馬の話は馬に訊け 【04.9.18記】

安西美穂子と白井透
ハルウララを"強奪"する側の論理

9月17日、高知競馬からハルウララを連れ去った 安西美穂子氏が移送先の栃木県内の牧場で記者会見を開いた。 安西氏は宗石師を説得した上でハルウララを連れてきたことを強調した。

放牧に対する調教師との意見の対立について 「ウララを思う気持ちは一緒でも、パパとママの教育方針 が違った」と説明した上で、 「栃木に来てからのウララの元気な姿を見て、正解だったと思う。幸せ」と話した。 高知競馬で来年3月に行われるレースで武豊騎手が騎乗、 そのレースを最後に引退する方針に変わりはなく、 高知に戻る時期については「宗石調教師と相談して決めたい」とした。 同ファーム関係者によると、ハルウララは高知からの移動中、 街のネオンに驚いた様子だったが、到着してからは順調。 1歳の子馬と仲良くなるなど、徐々にリラックスしてきているという。 (日刊スポーツ)

安西氏はフリーライターとして 「厩舎(おうち)へ帰ろう」シリーズなど、 馬を擬人化する独特の文体で著書を出版してきた。 今年に入ってからは週刊ギャロップに「ハルウララとの日々―生きていくために」も連載しており、 安西氏の文章を目にした方も多いのではないだろうか。 どんな馬とでも気持ちを通じ合わせ、その意思を汲み取りながら物語を展開していく手法は、 あまりに違和感が強すぎて私は敬遠したが、 シリーズが版を重ねたということはそれを求める消費者がいたのだろう。 常識的に考えれば、馬が最も頼りにするのは四六時中世話をする厩務員であり、 時折訪れるファンや記者、馬主を親しい人間として認識するはずがない。当然、 安西氏の手法は彼女一流のフィクションを綴るためのものだと思っていた。 ところが、一連の騒動を見ていくうちに、 安西氏自身は本当に馬と会話できると信じこんでいるのではないかと私は感じ始めた。 そうでなければ、一般マスコミに向けて 「ウララのママ」と名乗り、 「教育方針が違った」「夏休みをあげたい」などと会見で堂々と述べることができるだろうか。 安西氏の連載を一部引用する。

馬が心を開いて何かを伝えようと思うとき、そこには独特な気(オーラ)が立ちこめる。 私はこれまで何度かそれを経験してきた。… ステイゴールドが東京競馬場で最後のレースを迎えたときのことだった。… 彼は私に突然伝えてきた。 「もう僕はここへは帰ってこない。これまでありがとう…」と。… やめて、もう何も言わないで。あなたがそんなにすべてをわかっていたなんて、耐えられない。 心の中で叫びながら必死で嗚咽をこらえた。 (週刊Gallop 9/12号)

馬は、人間にない何か特別な情緒(能力)を持っている… これは、私がこれまで20年、出会った馬と話をしながら、 いろんなものを貰いながら、感じ続けたことである。… 馬にあって人間にない何か…。私がなんとか証明したいと思っているひとつの仮説である。 それさえ証明できれば、馬と自分の間にときどき起こる 不思議なことが、全部説明がつくような気がする。… ホースウイスパラーとは、馬と話すことができる、馬の心の叫びを聞くことができる人間のことを言う。 …馬が人間にないあるものをくれると、私の身体は即反応し、心には不思議な音楽が流れる。 (週刊Gallop 8/29号)

犬や猫を擬人化して溺愛し、 死ぬとペットロス症候群に陥る人々が増えている。 あるいは安西氏も過度にサラブレッドを擬人化し、 「ウララが走りたくないと叫んでいる」と本気で思いこんだのかもしれない。 少なくとも馬と話すことのできるホースウイスパラーとやらに憧れを抱いているのは確かなようだ。 経済的利益の追求もさることながら、それだけならもう少し巧いやり方もあったはずだ。 今回の騒動で一般市民のなかには共感する人々がいても、 競馬界からは安西氏は完全にレッドカードをもらってしまった。 安西氏の心の奥底は誰にも分からない。

一方、表だって一般紙などでは報道されていないが、 安西氏と急速に距離を縮め、ブレイン的な存在になっているのが 競馬評論家の 白井透氏だ。白井氏は昭和18年生まれ。 サラブレッド血統センターを創設し、「競馬四季報」、「日本の種牡馬録」など血統に関する出版を手がけてきた。 90年には中断していた世界的なサラブレッド血統基礎資料 「ファミリー・テーブル」第3巻を出版し、JRA賞馬事文化賞を受賞している著名な人物だ。 とりわけファミリー・テーブルの3巻を編纂した功績は、日本の生産界で語り継がれる偉業だろう。

