孫子
追加...
-----------------------孫子の解説------------------------
孫子の世界は、元々蛮族だった揚子江流域の部族が呉国王とかってに名乗って参加した結果、それまでの制限された戦争(同族内部の覇権争い、順列争うもの)のタガが外れて凄惨な殺し合い騙し合いの戦争へ発展した結果生じた。
(同族内部の覇権争い)
(他国への評判を恐れて(不利な状態の敵を襲うのは卑怯だ)敵が河を渡って布陣を整えるまで待ってから戦闘を行って負ける。というような制限の生じている状態...)
(戦争には決闘のような卑怯という考えは無い。1対1で正々堂々ってのは馬鹿でしかない。油断してる敵を背中から刺すのが当たり前。敵の数倍の戦力をぶつけるのが攻撃の基本になる。
たとえ兵力が同数しかなくても時間差隊形差などをフルに利用して戦闘が行われているポイントでの優勢(敵より多数になるように持って行く)を得るよう努力するのが優秀な将師の役割である。)
今日の軍事思想につながる兵法書はどれも身分階層の武士や騎士、戦士などの戦争専門の身分が戦う少数の戦いから一般の民を武装化して戦う大規模で非情な戦争(ルール無用で何でも有りの)になってから発達した。
名誉を重んじる誇り高き身分戦士
戦意に乏しい一般の民を兵士とする軍隊
(だからどうやったら兵の戦意を保ち戦わせることができるか。といったことが重視されている)
「名誉を重んじる誇り高き身分戦士の戦い」(儀式化されていた戦争)
貴族的倫理や儀礼に従った戦闘の様式化、戦う場所と日時を双方の話し合いで決め...一回の会戦がそのまま戦争全体になった。兵法は戦場内部での駆け引き程度に留まった。敵が敗走すればそこで戦は終わり追撃して敵を徹底的に破壊するようなことはしなかった。
兵法よりも個々の戦闘能力を高めて勝とうとする。戦争はただぶつかり合うだけの単純な力と力の戦い。
(たとえ戦法のようなものが有ったとしても戦いの行われる戦場での僅かなものでしかなく戦略のようなものはほとんど存在しない。)
(NHKの大河ドラマの乱戦のようなぶざまなものになる)
儀式化されていた戦争から近代的なルール無き騙(だま)し合いの戦争へ..。
直接戦闘における精強さ勇敢さが尊重される傾向は身分戦士を中心に軍隊が構成されている階層社会封建社会の軍隊の倫理でその古臭い儀式化された戦争でしか役にたたない。
追加...日本ではどうだったか?
2.日本では武士道や論語などによって戦士階級が行う儀式化された戦争といったスタイルになっていた。
モンゴルが攻めてきた時に一騎打ちをしようとして笑われたのもそのせいだし、切腹という敗者の作法も狭いこの国で敗者があきらめずに最後まで抵抗すると国が不必要に荒れるのであっさり消えてもらうために作られたのではないか?と疑われている。
孫子は戦国時代のような下克上で荒れた世界。武士階級固有の制限が外れてしまったときに初めて広く使われるようになったと考えられる。
平和な時代や武士道や論語などによって武士階級が整然と秩序を保って並べられているときには、孫子はかえって危険なものとして封印されたと考えられる。
2004.06.07...
同族同氏の損害をあまり出さないための戦争ルールの下で使われる場合は、「孫子=武士道の倫理に背く卑劣な兵学として否定」されることが多かった。(卑劣、卑怯などと言われ...)
(孫子は門外不出の書として隠される)
2003.08.02...
旧部分
孫子が流行っていると聞いたのですが(^。^)...
どうもあれは読んでると現代に当てはめるには違和感があります(-_-;)...
フランク・ケルマンの論文が一番良くその理由を説明しているようです。
孫子
孫子は優秀な将師は敵を欺き裏をかくことに長けた者だと教えているが、敵も同様の戦略を使うという事実をほとんど無視している。常に敵が受け身でこちらと同じ戦略で迎え撃って来ることが無いとして書かれている。
他方、クラウゼヴィッツは、戦争は常に相手があるということを強調している。軍事力の行使は最後の手段であるべきだという孫子の主張は、儒教的理想主義と、それが生み出した政治的文化の表われである。
クラウゼヴィッツ、戦争特有の拡大への力学について警告を発している。
フランク・ケルマンの論文
古代中国における戦闘の局面及び方法
「特殊な戦略をここまで高めたところに中国の学者(そして歴史家)の非人道的武力行使に対する嫌悪感が反映されていると言えるのかもしれない。もし戦争が、規律、組織、軍備、忍耐そして流血といったような不快な面が、陰謀術策を巡らすことにより最小限にとどめられるような一種の知的な戦闘に置き換えることができたならば、中国の文化人にとって戦争がいかに血生臭いものであろうとも、幾分かは、受け入れる余地はあったのではなかろうか。このことは次に、際立った功績をあげた将師という者は、魔法の力で自然や
周りの状況をコントロールしてしまう魔法使いであるといった連想につながる。
こうして戦争は、益々日常の経験の領域から遠ざかり、合理的儒教学者の独壇場となるわけである。そして軍隊というものを、ファンタジーの世界に押しやることで、中国軍部に現代に至るまで何世紀にもわたって思考させ続けることになった夢のような机上の戦略が導き出されたのである。」
MASTERS of WAR、マイケル・ハーデン
あまり否定的な面ばかり強調してはいけないので...
