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| 青年海外協力隊物語 JOCV story | |||||||||||||||||||
8. ブータン横断 8-1. 【第七日】 カンマ→タシガン近郊巡り→カンマ(移動距離・50km) RNR宿泊所近くにあるAMCカンマ出張所マネージャーの自宅でブータン流の大量の朝食をごちそうになり、満腹で出勤。 まず簡単に施設を案内してもらう。カンマ出張所は先に訪ねたウォンディフォダン出張所と同じくらいの規模で10人程度の職員がいる。
開口一番、マネージャーが言う。たしかにここカンマはAMCの本部やウォンディフォダンの出張所よりも受け持ち範囲が大きい。しかし、もともと農業の機械化が遅れているブータンの中でも特に首都から遠く離れたこの地域では、いくら担当地域が広いと言っても仕事量は、たかがしれているような気がする。実際、職員達はそれほど忙しそうに見えない。 倉庫内を見せてもらう。妙に整理整頓が行き届いている。何だかこの国らしくねーな…と思い、事務所で売上台帳を見たところ、一ヶ月の来客数は平均50人程度だった(…てーことは1日数人かよ)。道理で倉庫の整頓も保たれるわけだ。 一応、パソコンも1台あった。しかし調べたところ、Wordと計算式のないExcelファイルが若干あるだけで、要するにワープロ程度の働きしかしていなかった。 「この辺りは、君のいるボンデ以上に長い時間停電することが多くてなあ。パソコンで仕事をするのは難しいよ」 たしかに前日の晩も長い間停電していた。そもそもこんな所で業務のコンピュータ化を云々すること自体、間違っているような気がする。 しかしそれを言ってしまうと今後私がブータン東部へ行く口実がなくなるので、パソコンの使用状況やスペックなどをさらに調べ、「あなたがたの業務にパソコンが今以上に有効に使えるよう、私も何かいい方法を考えましょう。そして、また来ますよ」とマネージャーに話した。
続いて、例によって、この近隣の見どころを案内していただく。ブータン唯一の大学、カンルン大学と、これまた例によって古刹を何箇所か巡った。 8-2. 【第八日】 カンマ→タシ・ヤンツェ→タシガン(移動距離・120km) タシ・ヤンツェはタシガンの北に位置する、インド国境から10km、チベット国境から50kmの、最果ての町だ。大昔はこれらの国へ至る街道の宿場町だったらしい。もっとも実際のところは街道と言っても、か細い山道だったと思われ、現在の地図上ではタシ・ヤンツェへはタシガンからの一本道が通じるのみである。 カンマ出張所のマネージャーらと共にタシ・ヤンツェへ出発する。タシガンの町を通り抜け、山道をひた走る。タシ・ヤンツェまでは2時間の道のりだという。
タシ・ヤンツェの町に入る直前、ネパール風の、目鼻が描かれたチョルテンが目に入る。チョルテン・コラだ。車を降り、記念撮影する。ここにお参りすると子宝に恵まれる効果があるそうで、それにこじつけてかどうか、ここで年に一度実施されるツェチュという祭りでは周囲の村から集まった男女が入り乱れての××大会になる…らしい。この時には、けもの道を通ってはるばる国境を越えてやってくるインド人も結構いるという。 再び車を走らせ、タシ・ヤンツェに着く。 「君達はラッキーだ。今日はタシ・ヤンツェのゾンでツェチュをやっている」 マネージャーが言った。
タシ・ヤンツェのゾンに行ってみると、やはり今まで見たことがある他所のツェチュと同じように、満員の観衆の中で仮面舞踏が行なわれていた。 タシ・ヤンツェ・ゾンは新しく、そこそこきれいな建物だった。しかし裏を返せば歴史の重みがあまり感じられないため、このような催事の会場としては若干威厳不足のような気がしないでもなかった。 タシ・ヤンツェを後に、来た道をタシガンへ戻ると、いい感じに日が傾きかかっている。I田はしばらくカンマの近くに住む日本人農業専門家の所にお世話になるというので、ここで彼と別れ、私は一人、街中の安ホテルに投宿する。 8-3. 【第九日】 タシガン→ダミツェ→モンガル(移動距離・130km) この日はタシガンからモンガルまで行く予定だ。しかしこの間は3〜4時間。直行しても、わびしいモンガルで時間を持て余すことは必至である。行けるものならもっと先へ進んでおきたいところだけれど、宿のある場所の関係上、仕方がない。 なので昨晩、同僚からは「明日はスケジュールに余裕があるからゆっくり寝ていていいよ」と言われた。 しかしこの晩泊まった宿の布団が薄かったため寒くて眠れず…と何だか同じパターンの繰り返しで、この日も夜明け前に目が覚める。 8時過ぎ、「ゆっくり行くかぁ」とデレデレ出発。 車に乗ると、同僚が私に言った。 「今日はラッキーだ。タシガンとモンガルの間にあるダミツェ・ゴンパという寺で、ツェチュをやっている」 それに似たセリフもつい昨日聞いたような気がするのだが。ツェチュは基本的に(中略)とは言え、今日の最終目的地モンガルに何もないことは(中略)その寺院へ行くことにする。 メインの道路からそれた砂利道をガタガタ1時間ほど走ってダミツェへ。車がめったに通らない道なので、歩いて寺へ行こうとする村人たちがヒッチハイクしようと次々に我々の車に向かって手を上げる。ドライバーのKは、その中から僧侶と若い女性を選んで車に乗せた。何だか彼の性格が垣間見えておもしろい。
