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初めての海外旅行 My first trip abroad

1. プロローグ

1990年、冬のある日のこと。その年のゴールデンウィークにどこへ行こうか、ふと私は考えていた。

社会人2年目のことだった。

学生時代までは、混雑するこの時期にわざわざ旅行することはなかった。

しかし就職した今、ある程度長期の旅行をするチャンスとしてゴールデンウィークを逃すわけにはいかない。

だが前年はじめてゴールデンウィークに国内旅行をしたとき、どこへ行っても混雑していたことに私はウンザリしていた。

さて、どこに行けばのんびりできるだろうか…。

その時ひらめいた旅行先が、海外だった。

そもそもゴールデンウィークがこの時期に存在しているのは、日本だけだろう。それならば日本以外の場所へ行けば、国内ほど混雑していないはずだ。当然、日本から各国へ行く航空機は混んでいるだろうが、チケットさえ取れて目的地まで行ってしまえば、そこから先は、もうこっちのもんだ。

しかし実は、それまで私の脳内に海外指向は全くなかった。海外に対する憧れや興味そのものがなかったし、学生時代に英語が得意でなかったこともあったし(高校の時にリーダーとグラマーの両方とも10段階評価で『2』の赤点を取って、学校から呼び出しを食らった経験があった)、大体、海外に行く金があったらそれより国内に行きたい場所がまだ多くあった。

しかし今や社会人になったおかげでフトコロには学生時代より若干余裕があるし、英語にしても、俺だって一応は大学も出てるわけだから(入試はマークシートだったけど)トラベル英会話をちょっと勉強すれば、まあ死なない程度には何とかなるだろうし、何より『まったりできそうだ』という点が最大の魅力だった。

つー感じで海外に行くことを決めた。

次は、場所だ。

とりあえず旅行雑誌を買ってくる。

しかし先に書いたように、私はもともと海外に対する憧れというものがほとんどない。だから早い話が、まったりできれば目的地はどこでもよかった。

そんなわけで特に当てもなく、ページをハワイ・アメリカ・ヨーロッパ…とめくっていくうち、1枚の写真が目に止まった。

それは、夕暮れの中でお堀端に止められた1台の自転車を撮ったものだった。

風情が感じられる、いい写真だった。

キャプションを見たところ、タイのチェンマイという町で撮られたものらしい。

タイ。

東南アジアの、どっかにある国だ。

当時の私は、その辺の国々の正確な位置関係を知らなかった。世界地理には全く疎かった。今でも自分の行ったことのない地域の地理はあんまり詳しくないのだが。

そんなことはさておいて、私はその写真を見ながら「タイかー。アジアだし、そんなに遠くないから航空券も安いだろうし、いいかもしれない」と思った。また日本〜バンコク間は多くの航空会社の便があるので、チケットを取るのも比較的簡単そうだ。それにバンコクを最初に押さえておけば、後々バンコクを経由して他の国へ行くときにもいろいろ役立ちそうだし。…いいねぇ。タイ。決定。

今振り返ってみると、雑誌の中のたった1枚の写真が、その後十数回訪れることになるタイ行きを決めたきっかけになったのだった。


2. 旅の準備

さっそく航空券を予約しに旅行会社へ行く。

申し込みのとき、どの航空会社がよいか聞かれる。しかし、どこがよいのかわからない。…というより、当時の私は国内でも飛行機に乗った経験がなかった。

「とりあえず安いのでお願いします」

こう頼んでからしばらくして取れたチケットは、パキスタン航空のものだった。
それを聞いたとき、先進国ではないけれど一応飛行機を飛ばすことができるパキスタンという国の航空会社なんだから別に心配いらないだろうと、自分を納得させた(よく考えてみれば意味不明)。

