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| 一週間日本縦断 (2) Running through Japan in only 1 week (2) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【第五日】 能代→深浦(秋田県)→青森(青森県)→函館(北海道)
これから乗る五能線は、青森の五所川原と、能代を結んでいることからそう呼ばれる。そしてこの路線は大部分を日本海に沿って走るため、その景色のよさでも有名で、海を見るためにわざわざ車両を大きな窓に改造した特別列車も走っている。 私が五能線に乗るのは10数年振りのことだ。 以前この線に乗ったとき、景色はもちろんのことだけれども、途中の深浦という駅の売店で買った鮭のおにぎりが妙に美味かったことが、なぜか印象に残っていた。考えてみれば米どころの秋田県の中で、かつ魚が獲れる地域で作られたものなのだから、当然といえば当然なのだが。 今回の訪問で私はその味を再確認するため(…)深浦で途中下車した。 だが、駅構内にあったはずの売店はなくなっていた。しかし他におにぎりを売っている店はないか探すうち、幸い駅のそばにあるよろず屋で、鮭とスジコのおにぎりを見つけることができた。Made in 弘前と書いてあるので、純粋な地元産ではなかった。もっとも、以前食べたおにぎりも厳密にどこで作られたものだか覚えているわけではない。 1個ずつ買って、食べてみる。体調が悪く食欲がほとんどなかったけれども、それでも美味く感じた。東京のコンビニで売っている高級おにぎりより美味かった。やはり大したものである(…何が?)。 さて、深浦は五能線沿線の町の中では大きな部類に属するけれども、海以外にめぼしい観光地は特にない。とりあえず駅前の海岸に出てみる。海の色が昨日の新潟とは、また少し違っている。基本的に淡いのは同じだけれど、ブルーではなくて灰色っぽい。もっとも、それは今日の曇りがちな天気のせいかもしれないし、昨日この地域で降ったという大雨のせいもあるのだろう。
いつの間にかテーブルの上は食べ物でいっぱいになる。 一人の女性がそれを見て言った。 「焼きイカ捨てちゃおうか?東京まで持って帰るのいやだわ」 実はイカが好物の私としては「捨てるくらいだったら残りは全部俺にくれ」と言いたいところだったが、俺のデイパックの中にも深浦のよろず屋で買ったサキイカが入っていたので、焼きイカには申し訳ないが黙っていた。
そしていよいよ青函トンネルを抜けて函館へ。 夕暮れ時ということもあったのかもしれないけれども、ひんやりとした空気に北海道に来たことを感じる。今日はここまで。ホテルにチェックインし、疲労がたまっていたので早々に床につくと、電気をつけたまま寝てしまった。 【第六日】 函館→銭函→南稚内 一晩ゆっくり寝たおかげで、体調はほぼ回復した。やはり旅の途中で休息を入れることは重要だ。次回、このような旅をするときの参考としたい(…するのか?)。 ところで私は北海道に来るたびに感じることがある。それは北海道の、観光地としての完成度の高さである。何っつーか、観光地の整備のされかた(たとえば観光スポットを、むりやり町おこし的に作り上げましたという感じを出さずに、いかにも由緒ありげに見せるところなど)や、店で売られているお土産のラインアップなどが、本州の観光地よりも旅行者のツボを押さえているような気がするのだ。よく言えば、心置きなく旅ができる。しかし悪く言えば、抜け目のなさを感じる。
まず、昨日函館駅に降りた瞬間感じたのだが、まるで空港のような雰囲気の駅舎には驚かされた。今年の6月に竣工したばかりだという。おそらく長距離旅行客の利用を第一に考えて設計されたのだろう。しかしそこからは生活感はあまり感じられない。ちょっと意味合いは違うが、名物のひとつである朝市も、そうだ。一見旅情をそそる生活感を醸し出しているけれども、よく見れば客の多くは私のような一見の旅行者だし、売られているものも北海道限定ポッキーや漬物・干物など、わざわざ朝から売る必要ねえだろ的なものが結構ある。 そんなひねくれた思いで朝市を見てから、どこか博物館や資料館のような場所にでも行ってみようかと思い、ガイドマップを広げた。 やはりこの旅の主旨を考えて海がらみの所に行こうか…青森で八甲田丸を見たので、そのRepriseとして函館で同じように保存されている摩周丸でも見ようかとガイドマップをチェックするうち、ひとつの記念館の名前が目に止まった。 『北島三郎記念館』。 私がこの手の記念館で過去に唯一訪ねたことがあるのは沖縄・石垣島にあるボクシング元世界チャンピオンの『具志堅用高記念館』だ。具志堅記念館は石垣島自体にそのような観光施設が他にあまりなく、入場料も300円だったので、行くことに特に迷いはなかった。しかし函館には博物館や資料館などの施設は数多い。しかも北島記念館の入場料は1,500円だ。