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青年海外協力隊物語(活動編) JOCV story


10. 任国外研修旅行  (2001.2-3)

協力隊員が活動期間中に私的理由で任国を離れることは、「一親等以内の親族が亡くなった場合」など、やむをえない場合以外は原則として禁止されている(ということは祖父母や兄弟姉妹ではダメなのだ)。だから、よりによって私は空港からたった2キロしか離れていない所に住んでいるにも関わらず、毎日行き来する飛行機を、いつも指をくわえて眺めるだけの日々を送っていた。

しかし一度だけ、例外的に国外に出ることが許される機会が設けられていた。それが、任国外研修旅行だった。

これは「『協力活動の一環』として任国の近隣諸国における関連プロジェクトや施設等の視察、市場調査等を図ることにより、違った観点から任国を再認識・理解し、より一層効果的な協力活動を行なうことを目的として行なう旅行」というものだった。

対象国は任国ごとに決められており、ブータンの場合はタイ・インド・バングラデシュ・ネパール・スリランカの5カ国だった。3週間以内で、この国々の中から自由に選んで行くことができた。私にとって、バングラデシュ以外は既に旅行をした経験がある国ばかりだった。しかしタフな旅になりそうなバングラデシュに敢えてここでトライする気持ちは毛頭なかった。また普段の旅行と違い、観光以外の目的もいくつかあったので(と言うより、『研修』という名目である以上、当然のこととして、観光を表に出すのはよろしくないことだった。旅行費用も360ドル程度だがJICAから補助が出るし)ある程度要領を得ている国に行きたかった。と言うわけで行き先は迷うことなく、最も慣れているタイに決めた。また、今まで3週間もかけてタイを旅行したことがなかったので、この旅行はいい機会だと思った(あくまで最大の目的は研修…だが)


10-1. タイへ

離陸直後に見える光景
機内から見たパロの家々
2001年2月22日、1年ぶりにドゥルック・エアの飛行機に搭乗する。

ふふふふふ。思わず笑いが。

離陸した飛行機から窓の外を見る。普段空港の近くに住んでいるので、下界に見える家々のひとつひとつが誰の家だかよくわかる。凝視するうち飛行機が旋回し、景色が回り出す。

ぉぇえええ。思わず吐き気が。

夕方にバンコクに着く。十数回目のバンコクだけれども、やっぱり気分がハイになる。さっそく私のバンコクの定宿・ニューエンパイアホテルへ直行し、チェックイン。荷物を置くと市内バスに乗り、盛り場へ繰り出す。

店内は酒池肉林ワールド(けど最近は有名になりすぎてある意味健全化している気が)
バンコク老舗のゴーゴーバー・「王様の城」
ああ、夜がこんなに楽しいものとは。日没と同時にタクシーが営業を終了し、9時過ぎには村を野犬が支配するブータン・ボンデでの生活に比べるとまるで夢のようだ。

結局その晩は午前2時まで、飽きもせずにゴーゴーバーをハシゴしましたとさ。


10-2. 北部山岳地帯を行く

翌日、タイ北部・チェンマイ行きの夜行列車に乗る。鉄道のないブータンに住んでいるので、列車に乗るのは久しぶりだ。もっともエスカレーターやエレベーターに乗るのも同様だった。ブータンではエレベーターは病院と空港でしか見たことがなく、エスカレーターに至っては一度も目にしたことがない。あらためて自分が大変なところに住んでいるものだと感じる。

今回チェンマイに行く目的は、タイ北部山岳部の少数民族地帯を訪ねることだ。これら少数民族の中にはブータン人と同じチベットに源を持つ種族もいる。えーっと…つまり、これら少数民族の里を訪れることによって、任国ブータンの文化を再認識するのだ。もっとも実際は、ここは協力隊員になる前から興味はあったんだけど、いざ行くとなるとどうしても一週間以上の日数を要するため、なかなか実現できずにいたというのが正直な理由だったのだが。

この後で金を請求された(払わなかったけど)
民族衣装を身に着けた少数民族・リス族の女性
こんな村にネットカフェがあってもねぇ…
小さな村でも外人旅行者向けの施設がある
私はチェンマイから路線バスに乗り、少数民族が住むと言う小さい村のバス停で何度か途中下車していった。予めガイドブックで見当をつけておいた所だから当然といえば当然なのだが、どの村もブータンに比べて俗っぽく感じられた。民族衣装を着けた人の写真を撮ろうとすると、ニッコリ微笑んでくれる代わりに「5バーツ」と金を請求された。食堂には英語のメニューがあった。それでもブータンの主流である赤米に似た米を発見したり、民芸品のデザインが似通っていたり、同じアジアの山国であるブータンとの意外な共通点をいくつか見つけることができた。

いくつかの村を経てメーホンソンに着いた。メーホンソンはタイ北西部、ミャンマー国境に近い人口7,000人の町だ。『地球の歩き方』などのガイドブックには「最果ての地」「山岳民族が多く集まる」などと紹介されている。そんなわけで私はここに来ることを楽しみにしていた。

しかしブータンに1年暮らした私の目には、この町も都会に見えた。町の中心部にある市場はブータンの首都ティンプーと同じくらいの規模であり、1日3回チェンマイ行きの飛行機が発着するだけの空港は、それでもパロの国際空港より立派な建物だった。そしてブータンには一軒もないコンビニエンス・ストア、セブンイレブン・メーホンソン店を見つけたときは、ジェラシーさえ感じた(何だそりゃ)。

この1年ですっかりブータン人の感覚になったのか、タイで目に入るほとんどのものが私には垢抜けて見えた。


10-3. そしてタイ漫遊

徐行してソロソロと鉄橋を渡っていく
クウェー河を渡る列車
チェンマイからバンコクに戻り、中部の町カンチャナブリへ向かう。カンチャナブリには映画「戦場に架ける橋」で有名なクウェー河の鉄橋がある。バンコクから日帰りで行くことができる場所だけれども、ここも今まで行く機会がなかった。