リデルハートの書いた孫子推薦の序文がかなり良いものだったはずなので探していたのですが...
やっと発見(^o^)...
でもちょっとべた誉めるすぎですが...
これを元に使って解説してみます。
リデルハートの書いた孫子推薦の序文
原文は、フランシス・ワン、仏語「孫子」の序文
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孫子の兵法は軍事学問題に関する最古の論文である。しかも、その洞察の広範なることとその深さは他の追随を許さないものがある。
まさに、これは戦争指導に関する叡智(えいち)の精髄の名に値する。過去のあらゆる軍事学者のうちで、孫子に匹敵できるものは、ひとりクラウゼヴィッツあるのみである。ところが孫子に遅れること2000年以上の彼の著作が孫子より以上に古びたものとなり、その一部はすでに用をなさなくなってしまっているのである。実に、孫子はクラウゼヴィッツより以上に明確な視野とより以上に大きな洞察力と永遠の新鮮さを有しているのである。
第一次世界大戦に先立つ時代のヨーロッパ軍事思想の鋳型を作ったクラウゼヴィッツの「戦争論」の記念碑的文献の影響を中和する意味で、仮に、孫子の「兵法」の知識が加えられていたならば今世紀における二つの世界大戦が文明に課した損害の多くは、避けられたことであろう。
孫子の現実性と中庸性は合理性と絶対性を強調するクラウゼヴィッツの傾向と対照をなすものがある。そして、クラウゼヴィッツの弟子たちはこの合理性と絶対性の上に非常識きわまる「総力戦」の理論と実践の発展を意図してあえなく挫折してしまった。
この運命的な発展はクラウゼヴィッツの次の断定
「戦争哲学の中に中庸の原理を持ち込むことは見当違いである。なぜなら戦争とは暴力を極限にまで推し進める行為だからである。」
によってさらに助長されることになってしまった。
もっとも、クラウゼヴィッツは後に「戦争の第一要因である政治目的が軍事力の目的とその努力投入量を決定する指標となるべきである」ということを認めて、さきの断定のトーンを和らげていたのであるが。さらに、彼は合理性を極度に追求すれば、手段は目的との関係をまったく失ってしまうであろうと論断していたのである。
クラウゼヴィッツの教えは彼の中庸を説いた個所を無視した弟子たちによる途方もない浅薄な絶対性一辺倒の解釈を生み出すといういまわしい結果をもたらしたが、クラウゼヴィッツ自身はこの解釈のあやまりを認めていたのである。彼は自分の理論を極度に象徴化して、それに、複雑な解釈を加えれば、実際的精神を持った軍人はその論理について行けなくなると考えていたのである。
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「ギュンター・ブルーメントリック」
=軍人に「戦争論」を与えることは”子供にカミソリで遊ぶのを許すようなもの”
大多数の現職の軍事専門家や学者が「戦争論」を自分達の先入観を都合良く確認する引用文を選定するためのマニアルとして頼りにしていた...
(クラウゼヴィッツは読者に対して遠回りに遠回りに−教育上は価値がある−推論のプロセスを描いている。)
「哲学や教育のテキストとして使うのが最上であって戦場で使うものでは無い???
