還って来た取り尽し法の未来(9)                (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)、(9)、(10)     あゆみ(歩)

  曲りなりにも、パラボラの面積は、見ればわかる。  2009.11.25.

  正方形の面積1の内、〔3分の1〕が青色の地に、〔3分の2〕が黄色の地にあるという。(図・左) 分数の変なかたちの一例です。
  トップページから入られた方は、ここに1個の凹んだかたちを見つけて、それからして、
  大いなる穴ぼこ=大穴牟遅の神の名にかけて、重要な凹みの研究をしているということで、しばらくご辛抱ください。

  青地に対していえば、黄地は2倍の広さになります。また、〔2分の1〕を除いた黄地に対して、青地は2倍の広さになります。(図・右)

しかし、そうはいっても、図の黄地の広さを虚心に見たとき、青地の広さに2倍してあるという事実が本当にあるのでしょうか?

いま「2倍」と言っているのは、境をなす曲線(注1)が、関数 y=
1−x 2 (-1≦ x ≦0) の軌跡であり、その積分値が〔3分の1〕になる、〔3分の2〕になるという。(注2) それだけのことではないのか。
たしかに、1−〔3分の1〕=〔3分の2〕 。〔3分の2〕÷〔3分の1〕=で2倍ですが、この「2倍」は過日の計算を焼き直したものでしかない。

だいたいこの図を見て、確かに2倍あることが一目瞭然にわかりますか?? というわけです。

  「額面どおりに受け取れない」というわけではないけれども、とにかく2つの物件をこの眼でしかと見比べてみたい。
  そこで得た測定結果を重ね合せて、「2倍。2倍。」と言ってみたいものです。

ただし、青地黄地とを見比べるといっても、そんなに簡単なことではないようです。反りの合った水も漏らさぬ仲なのに、曲線の陰日当によって〔かたち〕を違えている。これでは「比べもの」にならないですね。
ここはどうしても〔かたち〕の違いを克服する必要があります。それで「同積変形」に頼ることにします。
青地
を、黄地の〔かたち〕にならし、// をこの眼でしかと見届けて、日頃の鬱憤を晴らしたい。

三角形の面積は=(底辺×高さ)÷2 なので、高さを等しくして変形、即ち「同積変形」する限り、面積は同じままです。このときには、長方形の面積は=縦×横 ということもあるので、なるべく 直角三角形にしたい。
いずれにせよ、青地を、黄地の〔かたち〕に、同化させることができれば、問題は解決したも同然です。

アイデアの説明もそこそこに、早速、青地を、黄地の〔かたち〕に、同化させてみます。

〔上中図〕
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〔上左図〕
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〔中左図〕

〔上右図〕
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〔下左図〕

正方形の真ん中を中心に黄地を180度回転移動しました。この黄地を、縦に16分割した細長方形に分けて、さらに直角三角形2つずつに分けてみたところです。
青地の同積変形は、この図を目標にして、おこないます。

青地の16分割は、接線に従って境分けしました。そこで接点を探すのが難儀だったかというと、それが案外に簡単でした。(注3)

接点を鉛直に下ろして、直角三角形にしました。⇒〔上中図〕

細長方形の横を半分に縮めました。細長方形の縦幅をもっと小さくしてゆくと、黄地の横を半分に縮めた青地の〔かたち〕が現れるはずです。

もとの黄地に、〔かたち〕を均した青地の「耳を揃えて」、// を見比べます。

 

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いまやこうして比べ合うのも気恥ずかしい感じがしますが、(左図)
最初の目論見どおりに「比べもの」になったところで、「2倍。2倍。」ということにします。


(注1) 境をなす曲線の公式名称は「放物線」ですが、物を放り投げている場合ではないので、
     パラボラアンテナの「パラボラ」ということで、ピンときてほしいです。〔備考〕

(注2) y= 2 ;0→1) その積分値は〔3分の1〕になる。

  12+22+32+42+52+62+72+82+92+102=385        385/1000   → /

(注3) 接線。 捨てる神あれば、拾う神あり。

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左図は、以上の作業を終えてからの反省です。これでも「比べもの」になっていたというのですが、
青地の同形を当てて型抜きした真ん中の黄地に、同積変形中に生じた2倍体をかぶせる。これだけのことで、どの地も / ということがわかると思います。
ところで、私は〔分数のかたち〕のことをいろいろ考えるにおいて、その理想像として「尾頭付きの魚」を案じているところですが、左図の黄地はてきめんな答えかもしれない。同様に〔2分の1〕を描いたら下の図のようになりましたが、それなりに美しいかたちではあるようです。

