京都遠征 <1日目>

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 ●京都到着〜集合

 霊山歴史館・翠紅館跡・八坂神社・祇園会所跡

↑翠紅館跡

↑八坂神社

↑祇園会所跡

<霊山歴史館>  集合時間前に行ってみました。島田魁の遺品や近藤勇の書など数多く展示されていますが, 私はここで色んな人の書を見ながらその人柄について思いを馳せるのが好きです。
<翠紅館跡>  翠紅館は,霊山歴史館から坂を下る途中にあります。 ※翠紅館の説明板はここをクリック
<八坂神社と祇園会所跡>  宿泊先が月真院だった事もあり,ちょっとした買出しなどで,何度も八坂神社を通り, そして祇園会所跡に行きました。「祇園会所に行こう」=「コンビニに行こう」ですからねぇ。
 ●壬生

 壬生塚・八木邸・光縁寺
 
↑壬生塚での集合写真
 
↑八木邸
 
↑光縁寺の紋
(丸に右離れ三つ葉立葵)
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↑光縁寺 新選組隊士らの墓
<合掌>

<壬生寺>  まずは芹澤局長・近藤局長へ参加者全員でご挨拶。遠征と新選組展の成功を祈るのでありました。 『あぁ新選組』も聴きました。え?歌詞が見たい??はいどうぞ→『あぁ新選組 歌詞』※音はありません。
※壬生塚の説明板はここをクリック  ※誰も居ない壬生塚はここをクリック
<八木邸と野辺帖>  畳の上には赤い絨毯が敷かれ,床の間の脇には白いショーケースが設置 されていました。ショーケースには期間限定公開の『野辺帖』など3点展示されていました。 野辺帖は八木邸で葬儀があった際に弔問に訪れた人の氏名が書かれていますが, この時受付を芹澤鴨と近藤勇が担当したという話しがあり,野辺帖も芹澤鴨の筆によるものと 言われています。筆跡からは従来の芹澤鴨のイメージ(乱暴者とか)は全く無く, 「落ち着いた大人」という感じがします。そもそも芹澤鴨は局長を務る程の方なのですから 当然それなりの人物だったはず!これまで必要以上に悪いイメージがつきまとっていましたが, 今後は見直されるべきでしょうね。
※八木邸の説明板はここをクリック
<光縁寺>  光縁寺は,時間が無かった為,隊士達のお墓にお線香を供えご挨拶したのみでした。 山南敬助の墓は特に痛みが酷く,修復した後がありました。併せて新選組隊士の墓の周辺を整備し直したようで, 雰囲気がちょっと変わっていました。時間があれば,本堂にある新選組隊士の位牌にも手を合わせ, 本棚の関連書籍や写真資料(過去帳の写真など,資料が充実しています)に浸るのもグーです。 それにしても,光縁寺に埋葬されている新選組関係者,実に28名!(禁裏御陵衛士,大石造酒蔵,沖田氏縁者 含む)。 山南敬助と懇意にしていたという良誉上人(当時の住職で山南と同年齢との事)は,山南敬助自身が運ばれて来た時, どんな思いで弔ったのでしょうか…。
<新選組グッズ>  京都新選組同好会さんのこだわりの店”京屋忠兵衛”,旧前川邸,八木邸と, 壬生は新選組グッズの大激戦区と化しています。
 ●不動堂村〜油小路 ▲TOPへ

 不動堂村屯所跡・本光寺・天満屋跡・西本願寺太鼓楼
 
↑不動堂村屯所跡の碑
 
↑本光寺 伊東摂津絶命の地
<合掌>

↑天満屋跡

↑西本願寺太鼓楼

<不動堂村屯所跡>  堀川通りにあるリーガロイヤルホテル前に,できたての石碑がありました。 不動堂村屯所跡の場所については諸説ありますが,この石碑の説明文を見ると「この付近」と表現されてました。 堀川通を挟んで反対側は不動堂があり,その手前が空き地,右にはグランドがあり, その辺りが広さ的にもそれっぽい感じもしました。それにしても,大名屋敷並の立派な屯所だったと噂の建物! そんな立派な建物なら新築なんだし明治以降も何かに使用すれば良かったのに…と思いますが, やはり「新選組」という名の存在を一掃しなくてはならなかったという事でしょうか?勿体無い。
※不動堂村屯所跡の説明板はここをクリック
<本光寺>  開かずの門がついに開くっ?!いつも呼び鈴を鳴らすも結局門が開くことがなく,中を見る事ができずにいましたが, この日はたまたま何かの取材をやっており,私達も門の中に入り,伊東摂津絶命の地をこの目で見る事ができました。
※本光寺の説明板はここをクリック  ※いつもの本光寺はここをクリック
<天満屋跡>  「天満屋ってこんな所にあったのね」というのが最初の印象です。 現在は普通の住宅街ですので,この石碑の周りに人だかりができているのを住民の皆様は怪訝そうに見守っておられました。 それにしても中井庄五郎と斎藤一は四条橋畔の一件がありましたので,「ここで会ったが百年目…」という感じだった のでしょうか?でもきっと暗闇の中での出来事ですよね?互いを認識できていたのでしょうか?
<西本願寺太鼓楼と永倉新八妾宅跡>  今回は通り過ぎただけです。油小路と太鼓楼の間に永倉新八の妾宅があったらしいです。 食事の炊き出しもあったという話しですから,みんな屯所の近くに住居を構えていたのでしょう。 しかし前から不思議に思っているのですが,新選組幹部が奇襲されたという話しは, 鳥羽伏見の戦いの前に近藤勇妾宅に居た沖田総司を襲ったが既に本人が出て行った後だったという話以外に 聞いた事が無いのですが,彼等の妾宅は本当に狙われなかったのでしょうか? まさか屯所並に警護が厳重だったとか?いやそれじゃ安らげないのでは?…ささやかな疑問です。
 ●島原 ▲TOPへ

