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| 青年海外協力隊物語 JOCV story | |||||||||
11-1. 最後の春 (2001.4)
不意に、これが最後の春だと感傷的な気持ちになった。帰国予定の12月まで先はまだ長いのに。 それに任期は二年なのだから、そもそも春だろうがその他の季節だろうが基本的に最初と最後の二回しかないのだ。 しかし私だけでなく他の同期隊員達も、帰国のことが気になりはじめたようだった。たまに会ったとき、帰国や帰国後の話題が出ることが多くなった。 同期の一人であるT口は、「僕らの任期が終わる日って金曜日なんですけど、その日はバンコク行きの飛行機が飛んでいないんですよねー。翌日になっちゃうのかな」と悩んでいた。 もう8ヵ月先のカレンダーを調べて悩んでるのかよ。 昨年一緒に東ブータンへ行ったI田は、私に会うと「いやー、あと8ヵ月でおしまいですよ。8ヵ月かぁ。早いなー」と呟いた。それから1ヵ月後に会ったときには「あと7ヵ月ですねぇ。早いはやい」、さらに1ヵ月経つと「もう、半年後っすよ」、(以下略)。 …指折り数えてどうするよ。しかし、結局I田はそれから帰国するまでの間、必ずカウントダウンの一言を口にしていた。 もっとも彼らが本心から、早く日本に帰りたがっていたのかどうかは、わからなかった。私もその頃「ブータンは退屈」だの「タイは極楽だった」だのとほざきつつも、帰国後のことを考えて複雑な気持ちになることがあった。 そして一方で、現状に目を向けたとき、協力隊員としての活動が予定通りに進んでいないことにあせりを感ていた。
けれども意に反して作業は捗っていなかった。 これまでは私一人が試行錯誤しながらでもどうにか作業を進めてこられたけれども、今後は、私の帰国後もシステムを使用するAMCスタッフのために、業務の引継ぎも考慮していかなければならない。現在AMCにある約8,000件のアイテムを対象としたマスターデータの入力は一人でやるには荷が重いので、これを機にシステムの操作に慣れてもらうということも考え、私はスタッフに手分けして実施してもらうつもりでいた。だが彼らは、「今は農機が毎日大量に納品されて忙しい。悪いけど、それが一段落してからにしてほしい」と嫌そうな顔をした。 たしかにこのところ、連日インドから何十台もの日本製の農機を積んだトラックがAMCにやって来ている。ODA(政府開発援助)によるものだ。スタッフは入庫作業で一日中忙しそうだった。 しかしそこで発生する管理業務の工数を軽減することも、私がシステムを作る理由の一つではなかったのか。 ウォンチュックさんに訴えてみたけれど反応は鈍かった。このように、新しいシステムにユーザーが拒否反応を示すのは、私が日本で勤めていた会社でさんざん経験していたことだけれども、それは日本から遠く離れたこの国でも一緒だった。 任期が終わる12月までに、無事にシステムを彼らに引き渡すことができるかどうか心配になった。 11-2. 後継者 (2001.5-8) 事が予定通りに進まなかったときのことを考え、私は、いくつかの手を考えなければならなかった。 最初に頭に浮かんだのは、私の後継者としてブータン人技術者を雇用してもらうことだった。 AMCのスタッフの多くは、ある程度英語が堪能だったので(文法的にはかなり怪しかったけれど、この点については私も他人のことを言えたものではない)普段のコミュニケーションに大きな支障は感じていなかった。けれどもシステムの操作説明のため今まであまり言葉を交わしたことがなかったスタッフと会話をしてみて、英語が不得手な人も何人かいることを知った(それまでは単に俺が気に入らなくて話をしないものだと思っていた)。だからこそ、システムをより現場の業務に密着したものとして発展させるには、現地語を話すことができるブータン人の手によるのが最善だと思ったのだ。 さっそくP.M.に打診してみた。しかし彼は「ブータン人を雇用する予算がない」と私の提案に首を振った。 