夕方、モンガル着。一泊150ニュルタム(≒500円)と聞いたものの、それでも高いと感じるほど汚い木賃宿のトリプルルームしか見つからず、同僚と相部屋で泊まることにする。そして日没と共に停電。寒いけど眠る以外にやることがないので、手探りでベッドを探して眠る。職員2名は、ちょっと飲みにいってくるとのこと。闇の中、しかも寒いのに何考えてんだか…。 8-4. 【第十日】 モンガル→ルンツィ→リンミタン(移動距離・170km) 未明、若い女の声で目が覚める。 闇の中で目をこらすと同僚の寝ているベッドでドタバタしながら女と何かひそひそ話している。二人とも妻帯者のはずである。それにも関わらず(しかも俺と相部屋で)、堂々と若い女を部屋に連れこんで闇の中で楽しそうにしていやがる。 「けしからん」 何なのだ、いったい。女は二人いるようだ。 「俺の分は?」 違う。 …それにしても、せっかくだからブータン人のまぐわう様子を見てやろうと、俺は布団の隙から彼らの方を、目をこらして見ていた(←馬鹿)のだけれども、なぜか一向に事に及ぶ気配がなかった。そして、そのうち静かになり、俺もまた寝てしまった。 朝、起きると女の姿は既にない。彼らと顔を合わせたとき、聞いてみる。 「おはよう。…ところで昨晩、お前のボカリの具合はどうだった?」 先述のように、「ボカリ」とはブータンの代表的な暖房器具、薪ストーブのことを言う。ちょっと意地悪な聞き方をしてみた。 彼らは最初とぼけていたけれども、追求すると「…あのボカリは No Workingだったよ」とボソッと呟いた。 何でも、事に及ぼうとするとメソメソ泣き始めたので、あきらめたらしい(…オイ)。 「外で酒を飲んでいて彼女らに会ったんだけど、『泊まるところがない』って言っていたから…」と弁解もしていたけれど、そういう問題ではないだろう。それにしても、どいつもこいつも俺も何を考えてんだか…と改めて感じながら、全員寝不足気味で出発。 今日の目的地は、当初予定外だった、モンガルの北70kmの所にあるルンツィ。たぶん何もないけど、せっかくだから行ってみようということで車を走らせる。
町全体がのんびりしている。こちらを見て微笑んでいる一人のおじいさんにカメラを向けると、わざわざ帽子を脱いでくれた。写真を撮って会釈すると、またニッコリ笑った。 「いい所だね」 同僚に言うと、「いや、ここは雨季には崖崩れで道が通れなくなるし、停電もハンパなもんじゃないよ」と現実的な答えが返ってきた。 まあ、たしかに電気が来ないのでは、コンピュータ使いの私が仕事をできる場所はここにはないだろう。 来た道を戻り、モンガル近くのリンミタンという村にあるRNRの宿泊施設に泊まる。 8-5. 【第十一日】 リンミタン→トンサ(移動距離・240km) もともとこの出張は13日間の予定だったけれども、どうせもうあとは帰るのみだ。できるだけ早く帰ろう。しかしボンデまでは480km、所要時間14時間。1日で着くのは難しい。明日までに帰ろうと思っても、この日のうちに8時間走ってトンサまで到達しなければならない。 そこで1日中ひた走って、夕方トンサに着く。往路に昼飯を食ったホテルにチェックインすると、中でこれから東ブータン方面へ出張するという調整員のS藤さんに遭う。思わず「いやー偶然ですねー」と言うが、町の規模が小さく、まともな宿の数が限られているこの国では、実は、こうしたことは意外と珍しくなかったりする。 8-6. 【第十二日】 トンサ→ボンデ(移動距離:250km)
だが車の調子が、また悪くなってきた。 20km/h以上スピードが出ない。勾配とカーブがほとんどであるこの国の平均的道路では車の最高速度はせいぜい40km/h程度だけれども、やはり20km/hの差は大きい。 それでもどうにか停まることなくノロノロ運転のまま、峠を越え、いくつかの村を過ぎた。そして夜8時頃、ボンデ村の家々の、オレンジ色をした頼りない裸電球の灯りが目前に現れた。 「明日はゆっくり休もう。な」 同僚のTがつぶやく。何しろ土・日曜日もぶっ通しの12日間、移動距離1,600kmに及ぶ出張である。もっとも、仕事よりも移動や寄り道(…)に費やした時間の方が圧倒的に長かったのだけれど。それにしても、わざわざ私ごときのためにブータン国内を縦横無尽に車を走らせてくれた同僚には感謝、感謝。自宅の前まで送ってもらい、彼らと別れるとき、思わず握手をしてしまう。今後は彼らのためにも頑張らなきゃ、としみじみ思った。 |
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