バジル・ヘンリー・リデルハート


リデルハート1895〜1970

20世紀を代表する戦略思想家、バジル・ヘンリー・リデル・ハート

経歴
1895年、牧師の息子として生まれる。
幼い時に、航空機や戦争ゲームに異常な関心を示した。
(戦争ゲーム=アクチュアル・ウォーゲームのこと)
(ナポレオン時代のフィギアを並べて戦うのが一般的)
13歳、海軍学校に入学しようとするが、体が弱くで不合格になる。
ケンブリッジ大学入学中(歴史学専攻)に第一次世界大戦が発生し、 (注、英国では、生まれや階層がそのまま軍隊の階級になるため、入隊すると士官になる。)?
1914年11月から従軍
熱病、負傷で本国送還二回
三度目、1916年、キングズ・オーン・ヨークシャー軽歩兵職隊
ソンムの戦いで部隊は壊滅し、将校でただ一人生き残る。?2人でした。
負傷してイギリスへ帰国
歩兵戦術の改定に取り組む(戦闘の基本は機関銃チームが主力でで歩兵はその支援をするという形?)
1922年〜24年、陸軍教育部隊
1927年退役、大尉
1925年〜1935年、作家、ジャーナリストとして活躍
Daily Telegraph「デーリー・テレグラフ紙」軍事記者、後に「タイム紙」(モーンング・ポスト?)
陸軍より歩兵操典、編集委託
1937年〜38年、陸相ホーア・ベリッシャの非公式顧問
(リデルハートは部外者で影響力はたいして無かったと書く悪書もありますが、これは、軍ではなく予算を握る政府の助言をするという現在のシビリアンコントロールの元となった活動でした。)
1940年、フランス陥落、ドイツとの戦争に反対したため、名声を損なう。
リデルハートは、「英国の防衛」でドイツ軍を過小評価した。
英国でもあまり上手くいっていない軍隊の機械化を再軍備したばかりのドイツ軍が成功させてしかも大国フランスを破るとは予想できなかった。

電撃戦の元の理論を作ったとして復活
1945年、ドイツの初戦の勝利がリデルハートの理論をドイツ人が研究した結果と解り、さらに、戦後の世界がドイツの敗北で力が消滅した隙間をソ連が埋めてしまうと正確に予想したため、復活。

1954年、戦略論執筆、英語圏では広く読まれた。
(そのため、クラウゼヴィッツに批判的なリデルハートの考え方が英語圏では優勢になり、英語圏ではクラウゼヴィッツはあまり研究されなかった。)

イギリス国際戦略問題研究所設立発展に寄与

1966年、ナイトの称号授与

1970年死去







間接アプローチ

敵の撹乱(かくらん)=>敵の崩壊、撃滅を容易にする。

a.敵の配置を混乱させる。急遽正面転換を強いる。(フリードリヒ大王の得意な側面攻撃、スキピオやハンニバルも同様の作戦を執った。) 敵兵力の配備を撹乱。

b.敵兵力を分断する。((敵部隊の連結部分(弱点のひとつ)を狙って割り込む。)敵の連絡を絶ち統一した行動を執れなくする。(敵の(弱点)側面に強引に攻撃する戦法でもあるが勢いが無くなると包囲攻撃されてしまう。))

c.d.敵の補給を危機に陥し入れる。補給線を絶つ。(そういう行動を起こすだけで敵に脅威を与えることができる。)

軍が巨大化し機械化されるほど補給に対する依存度が増すので、この作戦の効果は高い。
心理的領域ではこういった物理的要素を敵の指揮官に印象づけることが撹乱になる。(心理的撹乱は、兵士ではなくて指揮官が標的)


たとえば、シミュレーションゲームでは、古代の戦いでは通常正面の戦闘力が最大で側面や後面では別の低い戦闘力数値を使うのようになっています。
近代戦では、補給の切れた部隊(地図上に定めた自軍の補給地点から連絡船が引けない部隊)は戦闘力を半減や攻撃ができなくなるなどのペナルティーを受けます。