.だいたい 多次関数 y=x がグラフに表現した値(x、y)をもとに作図しておきながら、あらためて〔かたち〕の見比べを求めたのは、ちょっとインチキ臭いことをしたかなと悔やんでいます。しかし、なにも関数に囚われずとも、なんとなく関数の〔かたち〕になっている品物は、昔から沢山あるのも事実です。思うに、その傾きが滑らかに変化してゆく〔かたち〕は、多次関数その他の関数のどれかに、必ず捕まってしまうものなんでしょう。
それに、私が、〔かたち〕を見比べるためとはいえ、わざわざ接線を引いたりしたのも縁のあることで、もともと関数というのは、〔かたち〕を見比べるために、存在しているのかもしれない。
とにかく、知っている関数は利用しますが、難しいことはなるべく考えずにゆきたいと思います。

 

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パラボラ臼の容積表示

ここに、「パラボラ臼」という臼があり、正中縦断面のかたちは右図のようです。
この断面の広さ1の内に、黄地が〔3分の1〕を占め、白地が〔3分の2〕を占めていることについては、身に染みて痛いほど、よくわかっています。
それで、この円柱形をした臼全体のかさの内に、
凹みのかさはどれほどを占めているだろうか? また、
器体(丸太)のかさはどれほどを占めているだろうか?
というのが新しい疑問です。2つの疑問を明らかにして、このうち、凹みのかさが占めるところを、「パラボラ臼の容積表示」と題して、平面的な〔かたち〕で表すことにします。

パラボラ臼を真上から見下ろすと、2重円をもつ平面の重なりとも見取られますが、その代表として、高さ 0.5 の円面をスライスしてみます。
図は、円面を扇形に細分した1片をスケッチしています。凹みのひろさは細長い三角形に見え、器体のひろさはずんぐりした台形に見えますが、2つのひろさは同じです。この扇形をまるごと長方形に同積変形します。

それぞれの高さでおこなわれた同積変形が集まって、全体としては、饅頭が蒲鉾に成り変るような動きになります。ただし、点Q(0.5,0.5)が、関数 y=x に属することから、1点を見ただけで(直線が引かれて)全貌が明らかになりました。

 一般に、 PQPRPRPT(1)  したがって、PQ=(PR2

これは、凹みのかさが〔2分の1〕を占め、器体のかさが同じく〔2分の1〕を占めているということですが、それはいわず、かたちばかりの容積表示にとどめます。
一見どんよりしたパラボラ面には、1点から生じる爆発的なパワーに対抗する性質があったけれども、容積表示の尖り(とがり)はその面影を残しているか。
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円錐臼の容積表示
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〔問題〕 下の容積表示に対応するお釜の断面を描きます。
     このとき黄地が占めるひろさはいくつ?になる。

    (1) 3分の1  (2) 4分の1  (3) 5分の1 

この逆三角形を一回転させると、円錐形の凹みをもった「円錐臼」になります。
思いつくまま「臼」と言っても、用途がわからないと不安なので、調べてみたら、「すり鉢状」の臼でした。安心しましたが、これでは餅は搗けそうにないです。
これの凹みのかさはどれほどを占めているだろうか?というので、左図は「円錐臼の容積表示」ですが、パラボラ曲線を使い回す結果になって恐縮です。
それにしても、パラボラに始まったものがすぐにパラボラに帰って来たのは、不思議な感じがしますが、関数の変化を追うと、これも当り前のことだとわかります。

  x = y2 ← x = y ← x = √y 

五右衛門風呂の容積表示

「パラボラ曲線を使い回して申し訳ない」という気持が転じて、「使い回せる限り使い回して万全を尽くそう」という気になったこともありますが、左図の構えは、

   x = y2 ← x = y ← x = √y ← x = ? 

やはり多次関数の流れに連なるものです。(これは三択問題にしました。)
「臼」といわずに「お釜」といっているので、全体のかさをなすものとして、「お釜」を包含しているという円柱を想定してください。

それが、臼であるか、お釜であるか。判別は、集中力の有無によることにしました。集中力が有れば「臼」といい、集中力に欠ければ「お釜」というわけです。
そういえば、半球にも集中力があるので、「臼」といわれる資格があります。
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半球臼の容積表示

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    円曲面はとんがっていることがわかる?

