第1回 陸前高田市立第一中学校PTA国際交流海外研修
ツアー記念文集より
Thank you for your kindness
8日間はあっという間だった。数えきれないほど沢山の思い出、書ききれないくらい多くの感動が毎日のように待っていたから。
「ホームステイ。」もちろん外国だって初めてで、なおかつ言葉、文化の違う現地の人の家に泊まるのだから、喜びと、反対に不安も大きかった。しかし不安を抱いていた私の目の前にはホストファミリーの「笑顔」があった。
彼女の名前はメアリー。ホームステイでは母親のようなもの。私達をいろんな所に
連れて行ってくれたり、他人の私達にまで愛情を惜しみ無く注いでくれた。時には喜んでくれたり、時には注意されたり。彼女のそういう愛情があったからこそ余計な気づかいはしないで気軽に話しかけられたんだと思う。それから「英語」ということ。ある意味では日本語より英語の方が楽だったのかも知れない。日本では年上の人に話しかけるのは簡単にはいかないもの。他人だったらなおさら。でも英語では簡単に「Excuse me!」なんて言えば見知らぬ人だって笑顔で耳を傾けてくれる。かつ、親近感
がわいてくるのだ。
マレー人は心優しいと聞くが、本当にそのものだった。目が合うと他人でもニコッと。一目会っただけでも仲良くなれるのだから心地良かった。ホストファミリーの人達
も皆、優しい人達で、気軽に話しかけてきてくれた。最初不安だった気持ちが、ホストファミリーの中に溶け込んでいくうちに段々と、来て良かったなあと思うようになった。
別れの日、ホストファミリーとの楽しい時間、彼女の惜しみなく注いでくれた愛情、これらが一度にこみ上げて、私は涙目になった。違う文化、言葉であっても、例え英語が少ししか分からなくても、コミュニケーションを大事にすれば愛情、信頼は生まれてくるのだと思う。その時私はそう実感した。そしてそういう大切な事をホストファミリーは私に教えてくれた。
「現地校交流」でもマレー人の人達と気軽に話すことができた。なんと彼女らは17
歳という。年が3年も違うのに、同学年の人達と話しているような楽しさだった。皆面白い人達ばかりで、2時間という時間は短かった。
楽しく、面白い事があったこの8日間は私にとって天国のようなものだった。彼らと過ごした時間は幸せで、本当に感謝している。人柄も良く仲良くしてくれる現地校生、ホストファミリーなどの思い出は胸にひとつひとつ刻まれて焼きついている。英語、信頼、愛情。沢山のコミュニケーションの中で、私が学んだものは重大で、そして大きいものだったに違いない。私達はそういう面で立派な勉強をしてきたと思うし、国際社会に向けて一歩前進をしたと私自身はそう思う。そしてホストファミリー、親地校生などの人達と私達は大きな「絆」で結ばれたような気がする。
いろんなことを教えてくれたこの時間、出合った人達。マレーシアは心の中の宝であリー生忘れることはない。そして最後にそんな思いをさせてくれた皆に「ありがとう」と言いたい。
自分を変えてくれた国、マレーシア
「あなたの名前は、リョウコ・アズイザンよ。」ホストファミリーのお母さんが言ってくれた。初対面の私を家族の一員として認めてくれた言葉だった。1泊2日という短い間ではあるけれど、私は、「アズイザアン家」の一員となれたのだ。嬉しさがこみ上げてきた。それと同時に、これから始まるホームステイがとても充実したものになるだろうと思い、ワクワクしてきた。
いろんな場所へ行き、いろんな物を食べた。食べた物は、マレーシアでしか食べられ
