被災地行状報告書

平成23年7月19日事務局長 市川 顯

 平成23年7月16日(土曜日)早朝、6時04分の東北新幹線やまびこ271号で、宝井駿之介理事と

市川顯事務局長の2名で岩手県山田町へと向かった。JR東日本の東北地方振興キャンペーンの影響で、指定

席は入手不能、自由席で、一関までは立ち通しの強行軍となった。

 9時15分、新花巻で新幹線を下車し、JR釜石線に乗り換えて釜石を目指す。釜石線の車中から見る風景

は、震災を思わせるものは何一つなく、遠野のせり出すような山々と深い緑の中をのどかに走り続けた。

 11時04分、電車の終点地、釜石に到着する。ここから先は車でなければ移動が出来ない。

しかも、レンタカーの釜石営業所は津波で流されてしまったため、タクシーしか手段はない。

タクシー乗り場に向かう途中で視野に飛び込んできたのは

ゴミの山。駅前の新日鉄釜石の駐車場に積み上げられた

瓦礫の山(写真 右)だった。

 市内の商店街は、津波の被害で、もぬけの殻になって

いた。潰された家屋の上に乗用車が乗ったままになって

いる空地もあった。商店の外観を見ながら何事かを話し

合っている人、店舗の中を片付けている人、自転車で通

る人、わずか数人しか見かけることはできない。

 市内の信号機は復旧が遅れていて、警察官が手信号で

交通整理をしていた。

 市街地を抜けると、道路に並行して土手が

続いている。それが流失したJR線(写真 左)

だと運転手に聞かされ唖然とした。削られて

低くなっているかと思うと、土手が粘土のよう

に曲げられている。レールは、流されたのか、

片づけられたのか、痕跡がなかった。

それからの50分間、山田町の施設に着くまでは、メディア報道で見た景色が延々とつづいた。

 釜石市から山田町に向かうには、大槌町を通る。

大槌町は、津波による火災が発生した町で、山の

緑の中に、焼き焦げた樹木がはっきりと見えた。
             (写真 右)

  大槌町と山田町の境も判らないまま、車は災害現場の真中を通って走る。この道路だけ見れば、復旧

が進んでいると勘違いしそうになる。この道路は、釜石から大槌、山田を繋ぐ幹線道路として、3月5日

に開通したばかりだったという。この道路がなかったら、今の状態は考えられない、復旧作業はさらに

遅れていたと、運転手が説明してくれた。大槌町から山田町にかけて、幹線道路の両側は、更に被害が大

きく感じられるようになった。

 右の2枚は、津波の高さが良く判るという。

2階建てアパートは屋根まで、5階建ての団地は、

3階までが津波にえぐられたという。

 以前の状態を知らない私たちには、復興の程度

が実感できない。しかし、4ヵ月過ぎてこの程度

の回復は、遅すぎると言えると思う。

 本来、4ヵ月なら、更地に新築物件が出来始め

てもおかしくない。未曾有の天災であったことは

間違いないが、未曾有の人的被害になっているこ

とも事実だと思える。



 右の写真は仮設住宅である。ガードレールの上

に、複数の屋根が見えると思う。安全を優先する

と、こういう立地にならざるを得ないとは思うが

生活物資の調達、通勤、通学、医療等、住み人に

は大変つらい場所に違いない。
 

 そして、ちょうど12時に差し掛かる頃、車は山田町の施設に着いた。小高い丘の中腹にその施設はあ

った。数年前には「陸中海岸ホテル」として営業していたホテルである。

 湾が一望でき、風通しも良く、こういう状況でなければ、快適な居住空間だと思う。庭には、乗用車が

5台程度のスペースが2か所あり、其々に仮設の施設が建てられていた。1つは、入浴に使用する仮設施

設で、もう1つは、建設中だが、入所者を収容する仮設施設にする予定だという。
 
 出迎えてくれた理事長の山崎幸男氏と20分間程度の対談を行った。以下、災害調査書の内容と併せて

対談の内容を箇条に記す。

   名    称 : 社会福祉法人親和会
     
   住    所 : 岩手県下閉伊郡山田町山田1−11−3
     
   主な事業内容 : 障がい者支援施設はまなす学園と障がい者ケアホーム希望を運営

            被災前は、職員30名、 入所者49名、 通所者2名
      
            被災後は、職員21名、 入所者39名、 通所者2名

 (以下、理事長談)

   ・被災後に、職員と入所者の数が減っているが、これは家族とともに他地域へ避難した人がいる
    ためである。津波による人的被害はなかった。

   ・被災前は、山田町船越に4施設を運営していた。津波で全ての施設を流失した。はまなす学園と
    ケアホーム希望が事業を再開できた。

   ・このホテルは数年間閉館していたので、移転当初は電気も水道も通っていなかった。先ず電気を
    通し、水道は5月末にやっと通った。

   ・食料品は全て支援物資で賄っている。

   ・施設の復旧には、早くて3年はかかると考えている。

   ・被災による休業中の手当補償が全くないため、運営が非常に厳しい。

   ・金銭的な支援はこれが初めてであり、一番貴重な支援である。あゆみの箱には本当に感謝している

 対談後、宝井理事と山崎理事長で災害義援金

(\808,074−)の目録の授受が行われた。宝井

理事には初めての仕事であるが、粛々と執り行っていた

だいた。因みに、義援金は先だって金融機関を通じて

振り込まれている。

 その後、食事の提供があり、わたしたちは、「被災地

の支援品による食事」を体験させてもらった。被災以後

食料品は全て支援品である。わたしたちの前に、コッペ

パン、パック牛乳、クノールスープ、が用意された。

お昼はいつもこういう食事だという。夜はおにぎり、お弁当の場合もあるという。もし4ヵ月この食事が

続いたら、栄養の偏りが心配になるだろうと思える。

 職員も理事長も、愚痴をこぼさず復興だけを考えて、じっと耐えている様子がうががえ、金銭面の支援

そして復興への希望と計画性が何よりも必要だと感じた。

12時30分、わたしたちは施設を後にした。  (了)

岩手県山田町 社会福祉法人親和会様からのお便りです。

岩手県 親和会