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パラボラ曲線の使い回しもこれまでです。

   x = 1−2 ← x = √(1−2

球体は、円柱(2:3)や円錐(2:1)に有比的に対応しているので、円柱の内に存在する雑多な体積に対しても、平凡な関係を結びやすい。球臼の容積表示が五右衛門風呂と瓜二つだとしても、それを思えば、なにも驚くことはないといえます。
ただ、球体の表面積と円柱の測面積を比べて高さも同じとするのと、〔容積表示〕を介して比べるのとは、すこし味わいが異なるような気がしますが、どんなものでしょうか。〔備考2〕

 

〔備考1〕 パラボラ(parabola) 点と線分の端を結ぶのに"ぴったりした縄"。その折点の軌跡。

円錐曲線
円錐を平面で切断したとき、その断面として現れる曲線を総称して円錐曲線という。解析幾何学においてはこれが二次曲線と同値であることが示される。

円錐 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

具体的には、楕円、パラボラ、双曲線を総称して円錐曲線といいますが、こうした断面の〔かたち〕のバラエティは、円錐を切り分けてゆく方向の相違から来るものです。
簡単にいうと、
水平に近く浅く切った断面は楕円形になり、母線に平行に切るときにはパラボラの形になり、もっと深く切った断面は双曲線の片割れの形になるといえます。

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方格有限パラボラの作図。

@ 木綿糸(長さ1.25)の片端を、焦点に固定する。
A 他方の端は、T定規の付け根に、固定する。
B T定規の隅を方格の左下端に当てて、糸を鉛筆で拾う。
C T定規を右方向にスライドさせるとともに、
   鉛筆で糸をずり上げて、糸の緊張を保ちます。

つまり、等しい(para)縄(bora)いう意味は、とりあえず、1点と相対する線分の端を結ぶのに"ぴったりした縄"ということであるらしい。その縄の一端が線分上を移動するとき、縄は線分に対して垂直に立ち、ピンと張ったところで折れて、焦点に向います。その折点の軌跡も、それからして「パラボラ」と呼ばれているようです。

準線
平面幾何学において放物線(ほうぶつせん、parabola)とは、準線 (directrix) と呼ばれる直線 L と、その上にない焦点 (focus) と呼ばれる一点 F が与えられるとき、準線 L と焦点 F とをともに含む唯一つの平面 π 上の点 P であって、P から焦点 F への距離 PF と等しい距離 PQ を持つような準線 L 上の点 Q が存在するようなものの軌跡として定義される平面曲線である。

放物線 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

〔注意〕 円錐を真上から見下ろすかっこうになっています。 

パラボラ切断面の実情については 円錐とパラボラ を見てください。

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私の立場から見た場合には、
折れた木綿糸(長さ1.25)を直線化した上端の軌跡が、準線です。
しかし、そうでなくても、準線というのは、円錐の外に仮想される、文字どおり架空の線です。もしこれがサーチライトだとしたら、ここにランプの輝きを見る虚ろな平面です。
それで、一介の円錐曲線に対して、こんな化けものの片棒を担ぐような定義が許されてよいのか?という気がしないでもない。なるべく円錐の内に籠もって定義しておきたいというので、右図ですが、
円錐の母線分の長さと、「本線(底線)」に向う折れ距離とが、みごとに一致している事実に基づいて定義しなおしたつもりです。
つまり、
焦点(頂点)から本線までの距離を、(本線上の)どの点でも等しくしている折り点の軌跡。それがパラボラなのだというわけです。

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〔備考2〕 古事記拾い読み 凹みの時代がやって来る。
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ガスサーチライト

http://www.naturum.co.jp/item/570647.html

 いかに正義の 道とはいえど
 身にふる火の粉は 払わにゃならぬ
 柔道一代 この世の闇に
 俺は光を なげるのさ 
      (村田英雄 柔道一代  作詞 星野哲郎)

凹む(へこむ)という言葉には、どうしてもマイナスのイメージがつきまといますが、
柔らかに凹んだヘッポコの、表面がピカピカに磨かれたやつが、身にふる火の粉を反射的にはねのけると、火の粉の塊は一筋の光をなして、この世の闇に投げとばされるという。
つまり、この歌は、ヘッポコも磨けば玉になるといって、凹みを再評価した歌かもしれない。
しかし、凹みを再評価する要素は実用的なことに限らない。凹みの(空虚なるがゆえに)余裕のあるところ。(中身が無いゆえに)澄みきっているところ。(性質が無いゆえに)従順で固執しないところ。再評価の光は、算数思考の利便に供するイメージ的な要素に当てられてもよいのではないか。(ものの道理が現れたものです。すぐに道徳的な説明にすりかえるのは勘弁して下さい。)
私のそんな期待に応えてか、この歌の三番には、凹みの時代の到来が予言されています。