ない物ばかりである。ヤシの実ジュースやサトウキビのジュースをごちそうになった。ヤシの実ジュースは、実に穴を開け、ストローで吸うものだった。吸った後は実も食べられる。メロンのうすい味がし、すっぱい匂いがした。不思議な味だった。チラリとお母さんを見ると、美味しそうに食べている。娘となった私が不思議な味なんて変だ。よく味わって食べてみた。メロンの味がしてきた。これはいける。食べ終わり、ニヤリと笑って「グッド。」と言ったら、お母さんや、娘のアズランちやんが嬉しそうな顔をした。私も嬉しかった。ヤシの実ひとつで、心が通じたと言うか、何と言うか。上手く言えないけど、そういう思いが芽生えた気がした。
夕食は道路のわきにある屋台で食べた。たくさんの屋台があり、いろいろなマレー料
理を食べた。夕食の時間らしく、たくさんの人でごった返していた。私もその人ごみの中にいた。サトウキビジュースをゴクリと飲んで空を見上げた。夜空には星がひしめきあうように輝いていた。そして海からは熱い風がふきつける。周りにはたくさんの人。ああ、日本で私が勉強している間、ここにはこんな世界があるのだ。世界はなんて広いんだろう。いや、私が世界を知らなすぎたのかもしれない。同じ、広い広い空の下に暮らしている、地球という星にいる仲間を、知りたい、もっと知りたい、と強く思った。そして、私のことをもっと知ってほしい、地球人として。日本人の姿は、金を買いあさる姿でも、免税店で「高い。」と文句をつけている姿でもない。地球人としての日本人を知ってほしいのだ。
夜、寝る前、アズランに聞いた。「あなたの夢は?」と。彼女はこう答えた「建物の
エンジニア。そのために今、勉強しているのよ。」あなたは? と聞かれ少し困った。今の夢を語るには、私の英語力では言葉が足りない。「たくさんの夢がある。」と答え、続けてこういった。「INTERNATIONAL TEACHER」アズランは少し首をかしげ、うなずいてくれた。「国際的な教師」という職業はないだろう。しかし、アズランにウソをついてはいない。私は、外の世界に目を向けている教師になりたいと思うのだ。
「またおいで。」といってくれたお母さん。大きな夢に気づかせてくれたマレーシア。夢をかなえたら、絶対にまた行きたい。
「テリカマシ(ありがとう)」
初めての海外で、すべてが驚きの連続でした。マレーシアでの生活はもとより、成田空港からはじまって帰国まで、すべてが貴重な学習の場でした。その中でも一番印象に残っているのはやはりホームステイです。
私がお世話になった方はアジスさんといい、奥さんと娘夫婦、孫2人の6人家族でした。部屋中に家族の写真が額にいれて飾ってあり、本当に家族を大切にしているというのが印象的でした。対日感情もよく、初対面の私達にとても親切にしてくれました。マレー人、イスラム教の家庭に入ること自休貴重な体験ですが、更に50年前の戦争の話を聞くことができたのでそのことについて書きたいと思います。
アジスさんとの初対面で驚いたのは、日本語ができ、歌も歌える事でした。彼は戦時中にペナン島の日本兵の病院で14才から17才までの3年間、負傷した日本兵のお世話をしたそうです。その時に日本兵と親しくなり、日本語や軍歌、流行歌なども教えてもらったそうです。その日本兵達とは今も交流が続いておリ、日本にも何回か来たこともあるそうです。彼らと一緒に写した貴重な写真を見せていただきました。アルバムの表紙はぼろぼろで時代を感じさせ、神妙な思いでした。
ペナン島を案内してもらった時に、一番印象に残ったのはペナン大橋の近くの桟橋です。今は立入禁止の古びた桟橋です。戦時中、ここは日本海軍の潜水艦の基地で、何隻もの潜水艦がとめてあったのだそうです。米軍の飛行機がここにたくさんの爆弾を落とし、潜水艦と共に多くの日本兵が亡くなり、海岸に打ち上げられたそうです。100mほど先の海岸に錆びれた鉄くずがあり、潜水艦の残骸だと教えてくれました。遠くにペナン大橋が見え、見晴らしの良いきれいな海岸で、近くで漁師が子供と網を投げて魚をとっていました。その鉄くずだけが当時の面影を残していました。ここを訪れた戦友は煙草や花を流すのだそうです。感慨深く、自然と手を合わせ黙とうをしました。その他にも敗戦のとき日本兵が収容されたホテルや神風隊のことなども聞くことができ、本当に感謝しています。