とにかくチケットは確保できた。あとは、言葉の問題だ。

『六カ国語会話』(JTB)という本を近所の書店で買い、一人旅に必要そうな英短文を一通り勉強する。英語はこれで最低限は何とかなるだろう。

しかしタイ語はどうするか。

タイのどこへ行っても英語が通じるとは思えない。おそらく日本人と同じように、一般的なタイ人だって英語がペラペラ話せることはなかろう。

私の買った『六カ国語会話』は東南アジア編で、英語と共にタイ語や広東語などの旅行会話も掲載されている。例えば日本語で「これは私の注文したものではありません」をタイ語で「ニー マイチャイ コーン ティー チャン サンワイ」と書いてある。だが、おそらくこんな言葉をカタカナ通りに発音したところで、とても通じそうにない。

そこで私は、学生がよく使う単語カードを買い、数字や「トイレはどこ?」などの重要会話をカタカナとタイ文字で書き込んだ。

これで勉強しようというわけではない。いざというときにタイ語で書いたこれらのカードを見せて、意思の疎通を図ろうと考えたのだ(後日、このカードはそれなりに役に立った…というか、タイ人にウケた)。


3. 成田空港へ

1990年4月28日、いよいよ海外デヴューの日がやってきた。今日、私が乗るパキスタン航空PK763便は成田空港16時発のフライトだ。

空港へは出発の2時間前に行けばよいとのことだけれども、やっぱり余裕みなくちゃね…と考えて石橋を叩いた私は、JR成田駅に11時頃に着いていた。

早く来たからと言って成田山新勝寺へ無事祈願のお参りにでも行こうとする余裕など当時の私にあるわけもなく、すぐに駅前からJRバスで空港に向かう。その頃は空港まで鉄道が通じておらず、JRにしても京成電車にしても、途中でバスに乗り換えないと空港まで行けなかった。

空港行きのバスはほぼ満員だった。バスは数十分ほど殺風景な荒地の中を走って、柵に囲まれた空港敷地内に入った。するとパスポートチェックを受けるため、乗客全員バスを降ろされた。

現在でも、成田空港駅の改札を出た辺りで通行者の身分証明書チェックをしている。しかし当時のそれはもっと厳しいもので、渡航先や航空会社までそこで聞かれた。

今思えばうっとうしい限りだけれども、当時の私には、それが旅立ちの前に行われる厳粛な儀式のように思われ、気分が高揚した。かわいいもんであった。

空港に着くと、さっそくフライトを出発予定表(あの黒いパタパタ)でチェックする。しかし私の搭乗予定便が、出てくるはずの時刻になっても現れない。

不安になり、もう一度じっくり探してみる。

すると、目指すPK763便は見つかった。だが行き先は、Bangkokとは書かれていない。『Karachi』と表示されている。

…カラチって何?

世界地理に疎い私が、カラチがパキスタン南部の一都市であることなど知る由がなかった。

それでもバンコク行きのチケットで無事チェックインできたときに、どうやらこの便の最終目的地がカラチという所で、バンコクと、それからフィリピンのマニラが経由地らしいことを察した。

イミグレを通過して、ここは誰私はどこエリアへ入る。いよいよ気分も盛り上がってくる。


4. 初めての飛行機

生まれてはじめての飛行機に乗る。

さあ、出発だ。

アナウンスのあと、動き出した飛行機は滑走路をぐんぐん速度を上げていく。
新幹線より早い。
そりゃーそうだ。
そして、離陸。
飛んだ。
ははは。

飛行機って意外と揺れないもんだと思った。それから離着陸のときには安全ベルトをしっかり締めていないと、座席からずり落ちて、あらぬ方向へ転がっていってしまうほど激しく傾くのではないかと恐れていたけれども、そんなこともなかった。

今思えば何とも恥ずかしい限りだが、これが、私が25歳9ヶ月にして味わった飛行機初体験の印象だった。

やがて機内食が出される。のり巻き数個と小さなパックに入った蕎麦と、若干のおかず(詳細は忘れた)だ。本格的な食事というより、軽食っぽい内容だった。

この食事に対して不平を言う日本人乗客の声がちらほら聞こえてきた。しかし私には比較対照すべき経験がないので何とも言えなかった(一応フォローする意味で書いておくと、後日何回か乗った某米国系航空会社の食事よりはマシだと思う)。


