雨または曇り

梅雨だからしかたがないのだ。

雨天での撮影は気が重い。それがロケだとなおさらです。

機材自体は以前より水や湿気に強くなったと思う。

ストロボ、カメラ接続、PC電源をコードレスにしたためでもある。

それより衣服とバッグまわりがキツイ。

今回の福岡は雨のうえ、ひどく蒸し暑い。

野外への移動も多くてレインウェアを着たり脱いだりの繰り返し。新素材系のTシャツが救いのようなもの。

でも、実は。色的には雨の日は好きなのだ。

いいよね、雨の日。

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海のシリーズはこれでやめます。

そろそろ現実の仕事にもどらねばなりません。

楽しかった海を空想していたいものです。

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今回のカメラバッグは海上ではペリカンケース。

完全防水のたのもしいヤツなのだ。

多少だけど問題もある。

ラフな海だと蓋を開いている間に水がドバァーと入ることになる。とくにカメラを戻す瞬間あたりが危ない。

陸ではDOMKEのF3。ボデイ1台レンズ2本以外に個人の小物が収まって、これひとつでプラプラできるのがうれしい。

090627

海に一人で出るのは怖いものです。

どんなに慣れた場所でも警戒心が湧きます。

漁港を出たら潮が思惑と違うのではなかろうか。岬の先は風向きが変わるのではないか。これより先は天気が急変しても戻れない区域になるだろうか。小さい漁船が全速で戻ることに意味はあるのかもしれない。

取り返しのつかない間違った行動をしてしまったのではないか。

ひとつずつ頭の中でチェックしていく。

ネガティブとポジティブを天秤にかけてそれでも前に進むべきか判断する。

ひとりであることは怖くもあり疑り深く、臆病にもなる。

感覚のセンサーがクルクル回っているわけで。

実はこれが快感であったりもする。

本能をむき出すことは都会の生活では許されないからだろう。

090627

ちょっとモノクロにして見ました。

今回、海の上ではEOS-D30を使っています。このカメラの受光体は最新のRAW現像ソフトでもイメージ通り作り込むのは難儀です。

いっそのことモノクロにして見ました。軟調低コントラスト雑粒子にしました。デジタル写真のモノクロ化は暗室作業の予測できないイレギュラーなオドロキが少なくて残念。

ちなみに下の写真はネガカラーのイメージでその下は紫外線たっぷりな色調を作った。

あまり意味なしですね。

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旗印をあげること。

名乗りを上げ続けること。

20何年か前に独立した。仕事のあてはなく、食えなくてアシスタントをしていた。

意識はプロカメラマンでありたいと思い毎日はすぎた。

最初の「カメラマンの雨宮です」のひとことは相当に恥ずかしかった。

あい変らず仕事のない年月がつづいた。

写真をとる作業は自分と他者との関係で成り立っている。たとえ風景や静物を撮るにしたって社会の中の僕が撮るのだ。

時間は自然に過ぎて物事は過去になり忘れ去られる。写真は残酷で強引な手段でもある。

こんなことをしてしまった僕がどこの誰かくらい名乗りをあげたっていい。

090625

少々更新が滞りました。

今週はお休みをしておりました。

ライターの名刺の続きです。

結局、僕の10年分の蓄積では2名の方が「ライター」という肩書でした。

2人とも僕と同年輩でまあベテランといえるでしょうか。

Tさんは女性で結婚後ライター業を始めた方です。一度も出版編集の会社に属さず生粋のライターを続けています。

Wさんはすごく多才。ラジオ番組のデレクターもやれば座談会の司会もする。かなり知的水準の高い方です。

自分のなかでライターであることの意味。

ものごとをライター的に組み立てていく。

かなり確信的なひとが肩書きに「ライター」とだけ書くのだろう。

写真は珠洲市狼煙付近。

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ときどき現れる妙な感覚があって。

地方都市のビジネスホテルで朝に目覚めるとやってくる。

「飛行機に乗ってあまり知らない都市にやってきてこうしてホテルなんかに泊まっているけどこれは大変なエネルギーとお金を消費しているわけで誰が決断したかは知らないが僕という個人にそれを上回る何かを感じたに違いなくてそんな価値が僕にあるとは思えないのでこれが最後の地方ロケになるかもしれないがとりあえずこんなところに来てしまった。」

