
海外日本人学校の華は何といっても国際交流。私は中学部の教員(幼稚部から中学部まで1つの校舎に約1000人が学んでいました)でしたから、より高度な文化交流が求められ、四苦八苦しました。でも、生徒たちの英語力は高水準で、私の心配をよそに、教育問題などを語り合っているのでした(中3で、学級の2/3は英検3級をすでに取得。準2級や2級の生徒が数名いるといった状況でした)。年2回、こちらに招待するのと、向こうから招待されるのとが1回ずつありました。中1で「こぶとりじいさん」を英語劇に仕立てて披露したのもなつかしい思い出です。
さらに、夏休みには、「マレーカンポンホームステイ」が実施されました。といっても、以前からあった訳ではなく、鹿児島県から派遣の宮薗氏と私とで何とかものにした記念すべき企画です。「マレーシアに来ていながら、子供らはどうしてマレー語を学ぼうとしないのだろう? どうしてマレー人の友達が少ないのだろう?」という素朴な疑問から出発したこの試みは、マレー人やマレーシアの国に対する偏見への挑戦でもありました。「危険だ!」「衛生面がちょっと…」「マレー語なんか役に立たない。」そんな声を背中に受けながら、「失敗したら、あの手の人々の思うつぼだ。」という危機感の中で、クアラルンプール日本人学校初のホームステイプログラムは2泊3日の幕を開けたのでした。参加した生徒の声を紹介いたしましょう。
カンポンから帰ってきた夜、私の家に電話があった。ホストファミリーのお父さんからだった。今までもらった電話の中でこれほど喜びを感じたものはなかった。ほんの5分間程度の時間だったが、なぜかとてもなつかしい気持ちでいっぱいだった。(中略)お別れする日。朝からエマの様子がいつもと違う。私に一歩距離を置いているような気がする。
お別れ会が終わって、お茶を飲んでいるときからエマは私の手を握っていた。私がバスに乗るまでずっと。私がバスに乗った後、エマは私を探してバスの周りをぐるぐる回っていた。私はバスから大きく手を振った。
電話で話している時、ホストファミリーのお父さんが「マリが帰ってからエマがずっと長い間泣きずめだった。」と教えてくれた。電話の途中、エマに代わった。マレー語で話しかけてくるその言葉に私は「うん。うん。」としかうなずけなかった。そして、私の目から一粒の涙がこぼれた。
私を自分達の家族の一員として受け入れてくれたことをとてもうれしく思う。もう一度会おうと約束して別れた私の家族に会いたい。 会って、私の妹、エマを抱きしめたいと心から思う。
マレイカンポンホームステイ感想文集

いかがでしょうか? 本当に「教師冥利に尽きた」3年間でした。私たちの感動と感謝をひとりでも多くの方に知っていただき、異国の土地で健気に生活している日本人子女のことを知っていただきたいと思うのです。