 若いうちだよ きたえておこう いまにおまえの 時代がくるぞ

凹みの時代が来て、ヘッポコが天下を取った日には、いったいどんな世の中になっているのか。

 

原文 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki1.txt
 ( 文字化けして読めないときには→ koziki1copipe.txt )

於是八上比賣答八十神言。吾者不聞汝等之言。將嫁大穴牟遲神。
ここに、八上比売(やかみひめ)は八十神たちに答えて、「吾は汝らの言うことを聞かず。将に大穴牟遅神の許に嫁がむ。」という。
故爾八十神忿。欲殺大穴牟遲神共議而。至伯岐國之手間山本云。赤猪在此山。故和禮【此二字以音】共追下者。汝待取。若不待取者。必將殺汝云而。以火燒似猪大石而轉落。爾追下取時。即於其石所燒著而死。
しかりし故に、八十神たちは怒り、大穴牟遲神を殺さむと欲(し)て共に議(かたらい)て、伯岐の国の手間山の本に至る。赤き猪がこの山に在ると云う。「よりて(その猪を)我らが共だちて追い落とすなれば、汝ひとり待ちて捕れ。若し待ち捕らえぬときは、必ず将に汝を殺さむ。」と云いて、火を以ちて猪に似たる大石を(赤々と)焼きて転ばし落とす。しかれば、追い落されし(赤猪)を捕る時、即ちその石の焼けたるに著きて、死ぬ。

爾其御祖命哭患而。參上于天。請神産巣日之命時。乃遣蚶貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾蚶貝比賣岐佐宜【此三字以音】集而。蛤貝比賣持水而。塗母乳汁者。成麗壯夫【訓壯夫云袁等古】而出遊行。
しかれば、その御祖(みおや)の命(みこと)は泣き患いて、天に参り上る。神産巣日の命に請う時、乃りて蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(はまぐりひめ)を遣わして、作り活かさしむ。しかり、蚶貝比売は岐佐宜(ギザギザ)を集め、蛤貝比売は水(準)を持ちて、母の乳汁を塗りたれば、麗しき壮夫(おとこ)に成りて、出でたちて遊(そぞろ)に行く。

 アカガイ(蚶)

蚶貝比賣は岐佐宜を集め而。
岐佐宜(きさぎ=ギザギザ、細かい刻み目;gather)が特徴的。
岐佐宜たちは集まろうとする(togather?)

 ハマグリ(蛤)

. 蛤貝比賣は持水を而。 細かなシマ模様が目立ちます。
 シマ模様たちは水平に平行を保とうとする。

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於是八十神見。且欺率入山而。切伏大樹。茹矢。打立其木。令入其中即。打離其冰目矢而。拷殺也。
ここに、八十神たちは(大穴牟遅神に)まみえ且つ欺いて、率きつれて山に入り、大樹を切り伏せ、矢を茹でて、その木に打ち立て、その中(裂目)に入らせるや、その冰目矢を打ち離して、拷ち殺すなり。

 年輪を測る

 八十神の〔十〕はこんなものか?
 
http://www.fsm.affrc.go.jp/Joho/72/p3.html

木を縦に製材した時,年輪に直角に製材した面は年輪が縦縞状に見え,この面を柾目面(柾目)といいます。

http://www.k-wood.com/03/seishitsu.html

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爾亦其御祖哭乍求者。得見即。拆其木而取出活。
しかれば、その御祖(みおや)は又も泣きながら探し求めたれば、まみゆることを得て、すなわちその木を析(ひら)きて、取り出して活かす。

扇状の面積を長方形になおす 1・ PQ=(PR2

1:RP RPQP........PQ PR PR : 1

告其子言。汝者有此間者。遂爲八十神所滅。乃遣於木國之大屋毘古神之御所。爾八十神{ノツ見}追臻而。矢刺之時。自木俣漏逃而云。
その子に告げて、「汝はこの間に有れば、遂には八十神に滅ぼされるところと為らむ。」と言う。乃りて、木の国の大屋毘古神の御わす所に遣わす。しかれば、八十神たちも跡をつけて来て、(オオナムチを)追いつめて、矢を刺した時、木の俣より漏れ逃れたと云う。

