今日をノコシテ |
すべてナガレテユク。タソガレヲのこして。
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夏休み特別企画in2005 3人で行った西・中・東伊豆の旅 |
登場人物(ボクを除く。ボクが便宜的に特定の人物に名づけた名前。アイウエオ順。) 将軍:幼稚園時代を一緒に過ごし、高校時代に再会。 マネージャー:小学生時代以来の友人。何かとボクの世話をしてくれる。 ○予感(7月14日) それは、午後に突然やってきた。 マネージャーが旅行代理店のパンフレットをボクの所にどっさりと持ってきたのだ。 彼は、「本州を出たい、飛行機に乗りたい」などと言い、それがどうも彼が旅行に行きたい主だった理由らしかった。 ボクはそのほかに、「温泉やプールに浸かり、ただひたすらダラダラ過ごしたい」という彼の望みを理解した。 別に断る理由もないので、その計画に賛成した。 ボクはうっすらヨーロッパ(とりわけドイツ)に行きたかった。幸い、彼はヨーロッパのパンフレットも持ってきていた。ボクは少し前からロマンチック街道をロマンチックに巡りたいなぁ、と思っていた。でも、よく考えたら、男2人でロマンチック街道を巡っても、あまりロマンチックにはならないんじゃないかと思い、自分の中で却下した。 次にイタリアのページにも目が留まった。 サンピエトロ大聖堂のあるバチカン市国に行ってみたいなぁ、と思った。そして、ページをめくるたびに、旅行したいさまざまな国の名前が挙がった。オリンピックだってこんなに候補地は挙がらないだろう。こうなると始末がつかない。 そんな中、マネージャーは、一刻も早く旅行地を決めたそうだった。たしかにそうだ。早くしないと宿泊したい旅館の予約がいっぱいになってしまうし、彼にだって夏休み中の予定があるから、早めに宿泊日を決めておきたいにちがいない。 悩んでいるボクを傍目に、彼は「パンフレットの1ページ目に載ってるプランでいいじゃん」と発言した。 「冗談じゃない。旅館の壁が薄かったらどうする」とボクは反論した。 注)ここでは「壁が薄い」=「きっと他にも良い宿があるハズだ」位のニュアンスに受け取ってほしい。 手に取ったパンフレットを吟味せず1ページ目の宿にするなんて、見ず知らずのレストランに入って、変な名前の料理があって、内容もわからないのに注文しちゃう客みたいじゃないか、そんなようなコメントをボクは言った。出てきた料理がグロテスクだったらどうする(≒壁が薄かったらどうする)。行き着くところはそこだ。 この日は、ボクがあまりにも旅館の「壁が薄い」ことに固執して話が先に進まなかった。 結局、一週間後までにボクが独断と偏見でプランを決めることに決まった。もし、一週間後にボクがプランを決めてなかったら、マネージャーの要望どおり「パンフレットの1ページ目にする」ことになるのだ。 ボクは、「壁の薄い」旅館には泊まりたくなかったので、必死になってプランを漁った。 ○新規参入(〜7月21日) さて、いざパンフレットを見始めると、いろんなものがあって迷う。どの宿泊地の、どの会社の、どのプランにしようか。何せ、きっかけがないので、先に進まない。 ボクはなんとなく「海浜地域」に行きたい、と思っていた。それで海浜地域を頭に浮かべてみる。出てきたのは、伊豆・熱海・小山田・・じゃなくて小田原だった。実に乏しい数の地名だ。出てきた地名が乏しいのが幸いして、旅行地が自然と限定された。 「よし、伊豆にしよう」 我ながら、素晴らしい決断力の速さ。しかし、この決断力の速さの中には、伊豆を選んだ根拠などどこにもなく、多少のいい加減さが含まれている。 旅行地が決まったので、次は伊豆が載っている会社のパンフレットを見て、宿泊施設を決めれば良い。 それにしても、1人で旅行計画を練っていると、1人で旅行するみたいだが、実際は2人での旅行だ。 しばらくパンフレットと見つめ合っていると、ボクの中に間がさした。「もう1人いたら面白いかもよ」、そんな間だった。間にさされたボクは、間の指図どおりに「よし、もう1人誘って3人で行こう。より面白くダラダラ過ごせるはずだ」などと決心した。決心を早速実行に移した。ここから将軍が登場する。彼は会社員で忙しい。それを知っていて敢えて彼を誘うことにした。たちの悪い勧誘だ。それでも将軍はOKした。マネージャーも将軍の参加にOKした。 こうして3人で伊豆へ旅行に行くことになった。そうこうしている間に一週間が過ぎていた。マネージャーとの約束はボクにあっさり反故にされた。 将軍は会社員なので、週末しか会えない。それで、さらに一週間後にボクと将軍とで伊豆のパンフレットから宿泊施設を決めることになった。 ○プランの決定(7月23日) この日、ついにプランが決まった。それも恐ろしくスピーディーに。 午後、将軍がボクの家にきた。 将軍は(滅多に持ってこない)手土産にドーナツを持参した。それを食べながら、旅行地を伊豆のどの辺りにしようかとボクが持ちかけた。 某旅行会社のパンフレットの東伊豆から西伊豆を巡って、とうとう旅行地は中伊豆に決まった。 中伊豆には修善寺があるし、真ん中だからきりが良い(?)。だから宿泊旅館もこの辺でいい、そんな感じだった。 驚くべきことに、ドーナツを食べ終わるよりも前に、旅行地も、宿泊先旅館も決まったのだった。 ボクも将軍もなんて適当なんだろう、と心の中で思った。しかし、そう思っただけで、それを改善しようとは思わなかった。この旅行はボクらが行くわけで、他の誰かが行くわけではない。 にも関わらず、計画途中、「これでいいんじゃん?」「それでいいよ、メンドクサイシ」などという暴言が飛び交った。これが国会答弁でなくて本当に良かった。 自分の事ながら、なにゆえこんなにも適当なのかと首を捻ったほどだ。 後はプランをマネージャーに伝えるだけだ。 プランが決まったのは旅行の話を持ちかけられてから足掛け10日後のことだった。 ○はるかな夢(7月30日) ボクは宿泊プランを決めた後で、ゆっくりプランを眺めた。普通はゆっくりプランを眺めた後で、宿泊プランを決めるのだが、それはそれで個性ある(?)選択だった。 ボクは宿泊予定の旅館をパンフレットで見たわけだが、受けた印象を書き出してみる。 それは、せまそう・暗そう・饅頭っぽい・怪しい・現地で見つかりにくそうなどだ。これらは、あくまでボクがパンフレットを見ただけで浮んだ宿泊旅館の印象であることを断っておきたい。 旅館には悪いが、不思議なことにネガティブなイメージしか浮ばない。 決まってしまった後に、なにゆえこんな事を言い出すのか。自分でもとことんいい加減だと思う。しかし、「いい加減」も「適当」も「ちょうど良い」というニュアンスを持っているのでちょうど良かった。 さて、ボクらが泊まるこの旅館は、さみしい趣の・・・いや、伝統のある旅館だ。1951年に完成したのだという。ボクは、サンフランシスコ講和条約で、日本がようやく一人立ちしたのと同じ年に、この旅館も誕生して歩き始めたのだな、と感慨にふけった。 だが、それと施設の設備は別問題だ。いくら伝統があったところで、電灯がなければ明かりはつかない(?)。 というわけで、ボクはこの旅館に対して物理的・精神面的な期待をかけようと思う。1951年にあまり多くを期待してはいけない。が、2005年の7月に改装したという情報が入ったので、少し欲を出そうと思う。 この期待は、個室に対してであったり、旅館全体に対してであったりする。 =物理的期待= ☆冷蔵庫がある ☆テレビ(カラー)がある ☆エアコンがある ☆電話が通っている ☆個室に風呂がついている ☆個室にスリッパが人数分置いてある ☆ウェルカム和菓子が出迎えてくれる 以上(長くなるのでこの辺りで止めておく)。物質文明にどっぷりと浸かっているボクのわがままな期待が多いがいくつかの項目はあって当然の設備といえよう。 =精神・環境的期待= ☆災害時の非常口が備わっている(安心) ☆特定の号室にまつわる不気味な話がない(安心) ☆ボクらの部屋から川の流れる音が聞える(癒し) ☆窓が最低でも一つあり、そこから木々が見えること(癒し) ☆蚊がやたらと室内を飛んでいないこと(快適) 以上(きりがないのでこの辺で)。いくつかの項目は建築基準法で定められていそうだが、油断は禁物だ。 しかし、やはり何と言っても「壁が薄くない」こと。これに尽きる。 とまぁ、ボクがいろいろイメージして物を言うのは勝手だ。すでに某旅館はその姿でそこにあるのだから。決まっていることに対して、とやかく言っても始まらない。 次にボクらがやるべきことは、出発地から宿泊地までのドライブコース選びだ。今回の道程は、将軍の運転に一任している。そして、その道程は、ボクが主導となって決めることにした。ただダラダラのんびり過ごすだけの旅行のはずなのだが、3人とも欲が出るのだろうか。どこか観光地へ寄ろうとしている。めんどくさがりのボクらが、パンフレットのオプショナルツアーを高慢にも蹴り、自分たちでオプショナルを決めようというのだから、その根性と度胸は見上げたものだ。 それにしても、旅行に行く前にこんなに文が書けてしまったら、帰ってきたときの報告が恐ろしい量になりそうだ。しかし、その難題は持ち前のいい加減さで克服しようと思う。 ○サインは「シバヤマ」(7月30日) 数日前にマネージャーが旅行の書類一式を持ってきた。