(@_@)???」
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なぜなら、彼の論理は彼の意図した方向とは反対の方向にしばしば逆戻りすることがあったからである。心酔してはいるが軌道を外れてしまった弟子たちは師の華やかな決まり文句に食いついて、孫子の結論と実際にはそれほど違わない師の根本思想を取り逃がしてしまったのである。
孫子の思想の明確さはクラウゼヴィッツの思想の不明解さを修正できたであろうか、不幸にして、孫子は1仏人伝道師の簡単な訳によって、フランス革命前夜にやっとヨーロッパ世界に紹介されたにすぎないのである。
18世紀の軍事学における合理主義的風潮にとって孫子は魅力があったはずであるにもかかわらず、孫子にふさわしい影響力は革命の嵐の前に閉塞させられ、また旧態依然たる形式化してしまった敵の戦術に対するナポレオンの勝利から生まれた陶酔に窒息させられてしまった。
クラウゼヴィッツはこの陶酔状態の下で思考を開始したのである。そして、彼はその著述の改正を完成することなく世を去った。
それ故に、彼の著作は彼が遺言の中で予言したごとく無数の誤解にさらされることになったのである。
その後、各種の孫子訳がヨーロッパに現れたが、軍事界はすでにクラウゼヴィッツ絶対信奉者の影響下にあった。
それ故に、この中国の叡智の声はほとんど何の反響も起こすことはなかったのである
「長期戦で利益を得た国家はいない」
という孫子の警告に注意を払う軍人も政治家もいなくなってしまっていた。
久しい以前から、孫子の完全な新訳、つまり、より正確な彼の思想の解釈の必要性が感じられていた。
この必要性は核兵器、「つまり、強力な自殺兵器であり、かつ、大量破壊兵器」の発達とともに増大してきている。
孫子は毛沢東の率いる中国が国際舞台に軍事大国として再登場したという観点から見てもさらに重要となってきている。この訳業の企ては実に時宣を得たものであり、そして、その必要性は多角的な戦争研究と中国および中華思想の研究をなしてきた人物、サム・グリフス将軍のような有能な学徒によって満足させられた。
蒋介石の北伐によって生じた深刻な状況に対応するために英国陸軍が上海に派遣した軍司令官サー・ジョン・ダンカンが1927年春に私にあてて書いた手紙によって私は孫子に対する関心に目を開かされた。
ダンカンの手紙には次のような言葉で始まっていた。
「私はたった今、私の情熱をかきたてる一冊の本を読了しました。それは紀元前500年に中国で著された「兵法書」なのです。
この書のもつ思想のひとつは私にあなたの「水の理論」想起させました。”軍隊は水にたとえられる。水は高いところを避けて、弱いところを攻撃する。水の流れは地形によってかたちづくられ、勝利は敵情に応じた行動から得られる。”本書の中で説かれているもう一つの原理は今日の中国の将軍によって応用されています。”最高の兵法は戦いをまじえずして敵を屈服させることにある”。」
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孫子の中にも「水之形」という軍を水に例えた分があります
そもそも軍の形は水の形のようなものである。水の流れは高いところを避けて低い所へと走るが、軍の形も敵の備えをした実の部分を避けてすきのある虚の部分を攻撃する。水は地形のままに従って流れを定めるが、軍も敵情に従って勝利を決する。だから、軍には決まった勢いというものが無く、水には決まった形が無い
「孫子」虚実編より
あれ同じですね(-_-;)...
これは、訳文のつながりが違ってるのかも知れません_(._.)_...
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この書を読んだ時、私は私の思想と一致する他にも多くの個所を発見した。特に、奇襲効果の重視や迂回接近努力などである。私は孫子の手引きにより、戦術的段階に至るまでを含めて、戦争の最も基本的な原理は古今を通じて不変であるという確信を抱くに至った。
それから、およそ15年後、つまり第二次世界大戦たけなわのころ、私は、数回、蒋介石の弟子である中国の駐在武官の訪問を受けたことがある。中国の軍官学校では、私の著書やフラー将軍の著作が必読の書として使われていると彼は語った。
そこで、私は「孫子は?」と尋ねた。彼の答えは、「孫子は古典として尊重されているが、大半の青年将校はそれを時代遅れと見なしており、従って、彼らは近代兵器の時代においては何も苦労してそれまでは研究するに値しないものであると見なしています。」というものであった。
これに対して、私は時代は孫子に回帰する時期にきていると彼に注意をうながしておいた。なぜならば、この小冊子は私ならば20冊以上の本をもってしても語り尽くせないほど多量の戦略・戦術の根本原理を含有しているからである。端的に言って、孫子は軍事学に対する簡潔にして
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しかし、現代ではどう解釈しても時代遅れな文章も存在する(-_-;)...
たとえば、作戦編の「敵に食む...」
この教えが正解なのは第一次世界大戦初期までであらゆる戦争物資を大量に消費する近代戦では食料の輸送量は全体の10%台になり考慮にも値しない。大体食料の輸送に苦労しているような軍隊では戦争に絶対勝てない。
追加1999/10/6
注意<、対象を近代戦としてこの文章は書かれています、>注意
古代戦解析の場合はこの文章は重要です...
古代の兵站はアレキサンダー大王は兵の持つ奴隷の人数を減らして行軍に必要な食料を減らし機動力を高め...