リデルハートの作った用語
(物理的には)「最小抵抗線」を用いる。敵の抵抗の少ない部分を攻撃
(心理的には)「最小予期線」を用いる。敵の予想しない攻撃を選ぶ。

敵もさまざまな要素を考えて対応するので、簡単な理詰めの作戦ではいけない。

p29
たとえば、味方が明白な最小抵抗線を選択しようとすれば、直にそれは見破られ、この最小抵抗線は、もはや真の最小抵抗線とは呼べないのである。

単純な側面攻撃を目指して部隊を動かしても敵に対応されてしまえば、側面攻撃にならず、敵に準備された面の攻撃(単なる強襲に変わってしまう)
そのため、牽制攻撃(敵から行動の自由を奪うための)が必要になる。

敵兵力の拡散、敵の注意を無益な方向へとそらす。
敵部隊を不必要な場所に拘束する。


戦争を優勢な戦力の集中と考えるのは誤り

単なる戦力を集中は、敵の戦力も集中してくるので殴り合いにしかならない。

「始めに戦力の分散(相互に支援できる程度の)によって敵を分散し、急速に戦力集中して、(敵が再集結する前の時間差を利用して)敵を各個撃破する。」

全戦力の集中は実現性の少ない理想にすぎない。

兵器の性能が増し遅滞戦術(足止め作戦)が有効に機能するため、弱小な敵(見た目の数の劣勢)を単に攻撃するのは危険。
相手の増援兵力(時間、規模)も考える必要がある。

シミュレーションゲームでは分散集結によって敵を各個撃破するような作戦は再現が難しい。(隠蔽配置や隠蔽移動の再現が複雑で限定的にしかできないため)コンピューターゲーム向き..
(ここでのシュミレーションゲームはすべて紙でできた地図とユニットを使うボードシュミレーションゲームのこと)


機動打撃(機械化部隊用)
機械化部隊の突破能力は騎兵よりもかなり大きい。
敵交通路の遮断点が敵に近い場合は即効効果が期待でき、補給基地に近いと最終効果が大きくなる。


戦争の原則

積極的
1.目的を手段に適合させよ。
手持ちの兵力で実行可能な作戦を立てなければならない。
(無理な作戦を立てて無用な損害を出すな。)

2.目的を常に銘記せよ。
作戦を立てる時は、作戦の成功が目的の達成にどこまで近付くか必ず計算すること。(手詰まりや横道にそれるな。)

3.最小予防線(最小予期コース)を選択せよ。
敵が対抗して動いてくる可能性を予測せよ。
(敵の裏をかけ。単純な、どの対抗作戦が一番効率的かというような物理的計算の消去法ではなく。敵の心理面も考慮に入れよ。)

4.最小抵抗線を活用せよ。
敵の弱いところを攻撃せよ。(間接アプローチ参照)

5.代替目標への変更を可能にする作戦線をとれ。
(機動力のある部隊で)複数の場所を攻撃できる作戦を立てれば敵は総ての地点を防御できないため手薄な場所ができ攻略し易くなる。(敵もこちらの動きに合わせて対応してくるので「攻撃目標が単一の作戦」は見破られてしまえば防御され作戦は失敗してしまう。)

6.計画および配置が状況に適応するよう柔軟性を確保せよ。
作戦は、成功するときも失敗するときも一部しか成功しないときもあり、常に成功するとは限らない。どのような結果になっても、次の作戦に素早く対応できるように準備すべきである。
(失敗したら立て直しができなくなってしまうような作戦は避けるべき)


消極的
1.敵が油断していないときは、すなわち、敵が味方の攻撃を撃退・回避できる態勢にあるうちは、味方の兵力を投入するな。

物理的・心理的に敵をマヒさせて(抵抗力、回避力)攻撃しなければ効果的な打撃を敵にあたえることができない。
(正面から決闘するな、軍事に正々堂々なんて言葉は無い。)

2.作戦が失敗した場合は、同一の作戦線に沿った攻撃を再開するな。

失敗したのと同じ作戦で攻撃しても敵を心理的に追い込むことはできない。(精神的余裕を与えてしまう)


敵の撹乱=>攻撃による打撃=>戦果の活用
敵が打撃から立ち直る前に攻撃して戦果を拡大する。

機動力を使った作戦が基本で攻撃から書いてあるように見えます。 この文章を防御に適応すると「敵の攻撃してくる箇所を読んで防御部隊を機動し、攻撃軍を受け潰せ」となります。
地形を使った防御のほうが地上戦では優勢なので機動防御のほうが攻撃よりも敵にあたえるダメージが大きい。