「農業省に専任のSEが一人いるので、何かあったときには彼を呼べばどうにかなると思う…でもここに常駐させるのは難しいだろう」と彼は話した。もちろん多少無理をすれば人ひとりくらい雇うことはそれほど難しいことはないと思う。だが、この国のコンピュータの普及度とAMCの業務規模のバランスを考えると、ここに専任のシステム管理担当者を置くのは、たしかに過剰投資かもしれなかった。 そこで次善策として、私自身のブータン滞在期間を延長することを考えた。協力隊では、受入国政府を通しての要請があるなどいくつかの条件が揃えば通常2年間の任期を最大1年延長できる制度があった。この手を使って、延長された期間でスタッフにシステムの使用法・保守その他コンピュータに関するもろもろの知識をできるだけ叩き込もうと考えた。おそらく1年も延長しなくても、3〜4ヶ月あればシステムのメンテナンス法くらいまではどうにかスタッフに伝授できるのではないかと思った。
そんなに長い間、いる気はないのだが。 それはともかく、過去の例から見て、政府に提出されたこの類の申請はほとんど受理されてJICA事務所へ送られるとのことだった。しかしここでも問題があった。 私は、日本で勤めていた会社を休職して協力隊に参加している身だ。休職期間は活動前に予め決められている。従って協力隊の任期を延長しようとすると、同時に会社の休職期間も延長しなければならない。以前、協力隊事務局から渡されたマニュアルには「このような場合JICAから休職先の会社へ連絡しますので、直接自分から余計なことを言わないように」と書かれていた。たしかに突然彼方の国から「協力隊の任期を延長したいんだけど」と会社に直接連絡したところで、普通は「何考えてるんだこいつ」と思うだろう。 とは言え、若干不安ではあったので、ある日首都へ出かけたときJICA事務所に立ち寄り、調整員に相談してみた。けれどもそのとき対応した担当の調整員は、こうのたまった。 「あなたの場合はぁ…日本の勤め先の承諾も得なければならないから難しいのよねぇー。…たしかにマニュアルにはそう書いてあるんですけどぉ。やっぱりぃ。あなたから直接勤め先の方にも連絡をとってみてくれないかしらぁ」 面倒くさがっているのが見え見えだった。当時、私以外にも任期延長を希望している隊員が何人かいた。けれども皆、何度もJICA事務所へ何度も足を運んだり、場合によっては自ら日本へ連絡をとったりしながら、熱心にこの調整員にお願いしているようだった。 しかし私はそこまでして自分の延長に固執するつもりはなかった。私が任期を延長しようと思うのは、あくまでこのシステムを実用化するためだ。自分の延長が難しければ、また別の方策を考えるまでである。 その調整員の言うには、現隊員の任期を延長するよりも交替要員として新規に隊員を公募する方が実現の可能性が高いだろうということだった。慣れた人間が一人で通してプロジェクトを完遂する方が、効率がよく経費的にもはるかに安上がりだと思われるけれども、協力隊事務局の考え方としては、一人の隊員が任期を延長するよりも、交替で新たに隊員を派遣するほうが「多くの青年に協力隊活動のチャンスが与えられる」という意味で好ましいのだそうだ。まあその理屈も全くわからないわけではない。 結局その薦めに従って、交替要員を要請することにした。要請には求人票にあたる「派遣受入希望調査票」という書類が必要だという。 「私がいろいろ考えるより、現場を知っている人が下書きを作ってくれた方が、わかりやすくなるのよねぇ」 件の調整員が言った。現場を知っているかどうかを別にしても俺が書くほうがわかりやすいものができるような気がしたが、私は黙って下書きを作った。 のちに公表された調査票を見ると、そこには、本当に私が書いた内容がほとんどそのまま生かされていた。だが「調査者名」欄だけは、ちゃっかりその調整員の名前になっていた。 私は感心する一方で、少し呆れた。 |
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