旅行会社との手続きはすべてマネージャーが行った。煩雑な手続きだったと思うが、マネージャーだから仕方がない。 夕方、将軍がボクのところにきた。旅行書類の必要事項を記入するよう、ボクは将軍にせまった。将軍がボールペンで記入している最中に、ボクが突然大声を上げて将軍を驚かすという、スリリングな場面を見ることができた。将軍があまりにも良いリアクションをとったので撮影しておけばよかった。悔やまれる。 さて、書類は後日、マネージャーに渡さなければならない。 ○ひょっこり候補(7月31日) 午後、夕立がきた。そして、夕立が止んだのとほぼ同じタイミングでマネージャーがやってきた。彼は夕立とは関係なかったが、絶妙なタイミングだった。 そしてボクは、昨日記入した書類をマネージャーに渡した。マネージャーは今度は契約内容と旅行条件書を持ってきた。旅行条件書が、ゴリ夢中の読書リレーの中に追加したいくらい文字がびっしり詰まった紙切れだった。 そしてこの日、将軍とマネージャーが久しぶりに対面したのだった。なんと去年の大晦日・今年の元旦以来のことだった。ブランコも仰天のブランクだった(これが言いたかっただけだろ)。 余談だが、マネージャーはどんな時もひょっこりやってくるのだ。かくれんぼなどをしたら、鬼から「くそぅ、このひょっこり屋め」といわれそうだ。さらには選挙で有権者を驚かし、人気を得たいならば「ひょっこり候補」として出馬させるのが良い。街行く人々は「おっ、ひょっこり出馬したな」と感心して彼に投票する(?)だろう。 ○交通安全祈願・リターンズ(8月31日) 午後1時ころ、ボクは将軍の車に乗り、神社に向かった。旅行の道中の交通安全祈願を受けるために。 祈願は申し込み用紙を書くだけで、当日行われる。予約などは必要なかった。 申し込み用紙をみるとそこには、金額が5千円・1万円・3万円と印刷されてあった。祈願は無料ではないのだ。その時ボクは将軍の横にいたのだが、一瞬、彼が固まったように見えた。そして、彼がこの3つの選択肢を見て、何を考えているのか勝手に想像した。祈願料金が思ってた以上だったにちがいない、と。 ボクは「用紙だけもらって帰ろうよ」と将軍に促した。しかし、彼は決心したらしく、「いや、大丈夫だ」といい、名前などの個人情報を申し込み用紙に書き始めた。一体、何が大丈夫だったのだろうか。 だが、この時ばかりは、彼が男らしく見えたのだった。一瞬間ではあったが。 そして彼は、5千円に丸印をつけていた。なんとなく納得してしまった。 祈願を受けようと言い出したのはボクだったので、何だか将軍に申し訳なくなった。そこでボクは「半額出すよ」と言った。しかし将軍は、「いや、2千円でいいよ」とキッパリと言った。僅か500円の差だったが、、またも彼が男らしく見えたのだった。1日に、彼が2度も男らしく見えることは滅多にないことなのだ。落ち着いて振り返れば、暑さのせいで、ボクが幻を見ていただけだったのかもしれない。 さて、祈願は午後1時半から始まる予定で、15分くらい時間があった。ボクらは待合室で名前が呼ばれるのを待っていた。すでにオヤヂが1人、読み物をして、ソファーに座っていた。ボクらを含めて計3人がその部屋にいた。もっと人がいるのかと思ったが、そうではなかった。 祈願の最中にトイレに行きたくなると困るので、それを済ませて待合室に戻った。 部屋でウロウロしていたら、正しい参拝の儀礼の説明書きがあった。そこには「2拝2拍手1拝」と書かれてあった。ボクは、一体どういう理由から数が2・2・1なのか分からなかったが、それで神様は満足するのだろう。 そうこうしていると、待合室に若い男女が1組入ってきた。ボクが神社の沿革のパンフレットを読んでいると、将軍がその2人を見て何やらニヤニヤしているのがわかった。そんなにいやらしく笑う理由はどこにもなかった。将軍がニヤニヤしていたのは、きっと暑さのせいだったのだろう。かわいそうに。 さて、1時半になり、ボクらは放送で儀式場に呼ばれた。ボクと将軍とカップルは呼ばれたが、読み物していたオヤヂは呼ばれなかった。ボクらよりも先にいたのに。そして、計4人で祈祷場へ向かった。 儀式場は境内で、即席のイスが並べられていた。 儀式は粛々と行われていった。その途中で、突然に前説なしの出番が、将軍とカップルの男をおそった。それは、代表者が神様に向かって御神木を供え、その後、「2拝2拍手1拝」をして着席するという作法だった。しかし、この代表者2人は儀式の途中で、ありがちなミスをおかした。 彼らは、神社を墓場と間違えて、2拝2拍手した後にいきなりおがみだしたのだった。1拝は束の間、彼らから忘れられた。その後は車本体の祈願に入った。これは2分くらいで終わった。すべてが終わったのは、午後2時すこし前だった。思っていたよりも短かった。祈願後、将軍は満足そうにしていた。これで事故の可能性が減ったとでも思ったのだろうか。だが、やはり安全はすべてドライバーがハンドルとともに握っている。 |