もう少し詳しく書くと...
防御には(機動力のある)予備部隊を用意し、前線に総ての部隊を張り付けてはならない。((第二次世界大戦でフランスが犯した間違い)機動戦に使える部隊を細かくばら蒔いてしまうことになる。)

(西ヨーロッパの防衛についてリデルハートが書いた部分からまとめ)

機動防御
敵の予想攻撃方向が判らない場合は、広い前線を総てカバーできないため足止め部隊と機動力の有る予備部隊に部隊を分け、敵の攻撃に対応する形で防御戦闘を選択することになる。

この時、タイミングと時間配分が大事で..。
前線の部隊がどれだけ時間を稼げるか?
(機動力のある)予備部隊が投入できるまでの時間は?(制空権の無い場合は移動に長時間かかる場合が多く機動戦自体が難しくなる。)
などを常に把握しておく必要がある。

つまり、防御にも柔軟性と機動力が重要ってことで、戦闘は地面に埋まって待ち伏せするのが有利ですが、待ち伏せでさえ停止して待っているのではなくて、有利な場所への機動と僅かな時間で全軍が地面の下へ潜ってしまう能力の組み合わせってことになります。


戦略では、総ての前線ラインを守ることができない。
長い国境線を総てを守ろうとすると兵力は分散してしまい、一点突破などを試みる攻撃軍に対して対応できなくなってしまう。

注、WW1では、歩兵の集中は無益だった。

WW1後、軍隊の装甲と機動力が復活した結果、弱点への集中といった戦法が回復したため。

防御側も機動力を使って攻撃された弱点を火消しする必要がある。
(WW2の東部戦線でソ連軍の突破の火消しに使われたドイツ重戦車大隊の様な..)


リデルハートが戦略論で戦争の原則というまとめを書いてますが。
これは、機動戦を攻撃から見た図式のまとめです。

そこで、機動戦を防御戦から見た図式を追加しておきます。

機動力による攻勢の回復というより攻防両方に機動力を回復させる。
攻勢の回復ではなくて、戦争は装甲された機材でやれってこと...

クラウゼヴィッツは、防御のついて、「防御者は、戦術についても戦略についても待ち受ける側であり、従って停止している(攻撃より強力だが消極的)」と規定した。
しかし、機動防御は、この前提に当てはまらない。


「抑止か防衛か」1960年

寄せての利点、奇襲&スピード利用の戦果追求
防御側の陣容をバラバラにしてしまい、戦力の相対比が無意味になる。(奇襲は初戦のみ?)
防御側が適切な柔軟性と機動力を兼ね備えている場合にのみこの効果を阻止できる。
(つまり、機動力の無い歩兵のみでは戦線の防御が不可能になった、防御側も機動力を駆逐して対応しなければ防げない。)

戦線が広いほど守備側の弱点が増えそこから突破できる。

戦略では同数の兵力でも防御側が広い国境線を守らなければならないのに比べ攻撃側が集中突破を試みることができるので有利になる。
(地上戦では防御側有利の原則があるのでこの効果をある程度防ぐ)
(防御側の編成が阻止部隊と機動防御部隊になる)






自身も第一次世界大戦の塹壕戦を経験したため、

ヒロイックロマンチックなイメージ、戦争は短期で終わると考えられていた。少しでも早く戦場に赴いて自己の価値を証明しよう。

スポーツかなにかのように美化されロマンチックなものと捉えた
(実際は機械を用いた非人間的な殺戮にすぎず、個人の勇気など何の意味もない。)

(この安易な考え方こそ、ナポレオンの悪しき遺産、短期決戦で敵を撃滅して勝利できる。という考え方、クラウゼヴィッツやジョミニの兵法書に入っていた安易な概念)
(使い捨ての兵隊予備軍の若者向けの戦争の考え方...)