御祖命告子云。可參向須佐能男命所坐之根堅州國。必其大神議也。故隨詔命而。參到須佐之男命之御所者。其女須勢理毘賣出見。爲目合而相婚。還入。白其父言。甚麗神來。爾其大神出見而告。此者謂之葦原色許男。
御祖の命は子に告げて、「須佐能男の命の坐しませる根の堅州の国に參り向うべし。」と云う。必ずやその大神の議(かたら)われるなり。故に、詔(みことのり)なされし命(みこと)のまにまに、須佐之男の命の御わす所に参り到りたれば、その娘、須勢理毘賣、出でてまみえ、爲目合いして、相い婚(ちぎ)る。還り入り、その父に白して、「甚だ麗しき神来たる。」と言う。しかれば、その大神、出でてまみえて、(須勢理毘賣に)告ぐ。
「この者は、『葦原色許男』と、これ謂う者ぞ。」

(『日本一のヘッポコ野郎』だぞ。こいつは。)

即喚入而。令寢其蛇室。於是其妻須勢理毘賣命以蛇比禮【二字以音】授其夫云。 其蛇將咋。以此比禮三擧打撥。故如教者。蛇自靜故。平寢出之。亦來日夜者。入呉公與蜂室。亦授呉公、蜂之比禮。教如先故。平出之。
すなわち喚び入れて、その蛇の室(むろ)に寝さしむ。ここに、その妻須勢理毘賣の命、蛇の比礼(ひれ)を以て、その夫に授けて、「その蛇はまさに食わむとす。この比礼を三たび挙ぐるを以て、打ち撥らえ。」と云う。ゆえに教えの如くすれば、蛇は自ずと静まりしゆえに、平らかに寝て(室を)出る。また来たる日の夜は、呉公(むかで)と蜂の室に入らしむ。また(須勢理毘賣)呉公と蜂の比礼を授け、先の如く教ゆるゆえに、平らかに(寝て、室を)出る。
亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故人其野時。即以火迴燒其野。 於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良【此四字以音】外者須夫須夫【此四字以音巳】如此言故。蹈其處者。落隱入之間。火者燒 過。爾其鼠咋持其鳴鏑。出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。
また鳴鏑(かぶらや)を大野の中に射入れて、その矢を採らしむ。されば、その野に入る時、火をしてその野を廻り焼く。ここに脱出する所を知らざる間(あいだ)に、鼠の来りて云う。「内は富良富良(ほらほら)。外は須夫須夫(すふすふ)。」と。この言を如し(なるほど)となすゆえに、その処を踏みたれば、落ち隠れ入る間に、火は焼き過ぎる。しかれば、その鼠、その鳴鏑を咥え持ち、出で来て奉るなり。その矢羽は、その鼠の子らが、皆喫いちぎるなり。
於是其妻須世理毘賣者。持喪具而哭來。其父大神者。思已死訖。出立其野。爾持其矢以奉之時。率入家而。喚入八田間大室而。令取其頭之虱。故爾見其頭者。呉公多在。 於是其妻。以牟久木實與赤土。授其夫。 故咋破其木實。含赤土。唾出者。其大神。 以爲咋破呉公唾出上而。於心思愛而寢。
ここに、その妻須勢理毘賣は、喪の具(そなえ)を持ちて泣き来たる。その父なる大神は、すでに死に終れりと思(おぼ)しめされて、その野に出で立ちなさる。しかれば、その矢を持ち以て奉りし時、家に率き入れて、八〔田間〕の大室(おおむろ)に喚び入れて、その頭の虱(しらみ)を取らしむ。ゆえにその頭を見れば、呉公(むかで)の多(さわ)に在り。ここにその妻は、牟久木の実と赤土を以て、その夫に授く。されば、その奇の実を食い破り、赤土を含み、唾(つば)き出せば、その大神は、以て「呉公を食い破り唾き出すなり」と為られて、心に愛しと思しめされて、寝に入られる。
爾握其神之髮。其室毎椽結著而。五百引石。取塞其室戸。負其妻須世理毘賣。即取持其大神之生大刀與生弓矢。 及其天詔琴而。逃出之時。其天詔琴拂樹而。地動鳴。故其所寢大神。聞驚而。引 仆其室。然解結椽髮之間。遠逃。
しかれば、その神の髪を握り、その室の(四方の)椽ごとに結い著けて、五百(人)引きなる石を取りて、その室戸を塞ぐ。その妻須勢理毘賣を負い、すなわち、その大神の生太刀と生弓矢及びその天の詔琴を取り持ちて、逃げ出す時、その天の詔琴、樹を払いて、地をどよめかして鳴く。さればその寝られし大神、聞き驚きて、その室を引き倒す。しかり、椽に結ばれし髪を解かれる間に、遠く逃げる。
故爾追至黄泉比良坂遙望呼。謂大穴牟遲神日。其汝所持之生大刀、生弓矢以而。汝庶兄弟者追伏坂之御尾。亦追撥河之瀬而。意禮【二字以音】爲大國主神亦爲宇都志國玉神而。其我之女爲須世理毘賣。爲嫡妻而。於宇迦能山【三字以音巳】之山本。於底津石根。宮柱布刀斯理【此四字以音】於高天原氷椽多迦斯理【此四字以音】而居。是奴也。
しかれば、追い、黄泉(よみ)の比良坂に至り、大穴牟遅神を遙かに望み呼び謂いて、「その汝の持ちし生太刀と生弓矢を以て、汝の庶兄弟をば、坂の御尾にて追い伏せ、また河の瀬に追い撥らいて、意礼(おれ)を大國主の神と為し、また宇都志國玉の神と為して、その我が娘たる須世理毘賣を嫡妻と為して、宇迦能(うかの)山の山本に、底津石根に宮柱布刀斯理(ふとしり)、高天原に氷椽(ひぎ)多迦斯理(たかしり)て居ませ。」と曰(のたま)われた。是奴也。
故持其大刀、弓。追避其八十神之時。毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作國也。 
されば、その大刀と弓矢を持ち、その八十神たちを追い避けし時、坂の御尾ごとに追い伏せ、河瀬ごとに追い撥らいて、始めて国を作られし也。 
故其八上比賣者如先期美刀阿多波志都【此七字以音】故其八上比賣者雖率來。 畏其嫡妻須世理毘賣而。其所生子者 刺狹木俣而返。故名其子云木俣神亦 名謂御井神也。
されば、その八上比賣は、先だちて期せる如く、美刀阿多波志都(みとあたはしつ)ゆえに、その八上比賣は、率い来たるといえども、その嫡妻須世理毘賣を畏れて、その生せし子は、狭き木の俣に刺して(里に)返す。されば、その子を名づけて「木の俣の神」という。またの名を「御井神」と謂うなり。