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☆当日(9月10日) いよいよこの日がやってきた。ボクは朝4時半に起き、身支度を整えて待機した。待ち合わせの6時半すぎに、将軍が自宅前に車で迎えにきた。その後、マネージャーの家へ行き、彼を乗せた。 ついに3人の旅行がはじまった。 首都高速埼玉新都心線の新都心から高速に乗った。そして首都高速東京線へ車は走った。将軍は、JCTでの渋滞に腹をたてていたが、ジャンクションなのだから仕方がなかった。 順調な旅にみえたが、用賀料金所辺りで、緊急事態が起きた。ボクが激しい尿意をもよおしたのだった。ボクは、ふだんから水分の摂取量が多い。よりによって高速で何も考えずに水分を体内に流しこみ、それがいつしか排泄される段階にまで達したのだ。ボクの膀胱は、お茶が満杯に入った急須状態になった。少しでも傾けばこぼれてしまう。エマージェンシー、エマージェンシー。 「我慢してろ」といっていた運転手の将軍も、やがては同じ状態に陥った。旅と尿意はみちづれなのだ。 東京ICから、東名高速道路に入り、近場のサービスエリアで、ボクの膀胱に溜まった老廃物を体外へ逃がしてやった。朝食はとらず、3人で(なぜか)クレープを食べた。 再び高速へ戻ると、箱根IC辺りで事故が起きたとの情報が入った。ボクらは沼津ICまで行くのだが、どうやら横浜から120分もかかる渋滞に遭遇した。将軍は、しきりにハイウェイラジオを聴きたがったが、ボクは「そんなもの聴かずとも良い」といい、強引にCDを聴いていた。旅のコンセプトがダラダラなのだから、急いで向かってそこから何が得られるというのだ。混んでいるものは混んでいる。夏は暑く、冬は寒い。 昼過ぎにボクらは沼津ICを降りた。 一行は沼津市街を通り、「かつらぎ山パーク」へ行った。ボクらはそこでブランチをとる予定だった。が、到着してみると、そこは想像以上に想像以下だった(?)のでボクらは4分でそこから去った。まめなボク(☆)はひととおりの食事所を頭に入れていたので、代わりの店を即時に決めた。 伊豆半島を、韮山・大仁方面へ下り「鮎茶屋」というところでブランチをとった。この店の近くに狩野川が流れていて、そこで天然の鮎が採れる。そして、それが料理され、食卓を飾るのだ。 しかし、「鮎茶屋」に入ると、なぜか客が既にいるのに妙にしんとしていた。「ん?」ふつうのお店は「いらっしゃいましー」とか声をかけてくれるのだが、ここは違った。ボクら3人が店に入っても、いっこうに店員は声をかけにこない。店を見渡すとバアさんがひとりだけカウンターにいた。どうすれば良いのか分からないので、とりあえず座敷にすわった。そのとき、ボクの頭をめぐったのは「一見さんお断り」店ではないのか、ということだった。「軽い気持ちでやってきた観光客になんぞ、うちの鮎の味はわかるわけない」とでも思っているのではあるまいか…。(重い気持ちの観光客など気持ち悪い。) 次第にボクは、腹が減ってるうえに、腹が立ってきた。ボクらはそのまま無言で座っていることにした。すると、バアさんはゆっくりきておしながきとおしぼりを運んできた。行動が遅いだけなのか、なんなのか分かりづらい。 3人ともメニューを「鮎釜飯」に決め、注文した。品がとどくまで、決して広くない店内を見回すと、客が増えたものの、やはりしんとしていた。なぜか店から叱られている感じがした。なんでやねん。 釜飯がくると、バアさんは思いのほか愛想が良く、ボクがミニしゃもじで苦戦していると、ご飯をよそってくれた。ボクは「なんだ、できるじゃないか、はじめからそういう感じでやってよ」と思った。鮎は、油がのっていて、塩加減も丁度良く、美味しかった。さすが、狩野川。そして、食事も後半になるにつれ、バアさんはますます愛想良くなっていった。本当は「一見さんお断り」だったのかもしれないが、気に入られた様子だったので良かった。 それにしても余談だが、「一見さんお断り」という店はどう考えても客が入らない仕組みになっているのではないか。一見じゃない状態で、はじめての店にどうやって行くというのだ。誰かの紹介でも、その紹介してくれた人をたどってゆけば、いずれは一見さんにたどりつくのではあるまいか。だいいち、ひとつひとつの「積み重ね」を否定しているようで気に食わない。 そんなこんなで、一行は「鮎茶屋」を発った。 