この研修旅行で様々な体験をし、いろいろと考えさせられましたが、一番自分にとって勉強になったのは、現地の人々と交流できたことです。たった8日間の研修ではありましたが、国際理解とはいわないまでも、その糸口が見つかったような気がします。日本という狭い空間の中だけにとじこもり、頭だけで「世界にはいろいろな文化がある」などわかったつもりの自分。そんな島国根性の自分に、直接、異文化にふれることにより少しでも視野を広げ、それに気づくきっかけになったことがこの研修旅行の成果だと思います。この新鮮な気持ちを忘れないでいきたいと思います。研修に参力日でき、貴重な経験をすることができ、関係者の方々に本当に感謝しています。
私の新しいマレーシアへ
佐々木匡人・恵子・悠・郁音
「惜別」という言葉では言い尽くせないほど切ない気持ちでマレーシアを去った昨年3月。しかし、その時、私はある思いを抱いていた。
ホームステイのお別れパーティーで、生徒達がホストファミリーの方々と慣れない英語に四苦八苦しながらも親しく語らう姿や、Sri KL校との交流で、同年代の生徒達と楽しそうに談笑する様子を見て、感無量だった。3年間、私たちが住み、こよなく愛した国マレーシアを、肌で感じ、心で理解しようとしている生徒達がとてもまぶしく見えた。
実際、彼らは交流の中で実に生き生きとしていた。マレーシアの伝統ゲーム「チョン
カ」に興じる女の子達。「セパタクロ」(日本の蹴鞠の庶民版?)に汗を流す男の子
達。同僚が「若いっていうのはすばらしいですよねえ。」と呟いた言葉は、まさにその通りだと思った。
私が3年間勤務したクアラルンプール日本人学校の生徒たちはかなり英語が達者で、
意思疎通にはそんなに困っていなかったが、今回の22名は外国人と実際に接したり会話したりという経験の乏しい生徒たちである。だから、最初のプログラムであるホームステイに散っていく彼らを見送りながら、彼ら以上にこっちが不安になってくるのだった。「もっと事前学習を増やせばよかったかなあ。」とか「ペアの組み合わせは
大丈夫だったかなあ。」とか、心配事が幾重にものしかかってくるのだった。
しかし「若さ」はたくましかった。ペナン島での最後の夜、彼らの口からは次から次
へとホームステイ中の出来事がほとばしり出てきた。「私の英語がね、ちゃんと通じたの。チョーうれしかった!」と弾む声や、「マレーシアの人って、何か、本当にあったかいんですね。」としみじみ語る声に耳を傾けながら、マレーシアを発った日のひとつの思いが成就していくのを感じた。
Sri KL校との3時間の交流の時には生徒達にかなり余裕が出てきていて、「セン
セー、私の英語、もうバッチリ!」とVサインを出す子もいたほどだ。1対1での案内ということで、「もう3年分の英語をしやペリました。」と言った子の満足した表情を思い出す。
今回の研修旅行の青写真を提示したのが9月。急ピッチで事が運び、こうして実現し
たことを感謝したい。PTA会長をはじめ、校長、教頭等の尽力のお蔭である。そし
て、我が子の参加を許した保護者の方々の決断にも敬服する次第である。今回の研修旅行の成功には多くの人々の力の結集があったことを改めて肝に銘じておきたい。
「マレーシアヘ恩返しをしよう!」という私の思いが1つ形を成した。次の世代のために国と国とのささやかな「渡し守」になっていくことをこれからも続けていければと願う。
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