5. フィリピンで起きた小さな事件

3時間ほどでマニラ空港に到着する。

飛行機が地上に触れた瞬間、客席のあちこちから拍手が起こる。着陸するときとは、そんなもんなのかと思う。それがそんなもんでもないと知ったのは、これもまた大分後のことである。

マニラに止まっている間は、マニラ以遠へ行く乗客も空港の搭乗ラウンジで休憩できるという。そこで機内から出て、私にとっての厳密な意味での初めての外国、フィリピン・マニラ空港に降り立つ。

「ここがフィリピンかー」と思って回りを見渡すと、フィリピン人っぽい顔立ちの人が多い。
おぉ、フィリピンだよ…やっぱり。感動。

乗客の中には売店で飲物などを買っている人もいる。けれども私が、このような場合に備えてドルの小銭を持っているわけもない。しかし、せっかくマニラに一歩を記したのだから何かしておきたい。

…ということで小便をする。気分的には犬のマーキングみたいなものか(微妙に違うような気もする)。

ほのかな充実感と共に放尿を終え、手を洗う。

すると絶妙のタイミングで、脇からトイレットペーパーの切れ端が差し出された。私は何気なく、それを受け取り手を拭いた。

その時だった。

「シェンエン…」

の一言と共に、今度は小さな手のひらが差し出された。

私は、手の主を見た。12、3歳の少年だった。そして少年は、もう片方の手に持っていた千円札を私に見せた。

…やられた。

だが私は、如何に対処すべきかとっさに考えねばならなかった。

見たところ少年は、刃物などは持っていないようだ(そりゃーいくら何でも、空港のイミグレ越えた所で、凶器を持った人間がうろついている国はないだろうけど)。

だが紙を受け取ってしまった私にも、責任の一端はある。

そこで私は、
「Sorry, I don't have it」
と言って、代わりに少年に百円玉を渡した。

それは、俺が海外で生まれて初めて話した英語だった(…嗚呼)。

少年は、ちょっと不服そうな表情を見せたけれども、その金を受け取った。

しかし率直なところ、いい教訓だと思った。海外では油断していたら何があるかわからないのだ。私は、その子のことを憎いと思うより、むしろ海外の怖さをチクリと教えてくれた意味で感謝すべきなのかもしれない。考えてみれば被害額も100円で済んでいるわけだし。


6. バンコクをさまよう

そうは言ってもマニラ空港での一件は結構ショックで、私は機内に戻った後もしばらくの間はショボーン状態だった。しかし飛行機は、マニラ空港便所で一人の日本人乗客が100円取られた影響は全くないままに再び飛びたち、数時間してバンコクに着いた。私と共に結構多くの客が降りた。

空港内を流れる空気は、空調が効いていながらもネットリしている。明らかに異国の空気だ。

入国手続きを無事に終え、空港出口に向かう。出迎え・客引き・その他もろもろの正体不明のタイ人の視線が突き刺さる(別に皆が皆、俺のことを注視していたわけではないんだろうけど)。

私は彼らと目を合わせないように気をつけながら、タクシー乗り場を探した。

時刻は午後10時。空港から市内への交通手段はタクシー以外にも路線バスや鉄道などがあるけれども、時間を考えるとタクシーで直接ホテルに向かう方が安全だと思った。

タクシー乗り場はすぐ見つかり、すぐに車に乗ることができた。

この旅のために買った『地球の歩き方』には、「安宿は予約なしでも大丈夫」と書いてあった。そこで今夜は、地理的に便利そうな所にある安宿を調べてアポなしで泊まろうと思っていた。

しかしタクシーの運ちゃんには、バンコクに星の数ほどある安宿の名を言ったところで通じないだろう。
そう考えた私は運転手に、実際に泊まろうとする所ではなくてその近くにある大きいホテルの名を告げた。