ナポレオンは豊かになったヨーロッパの土地を略奪しながら行軍することで大軍の食料を賄った(逆に言うと一所にとどまると飢え死にする)
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こういう古臭い文章も存在するので一時時代遅れの書籍とされた...
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最もすぐれた入門書である。
そして、それは我々のこの問題に対する研究が進めば進むほど永遠の手引書としての価値を持つものである。
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兵学が戦力集中から機動戦へ変化していく過程で奇襲や機動を重視するこの中国の古典は新しい戦法に合致した...
利点は...
戦わずして勝つまで行ってしまうとファンタジーになってしまいますが...
孫子の奇襲や欺瞞の概念はナポレオン戦争時代より機動力に優れた現代では重要なファクターです。
(展開が遅いナポレオン時代は敵に自軍の動きを隠すのは無理だった。欺瞞や奇襲は試みるだけ無駄だった。)
(情報や欺瞞などの要素についてクラウゼヴィッツは信頼性に欠け実践的で無いと除外している...)
(ここで使った機動力というのは徒歩の軍隊では駄目で...最低でもタイヤかキャタピラで移動できる部隊のことです(~_~メ)...)
この文章は、ナポレオンの内線作戦にも通じていてる?...
「敵にはっきりした態勢をとらせて、こちらは態勢を隠し、無形になれば、こちらは集中するが敵は疑心暗鬼で分散する。こちらは集中して一団になり敵は分散して十隊になるのなら、こちらは10人で敵の1人を攻めることになる。つまりこちらは、大勢で敵は小勢である...
こちらが戦おうとする場所も敵には分からず、こちらが戦おうとする時期も敵には分からないとすると、敵はたくさんの備えをしなければならなくなり敵は分散されて小勢になる...」
孫子虚実編より
ナポレオンが実行しジョミニが「兵法」で宣伝した敵の間に割って入って時間差を利用して各個撃破するという戦法ですが...
ナポレオンは敵の失敗や利用しやすい陣形につけ込んでこういう戦法を取りましたが...
この孫子に書いてあるように敵を分散させるような行動を自らが取るまでは考えられなかったようです...
(もしナポレオンにこれができていたら歴史が大分変わっていたでしょう(-_-;)...)
(でもこの場合は軍隊の隠蔽では無く「優秀な機動力」を利用してですが)
(この機動力は軍楽隊を使って歩行速度を上げたフランス軍を指します。)
追加...(投網のように軍団を配置して敵を包むナポレオン戦法について)
1.(ナポレオンは年を取るとともにこういった戦略的な面が消えてただ戦力を集中すれば勝てるといったような戦法に退化していったと言われています。つまり孫子の兵法で書かれているようなハッキリした形では理解していなかったのではないか?初期はブルーセのコピー、投網のように軍団を配置して敵と接触した部隊に左右の部隊が支援に行って側面攻撃の形を作るといった戦法もナポレオンが編み出したというより当時のフランスの軍や兵法家の研究の集積した成果。つまりナポレオンは使いながら本質を理解していなかったのではないか?という疑念が出てくるのです。)
婉曲で遠回しなクラウゼヴィッツに比べて結論がはっきり書かれて簡潔な孫子は誰にでも簡単に読める優秀な兵法書です。
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孫子とウォゲーム...
ウォーゲーミングの起源は「ウェイ・ハイ」(包囲する)という今の囲碁の原型となったゲームが元です。盤の上を色を付けた石の軍隊動かして行われた。
(敵を攻撃するのでは無く側面から包囲すると勝てるという)
(戦闘は最後の手段という孫子の哲学に基づいたゲーム)
アメリカ海軍エイブ・グリーンバーグ大佐説
孫子と毛沢東
毛沢東理論のゲリラ戦に関する部分は孫子ではなくクラウゼヴィッツの国民総武装の部分が使われていている。
「このように分散した抵抗が時間的および空間的に集中された大規模の反撃に適しないことは、固より当然である。かかる抵抗の効果は、蒸発作用の物理的特性と同じく、面積の大小に依存する、面積が広大であり、また敵と接触する面が大であれば、従って敵軍が広大な土地に拡散していれば、国民総武装の効果はますます大となる。国民総武装は、あたかも静かに燃えつづける焔のように、敵軍の根幹を次第に蝕尽するのである。」
戦争論6章「防御」国民総武装より、ゲリラ戦の本質...
注意
リデルハートは第一次世界大戦の無意味な殺戮戦の原因をクラウゼヴィッツの鋳型のせいにしたがこの時代の軍事学の底流にはジョミニの「象徴、シンボル」?化された兵学もあり、かなり大きな要素...
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