その白井氏が安西氏と出会ったのは今年6月上旬。 ハルウララに魅入られた白井氏が自身のホームページで「ハルウララ日記」という コーナーをつくったのがきっかけだった。 14日の日記では安西氏に求められて高知にこれから発つと記載されていることから、 ハルウララを連れ去った現場にも立ち会ったのは間違いない (東京スポーツは白井氏の日記を引用した上で、 「血統解説などで活躍していたS氏」が「抵抗するなら警察を呼ぶぞ」と 強硬に宗石師に迫ったと報道している)。 日記ではハルウララをリフレッシュのため休養させることを安西氏に勧めている ことも記されている。 さらに日記を読み解くと、 ハルウララを放牧させる目的と、 シンデレラストーリーと名付けられた 白井氏の壮大なヴィジョンが浮かび上がってくる。

休養を兼ねて北海道に送り、青草を食べさせ、英気を養う。トレセンで調教する。 来年、今年走ったレースで、再び武騎手に騎乗依頼し、必勝を期す。 勝ったら繁殖に上げて子供をとる。ハルウララが牝馬だから考えられる案である。 今まで頑張ったから考えられる案である。そして、絶対に最後に勝つという、「シンデレラストーリー」の手に届くところにい る(2、3着にきている)から考えられる案である。 …ことが成就するための全条件は揃った。 こうなればリフレッシュさせるための資金を集めることは難しいことではない。 ハルウララに、日本でトップの種牡馬を配合しなければ次のストーリーは描けない。 もし、一流の種馬を10年配合すれば、中には走る馬が出てくるだろう。 上手くいけば、子供から孫へとハルウララ系をつくることもないとはいえない。… このストーリーを成し遂げるには、ハルウララを現物出資し、同時に出資を募り、株式会社ハルウララを設立することだ。 …私はこの会社は、資本金1億円ぐらいからスタートする必要があると思う。 …この方法ならば、ハルウララを確実に勝たせ、シンデレラストーリーを完結させ、そして発展させることができる。 (ハルウララ日記より)

白井氏の考えは、@ハルウララを放牧、高知競馬場以外の施設で調教する、 Aパワーアップして帰ってきたハルウララに武豊を乗せて勝利する、 B繁殖にあげて毎年トップサイヤーを種付けする、 C子孫を繁栄させハルウララ系をつくる、ということのようだ。 そのためには資本金1億円を集めて株式会社を起こさなくてはならないのだという。 実際、安西氏は記者会見で 「引退までに1回は走らせたい」 としていて、 白井案のように武豊の一発勝負に賭けるつもりらしい (既成事実のように主張しているが、武豊は騎乗依頼を受諾したのだろうか?)。 となると、今後は安西氏が主宰する おうちへ帰ろうCLUBが母体となって、 株式会社ハルウララ設立のため、出資を募ることになるのだろうか。 その先はダンスインザダークやタイキシャトルなど、一流種牡馬と交配させるつもりだろうか。 競馬とは夢をみるものだが、白井氏の夢にはとてもついていけないところがある。 いずれにせよ、安西氏も白井氏もハルウララという一頭の未勝利馬に取り憑かれていて、 地方競馬、高知競馬の存続という当初の目的を見失い、 迷走を始めたのは明らかだ。

強奪騒動以前、高知競馬では引退レースを含めて10回のハルウララの出走を見込んでいた。 ハルウララの出走日には売り上げは通常の倍の800万から1000万円に上るという。 単純に見積もれば、高知競馬は4000万円以上の売り上げを失ったわけだ。 白井氏はこう語る。

安西さんは「放牧に出して、休養させ、リフレッシュさせた後、レースに望ませたい」との意向を口にしたが、 それに対し、同席したトレーナーと高知競馬の前田管理者が、 それは難しいようなことを言ってその場を遮ったが、これは全くおかしな話である。 …どの様にして馬を勝たせるか、は馬主の権利である。 反対するのなら、馬主には誰を調教師にするかの選択権もある。 また、その正当の権利を行使しようとするのに、主催者側が口を挟むようなことは、 どの様な事情があれ許されることはない。 …「ハルウララが100%勝てるだろう・・・」という状態を用意するのは馬主の最低限の責任である。 (ハルウララ日記より)

安西氏と白井氏の夢物語に付き合わされた 高知競馬と宗石師には、気の毒としか言いようがない。 ハルウララを安西氏に無償譲渡すると決めたのは宗石師だから、 今年の流行語で言えば「自己責任」ということになるのかもしれない。 だが、高知競馬の窮状を考えれば、ハルウララブームはあまりに酷な結末を迎えようとしているのではないか。

※ 蛇足だが白井氏の日記には「彼女のアンテナに、ハルウララの名前が南風に乗せて届いたのは、昨年の6月だったという。 頼まれればイヤといえない性格、馬主の役まで引き受けてしまったという。それは武騎手が乗る前のこと、 こんなに人気が全国区になるなどとは思いもよらなかったという」 との一節があり、「ウララが話題になり始めた1年ほど前から譲り受ける話を進めていました」と以前の 記者会見での安西氏の発言と明らかに食い違う箇所がみえる。 ちなみに武豊が騎乗したのは今年3月のことで、 100連敗で一斉に熱を帯びたのは去年12月である。 この点、白井氏の事実認識にも疑問を呈せざるを得ない。



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