次の目的地は、トイレの神様「明徳寺」。伊豆半島を南下し、天城まで行った。主に下半身関係の寺で、そこはもっぱら将軍の分野だった。 そこには男根の形をした石などが、真剣に祀られてあった。これらは、石が長い年月をかけて、自然にこの形になったのか、人工的に作られたのかは不明だった。そこには痴呆を防ぐ仏様なども祀られていた。下半身科の仏様と痴呆科の仏様とが、いったいどういう関係でいっしょに祀られているのかわからなかったが、3人ともなんとなくありがたい気持ちになった。そしてボクらは、そこに祀られていた仏様のほぼすべてに向かい、「2拝2拍手1拝」をした。なぜかボクには妙な違和感がつきまとっていた。「なんだろう、この違和感は」。 去り際に、ふと立て看板をみると、真言宗と書いてある。「ん?!ここは社じゃなく、仏閣だ!!」ボクらは見事な音までたてて拍手してしまったのだった。良かれと思ってやったことが、すべてばちあたりな行為となった。ボクとマネージャーは前科1犯になったが、将軍は8月31日につづいて前科2犯をこしらえあげた。 その後、一行は土肥へ行き、西伊豆スカイラインに乗った。時刻は夕暮れ。スカイラインからの眺望は、言葉にあらわせないほど美しかった。ところどころにある休憩所で車を停めて、いちいち景色を堪能した。富士山の雄大な姿をそこから見ることができた。感極まったボクらは、達磨山で停車し、そこの頂上めざして登った。より高いところから壮大な景色を眺めようと欲をかいたのだった。しかし、頂上は見えるが、いつまでたっても到着しない。終いには、ボクらの感動も徐々に消えうせ、汗と激しい息遣いのみ聞えるようになった。運動にはなったが、やはり余計な欲をかくものではない。 ボクらは下山し、再び車内に戻った。 一行は、西伊豆スカイラインを抜け、静岡県道18号を東へ向かった。 修善寺温泉に到着したのは、夕方5時を過ぎていた。 旅館は温泉街よりもやや奥まった場所にあった。しかし、今年の7月に改装しただけはあり、こざっぱりした和風の新築旅館という感じがした。ライトアップもされていて、旅路で(実際は疲れてはいなかったが)疲れた体には、癒しの効果があったかもしれない。 さて、チェックインをすませた後、ボクらは旅館の女中さんに、梅の部屋へ案内された。そこは、11畳の部屋が2部屋と、洗面所、トイレ、温泉の出る小型の風呂がついていた。1泊2日の宿泊で、ボクらは2部屋のうち、1部屋しか使わなかった。3人のわりには、とにかく広かったのだ。 早速、ボクが7月30日にこの旅館に託した希望欄のチェックをした。 =物理的期待= ☆冷蔵庫があった。 ☆テレビ(カラー)があった。 ☆エアコンがあった。 ☆電話が通っていた。 ☆個室に風呂がついていた。 ☆旅館の入口にスリッパはきちんと備えてあった。 ☆ウェルカム和菓子(水饅頭)が出迎えてくれた。 =精神・環境的期待= ☆災害時の非常口が備わっていた。 ☆特定の号室にまつわる不気味な話がなかった。 ☆旅館の立っている場所に川が流れていなかったので、ボクらの部屋から川の流れる音は聞えなかった。 ☆窓は当たり前のごとくあった。そこから木々が見えた。 ☆蚊がやたらと室内を飛んでいなかった。が、念のために、蚊取り線香まで置いてあった。 まとめていうなら、充分に満足できる旅館・個室であった。 将軍のたっての希望で、6時から夕食という予定になった。チェックインしてから、20分くらいの休憩があって、食事が部屋に運ばれた。美味しい鮎の塩焼きがでた。将軍は、「昼間も鮎の釜飯だった」といったが、静岡にきて鮎料理づくしとは贅沢な話ではないか。他に、ふだんは食べる機会がない、古代米などがでた。一行は、夕食をひととおり食べつくし、お腹がいっぱいになった。 次は入浴。ボクだけ部屋の風呂で1度入ってから、大浴場に向かった。その間、将軍がボクを待っていたので、彼といっしょに浴場へ行った。マネージャーは先にお湯に浸かりにいっていた。 ボクと将軍は、露天風呂と大浴場にむかった。そこは、大浴場という言葉に「小さい」という形容詞をつけたほうがより正確な表現な気がした。その小さい大浴場では、マネージャーがゆっくりと露天風呂に浸かっていた。ボクも足早に露天風呂に浸かった。温泉はあたたかかった。体中を血液がスムーズに流れている、そんな感じがした。アルカリ性だとかマネージャーが言っていたが、酸性とどうちがうのか、ボクにはよくわからなかった。将軍も着替えを済まして入ってきた。しばらく、3人でゆっくり・のんびりと温泉に浸かった。 小さい大浴場は、露天風呂と比べて完全に負けていた。むしろそれを、露天風呂とつなげてしまった方が良いような気がした。 