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青年海外協力隊物語 JOCV story

2-1. 訓練 (1999. 9〜11)

さて、そうして長野県の駒ヶ根にある「訓練所」に入所し、事前の研修ならぬ「訓練」に入る。なにしろ「隊員」だからね。

実に79日間に渡る訓練中の日課は、大まかには、朝6時頃起床…マラソン(数キロ)…9時頃から15時まで語学の勉強(日によって、午後はボランティア関連の講座などになることも)…自習時間…22時消灯という感じで、最も大きな割合を占めていたのは語学学習の時間だった。

行き先の国によってはその国特有の言葉のみならず、まずは文字の勉強から始めなければならない場合もある。

幸いにしてブータンに行く私が学ぶべき言語は英語だったため、その点では比較的楽だった。というより、一から覚えなければならない言葉だったら言語習得センスに欠ける私は、訓練中に脱落していたかもしれない。

訓練中、語学クラスで撮った記念写真
語学のクラス
語学の学習(これも正式には「語学訓練」と呼ばれていたような)は能力別1クラス5人前後の少人数で基本的に外国人講師(日本人講師もいたが、ごく少数)の下で行なわれ、私は英語力に自信がない割には12クラス中、上から4番目のところで学んだ。

「学ぶ」といっても、英語の場合は誰もが中学から一応勉強しているわけなので他の言葉に比べれば堅苦しい雰囲気は薄く、文法のテキストを使った勉強のほか、時には英語を使ったゲーム(モノポリーなどのボードゲームや、子供向けの言葉遊びゲーム的なもの)字幕付き洋画のビデオ鑑賞を行なうなど、なごんだ内容だった。というか、講師自身が午後の授業になると露骨に教えることに疲れを見せはじめ、自然な流れでゲームの時間になっていた。もっとも生徒の立場である私たちも朝から延々と堅苦しい授業を受けるのはいやだったので、私のいたクラスでは先生も生徒も喜んで午後は遊んでいた(一応英語でだが)。というわけで私にとって「語学訓練」は楽しかったけれども、時間の割に語学力が伸びたかどうかは疑問だった。

訓練中は、そのほかに予防接種が行なわれた。予防接種の種類は国によって若干異なっており、ブータンに行く私の場合はA型肝炎×2、B型肝炎×2、狂犬病×2、ポリオ×2、破傷風×2、狂犬病×2、日本脳炎×2…といった感じで、ほぼ毎週1回注射を受けていた。私には、これこそが79日間も訓練を行なう最大の理由に思われた。数多く予防接種をしなければならないとなると、必然的に長い準備期間を要するからだ。

そーんな規則がんじがらめの生活はもちろん息苦しくもあったが、毎晩22時に必ず消灯という健全な日程は、反面、サラリーマンの私には嬉しいもんだった。あまりにも起床から三度の食事を経て就寝まで同じペースが続いたため、しまいにはクソまでもが毎朝同じ時間に(誤差プラマイ5分以内)出るようになった。

11月末日、訓練を無事終了。最終日には訓練修了証書なる、もらっても処置に困るものまでいただく。


2-2. ブータンへ (1999. 12)

訓練終了から出発日まではわずか1週間くらいしかない。

この間には、挨拶回りの他いろいろな買出しをも行なわなければならず非常に慌しかった。特に2年間日本を離れるため、ブータンで手に入れることが難しそうなものは、この間に調達しなければならない。私はコンタクトレンズ洗浄/保存液2年分からデジカメ、エロVCD十数枚までを一気に買った。連日数万円単位で買い物をしていたため金銭感覚がおかしくなり、高額の買い物をしても大して負担に感じない当時の自分は、我ながら恐ろしかった。

そしてついに1999年12月6日、日本を発つ日がきた。

今日、私と共にブータンを目指す隊員は4人。

協力隊に憧れて、以前バングラデシュを訪ねたことがあるというI田君。学生時代からボランティア活動の経験があり、昨春大学を卒業したばかりのI山嬢。東京でシステムエンジニアとして2年働いた後、「違うことがやりたくなった」と協力隊に応募したM田君。それから今回の派遣前に地元・岡山県某町の広報紙に「高校時代から途上国で農業を教えるのが夢だった」と紹介されていた割には、実際には大学の商学部を1年で中退し、流転の後、実家近くの農協で働いていたT口君。

個性も経歴もバラバラな、以上のメンツと共に、成田空港から、まずはタイのバンコクへ向かう。

「ぁぁあ日本とも2年間お別れか…(嘆)、ひょっとしたらこれが最後の日本かも…(涙)、でも、まあいいか…(謎)」といった複雑な気持ちを胸に抱きながら、日本を離れる。

しかし飛行機が離陸するとまもなく、いつもの旅行のように気持ちはハイに。

いつしか「今晩一泊するバンコクでは、どこに遊びに行こうかなー」などと思いをめぐらすうち、夕方バンコク着。

ブータンへの期待と不安で胸一杯と思われる他の若き青年海外協力隊員(実際、私以外は皆20代だった)を尻目に、一人、本能のままに夜のバンコクの繁華街へタクシーで直行する中年海外協力隊員とでも呼んだほうがふさわしい俺。明日から始まるブータン生活のことなど忘れて、うたかたの一夜を満喫する。

翌日、ブータン行き航空機は午前7時30分に出発するため寝ぼけ状態で朝5時にホテルをチェックアウト。

けれどもバンコクの空港の外れにたたずむ、国際便というよりどっかの離島行きなんじゃねえかと思わせる小柄な風貌のドゥルック・エア(ロイヤル・ブータン航空)の飛行機に乗りこむと、さすがに覚醒する。

飛行機はバングラデシュのダッカを経由してブータンに飛んでいく。眼下に広がるベンガルの肥沃な平原が険しい山に変わってくる頃、ブータン到着の機内アナウンスが流れる。

ブータン到着直前のドゥルック・エア機
ドゥルック・エアの飛行機
「あーブータンだよ…やばいよ…」

その時、思わず私は、なぜかこうつぶやいた。

しかし「やばい」とつぶやく私には当然お構いなしに、飛行機は高度を下げる。「地球の歩き方」の写真で見たブータン建築の農家が、現実の建造物として目前に迫る。

ほどなくしてブータン唯一の空港、パロ空港に着陸。
I山嬢撮影
空港で。
飛行機を降りたところで旅行者の如く記念撮影し空港建物に入ると、建物内で私たちのほうをじっと見ていた人から日本語で声をかけられた。

「はじめまして。私、JICAブータン事務所のS藤ですー」

…?

…なんで、まだ入国手続きもしてないのに、日本人がこんなとこまで出迎えに来られるのか??

…いったいどんな所なんだ、ブータンは???


 
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