穴ぼこ王子。1度目の死と復活

転がり落ちてきた熱い石球を抱き止め、押し潰されて焼け死んだオオナナムチは、アカガイとハマグリの献身的なエステ治療を受けて、玉のように美しい青年になって活き返った。 (7)備考2
このくだりは既に拾い読みしていますが、今、「同積変形」を最大の決め手と見る傾向を強めているところで、あらためて振り返ります。

八十神博士、ついに本性を現わす。

八上比賣の裏切りにあって、カンカンに怒った八十神博士とショッカーたちは、ついに本性=楔(くさび)形を現した。憎き恋敵穴ぼこ王子を凹まし滅ぼすことを共議し、ひとつの円に「同積変形」した末に、カンカンに熾った火の球になって、斜面を転け落ちていった。

このように、ことの成行きを極端に情念化して見るのも、事件の真相を解明するためには、止むをえないことです。ただこうしたときには、刃傷沙汰の修羅場には似つかわしくない、円という〔かたち〕の本質を探り知る研究行為という側面が強く現れるので、
この球体が転げてゆく斜面と、ライプニッツの円周上の1点に接する線を比べて、どこが違うのか?意味は同じではないのか。あるいは、
転がる球体を待ち捕らえたオオアナムチと、ライプニッツの接線を受け止める y軸 を比べて、どこが違うのか?意味は同じではないのか。

つぎに、オオアナムチの死後に実施された起死回生医療の件ですが、
なにせ大やけどを負って死んだので、皮膚形成外科的な治療が優先されます。その担当者として、海底に棲む貝類が選ばれたのは、真珠母貝が、侵入した異物を核にして、玉を作り成すような自然治癒力が評価されたからでしょう。(実際、patient は丸石を抱いて死んでいるところです。)
しかし、そうであれば、真珠母貝として実績のあるアワビやアコヤ貝が選ばれてしかるべきところ、選りに選って神産巣日之命が選んだ貝は、アカガイとハマグリ。真珠作用はどうしたのかと首をかしげますが、「塗る母乳汁」の主成分が炭酸カルシウムであることに変わりはないのです。ただし今回は、「同積変形」を伴った皮膚形成治療が予定されていたことに思いを致せば、アカガイとハマグリが選ばれたわけも納得できます。

