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| 青年海外協力隊物語(活動編) JOCV story | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6-1.単調な活動 (2000.8) 私の業務…というか、協力隊員はボランティアで無報酬だから厳密には「活動」は、いわゆる巷間に伝わる「現地の人達と共に汗を流して…」的な協力隊活動に対するイメージからすると、まことに地味なものだった。 毎朝8時40分頃(本当の始業時刻は8時30分だけど、その時間に職場に来ている人はごく少数)に出勤。コンピュータ室に入ってパソコンの電源を入れる。そして一人黙々とシステム作りをはじめる。わからない時に頼りにするのは、日本から取り寄せた数冊の専門書。時々、同じブータン国内で活動するシステムエンジニア協力隊員から教えを乞うこともあった。 また、たまによその部署からパソコンの使い方について質問をしに来る職員らの対応もする。 そして昼飯。
午後の部。活動内容は午前に同じ。定時終業時刻は17時(冬季は16時)。しかし定時10分前くらいからバラバラと家に帰る職員が目につきはじめる。しかし私は、遅刻よりも早退することになぜか抵抗を感じていたため、いつも定時になったのを確認してから退社していた。 基本的に残業はしなかった。AMCでは仕事が溜まった場合、残業はせず休日出勤するという人が多かった。しかし私は日本でも休出が嫌いなタチだった。土日に出勤するのがいやで、金曜の晩に徹夜したことがあったくらいだ。けれどもAMCでは、残業しようと思っても回りは皆さっさといなくなってしまい、定時には門番が鍵を持って私が帰るのを待ち構えている。 門番を待たせるのも悪いような気がしたので(もっとも門番はAMCに住み込みで働いているので、待たせたところで大したことはないのだが)、残った仕事は家に持って帰って自分のノートパソコンでやっていた。 こんな感じだったので、見方によっては内勤の若干だらしないサラリーマンと大して変わらない生活だった。まあ活動内容と環境を考えればやむをえないことと言えなくもなかったが。 しかし毎日同じことの繰り返しの単調さに、飽きはじめていたのも事実だった。 6-2. 出張を計画する (2000.8-11)
そこで私は出張所へ行く方法を考えた。 本来なら一人で気ままに旅行をするのが私の性に合っていることは、今さら言うまでもない。 しかしこの国で公共交通機関を使って旅行するのは難しい。私の住むボンデから首都ティンプーに行くバスさえ、1日3本しかない。東部のタシガンへ行くバスなど、週に数本というレベルだ。しかもタシガンまでの所要時間、いや、日数はおよそ2日半。直線距離では300km足らずだけれど、道路は山間を縫って蛇行するため500km以上ある。おまけにこの国のバスは基本的に定員制なので、切符を予め予約しなければならない。 また、この国では外国人が他の県(ブータンでは『ゾンカック』と呼ばれる)に移動する場合、予め「ゾン」(日本の県庁に当る)に行って「Road Permit」(移動許可書)を入手しなければいけなかった。県境にあるチェックポストで、パスポートを持って国境を越えるときのように許可書にスタンプを押してもらうのだ。ゆえに外国人がブータン国内を単独で旅行しようと思っても、ハンパな海外旅行以上の手間と労力を要する。 だがAMCにある車を使って出張ができれば、とりあえずバス関連の煩わしさは免除される。許可書も職場を通して「業務出張」という理由で申請した方がスムーズにとれるらしい。あとは「業務」の理由を考えることと、出張先で「旅行」としての時間を捻出してもらうことだ。まあ、その辺は何とかなるだろう。 私は出張の名目を「AMC各出張所にあるパソコンと在庫管理状況の実態調査」ということにし、所属部署マネージャーのウォンチュックさんに相談した。
タシガンまで所要3日かかるため、移動時間が多いことはともかく、出張という割に、ところどころに「観光」を入れたり意図不明の行き先を含んだりする内容だった。 けれどもウォンチュックさんはこの表を見て「観光(Sightseeing)と書くのはマズいので、拠点訪問(Site visit)に直しておけ」と言っただけで、他はほぼそのままの内容で許可書の申請をしてくれた。 彼は、出張の趣旨そのものに納得したかどうかはともかく、私が退屈していることは悟ってくれていたようだった。 だが出発時期は、天候が安定する雨季明けにした方がいいと言われた。地方道路は雨季の間、たびたび土砂崩れなどで長期不通になることが多いためである。たしかに、8月に自宅のLPガスがなくなったとき、ちょうどインド国境と首都を結ぶ道路が不通であったため約1ヶ月間新しいガスボンベを手に入れられなかったことがあった。 雨季が明けるのは10月過ぎであり、寒くなってくるけれども仕方がない。
思えばI田は、ゾンにいるので移動許可書を得るのは簡単なのに、なかなか地方へ出る機会がないと嘆いていた。 とは言え万が一事故でも起きた場合の責任等を考えると、私の職場の車に同乗するのは簡単には許可が下りないはずである。 恐る恐るAMCの最高責任者であるプログラムマネージャー(P.M.)にお伺いを立てた。しかし予想に反して、すんなりOKが出た。 既に今年、二度崖から車を落としているAMCでは、事故の起きる確率は万どころか数十に一以上のような気もするのだが、それなのに、と言うか、それゆえに、と言うか、P.Mは簡単にI田の同行を認めた。まあ私としても、日本人二人で行った方が道中退屈もしないだろうし、それはそれでよかった。 常識的に考えれば、そんな危険な職場の車なんぞにわざわざ乗らなくても…と思うかもしれない。しかし、だからと言って、彼も私も大人しく任地に留まってルーチンワークをこなし続ける気分ではなかった。私たちは当時、たまに会うと「何だか俺ら軟禁されてるみたいだよなー」とよくグチっていたものだった。欲望は安全に勝るのだ。いや、そんな環境に住んでいれば、そういう気持ちになるもんだって、人間っつーのは。 |
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