その大きなホテルは運ちゃんも知っていた。車は夜のバンコク市内を快調に飛ばしはじめた。

運ちゃんが「タイは初めてか?」「タイの、どのあたりに行くんだ?」等いろいろ話しかけてくる。

答えているうちに、「Five」が「パイヴ」に聞こえたり、「L」と「R」の発音はどっちも「R」になったり…というようなタイ人特有の英語の訛りが、理解できるようになってきた。ここでThai Englishの勉強ができたことは収穫だった。

もっとも私の話す言葉がよく聞き取れないとき、走行中にも関わらず「ああん?」と言いながら運転席から振り返るのは怖かったが。

バンコクの屋台
バンコクの屋台は夜遅くまで開いている所が多い
やがて車は雑然とした街中に入る。都会らしく、薄暗い電球の下で屋台を営む人の姿をあちこちで見かける。

空港から1時間ほどで、車はそこそこ立派なホテルの前に止まった。

「○○ホテルだ。じゃあ、よい旅を」

運ちゃんは私に話しかけ、ドアを開けた。
そして私は車を降りると、そのホテルには向かわず、近くにある安宿を目指した。
しかしその宿はここから少し離れた所にあるようなので、私は細い脇道へ入ろうとした。

暗く怪しげな道路だった。闇の中にたたずんでいた数人の男が、笑いながらタイ語で何か話しかけてきた。

不安になってきた、そのときだった。

後ろでクラクションが鳴った。振り返ると、さっきのタクシーだった。

「お前、どこに行くんだ?」

運ちゃんが疑問に思うのも当然のことだ。私は正直に「このホテルのそばにある、安い宿に泊まるつもりなんだ」と答え、その宿の名前を言った。しかし、やはり彼は知らなかった。

「どこにあるんだ?その宿は」

私は『地球の歩き方』の地図を示した。けれども日本語で書かれているので、彼にはわかるわけがない。

「ここが、これで、それが今いる○○ホテル…」

私が英語で説明するうちに彼も理解してきたらしく、再び私を乗せるとタクシーは走り出した。

しばらくして私が泊まろうとしていた宿が見つかった。

薄暗く古いモルタル造りの建物の中に、その看板が出ていた。『地球の歩き方』ではここを「静かな宿」と紹介している。たしかに、ある意味で静かだ。

しかし運ちゃんは、宿を確認してから表情を曇らせて言った。

「ここは危険だ。泊まらない方がいい。この辺りでは、マフィアが麻薬の取引をしているんだ」

私は最初その言葉を聞いたとき、実際のところ、びびった…わけでもなかった。彼が、安いホテルに泊めるのがいやだから高いホテルに連れていこうとしているんじゃねえのかと思った。

「高いホテルに泊まるにはお金がない。安いところがいいんだ」

たとえ本当にここが危険なところだとしても、それを口実に、高いホテルに連れて行かれることは避けたい。

すると彼は答えた。

「O.K。…しかし、とにかくここはやめとけ。危なすぎる。宿代がいくらだったらいいんだ?」

私が泊まろうとしていた宿は1泊150バーツ(当時のレートでは1バーツ≒6円)と『地球の歩き方』に書いてあった。これに対してバンコクの中級クラスホテルの宿泊料は、だいたい600バーツ以上である。夜も遅くなってからの宿探しなので、安くてそこそこの所は厳しいとしても、あまり妥協したくはない。

「300バーツ程度なら」

私がこう答えると、運ちゃんはしばらく考えてから、「わかった。…しかし300バーツではホテルに泊まるのは難しい。ゲストハウスでよければ、どこか見つけられると思うけど」と言った。

ホテルとゲストハウスにどのような差があるのかわからないけれども、この際、安全に一夜を過ごすことができればどこに泊まろうが私は構わなかった。

私が承諾すると、車は再び深夜の街中を走り出した。

いつのまにか時刻は0時を回っている。日本との時差は2時間あるので、日本時間では午前2時過ぎだ。異国初夜の緊張があるといえども、さすがに少し眠くなってくる。しかし私が眠れる場所は、まだない。

結局、宿代は妥協しないとだめかな…

そう思ううち、車は町の中心部から少し離れだした。

…どこへ行くつもりなんだ?

