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京都国立博物館 セレモニーでは土方家・井上家・佐藤家等今回出展に協力されている方々が次々と紹介されました。 いよいよ開館!報道関係者は多かったです。声をかけられたりもしたのですが,何しろこちらも展示品を見るのに 必死でしたのであまりお応え出来ませんでした。その割りに翌日の朝刊には展示品に食いついている自分の姿が 掲載されていましたが…後姿で良かった〜。前から見たらヨダレ垂れてたかも。 さて展示の方ですが,これはもう「すごい!」「素晴らしい!」という言葉に尽きます。 日本中に点在している新選組関連資料が一同に会しているのですから,ファンにとって,これ以上の展示会は ありません!函館,仙台,日野,京都…アノ本で見た資料,コノ本で読んだ書簡が目の前にあるんですよっ! 特に目を見張ったのは,近藤芳助の書簡。よく本ではこの書簡の内容が一部引用されたり,近藤芳助の書簡に 書いてあるなどと表現されているのですが,それを実際に見たのは初めてでした。それから井上源三郎の天然理 心流免許。「切紙」「目録」「中極意目録」「免許」と揃っており,大変感動しました。いずれ井上源三郎資料館 で再会できる事を楽しみにしています。それから現在は痛みが進み読み取る事のできない部分までしっかり見る 事のできる板橋の慰霊碑の拓本も貴重でした。思わず「林信太郎」を探してしまいました。 逆に心残りだったのは,函館にある中島登の『戦友姿絵』が全部展示されていなかった事。全部で確か29枚 あったと思うのですが,大きなショーケースでも全てを展示しきれない程の量だった為か,展示し切れなかったと 思われる部分はクルクル丸められたままになっており,見る事ができませんでした。 本当は一日中見ていたかったのですが,そういうわけにもいかず博物館を後にしました。しかし当然ながら 消化不良だった為,私はこの後,午後の自由時間及び3日目の自由時間に博物館に通う事になりました。 そして個人的には「佐藤彦五郎宛 永倉新八書簡」を堪能しました〜(感無量)。 |
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旧前川邸・壬生寺・八木邸 隊服で壬生に行くなんてっ!恐れ多かったのですが,これも今回のお役目!やるからには堂々と!!という訳で, 旧前川邸に落ち着きました。日野から国立博物館のセレモニーに参加された関係者の方々が中を見学されているところでした。 この間,沢山写真を撮りました。何と!栗塚旭氏もいらっしゃっており,一緒に撮らせていただきました。八木邸や壬生塚でも皆で 思い思いの写真を撮りました。暑さでいささか疲れ気味な雰囲気もありますが…。 ところで,そんなこんなで今回は相当量の写真を撮ったのですが,撮影時の功労者は何と言っても,3日間を通して常にカメラマンだった 当会の井上源三郎先生と見習隊士Oさん!有難うございました〜っ! |
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一力亭・中岡慎太郎寓居跡・桝屋跡・黒谷 <一力亭> 四条通りを歩きながら通りかかりました。青い空に一力亭の建物の色がとても映えます。 <桝屋跡> 河原町通りを歩きながら行ってみました。 <中岡慎太郎寓居跡> 河原町通りを歩きながら通りかかりました。通りの向こう側には「近江屋跡」も見えていました。 しかし四条通りと河原町通りは人も車も多い! ※中岡慎太郎寓居跡の説明板はここをクリック <黒谷> 河原町通りで昼食を済ませ,再び京都国立博物館へ行き,更に黒谷へ向かいました。 陽が傾きかけている時でしたので,容保公の御前で試合をした後,夕暮れ時の黒谷を晴れ晴れしい気分で帰るという 某小説のシーンを思い出していました。しかし大きくて広くて立派なお寺です。流石は会津藩本陣! <会津藩墓地> 金戒光明寺の裏手にある会津藩墓地に行きました。とにかく古いお墓が所狭しと並んでおり,更に夕暮れ時という 事もあって,お墓の文字がちゃんと読めない状況でした。沢山あるお墓の中から「柴司」の墓と 新選組隊士「谷川辰吉(井汲恭平)」の墓を見ました。私はここに来るのは初めてでしたので,当会の野村利三郎師匠 (師匠と呼ばせてくださいっ! 笑)の案内が無かったら絶対に辿り着けなかったと思います。 今一人で行けと言われても…恐らく無理。 月真院でご住職から聞いたのですが,この日,大河ドラマの撮影が京都であり,その後,藤堂平助役の役者さんが, 月真院を訪れてご住職の話を聞いてお勉強して行ったそうです。 |
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