。また、彼らが互いに「結縄」して働くとしたら、国引き説話の「三身之綱」にそっくりです。
 大円(汚氣;おけ)に襷(手次、田鋤?;た・すき)をXに掛け、中心点(胸乳;むなち)を軸にして、陰部(番登;ほと)を開いてゆく。
 天宇受賣命のこうした行為は、国引き説話において、「童女の胸鉏(すき)を取って、鮫の鰓を衝き分け、薄の穂(ほ)を振り分けた」という臣津野命の行為を思わせます。
 戸脇に隠れていた手力男は太陽神の御手を取って表に引き出す。太陽に手足があるのは今更いうまでもないことですが、尻久米繩、すなわち尻組縄が、伏戯倉精の「結縄」の末裔であり、「三身之綱」の先輩であることには注意する必要があります。
 氾濫が収まった後、天照大御神の營田を荒廃するに任せてはおけない。農地を元通り配分するために、まっさらな地面において測量が開始された。

いまや金星というより、迷惑星、トリックスター(trick star)になった スサノヲは、星空(高天原)に質料を持ち込んだ代わりに、星空にしかなかった形相を盗み取り、大地(葦原中国)に持ち帰った。

〔参考文献〕
銀河の道・虹の架け橋 大林太良 著 小学館 1999
比較神話学の展望 松原孝俊・松村一男 編 青土社 1995
河童駒引考(比較民族学的研究) 石田英一郎 著 筑摩書房 1948