(入隊用の宣伝が酷かった、ドイツの残虐なさまを捏造して、小国を助けろ、と宣伝したその酷さは、第二次世界大戦でアウシュビッツが始めのうち一次大戦と同じ捏造だと思ってしまったぐらいとんでもなかった。)

(戦場での被害(緒戦の数十万の被害)は一切国民に報道されなかった。)
(動員計画の阻害要因になるため、同じような理由で開戦と同時に平和団体や反戦組織の一斉逮捕を行った。(戦争を考える研究団体も影響を受けた)そのため批判的な検証が消えてしまった。)

(これらの状況は総動員態勢用に始めから決められていたことにすぎない。)


旧来の考え方
イメージと現実のギャップに驚いたことが彼の戦略思想を形成する原動力となった。(この表現は否定的な要素とセットで使われる、「リデルハートの戦略思想はたいしたこと無い」というような。)

実際
第一次大戦の影響ではなくて
リデルハートの戦略思想は、当時の多数派英国市民の考え方を代表していた。誰も、死者の山ができる戦争などを好まない。

ブライアン・ポンド、
彼を動かしたものが必ずしも大量の死傷者の姿だとは思えない。リデルハートも中産階級が広く文化的社会的に引き起こした反応を共有した。破壊的で規模の犠牲者の多さからこういった戦争は政治的にも全く引き合わなくなった。


リデルハートの戦略思想は、リベラルで民主主義的な世界観を代表するもの、(アザー・ガット)
1930年代の時代精神とは正面から対立した、そのため不当な評価を受けた。

ジャーナリストとしての執筆が多産から彼の著作の質を落とした。
クラウゼヴィッツの戦争論に対するアンチテーゼを提示しようとしたため今日でも評価に値するものが多い。


リデルハートの戦略思想=リベラルな戦争観
今日の「欧米流の戦争方法」の生みの親


若き軍事改革者として1920年代、30年代に頭角を表し、陸軍指導者とその戦略・戦術を厳しく批判した。

「軍人は何も学んでいないため、仮にヨーロッパで新たな戦争が起これば、第一次世界大戦と同様の酷い過ちを繰り返すであろう。」

この挑発が軍指導者を怒らせ返ってリデルハートの提唱する陸軍の機甲化を遅らせるはめになった。


機甲戦の元を作ったのは、ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー(Fuller)と言われるが...
彼はだんだんファシスト化していったので、同列のリデルハートのほうがこのまれた。
ミリタリズムの歴史P443
「「黒シャツ組織」オスウァルド・モーズリーの議員候補リストにある海軍中将とともに議員候補のトップの地位をしめた。」
(ファシスト政党の議員候補リスト)

フラーの伝記が多数でて研究されているのに比べて、リベラルなリデルハートの伝記はまったくなかった。

機甲戦理論

アメリカの「エアランドバトル」、核戦争時代のソ連封じ込め政策や限定戦争論論

1988年ミアー・シャイマー、
リデルハートは第二次大戦後になって初めて機甲戦理論について語った。
ドイツの電撃戦理論に重大な影響を与えたという説には歴史的裏付けが待ったくないと主張。

これで、リデルハートの権威がガクっと落ちる。

アザー・ガット
歴史家はリデルハートの著作や学術論文だけを資料としたため誤った結論に達した。機甲戦に関する彼の意見は当時すでに、デーリー・テレグラフ、タイムズ、などの新聞に寄稿されている。

ドイツの当時の軍事専門雑誌などを詳細に検討すればリデルハートの影響が実証できる。

これでリデルハートの名声が再び回復しました。


ミアー・シャイマーのようないいかげんな作文が度々リデルハートを襲うのは、やはりリベラルな軍事学者が嫌われているから?



20世紀型のリベラルな軍事学者
現在でも有効


戦略論の本文と後ろの解説部分が矛盾している。

P250
リデルハートは、戦争が敵味方の相互作用であることを理解していない。

戦略論抜粋第四部P22
目的と手段の調整が成功するか否かは、その近似値を選べるかどうかに・その相対性は無くなるものではない・・それら知識の適応は「術アート」の領域に属する・・・このことは計算を複雑化・・・人間の賢愚を計る能力を備え、意志のちからを正確に計算できるものなど存在しない。

リベラルな軍事学者が嫌われるという状態はこの本の中にも現われているらしい。

戦略論大系シリーズはかなりまともな本なのに(最近のくず本ばかり出版される状態の中で..)リデルハートについてはしつこい否定の繰り返しばかりが目立つ。



書籍

リデルハートのケンブリッジ大学における軍事講義
「18世紀〜20世紀にいたる軍事思想の動向と、それがヨーロッパ史に与えた影響」1932〜1933

「ナポレオンの亡霊」として1934年出版



1944年、「近代軍の再建」神吉三郎訳、岩波書店
すごく読みにくい...

1971年、「ロンメル戦記」小城正訳、読売新聞社?