「費用対効果」の言葉が脳裏をよぎる。 だが私は北島記念館の文字を目にした瞬間から、その存在が気になって仕方なかった。別に私は特に北島三郎が好きだというわけではないのに。けれども、これだけの入場料を徴収するには、おそらく何かそれだけの意義があるのではなかろうか。多分。いや、きっと。 私は少々悩んだ挙句、行かずに後悔するより行って後悔した方がいいやと思い、足を運ぶことにした。 営業時間は午前9時からとなっていたけれども、現地に着いたのは9時前だった。だがこの日も昼前の列車で函館を発つ予定で時間に余裕がなかったので、入り口で「もう入ってもいいですか?」と断り、無理を言って9時少し前に入れてもらった。ひょっとしたら熱烈な北島三郎ファンかと思われたかもしれない。 館内に入ると、女性のガイドさんが付いて案内してくれる。なるほど、これならとりあえず1,500円である。まあマイペースで見ようとする人にはうっとうしいだけかもしれないが。 私にとって最近の北島三郎は紅白歌合戦のイメージが強いので、そのことをガイドさんに話すと 「そうですね…紅白ではトリをとることが多いですから。でも去年のトリはなぜか五木ひろしで」と、ちょっとくやしそうに言ったのが印象的だった。私にとっては紅組のトリを和田アキ子が務めることの方がよっぽど変に思うのだけれども、ここではどうでもいいことだろう。 館内には「ヒストリー・ゾーン」と言われる、高校時代通学に使っていた列車・駅、そして上京して下積み時代に住んでいた3畳一間の下宿などの再現セット、そして、大がかりなセットの中でライブ映像に合わせて北島三郎のロウ人形が「まつり」を歌う「シアター・ゾーン」などが展示物としてある。
脳内に「まつり」が流れ、サブちゃんに洗脳された状態で函館をあとにする。 長万部で1両編成の小樽行き普通列車に乗り換え。しかし車内はほぼ満員で、しかも乗客の8割くらいは大きな荷物やバックパックを持った旅行者。せっかく北にやってきたのに、何だか暑苦しい。
そして再び列車に乗り、札幌から特急列車で一気に稚内へ。北海道に来て、すすきのに寄らないのは初めてのことだ。そういえば、この旅ではホテルで有料エロチャンネルを今まで一回も見ていない。これもおそらく史上初のことだ。無意識のうちにストイックな旅をやっている。 22時過ぎに今晩の宿の最寄り駅、南稚内に着く。列車を降りると、一段と冷えた空気を肌に感じる。そして、短かくも変化に富んだ今回の旅の終わりも近づいてきていることを意識する。 【第七日】 南稚内→稚内 南稚内駅は稚内市街地の南端部にある。 宗谷本線の終点稚内まではひと駅、4分。まずは一応この区間の列車に乗り、鉄道の旅に終止符を打つ。ここで線路は終わりだ。 さて、この旅の終点はどこにしようか。 稚内には二つの岬がある。一つは有名な日本最北端の宗谷岬。もう一つは宗谷岬の西側にある、ノシャップ岬である。私は以前、どちらの岬にも行ったことがある。しかし宗谷岬は岬というには何となくノッペリしており、周囲もみやげ物屋だらけでスピーカーから「宗谷岬」の歌が延々と流されている、あんまり風情のない所だった。これに対してノシャップ岬の方は、そばに灯台があり、みやげもの屋の数も宗谷岬よりは少ないので、旅情を感じる場所としてはこちらの方がよいと思った。観光パンフレットにもノシャップ岬は「日本海に沈む夕日がきれい」と書かれているから、日本海を望む旅の終点としても妥当だろう。もっとも、今日の午後の飛行機で東京に戻らなければならないため、あいにく日没まではいられないのだが。
寂寥とした道を一人歩くうち、ポツンと建っている食堂の中から、有線放送だろうか、元ちとせが流れているのを耳にする。奄美出身という彼女の歌声が、なぜかここ北の果てにおいて強烈な哀愁を感じさせる。 そして岬に着く。 海は重い鉛色をしている。 寂寞感。 あぁぁ、着いてしまった…これでオシマイだ。特に達成感や喜びはない。当然のことだ。別に苦難・困難を乗り越えてここへ辿りついたわけではないから。 普段の旅行だと、日本行きの飛行機や、いつも利用する電車に乗ったときに生じるこの感覚に、この旅では、ここで襲われる。 もっとも襲われっぱなしでは家へ帰れなくなるので、思考を止めて岬をあとにする。
【エピローグ】 こうして1週間日本縦断の旅は終わった。 「どうだった?」と一言で聞かれれば、「疲れた」としか言いようがないのだが、しかし、いつになく密度の高い旅だったと思う。3,000km近くに及ぶ距離間を日々移動していたため、毎日が変化に富み、モチベーションを維持できていた。もし、もっと時間をかけていたら、もちろん旅そのものをじっくり楽しむことはできただろうが、おそらく途中でだらけていただろう。限られた日程の中で実行したからこそ得られた充実感があったことは確かだ。たまには、こうした旅もおもしろい。
(2003.8) |
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