かくしてオオアナムチは麗しく復活したので、天然パールの美肌に目を奪われがちなところ、円の本質を探り知る行為の結末として見るならば、なによりも 出力 output の美しさが問われます。これについては「遊行を出す」というのみで、「遊行」の詳しい内容は不明です。しかし、先は長いので焦ることもない。根がヘッポコ野郎のオオアナムチ(大穴牟遅)のことだから、シャボン玉のようにふらふらと出ていったのでしょう。

 

穴ぼこ王子。2度目の死と復活

穴ぼこ王子が生き返ったのを見た八十神たちは、大樹の幹にくさびを打ちこんで、裂け目にオオアナムチを入れて、くさびを抜いたので、彼の身体は(生木に挟まれて)ペシャンコになってしまった。

八十神博士、またも本性を現わす。

 木割矢(茹矢)

穴ぼこ王子が生き返ったのを見た八十神博士とショッカーたちは、またも楔(くさび)形の本性を現した。まず斧になって大樹を切り倒し、つぎに木割矢になり、その丸太をまっ二つに裂き開いて、穴ぼこ王子を板ばさみにして圧殺した。

ことの成行きをこのように情念化して見たとき、八十神たちが材料にした丸太に年輪が刻まれていることも見逃せないところで、これによって、八十神たちが信奉している距離観念の特徴が明らかになっていはしないか。
丸太の木口を眺めたとき、真ん中の1点を中心に多数の円が重なっているのは、本性が楔形で1点に集まりやすい八十神たちにとっては、「我が意を得たり」と言うところではないかと思いますが、もっと広い目でみるなら、池に落とした小石の波紋が同心円を描いて広がってゆく一瞬を凍らせたかのようです。したがって、
 中心点から見て、距離を同じくするすべての点は、1個の円周にある。
八十神たちは、このような距離観念を信奉していたといえます。また、このような距離観念が空間世界を支配していたといえます。
ところが、こうして八十神たちの距離観念を象徴していた丸太に、その空間世界を引き裂くような楔が打ち込まれた!

 
 

俄かに作られた僅かな隙間とはいえ、ここにひとつの空間が存在している。
 ある直線から見て、距離を同じくするすべての点は、1個の平行線上にある。
同心円的な距離空間とはまったく異質の歪(いびつ)な空間です。しかし、穴ぼこ王子オオアナムチにとっては、「我が意を得たり」と言うところなので、無理強いされずとも、心が吸い込まれるように、この隙間に入ったかもしれない。
それで苛酷な板挟みにあって、押し殺され、極限にまで凹まされて、ペラペラの平面にされても、木の功徳というかラッキーなことがあった。柾目のことですが、
 中芯線から見て、距離を同じくするすべての点は、1個の平行線上にある。
年輪とは言わないけれども、これも1年を単位とする距離空間に相違ない。

球からパラボラに変身する。

私のように、オオアナムチが球の姿になっていたとするならば、ここでおこなわれた実験は、球体とそれを包含する円柱の体積比を平面的に表示することだったと考えられます。この場合、円柱は、何百年と生きてきた大木の幹だけに、何百本という年輪が通っています。願わくばこれが円筒(円柱)座標として活用され、引き続き縦断面には柾目の平面直交座標が成立していたとしたいものです。
それで、押し潰されてペシャンコになったオオナムチの姿は、右図のように描いておけば間違いないと思います。もちろんこの姿は、球の体積の公式

  4
 ━ ΠR3  に相当する球の体積率表示です。
  3

.
上からいくら凹ましても、穴ぼこ王子は滅びないので、八十神たちは、横合いから取り囲むようにして、距離の矢をいくつも刺し向けて、ジリジリと迫ってきました。このとき木の国の大屋毘古の神のみもとに庇護されていたオオナムチは、木の俣(4直角の中心)から漏れ逃げたといいます。

八十神博士、またも本性を現わし、距離の矢を刺し向ける。

   

この世に居場所を無くしたオオナムチは、須佐能男の命のおられる、根の国に向った。

(若いうちだよ きたえておこう いまにおまえの 時代がくるぞ)

大穴牟遅神と八十神たちとの抗争に、こういう数学的な背景があったとは知らなかった。

 