そして、ボクは一足先に温泉をでて、部屋に戻った。時刻は9時頃をまわっていた。将軍とマネージャーが戻ってきた。ふたりとも気持ちよかったのかもしれない。平和な顔をしていた。 ボクは1人で、旅館を出て、自動販売機へ向かった。ついでに少し修禅寺を遠くから眺めた。暗かったので、修禅寺はほとんど見えなかったが、「温泉街の夜」という雰囲気はあった。 戻ると9時半頃で、ボクは布団にもぐった。読書をし、気づいたら12時頃になっていた。将軍はたいそう気持ちよさそうに眠りについていた。彼は浴衣を着ていたのだが、はだけた姿がすこし気持ち悪かった。 マネージャーはノートパソコンと向かい合い、起きつづけていた。ボクがうっつらして目が覚めたとき、部屋の電気は消えていて、マネージャーはやっと眠りについていた。この人は、放っておけばいつまでも眠りそうもないタイプの人なのだ。彼は、明石屋さんまさんとは違った意味で、睡眠時間の少なさそうな人だ。というより、この人は眠ることがあるのだろうか、そういう印象だったが、眠ることはあるらしかった。 夜もふけて、ボクは布団の中でいろいろ思いをめぐらせた。ボクは、この3人で温泉旅行に行く日がくるなんて、思ってもいなかった。それがこうして現実になっていることの不思議さ、3人が無事に全員旅行に参加できたこと、などなど。 そういえば、ボクは、運転手の将軍に今日1日の御礼を言うのを忘れていた。 さらにボクは、旅館の手配など煩雑な手続きをしてくれたマネージャーにも御礼を言い忘れていた。 そして不覚にも、歯を磨くことを忘れていたのだった。 |
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☆2日目(9月11日) 夜通し、ボクは2時間おきに寝起きをくり返した。そして旅行2日目の朝、ボクは6時に起きた。爽快な朝だった。マネージャーは、ボクが身支度をしているときに、温泉に浸かりに行った。 その後、将軍が起きた。おはよう。 将軍は夜中にゴソゴソしていた。ボクはこっそり起きて様子をうかがっていたのだ。ボクが、夜中の2時すぎにいったい何をしていたのかと彼に問いただすと、「温泉に浸かりに行っていた」と返答した。なるほど、それにしても普通にしていても怪しい感じがするのに、夜中に動き回るなんて、彼はますます怪しかった。 8時半になり、部屋に朝食が運ばれてきた。3人とも朝から旺盛な食欲を発揮した。それにしても、昨日の夕食も結構食べた上、たいしたこともしていないのに、なぜこんなにも朝から腹が減ったのだろうか。 10時にチェックアウト。さらば、旅館よ。 修善寺温泉は源氏にまつわる歴史の跡が多く残っているので、それらをひととおり見ておこうということになった。そして一行は、徒歩で「指月殿(しげつでん)」へと向かった。途中、「源義経像」の標榜を発見し、それが指しているやたら急な坂道を歩いた。「歩いた」というよりも「登った」といった方が正しい。しかし、いつまで登っても像は姿を現さず、暑さのせいで汗が流れた。朝風呂の意味などなくなった。ふと、前方に再び標榜が立っており、そこには「源義経像」まで750メートルあると書かれていた。ボクらはそれを見て、引き返すことにした。義経は有名だからという理由だけで、安易に像を見に登ったが、義経ほどの知名度のある像は、そう簡単に見せてはもらえないのだった。 素直に、ボクらが目指すは「指月殿」だ。 一行は、緩やかな坂道をたどって指月殿に到着した。それは、修禅寺の反対側の小高い山に位置していた。指月殿は、修善寺温泉で暗殺された源頼家の冥福を祈り、母の北条政子が指月(経典のこと)などを修禅寺に寄進したことからはじまった。とても古い、ということは一目でわかった。ボクは指月殿の奥に座っている仏像ににらみつけられているような気がした。泉のように湧きいでるうしろめたさによって、ボクはその仏像を長いあいだ直視することはできなかった。 その右手方向に、「源頼家の墓」があった。頼家は、鎌倉幕府の2代目将軍だった人物だ。彼は、北条時政の計画により、修善寺門前で暗殺されてしまったのだった。彼の境遇は、観光として気楽に訪れている人間には想像しがたいものだった。 さらにその左手方向に「十三士の墓」があった。 ここも頼家絡み。頼家の家臣は、頼家が暗殺された6日後に再起を期して謀反を企てた。しかし、挙兵前に発見され殺されたと伝えられており、その家臣たちが祭られているのがこの墓だ。 ボクらは、それぞれの墓に賽銭箱が備え付けてあったので、そのいちいちに賽銭を入れた。その行動には、免罪の意味合いもあったかもしれない。わずかな賽銭で、今までの罪が許される可能性があるのなら、安いものだ。