以来、小さな善意は更に日本全国に広まり、銀行・ホテル・病院・居酒屋・コンビニエンスストア
ソバ屋・商店・個人と多くの場所に募金箱が設置され、たくさんの浄財をお預かりし様々な福祉事業
に使われています。
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募金箱の名称は「この募金箱によって手足の不自由な子どもたちが歩めるように」との思いを込めて
『あゆみの箱』に決定したことも発表し、併せてその字体を公募しました。
昭和40年春、伴淳三郎さんと森繁久彌さんはフジテレビの「小川宏ショウ」に出演し、募金が700
万円になったこと、その募金で歩行器を購入し、全国120箇所の施設に寄付することを発表しました。
募金箱の名前は「あゆみの箱」
その結果、全国の応募の中から選ばれたのが今の字体です。
この字は大分県別府市の県立養護学校整肢園校舎に在校していた、当時小学校4年生の池田恵子ちゃんが
クレヨンで描いた大変に力強い字体です。
そして・・・
正式に社団法人としての認可が下りたのは、昭和41年12月23日です。
募金活動のはじまり
昭和38年当時、ワクチンの不足から全国的に小児麻痺が大流行した頃、映画監督の川島雄三さんが
小児麻痺の後遺症で急逝されました。
川島監督と親交のあった俳優の故・伴淳三郎さんは、川島監督に教えられていた青森県にある心身
障害児施設を訪ねました。
そこで伴さんの目に映ったのは、小児麻痺に苦しむ子どもたちの姿でした。
伴さんは「小児麻痺に苦しむ子どもたちに光をあててあげよう」と川島監督の墓前で誓いを立てた
のです。
同じ頃、家族で募金活動を続けている俳優がいました。森繁久彌さんです。
同じ仕事先で話し合った二人は意気投合し、手を取り合って奉仕活動を始めることになりました。
早速、大道具さんに撮影現場の残り木で募金箱を作ってもらい、役者仲間と劇場や街頭で募金を呼
びかけたのが「はじまり」です。