方田的空間秩序をめざして

ときに、このカテゴリーをトップに上げました。これに伴って背景の地図も消したのですが、色を薄くして復活させました。おまけに、
「歩(ホ)は、距離と面積のベクトル単位になります。」という。
かりに歩がベクトルだとしても、ベクトルの大きさはスカラー値で示されるので、「ベクトル単位」という表現は怪しいと思いつつ、なおもそうしたのは、ベクトル値の大きさをスカラー単位で数えるような感覚もかなり怪しいと思い直したからです。
ベクトル(矢)の移動が、ある距離を喩えることには、4つの意味が考えられます。
1.真直ぐに結ぶ。2.間断無く結ぶ。3.迅速に結ぶ。4.ベクトルと見られる。
一言でいえば"遠距離愛"です。戀の矢が、射た時と同じ速さで、遠くにいる相方の胸にグサッと刺さるようなものです。その衝動の連続を距離というとき、ベクトルと見られるものの数をそのベクトル単位で数えたいという要望は至極ごもっともです。
そんなご要望にお応えして、歩は、ベクトル単位であったというわけです。
キューピッド(cupid)。長さの単位であるキュービット(cubit)との混同に注意
空を飛ぶ矢は、風と重さの力で、へし折られてしまうけれども、"遠距離愛"の邪魔をする人はべつにいないので、ベクトル単位として歩があったとき、距離の矢たちが地上すれすれのところをビュンビュン飛び交っていた様子が偲ばれますが、そういう抵抗の無い平穏な空間が、国々が、早くから作られていなければならない。

古事記の拾い読みが進んで、大穴牟遅神すなわち大国主神が「始めて国を作る」ところに来ていますが、その様子はどんなかというと、「其の大刀を持ち、其の八十神を追い避し時、坂の御尾毎に追い伏せ、河の瀬毎に追い撥った」とあります。
故持其大刀。追避其八十神之時。毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作國也 
これはしかし、先師、須佐能男大神が命じたとおりに行なったまでのことですが、
其汝所持之生大刀生弓矢以而。汝庶兄弟者追伏坂之御尾。亦追撥河之瀬而
つまり、"遠距離愛"の邪魔をするやつは山河の境涯に追い払えという。くせの悪い八十神たちを僻地に隔離して、抵抗の無い平穏な空間をひろく確保したわけです。なお、生大刀生弓矢は、須世理毘賣を連れて夜逃げしたときに、天詔琴(あめのみことのりこと)とともに盗んで来たものです。
負其妻須世理毘賣。即取持其大神之生大刀生弓矢。及其天詔琴而。逃出之
で、これらの品々が国作りの何を喩えているのか? 生太刀の直線形。弓と矢の直交。琴における弦の平行。さらに3者の〔かたち〕の響き合いを見て言うとすれば、
(1)ある地点から四方に矢が射られて、(2)垂直(十)に交わる2つの方向軸線が成立する。(3)2つの方向軸に対して、平行線(経・緯)が多く(沢山)描かれる。
八十神さんたちに対して、この構図は、「十は1つで沢山だ。」と言って決別しているようなものだと思いますが、生太刀生弓矢には、もう一働きしてもらいます。
(4)平行線(経・緯)上に長さがある。大刀の長さ(スカラー)を単位にして数える。
(5)平行線(経-経・緯-緯)間に距離がある。の長さ(ベクトル)を単位に数える
(6)平行線(経と緯)に囲まれて面積がある。弓矢の面(ベクトル)を単位に数える

  

   平行線の間に存在する距離のことを、「さ」というとき、
   面積とは、一定のさに、さを、乗せたものになる。

よって、国作りの基本であるこの測地システムのすべてが須佐能男先生の考案になるものです。ただ須佐能男大神が出雲に王居していたときには、地に下ろすことが(なぜか?)出来なかったので、いまだ駆け出しの若造に助けを求めて、実用化プロジェクトの経営権を譲渡する羽目になった。情けないといえば情けない話ですが、裏を返せば、大穴牟遅神こそ、大神のプランを現実化する性能を完備した、偉大なる神様であったということになります。
しかしこのとき、「大国主神の人間性が素晴らしかった」と言えばそれまでです。ここはなんとしても、「大穴牟遅神の物性が素晴らしかった」と言って賞賛すべきところなので、それからして、「オオアナムチ開発の苦労話は『プロジェクトX』で語ればよかろうたい!」というふうに話を進めたいものです。(地上の星;中島みゆき)

 風の中のすばる 砂の中の銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく

大穴牟遅神。「大いなる穴ぼこ」という精神。永遠に凹み続ける凹み(へこみ)。
オオアナムチ。これは、移動するベクトル(矢)に無抵抗なところにかけて、今でいえば「常温超伝導をついに実現した」に等しい素晴らしい素材であったといえます。
それからして、古事記といえども、開発者たちの苦労話をしっかり語り伝えています。いずれにせよ、大穴牟遅の神の名にかけて、凹みの研究は重要だということです。

 あゆみ(歩)