しかし、ボクが免罪を頼んで賽銭を投げ入れ、小銭がチャラチャラ鳴ったりしたら、逆に頼家や十三士たちの安らかな眠りを妨げることになるかもしれなかった。 墓ばかりだったが、別に墓を乱造しているわけではない。 時代の流れに翻弄され、無念の思いでこの世を去っただろう人々は数多くいる。そして、無念の思いの数だけ慰めが必要であることの証として、これだけの墓が建立されたのだと、ボクは思った。 ところで、修禅寺(修善寺は地名)の歴史は古い。ここは、平安時代初期に、弘法大師によって開基された。当時は、地名が桂谷といわれており、桂谷山寺といわれていた。この寺の歴史を延々と書くことはここでは控える。調べようと思えば、いままでの墓も修禅寺もすぐに史料が見つかるので、ここでは割愛させてもらう。 さて、一行は、いよいよ見学の本丸(?)である修禅寺へ向かった。 しかし、なんと改修工事中であり、2006年の完成予定までその全貌をみることはできなかった。 この改修工事は、過去の地震でゆがんだ本堂の柱や梁などの骨組み直しのためだ。 それにしても、修善寺温泉に行くのに、そんな重要なことさえ、事前に調べていなかったなんて、ボクらの旅行らしいじゃないか。 ここでも、免罪に余念のない一行は、賽銭を次々と賽銭箱へ投げ入れたのだった。 そして寺からの帰りぎわに、マネージャーは階段を踏み外し転びそうになった。 そういえば、彼は今回の旅行でも段差という段差によくつまづいた。 「今回の旅行でも」と書いたのは、マネージャーがそれ以前も、よく段差につまづいていたことをあらわしている。小学生の時分に、彼はなんの脈略もなく教室の中でつまづき、給食のおかずのコロッケをぶちまけたことがあった。もしかしたら彼は、学生時代の通知表の備考欄に「君は1年間、段差によくつまづきました」と教師から書かれたことがあったのかもしれない。今度、彼に聞いてみようと思う。 そして一行は午前中に、修善寺温泉のおおまかな観光を終えた。 ちなみに、修善寺温泉へ行こうと考えている方はこちらを参考にしてみてください→http://www.shuzenji.jp/ ボクらの次の目的地は「怪しい少年少女博物館」であった。ここはボクの希望で、本当にここへ行くことができるとは思っていなかった。この場を借りて、将軍とマネージャーに御礼を言う。「ありがとう」 さて、一行を乗せた車は、修善寺温泉から県道12号を東へ向かった。途中、道に迷い国有林地帯を走るよい機会に恵まれた。そこは、土むき出しの道路が延々と続き、土砂もそのまま放置されていた。ほとんど人の手がつけられていないのだ。そんな中、ボクは助手席でカーラジオのヒップホップをききながら、美しい景色を眺めていた。運転手の将軍はさぞかし大変だったろう。 そして、うまく軌道修正した一行は、冷川(ひえかわ)を通り、伊東へ抜けた。そして南下し、伊豆高原へと走った。時刻は昼をいくらか過ぎていたので、国道135号沿いにあった「眺望亭・なが澤」で昼飯をとった。将軍が「眺望亭」を「絶望亭」と言い換えて、しきりに笑っていた。この所業の救済のためにも、彼は賽銭の額面をもっと増やすべきだった。 ボクらは窓際の席に座り、食事が運ばれてくるまで景色を眺めつつ談笑した。 お腹もいっぱいになったところで、いよいよ「怪しい少年少女博物館」へ向かった。 「怪しい少年少女博物館」に到着した。駐車場には、仮面をかぶった巨大な男の像がたっていた。これがこの博物館の目印なのかもしれない。 車を降り、ボクはいよいよやってきたな、と息を呑んだ。しかし、記念撮影は忘れなかった。入り口では、河童らしき妖怪(?)と、着物をきた淋しそうな顔つきの女性の等身大人形が出迎えてくれた。それにしてもあまりうれしくない出迎えだった。 3人は、現地のコンビニで買った(100円割引で900円の)前売り入場券を受付に渡した。その受付の窓口の横に、「糞尿大全」というタイトルの本があった。いったいどういうつもりでこんな本を売っているのか、ボクにはわからなかった。ひょっとしたら、これは展示品のようなもので、「売れたらめっけもん」という感じで置いてあったのかもしれない。 やれやれ、出だしから随分といろいろ魅せてくれる博物館だ。 さて、館内に入ると、ショーケースの中には所狭しと人形がならべられていた。人形の数を数えたらとんでもないことになりそうなほどだ。手のひらサイズのものから等身大の人形などなど。ときどき仏像や狐の置きものなどが目についた。なんなの、なんなの。 そんな中、いやな感じがしたオブジェが数箇所に展示されていた。それは、50センチメートル大の社で、そのなかに笑っている仏像やら日本人形やらが入っているのだ。