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| 青年海外協力隊物語 JOCV story | |||||||
5. そして、時は儚く過ぎていった (2000.4-7) ウォンチュックさんが現れたので、私の活動は一応まともに進みだした。 システム作りを本格的に行なうため、「できるAccess2000」以外にもインターネットで手頃な専門書を何冊か見つくろい、日本の知人に頼んで、買って送ってもらった。 職場ではコンピュータの知識のある人がほとんどいなかったけれど、それが逆に幸いしてか私の言うことは素直に聞いてくれた。システムへのいろいろな要望に対して私が「それは難しい」「不可能だ」「複雑すぎて俺には無理(…)」と答えても、あまりいやな顔をせず、従ってくれた。 また、「急いでやれ」と言う人がいないのも幸いだった。この辺りは、ブータン人の国民性かもしれない。 もっとも私の任期は2年と決まっているので、自分で細かく計画を立て、それに従って作業を進めていた。 またシステム作り以外に、私は職場内に十数台あるパソコンの管理を始めようとしていた。 パソコン自体この国ではかなり高価なものなのに(物価水準から見て贅沢品なのは勿論のことだけれども、関税のせいか日本よりも購入価格そのものが高かった)、管理はずさんだった。古いコンピュータウイルスが駆除されないままフロッピーの中に残っていて、それを使用するたびに感染させたり、昔の低スペックのパソコンに新しいゲームソフトを勝手にインストールして遊んだ挙句マシンをフリーズさせたりしていた。そのようにしてパソコンの調子が悪くなるたびに、職員は私のところに「どーもパソコンの調子が悪いみたいなんだけど」と相談しにきた。 一方、私と共に仕事をするウォンチュックさんは、現場経験がスタッフの中で一番長いため、とても頼りになる存在だった。だが彼の健康はなかなか回復しないようだった。ほとんど毎日出勤はしていたけれども、何だかボーッとしている時が多かった。 時折、彼は私にグチをこぼした。 「標高の高いところに来ると調子が悪くて…」のほか、「雨が降ったときも今ひとつなあ…」もグチのレパートリーに加わった。 しかし6月頃からブータンは雨季に入っており、ほぼ毎日雨が降っていた。彼の調子がすぐれないのも、標高や天候のためばかりとは言い切れないところがあるような気がした。
そんなある日のことだった。 職場の車が、また事故ったという話を聞いた。 Dというドライバーの運転するトラックが、山道を運転中にハンドルを切り損なって崖から落ちたという。私の配属直前に起きた事故も、やはり崖から車が転落したものだった。この国にいる間に自動車事故は結構多く耳にしたけれども、ほとんどがこれらのような転落事故だった。車同士の衝突や、走行中に人をはねたといった、日本でよく聞く類の事故はほとんど耳にしなかった。 また悪いことに、彼自身は怪我を負いながらも命に別状はなかったものの、その時彼はヒッチハイクで拾った人を何人か乗せていたらしく、うち一人が亡くなってしまったらしい。 Dは私もよく知っている、明るくよく喋る男だった。ついでに酒飲みで、仕事が終わるとよく村のよろず屋で酒をくらっていた(この辺りでは雑貨屋に酒が置いてあるところが多く、店内で1杯引っかけることができた。ある意味で究極の立ち飲みだった)。時には私も彼といっしょに酒を飲み、そのまま彼の運転する車で家まで送ってもらったことがある。ひょっとしたら今回の事故も飲酒運転ではないかと思った。しかし事故が起きたのは日中、勤務時間内のことだ。だから、まさか…と思ったら、本人は否定していたけれども、助け出されたDは、案の定、相当酒くさかったという話だった。 彼は2週間ほど入院した後、職場に復帰した。しかし事故車は前面部が大破してしまい修理に時間と金がかかるため、当分の間、彼の乗ることができるトラックは無かった。もっとも彼はドライバーとして復帰するより先に、事故で死なせてしまった人の補償問題を解決する必要があったため、それはそれでちょうどよかった。 仕事中に飲酒運転をしてヒッチハイクで拾った人を事故で死なせてしまったというケースは、どのような罪になるのか。私は自分が法学部の学生だった頃の、刑法の試験問題のような事例だと思った。 とりあえずは業務上過失致死罪になるんじゃないかと思ったけれども、Dはブタ箱に入る気配もなく、私に会うと相変わらずノー天気に「いやー今日も示談の打合せに行かなきゃ。忙しい、忙しい」と語っていた。 ほどなくしてDと被害者の家族との間で示談が成立したという話を聞いた。そして、それ以上彼が罰せられることはないようだった。賠償金は日本円にして十数万円程度とのことだった。命の値段として考えると、私にはあまりにも少なく思われた。もっともそれはDの年収を超える金額であり、彼にとっては重い負担ではあったのだが。 それから数日後、Dと再び飲む機会があった。彼は賠償金の高さを嘆いていた。
「でもなぁ。お前は事故っても、こうして生きていられるんだからいいじゃないか」 私の言葉に彼はうなずいた。 「そうだな。賠償金なんて、安いもんだ」 …そう言ってしまっては、犠牲者も浮かばれないのだが。 その事故から数週間も経たないある日、今度はAMCで働いていた大工のTさんが急死した。 亡くなった当日、彼は普段どおりに出勤した。だが顔色が冴えず、不調を訴えすぐに病院に行ったらしい。しかしその日のうちにポックリ逝ってしまったということだ。 Tさんは私とほぼ同年代、30歳代後半の男性だった。もっとも彼は英語がほとんど喋れなかったので、会話をしたことはなかった。けれども休日に家の近所で会うと私に会釈をしてくれたし、つい一週間前には私が自宅で使うためのテーブルを作ってくれたばかりだった。図らずも、そのテーブルが彼の遺作になってしまったようだった。 同僚にTさんの死因を問いただしてみたけれど、誰に聞いてもはっきりした答えは得られなかった。 ただ、皆が言っていたのは、おそらく酒の飲みすぎが祟ったのだろうということだった。 Tさんは貧乏だった。いや、実際に貧しい暮らしをしていたかどうかはわからないけれども、給料が安いことと、あちこちの店に酒代を借金していたことは、事実だった。 この国では、職人の地位は低い。日本以上にはっきりした学歴社会である。大学や専門学校卒の同年代の職員に比べ、彼らの給与は、半分程度かそれ以下でしかない。 そんなTさんの楽しみは、酒だった。ただ、彼を知る人によれば、彼は、つまみ等の食べ物なしに、ひたすら酒だけをあおっていたらしい。そんな飲み方が身体に良いはずがない。けれどもなぜそうしていたかと言えば、おそらくは、つまみを買う金が惜しかったからだろう。 そして彼が亡くなったあとに残されたのは、彼の妻及び5人の子供たちと、あっちこっちの店に溜まった酒代のツケだった。 時は粛々と流れ、私の活動も軌道に乗りはじめた。 しかしその傍らで命の儚さを実感するできごとが、なぜだかAMCでは続いた。 |
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