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青年海外協力隊物語 JOCV story

1-1. きっかけ

青年海外協力隊。

何ともいかめしい名前なので、その実態は知らなくとも名前を記憶している人は多いと思う(ちなみに英語ではJapan Overseas Cooperation Volunteers…略して『JOCV』と呼び、なぜか「青年」や「隊」という意味の単語は含まれない)。

私は1999年12月から2年間、青年海外協力隊隊員としてブータンで活動した。

さて、ではなぜ私は青年海外協力隊(以下、協力隊と記す)に参加しようと思ったのか。

その最大の動機は、自分が海外で働いてみてどれだけやれるか試してみたいということだった。

何度も海外旅行をしているうちに観光だけでは物足りなくなってきており、次のステップというものを何となく考えはじめていた。

だが、あいにく私が勤めている会社では海外勤務をする可能性はほとんどなかった。

といって、いきなり海外において裸一貫で働く勇気も自信もない。留学やワーホリあたりも考えてはみたけれど、海外で生活するとはいえ学生やフリーターに後戻りすることには抵抗があった。

そのとき思い浮かんだのが協力隊だった。

私は発展途上国に住むことや働くことに、特に抵抗はなかった。それまで旅行した国の中には発展途上国も多くあったので、偏見や変な固定観念はなかったし、また途上国での生活がどのようなものかというおおかたの見当もついていた。

しかし当初持っていた協力隊のイメージは、途上国で現地の人といっしょに汗水たらして橋作り…という感じのもので、肉体労働経験のほとんどない私には若干のためらいがあった。

そこで詳細を調べてみようと思い、募集時期に合わせて行われる説明会に出かけた。そのときタイでシステムエンジニアをしていたという協力隊OBから直接話を聞くことができ、自分の業務経験をある程度生かすことのできそうな職種もあることを知ったので、私は協力隊の選考試験に応募することにした。


1-2. 受験 (1995?〜99. 2)

初めて協力隊を受験したのは、たしか1995年の頃だった。

記憶が曖昧なのは、その時は一次試験を受けただけだったためだ。一次の筆記試験には合格したけれども、二次の面接試験は受けなかった。

実は、最初に受験したきっかけは「海外でどれだけやれるか」というより「海外でどれだけやれると客観的に判断されるか」をまず試してみたい、という思いの方が強かった。今思えば、ある意味で冷やかし受験のようなものだった。関係者の方々、もしこれを見ていたらすみません。

それから次に協力隊試験を受験するまでは、しばらく間があった。その理由は、私ができそうな職種の募集がなかったことと、日常業務の都合だった。私としては、仕事で切りの悪いときに協力隊参加のため職場を抜けることには個人的に抵抗があった(もっとも会社の立場で考えてみれば、いつなんどきであろうが社員が約2年3ヶ月−活動期間2年の他、事前の訓練が約3ヶ月ある−もの間、勝手に職場を抜けるのは迷惑なことに違いないだろうが)。

しかしながら、その辺りについて自らOKと勝手ながら判断した1998年11月、2度目の試験を受けた。

ちなみに協力隊の一次試験は、まるまる1日ペーパーテストだ。

まず午前中は各々の職種に関する試験。私の受けた職種では、大学のテストのような感じの「○○について論ぜよ」と記述させる問題が数問あった。ひねりとか引っかけとかの類のものはなく、基本的な業務知識を問う内容。

午後は、最初に英語の試験が行なわれる。短文の穴埋め「カッコの中に適当な単語を入れなさい」で「too…to」を入れさせるとか、中学英語水準の問題。しかし中には、文法がいい加減なトラベル英会話しかできない私をかえって戸惑わせるものもいくつかあった。

次はロールシャッハ・テストなどの性格テスト。絵の具を塗りたくった左右対称の模様が何に見える?という奴。どれも道路に吐き散らされた酔っ払いのゲロにしか見えないので回答に迷う。これも選考の対象になるのだろうか。

一次試験からしばらく経って、合格の通知が電子郵便というあまり聞いたことのない方法で届く。一次試験は日曜日に居住地のある各都道府県で実施されたけれども二次試験は平日に東京で行われた。