いよいよなんなのという感じである。 ボクらは修善寺で神聖な仏像を見てきたのだが、ここのは同じ仏像でもずいぶん違って見えた。ボクは、場面設定というものは非常に大切なことなんだなだと痛感した。 かと思えば、壊れたインベーダーゲームが置いてあったりした。 そして一行は2階へ。 2階へ登ると、妙に背の高い男性がいるな、と思ったら人形だった。いやなフェイクだ。ドキッとする。 2階は、幽霊だのエイリアンだのガイコツだのが展示されていた。なんだか本当に霊でも住んでいるのではないかという雰囲気だった。 バックでずっと流れているお経も気になる。 ボクの特にいやな印象に残ったのは、山姥のようないでたちをした、老婆のひどく茶っこくなった人形だった。ボクは、この人形をいますぐ供養したほうが、客やひいては博物館全体にとって、絶対によいことだと思った。いや、いっそのこと、博物館ごと供養してもらったほうがよい。 「呪いのわら人形セットで300円」というのがあった。セットだろうが、単品だろうが率直に要らない。 そして、ボクらは足早にオカルトチックな2階から去った。 次にボクらは博物館内にあるアトラクション「怪しい夜の学校」へ向かった。名前からして想像がつくと思うが、これはお化け屋敷である。ボクは事前にこっそりとこの博物館について調べていたので、このアトラクションがあることを知っていた。一行はそこへ入った。 いざ、「怪しい夜の学校」を目の当たりにすると、これは「お化け屋敷」というよりも「お化け掘っ立て小屋」である。そして本館とは少し離れて、立っている。 ボクは、この掘っ立て小屋にとてもいやな感じがした。この博物館では、たいへんよく「いやな感じ」を抱く機会に恵まれる。 さて、そろそろ入ろうじゃないか。 入り口からスピーカーで女の人の声を流しており、ボクはその時点で入場したくなくなった。その声は誰かをしきりに呼んでいたのだ。絶対にボクのことを呼んでいたわけではないことはわかっていた。しかし、耳に焼きついてその声がはなれない。 2階で流れていたお経のBGMと同様に、声とか音とかボクはどちらといえばそういうものに恐怖感をいだくのだ。 そんなボクの恐怖をよそに、将軍が先頭を切り、2番目がボクで最後がマネージャーという順番で入った。ボクは「2番目ならば、最初に恐怖に遭遇することはないし、うしろからのおどかしは最後の人が遭遇する」と考えた。なんと狡猾な、なんと卑劣な。 だが、のちにこの考えはあっけなく崩壊する。 屋敷の中の仕掛けはどうってことはなかった。というよりも、暗くてまわりでいったい何が展開されているのかわからないのだ。よって、仕掛けの人形が動くガチャガチャという音と、女性のうらめしい声が流れる音が流れる中をひたすら歩いてゆくしかない。 そして、アトラクションが終わりに近づいた地点で予期せぬ出来事が起きた。しかも絶対に安全だと考えていた2番目にいたボクに。 なんと、出口寸前のところで、ボクの背後から突然、ものすごい音で「シュー!!」という音がしたのだ。それに強烈に驚いたボクは、先頭の将軍を突き飛ばし、マネージャーにぶつかり、外へ出た。ほんとうに終わりの地点にいて、しかもよりによってなぜ2番目にいたボクが襲われなければならないのか。 ふつうなら、先頭にいた将軍が真っ先に襲われるじゃないか。 調査の結果、その空気は人形の口から噴射され、それはセンサーで反応するようになっていたことが判明した。どうやら、ボクがそのセンサーに近づきすぎたせいで反応したらしかった。 お化け屋敷を作るならば、目が眩まんばかりの明かりを天井にとりつけ、水の流れる音をBGMで流し、メルヘンチックな人形を展示した方が入場客にはやさしい。21世紀の現代においては、お化け屋敷も人にやさしくなければならないのだ(?)。 驚かされたボクは、冷や汗をぐっしょりかいていた。将軍は笑っていた。マネージャーは冷静だった。ボクは汗っかきだった。でももしかしたら、これはふだんから突然大声をあげ人を驚かす行為を繰り返していたボクへの天罰だったのかもしれない。それにしても、修善寺で賽銭をいちいち投げ入れておいてよかった。さもなくば、もっとひどい天罰がボクを見舞ったかもしれない。 一行は(ボクだけ)釈然としないままに、この博物館を去った。 ここへ行こうと考えた人はこちらへ→http://ayashii.pandora.nu/ 次なる目的地は、マネージャーがなんとなく地図で指差した「城ヶ崎海岸」である。 「NEXT」をクリックして次のページへめくってください。 |
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