1976年、「ヒットラーと国防軍」岡本訳、原書房

1980年、「ナポレオンの亡霊ー戦略の誤用が歴史に与えた影響」石塚栄、山田積昭訳、原書房

1980年、「戦略論ー間接アプローチ」(上)(下)森沢亀鶴訳、原書房

1999年、「第一次世界大戦(真の戦争)」(上)(下)、上村達雄訳、中央公論社

2000年、「第二次世界大戦」(上)(下)、上村達雄訳、中央公論社

1940年、「英帝国崩壊の真因ー英国の防衛」江本茂夫、尾野念訳、実業之日本社
これだけ、見たことが無い。

戦前の文章は、この時代のを一冊なにか読んで、頭脳を戦前の文章を読む回路に切り替えてから読まないと...
しかしせっかくあるのだから使わないともったいない..。
近代軍の再建から歩兵の武装について書いた部分を抜いてみました
漢字が現在のと違うのですがフォントが無いので現代風に交換。

近代軍の再建引用

リデルハートは「歩兵戦術理論」(1920年)で有名になりました。 これは翻訳されていないので、時期的に近い書籍「近代軍の再建」(1927年)から歩兵の武装について書いているところを拾ってみましょう。
(リデルハートが陸軍を追い出された理由も判りそう..)
第8章歩兵の武装から
P141
・・・1925年、陸軍が大戦後初めて、最後は陸軍大演習となるところに広範囲の訓練を実施した時に、故障が表面に現れたのだ。

・・・かくて演習の最終日、クリー・ヒルに対する最後の大攻撃は、陸軍の一部が近代科学の上塗りを失ってバラクーダ(騎兵が無理な突撃を行って壊滅した戦場の名前)に後戻りしたことを示唆した、ー機関銃の全面では数の稠密は単に死屍の稠密を意味するに過ぎないことを忘れたのである。

(イギリス軍が大戦を忘れ歩兵の装備が後戻りしているのを嘆いています。)

P142
ー中隊は銃兵の三個小隊とルイース銃兵の一個小隊から編成される、即ち、中隊の全部の軽機関銃をたった一つの小隊に納める、というふことになった。
これは普通の小隊は小銃を根幹とするという後戻りを意味しており、反動主義の臭いのするものであった。時計の針を逆に戻すのは滅多に賢明な軍事的政策ではあり得ない。

P143
ルイース機関銃は、静止の武器であるほんとの機関銃とは対照をなして、本質上機動の武器として採用されたのである。その目的は、新しい支援兵器を加えるというよりは、小隊の機動的火力を強化し、前方の歩兵に小銃があたえるよりもっと大きな火力をあたえるに在った。しかるに右の試験的変更は・・・歩兵の一般戦術を複雑化し弱化する傾きがあった。

P144
(小銃分隊のみではわずかしか火力が発揮できないのに比べ)軽機関銃をもってすれば2、3、の兵でもその数とは比例のとれぬほど大きな抑止力を持ち得るのである。

(この後、ルイース機銃の有効性を実証する実戦例に続く..。)
(7倍の規模のトルコ軍の攻撃をルイース機銃で防止した話。)

P149
フランスが、その歩兵の基礎を軽機関銃に置いていることは注目にあたいする。彼らの射撃単位は13名から成る戦闘群であり、その教え込むところは、各員はただその軽機関銃に関係してー彼等個々の役割が「それを運ぶか、操作するか、はた又、防護するか」に従ってのみ存在するということである。・・・

P150
我々は現在の小隊戦術の複雑さを矯正しなければならぬが、これがための合理的方法は、各分隊をその基幹兵器として軽機関銃で装備することである。第二に、我々は分隊の機動性を取り戻さねばならぬ・・・究極の目標は歩兵各一名に一丁の自動銃をあたえることにあるかも知れぬ。困難は弾薬の補給であるが・・・(将来的には豆戦車の装備で解決できる)


つまり、リデルハートはこういうことをうるさく書いたために陸軍を追い出された。

リデルハートの歩兵改革は、
徴兵制の大軍から志願兵の小軍?というより、小銃を持つ無意味な弱小分隊より軽機関銃と豆戦車で機動力と装甲を持たせた強力な歩兵に替えようとするものでした。


ざっと打っただけ、製作中...



リデルハートの誤解... 戦史研究&戦車戦へ戻る