という浮遊した感覚でそれを写真で表すと左のようになります。

言葉は苦手だ。

福岡です。

090609

積もり積もった名刺の整理。

気がついたことがある。

ライターのひとの名刺には肩書きが不明確なのだ。

名刺の蓄積は10年分あって「ライター」とだけ書かれた名刺は1枚だけ。

多いのが肩書き無しのいきなりお名前。次に「編集・ライター」。自分の屋号のみ。「編集」。「エディター」など。

希少だけど「フリー記者」「ジャーナリスト」「文筆家」「文」もあった。

そして名刺の紙やデザインには凝る。

現場では自分からライターと名乗るし皆もライターと呼ぶから揺るぎのない職種なのだが。

もしかしたら「ライター」と呼ばれたくないのか「ライター」でいたくないのだろうか。

いずれにしても誰だか解らない名刺が多数あって多くは女性の名前なので少し考える。

ついでに自分の名刺も刷った。左はその残骸。

090605

晴れた。

なぞなぞです。「雨が続くと干されちゃって、部屋の中で傘さしてピカピカする人だーれ?」

自然光で撮る仕事を抱えていて本日ようやく撮影。

待つこと5日間。みなさんお待たせしました。さあ写真を撮りますよ。

レトリックです、レトリックを操ることにあこがれます。

プレゼンテーションなどで。

「ただ、自然光で白い紙にモノ置いて上から撮った写真がいいと思う」

こういうの皆が納得するように人前で発言できるようになりたい。

090602

枯れてもいないし同調もしない。

食べなくてはいけない。

ちゃんと食べなくてまともな写真が撮れるか。

ともすると野菜中心の虫みたいな食事になりがちだ。

今週は一人で食事をすることになった。

一人だと当たり前だけど一人分の食事量が明確にわかる。

そこで今日はがんばって食べた。

スーパーレアなステーキが450g。新ジャガイモと新たまねぎ、アスパラ、エリンギ、人参、にんにくも一房入れた、のオーブン焼き。レタスとバジルのサラダ。ショートパスタ80g。いつもより上物の赤ワイン1本。