二次試験は二回の個人面接と簡単な健診。面接時間がひとり当たり15〜30分くらいと長いため、丸一日かかる二次試験のほとんどは待ち時間だった。私の職種の要請数2人に対して、二次試験に残った人は自分を含めて男ばかり3人。椅子取りゲームのような居心地の悪さを感じる。とはいえ、待ち時間があまりに長いので少しばかり話をした。一人はブータンと別の国を希望、もう一人はブータン希望とのこと。で、ブータン志望の彼はブータン情報を事前によく勉強していた。私自身はブータンにこだわるつもりは大してなかった(むしろそれまで行った国のほとんどがアジアだったので、他の地域の方が魅力的に思っていた)けれども、もう一つの国は応募条件として自動二輪の免許が必要だったため、それが必須ならば自動的にブータン第一希望になってしまう。ぐっはー、強敵がー。

ブータン志望の彼は私の直前に面接試験を受けた。その内容を部屋の外で聞いていると「ブータンは仏教国で、料理には唐辛子が多く使われ辛くて…」など具体的にすらすら話している。すげー。

そして私の順番が。

まず「あなたは以前一次試験に合格していたのに、なぜその時は二次試験を受けなかったんですか?」と数年前のことを尋ねられ、驚く。

そして、前の受験者と同じように「ブータンについてはどんな印象を持っていますか?」と聞かれる。

しかし職種のことはともかくとしてブータンのことなど事前に勉強してきたわけではないので、以前行ったことのあるネパールと地理的に近いことから「そーですねえ…、ネパールをもう少し中国風にしたイメージですかねえ」などと答えてみる。

だが面接官の反応は鈍い。

あー滑ったかも(いろんな意味で)、と思ったけれども、あせっても仕方がないので、その後も自分の思っていることをありのまま話す。

結果通知は一次試験と同じように、電子郵便で届くとのこと。

まあ落ちたら落ちたで仕方がない。それだけブータン第一志望の彼が優秀だった、ということだ。それに今日の試験はJICAから交通費や日当も出るし(どうでもいい話だが私が働いている会社よりJICAの方が、日当が高かったので結構うれしかった)、損にはならなかったわ…という気楽な感じで試験を終えた。


1-3. 合格 (1999. 2〜8)

しかし、なぜか私は合格した。

合格を最初に知ったのは、電子郵便ではなくて会社の同僚の一言だった。1999年2月末、合格発表日当日の午前中に、私と同期入社で人事関係の主任をしている彼が蒼い顔をして俺の元へ来て、こう言ったのだ。

「お前、青年海外協力隊…合格したって連絡が本社から来てるんだけど???」

私は協力隊を受験したことを、それまで会社内の誰にも伝えていなかった。だから彼が驚いていたのは当然のことだった。何でもその日の朝、JICAからウチの親会社の人事に「お宅の○○が協力隊試験に合格したんでよろしく」という一報が入り、そこから彼のところへ連絡がいったらしい。

協力隊には『現職参加』という制度がある。合格者の勤務先がOKを出せば、協力活動をしている間、休職扱いを条件にJICAが会社へ、固定費と給料の70%を補填する制度だ。JICAとしては企業が協力隊に人材を引き抜かれる形になってしまうのを懸念してか、この制度を活用するよう受験者に勧めている。

しかし実際のところ、私は受かるかどうか自信がなかったし、不確実なものに対してわざわざモメるようなことを敢えて口にすることがためらわれたので、現職参加どころか先述のように受験したことすら会社には話していなかった。また、もし合格後にモメるようだったら、いっそ会社は辞めてしまっても構わないと思っていた。

というわけで、いくぶん開き直り気味に上司に直接事情を話したところ、意外にもあっさりと休職の許可が出た(この辺の経緯については個人的にいろいろあったのだけれども、プライベートに関わる部分が多いので、ここで詳しく述べるのは避けたい)。

ほとんど送別会のノリだった
職場の壮行会
そんなこんなで数ヶ月が経ち、職場で壮行会(と思ったのだが寄せ書きやら花束やらをもらい、ほとんど送別会のノリだった。復帰を期待されてなかったのかも)をしていただいて、1999年9月上旬から休職。余談ではあるが、この時点で私は一旦、平社員扱いに降格した。そのことに対して会社の異動公示では単に『降格』とだけ記されていたので、俺が何か悪いことをしでかしたのではないかと疑った人が社内に何人かいたらしい。

 
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