再び不安になりかけたとき、闇の中に眠る一軒の建物の前にタクシーは止まった。

運ちゃんは黙って車を降りると、電気の消えている建物の扉をガンガンたたいた。

応答はなかった。

彼は、より激しく力をこめて、何度もたたいた。

しばらくして中の電気がつき、『今まで寝ていたぞこの野郎』的表情をあからさまに浮かべた中年夫婦が現れた。

運ちゃんは夫婦としばらくタイ語で会話してから、私を手招きした。

「2階に上がって、部屋の中を見ろ」

彼の言う通り階段を上がると、一つの部屋に通された。

その家は、宿屋だった。ホテルというには設備が質素に見える。これがいわゆるゲストハウスというものなのだろう。
室内は決して豪華とはいえないものの、一応、ふとんや扇風機もあり、掃除も行き届いている。

「O.K。いくらだ」

私は尋ねた。

「……」

私は最初、彼の返事をよく聞き取れなかった。タイ訛りの英語に慣れてきたとはいえ、眠気で集中力が落ちてきたせいがあったのかもしれない。時刻は午前1時を回っていた。日本時間では、草木も眠っている午前3時だ。

「トゥリイ・ハンドレッド・バーツ」

運ちゃんはゆっくり言いながら、私の手のひらにボールペンで「300」と書いた。

私の希望額通りだ。

承諾すると、彼は微笑んで言った。

「ここは安全だ。ほら」

階段を下りた彼が指差した先には、ロビーにあるソファでこの宿の従業員…というか、この家の住人らしき男が数人寝ていた。

初夜の記念写真
これが記念写真。
「たしかに」

私も笑って答えた。

部屋に戻った私はセルフタイマーで海外初夜の記念写真を撮ると、すぐに寝てしまった。


7. 夜が明けて

朝日のまぶしさで目が覚める。

いつまでも部屋の中でまどろんでいても仕方がないので、チェックアウトしようと部屋を出る。

大体この宿がバンコクのどの辺りにあるのか、私は未だわかっていない。

まず場所をチェックしなければ。

部屋を出てロビーに向かうと、出入口のそばに小さな机が一つあり、おばちゃんが座っていた。

「チェックアウトします…あと、ここはどこ?」

おばちゃんは英語をあまり理解できないようだった。

身振り手振りを交えつつ、もう一度聞いてみる。

おばちゃんは地図を取り出し、一つの場所を指さした。しかしそれはバンコクの市内バス路線図だったので、今ひとつピンとこなかった。それでも町の中心部まで行くバスの系統番号をチェックし、メモをした。

外に出て、バス停を探そうと周囲を見回す。

バス停は、あっけなく見つかった。いや、それは単なる停留所ではなく、大きなバスターミナルだった。
『北バスターミナル』と書いてある。

バンコクにはいくつかバスターミナルがある。北バスターミナルは、チェンマイなど北部の都市へ向かうバスの起点だ。

私は昨晩の、タクシーの中での会話を思い出した。

運ちゃんに「タイのどの辺りに行くんだ」と聞かれたとき、「チェンマイ」と答えていたことを。

彼は気を利かせてくれて、チェンマイ行きバスターミナルの近くにある宿に連れていってくれたのだ。

私は彼の心遣いに感謝した。

どんな場所でも、いい人もいれば悪い人もいる。それはたとえ国が違っても、同じことだ。

昨日一日で、そのことを身にしみて教えられた。

そして私は気分よく、バスターミナルへと向かった。

こうして現在まで延々と断続的に続く私の海外旅行人生(と書くと、何だか大げさだが)の、はじめの一歩がスタートしたのだった。

(1990.4)


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