090528

アリ地獄に落ちる悪夢で目覚める。

朝5時半起きの効果は薄れ、税務署からは申告の不備を指摘され、サイフには現金230円しかない。

せめておいしいお昼ごはんでも作ろうとカルボナーラの仕度を始めたところでゴミの収集車がやってきてしまった。

すべてがやけくそになり新たなレシピをあみだした。

1)皿に茹で上がったパスタを盛る。

2)小さなボールに生卵とオリーブオイル大匙3、市販のマヨネーズ大匙2程度を入れてフォークで攪拌。滑らかなクリーム状になったところでパスタにかける。

3)削ぎ切りにしたハムとパセリなど思いついたトッピングをして黒胡椒を引いて塩をふって食べる。

30秒で作る最速ソースだけど今日のわが身には驚くほどおいしく感じた。

090522

RAW現像ソフトについて思うに。

今は5種類の現像ソフトを使っている。

それぞれに特徴があって仕事の内容によって使い分けている。

日本的な感性を持つ女性を撮るときにはシルキーピックスを使った。

肌の色だけではなくてシーンの空間もやわらかな仕上がりに作り込んだ。

昨日に入稿した仕事ではCapture one proだった。イメージがヨーロッパの画家のアトリエだった。

今日の撮影ではDPP。商品の正確な色再生が欲しかった。

こんな使い分けは確かに正しい使い方だろう。

最近、1つの現像ソフトに絞ったほうが良い気がしてきた。

自分の色調を持つことの大事さがある。

僕はフリーでやっている。

写真を自分の色に落し込んでいかないと長続きしないのではなかろうか。
090518

5時半起き。

ついに追い詰められた。

普通にこなしていては到底終わらない。

そこで。

連日、朝5時半から仕事を始めるに至った。

朝の3時間。この時間でその日の仕事量が決まる。

8時半からは普段と同じ生活が始まる。

なぜか追い詰められていても気持ちが良い時間になった。

体調は悪い。

前の晩、早く寝るわけでもないし酒も残っているのだ。

PCのファンの音。鳥の声。配達のバイクの音。

あのいまいましい電話からの解放がとてもうれしい。

090515

ひとつのシーンに想うものは人それぞれ違うのだ。

窓から入る光と影。その空間的な広がりと空気の流れ。編集長のYさんとADのMさんはそんな感銘を受けた。

被写体自体のボリューム。質感であったり色の深みなどで自身が発する存在感。僕はそんな表現をしたかった。

写真表現でこの違いはハイライトの範囲をどこの位置で収めるかにある。

白場(紙色を見せる)の作り方とハイライトのエッジの立て方など。

現在のデジタルカメラではフィルムより広い階調表現ができるようになってしまった。

撮影現場でどちらかを選択しなくてはならないなら今回のように後から問題にならなかったのに。

左の写真は鎌倉。本文とは関係ない。

090510

アンリ・カルティエ=ブレッソン

「写真は、その起源以来、わたしにはどうでもよいと思われる技術的な部分を除いてなにも変わっていない。」

クイックフォクス社版写真集の巻頭のことば。

デジタルだフィルムだのガタガタぬかすな。

写真を撮るという行為、被写体を切り取る作業に何も変わりはない。

ほんのちょっとスタイルが違うだけだ。

「形態は表面をなすものの基である」

ビクトール・ユーゴー

同写真集巻末のことば。

そうだ、スタイルだって大事だ。

左の写真は鎌倉。

090509

普通さ感の危うさ。

一膳の炊きたてのご飯に普通さを感じる。

これは普通さ感のひとつではあるよね。ふっくらと炊き上げたご飯には僕も普通な幸せを感じる。

日本の米は丸くて白くて粘り気もある。ちょっと離れたタイやベトナムでは姿が長くてパッサリ炊き上がるインディカ種が米だ。

これも僕は好きだ。カレーやリゾット、フライにサラダ。長米はおいしい。

意識の中では日本の炊きたてご飯とは全く別の食べ物だ。

普通さ感を目指す写真は見る側との関係にまかせられる。

僕の普通はあなたの普通とは必ずしもかぎらない。

090506

リアリズムは終わった。

僕の中ではだけどね。

普通さ感のある写真を撮りたいと願っている。

モノを撮るカメラマンとしてリアリズムは魅惑的で説得力があった。

それがあまりに研ぎ澄まされるとある位置から人の持つ気持ちから離れてしまう。

もっと普通でいい。

この普通感の説明はちょっとやっかいだ。

触ったことがある、味わったことがある、感じたことがある。

着慣れた衣類の感覚。サイズでも色でもなくて皮膚を通した感覚がある。

写真だってそんな感じかたをしてもいい。

090505

急な撮影依頼が入りスタジオ。

このGWは買い込んだ本でもながめて心穏やかに色の探求をしようとしていたが仕事。

モノは仏像。

運悪く、このとき読んでいたのが土門拳関係の書籍。

影響されやすいので土門仏像が残像として残る。

土門拳なら、まずじっくり拝んでからやおら行動。すっげーライティングして、こーんな風に撮って。もうしびれるぜ。

撮影進まず。

本日は仕切りなおして全て再撮。

しばらく忘れていたが僕は土門拳を避けていた。

僕が物心ついたころはベトナム戦争も社会闘争も終結していた。

世の中が一段落した気分だったせいか。

絶対非作為完全非演出の土門リアリズムには少年ながら虚しさを感じた。

土門拳後半生の大型カメラを使った写真も大層な仰々しさを覚えただけだった。

なのに、いい年のオッサンになった今、土門拳の写真を見ると素直に感動してしまった。

(文中敬称略)

090504

スタジオ撮影の現場ではコーヒーが飲みたくなる。

コーヒーの設備が無い場合は自前で8CUP用のエスプレッソメーカーを持参することもある。モカのオーブントップで誰もが見たことがあると思うがその薄らでかいモデルだ。

これがどうもみなさんに不評なようで。それでも僕は満足しているのだが。

そこで、他人は放っておいて自分の分だけコーヒーを淹れようと決意した。

左はベトナムハウスで買ったコーヒー淹れ器。缶からっぽいベラベラのアルミの質感が気分だ。すごく安価で外見よりずっとおいしいコーヒーができる。

飲みたいかい。でも残念だね、一人用なんだ。

090502

何件か古本屋を回り数冊の写真集や画集を買う。

このところ自分の写真に悩む。

真理、もしくはヒントは森羅万象にかくされている。

などいっても手っ取り早く印刷物に頼る。

僕の場合、オリジナルプリントにはこだわらない。

これから作る成果品じたいが商業印刷なのだ。

ひとつのトーン、ひとつ視点を見つけるだけのために選ぶ。

本のタイトルは美の追求も社会告発も混じってしまっている。

左の写真は昨日の朝食。ジャンルー・シーフ調に作ってみました。

090501

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