 島原大門・角屋・誠の湯
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(上段)島原大門の説明板・(下段)角屋

<島原大門>  島原大門の写真はまともに撮れたものが無かったので,説明板を3連発で載せてみました。
<角屋>  角屋は休館中でしたので,外観を眺めたのみです。今度来る時は絶対に二階も見学するぞ! 輪違屋のご主人曰く,角屋で宴会が開かれた記録はちゃんと残っていて,誰の宴会で何を食べたのかというレシピも 残っているそうです。しかし…新選組に関する資料は残っていないとか…何故なら,新選組は酒と女さえあれば 良い集団だった為,まともに料理を堪能するという事が無く,「へ?新選組??めざしで充分」という感じだったとか。  いやいや探せばきっと少しくらいは…。
 それにしても倒幕派と左幕派が実は同じ時に隣の座敷に…という事があっても,互いにそれと知りつつ手出ししないのが 島原の暗黙の了解だったという話しを聞いた事があるのですが,本当なんでしょうか?
<誠の湯>  うだるような暑さの中で野外活動を行っていた為,汗と埃にまみれてしまいました。 この後,いよいよ輪違屋の特別見学です。その前に島原の中にある「誠の湯」で一日の汚れを落としました。 昼食は八坂神社近くでお蕎麦を食べたのみでしたので,この頃になると空腹も限界でした。 なお,月真院の入浴時間が22時までという事もあり,私は翌日もここを利用しました。

 輪違屋

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<はじめに>  輪違屋は現在も現役で営業しています。とても敷居の高いお店ですから,私のような者が気軽に入れるような ところではありません。勿論,一見さんお断りです。今回の遠征では,ご縁により,特別に見学させていただく事が できました。ですから突然見学を申し込む事は勿論,興味本位で入れるところでは無いという事をご理解ください。  また,写真も外観のみとさせていただきます。
<輪違屋に入る!>  中に一歩入ったその時から空気が全く違うものになっていました。 それを一言で表現するなら正に「輪違い!」…もといっ!「場違い!」(ベタなダジャレでスミマセン)。建物の重厚さ,厳粛さ, 妖艶さ,そして敷居の高さに,もう本当に言葉すら忘れてボケ〜っと突っ立ってしまいました。 そんな私達を迎えてくださったのは,輪違屋の女将さん(とお呼びして良いのかどうかすら私にはわかりませんが 今回はそう呼ばせてください)とご主人(と呼ばせてください)でした。
 玄関から上がると帳場で,年季の入った調度品の数々に目は釘付け!そして最初に通された部屋は,今回参加した全員で囲む事が できる程の大きなテーブルのある部屋でした。大緊張モードで,何をして良いやらもわからず,ただただ黙って座っているだけで 精一杯でした。この部屋の隣にはカウンター席があり,ここでご主人とお洒落なおしゃべりをしながら飲む事もできるようです。
<1階のお座敷>  しばらくすると女将さんがいよいよお座敷を案内してくださるという事で,まずは1階のお座敷に入りました。 3つの座敷を襖をはずして繋げた大きな部屋で,座布団がコの字型に並べられており,厳かな雰囲気を醸し出していました。 映画壬生義士伝で宴会シーンが出てきますが,あれの誰も居ない状態だと思ってください。この座敷からは3つの中庭を望む事が できます。室内といい,中庭といい,明かりが制限されており,その暗さ加減が良い雰囲気でした。 襖には所狭しと色んな方がかかれた書簡などが貼られ,鴨居には書が掲げられ,それだけでも相当豪華な部屋ですが,それらが全く 違和感なく存在している部屋でした。お座敷で宴会をするというのはこういう雰囲気なのか〜と想像するとドキドキしてきて, 酸欠になりました。部屋の中にあるもの一つ一つについて女将さんは丁寧に説明してくださいました(録音すれば良かった〜!)。
<近藤勇の書>  この座敷の上座に,近藤勇が書き残した書を貼った屏風がありました。ご主人曰く,「こういった書はもっと沢山あったが, かなりの量を処分してしまった。今屏風にあるのはたまたま残っていた一つ」という事です。この漢文には「江州撃剣匠 浪士  近藤勇藤原昌宜書」と書いてあります。まだ新選組局長となる前のものという事でしょうか。ほろ酔いに「先生〜」なんて呼ばれて ,良い気分になって書いたのでしょうか?それとも飲み代のつもりだったのでしょうか??
<2階のお座敷>  急な階段(と言っても横幅は結構広かったです)を上がり,太夫が使用する部屋(と説明されたような気がします。)とお座敷を 2部屋案内していただきました。最初に入ったお座敷は「傘の間」で,襖に大変綺麗な傘の絵がありました。 この部屋の床の間には桂小五郎が書いたという書が飾ってありました。もう一つのお座敷は「紅葉の間」で,壁紙に紅葉の模様が 入っています。本物の紅葉から型を取っているそうです。そういった心遣いや伝統を守っている姿が「本物」を感じさせました。
<ご主人の話>  一通り見学を終えて,最初に控えていた部屋へ戻りました。ここで飲み物とおつまみをいただきながらご主人の話を伺いました。 ご主人は大変お話上手で,とても魅力的な方でした。花町の昔と今の話,新選組と女性の話など,色気ある話を沢山拝聴しました。 そしてあっという間に時間が過ぎ,私達は後ろ髪を引かれる思いで,もう二度と入る事の無い(ような気がする)輪違屋さんを後にしました。



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