それから後も、海に面した港町をいくつか巡ったり、トゥクトゥク(三輪タクシー)をタイ語で交渉し、リザーブして地元民だけが通過できるミャンマー国境に行ったり、いつしか私は「研修旅行」であることをすっかり忘れて、この際だから行ける所は行っておこうというノリで、素(す)でタイ旅行を楽しんでいた。

その美しさに思わずため息が出た。 手前にある看板にマレー半島の地図が描かれている
1年ぶりに見た海
(プラチュアプ・キーリ・カン)
地元の人だけが通過できるタイ・ミャンマー国境
(ダン・シンコーン)


10-4. お買い物

でもハードや周辺機器はアキバの方が安いな。
PCショップが集まるパンティープ・プラザの内部
そんなこんなでブータンに戻る時が迫ったある日、バンコク市内にある「パンティープ・プラザ」というPCショップが集まったビルを訪れた。実はここからが活動に直接関わる用事なのだ。だが、「それでは今までの旅は何だったのか」というツッコミは却下する。

ここで私は、ブータンに戻ってから活動に使うものの買い出しをした。

なぜバンコクで買うかというと、品数が豊富なことももちろんあるが、ブータンではこれらのものが、関税だか送料のせいか非常に割高なためだからである。ティンプーに数軒あるパソコンショップではフロッピーディスク10枚が450ニュルタム(=1,100円)、AMCで使うためにNorton Anti Virusを買ったときなど、4,200ニュルタム(=10,500円)もしていた。

パンティープ・プラザで私はまずZIPドライブを買った。ご存知ない方のために説明すると、ZIPとはフロッピーディスクを心持ち厚くしたくらいのサイズの記憶媒体で、100MB〜250MBの容量を持つ。日本では大容量ディスクと言えばMOやCD-Rが一般的だけれども、なぜかブータンではZIPがメジャーな存在だった。AMCでもZIPを使っていたため、そこで作成した容量の大きなファイルを自分のノートPCに移動する手段として必要性を感じていたのだ。これは自分のPCで使うために購入するので、費用は当然自腹である。

そして職員への教育用として、私が作ったシステムのソフトウェアであるMicrosoft Accessの英語版ガイドブックを数冊買った。それからWindowsやOffice等のソフトを購入した。AMCでは、これらソフトの管理はいい加減で、不具合などのため再インストールを迫られたときなど、インストール用のCDが見当たらず非常に不便を感じていたためだった。しかしこれらのソフトはご存知の通り結構値が張る。だがパンティープ・プラザには「安価なソフト」を売る店が何軒かあった。なぜ安いかという理由は、敢えてここでは詳しく触れないけれども、そこではこれらをわずか100〜120バーツ(250〜300円)で買うことができた。私はそのような店で「安価なソフト」を買い、ついでに領収書を書いてもらった。

協力隊を厳密にボランティアと捉えれば、これらの費用を配属先の経費で落とすのは邪道と思われる方もいらっしゃるかもしれない。しかし可能な範囲で活動に関わる物品の費用を配属先に負担してもらうのは悪いことではないと私は考えていた。そもそもおのれの懐を痛めずに手に入れたものよりも自腹で購入したものの方が大切に扱うだろう、というのが私の持論である。

結論から先に言えば、ブータンに戻ってからAMCの経理に領収書を見せたところ、タイ・バーツからブータン・ニュルタムに通貨レートが換算されて、日本円にして数千円の金が私に返ってきた。AMCは国営組織であり、予算が全くないわけではない。協力隊はボランティア活動ではあるけれども、私は、この時にとった行動は間違っていないと考えている。


10-5. 再びブータンへ

最後の晩も懲りずに遅くまでゴーゴーバーで過ごし、7時30分発のドゥルックエアに間に合うべく、4時30分に意識もうろうのまま市内のホテルをチェックアウトする。

必ず帰ってくるぞ、タイ。

心の中でつぶやき、私は財布に残ったバーツを両替せずにイミグレを通り抜けた。

機内では、ブータンへ観光に行くらしい中年日本人旅行者団体といっしょになった。

「すみません」と一声かけて席に座ると、隣席のおばちゃんがちょっと驚いた様子で言った。

「あらー。日本語が上手ねぇ」

日本人と思われていないようだ。

このまま「日本語の上手な外国人」としてブータンまで通そうかとも一瞬考えたけれど、それはそれで疲れそうなので、日本人で、協力隊員としてブータンに住んでいることを話した。すると、なぜか「まー偉いわねえ」と、ほめられた。ブータンで何をしているのか、まだ全然話していないんだが。

それからブータンに着くまでの間、私はこのツアー客のガイド兼オモチャにされた。もっとも「ブータンでは食べ物で苦労することがある」と言えば日本のお菓子をくれたり、「活字に飢えている」と言えば文庫本をくれたり、オモチャでいるのも決して悪くはなかった。

ドゥルック・エアーの飛行機
パロ空港に着いたドゥルック・エアーの飛行機
パロ空港に着き飛行機を降りると、ドゥルック・エアの飛行機をバックに立たされて写真を撮られた。もはや私はオモチャではなく有名人のような扱いになっていた(余談ではあるが、そのとき撮られた写真は未だに私の手元に届いてない)。

空港を出ると、AMCのスタッフが車で迎えに来てくれていた。ふと彼の背後にある赤い禿げ山が目に入った。緑豊かなタイでは見られなかった光景だった。

私は現実に返ると共に、今後残された任期の間でこの国でするべきことが頭をよぎり、身の引き締まる思いがした。


 

 
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