日本-Nippon

アベノセイメイ】 Abe no Seimei 阿部晴明

  平安時代の有名な陰陽師で、土御門家の祖です。陰陽寮に所属した陰陽博士で、母は狐であったという説があります。幼少の頃から人には見えないもの(精霊や幽霊など)を見る事ができ、陰陽道の名家である賀茂家に学びました。その業績は、数多く、今昔物語集などの説話に記されています。
 「今昔物語集」

おしち】 Oshichi お七

  八百屋お七。江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘と言われています。1682年の大火事で非難した時、避難先の寺で出会った寺小姓の生田庄之助(異説に、左兵衛)と恋仲になってしまうのでした。でも、相手が寺小姓ではその恋が成就するわけはなく、どうしても恋人に会いたかったお七は、火事になればそれがかなうと思い詰め、翌年三月、火付けの大罪を犯してしまいます。けれどもこの火事はすぐに消し止められてしまい、お七は大罪人として捕らえられ、処刑されてしまうのです。きっかけになった火事の方は後に「お七火事」と名づけられますが、こちらは無論お七がつけた火事というわけではありません。ちょっと混乱する名称です。
  ともかく、江戸の恐れた火事と、悲恋が結びついた、非常にドラマティックな物語であったため、浄瑠璃その他いろいろなメディアで扱われ、今に残る恋物語として語り継がれているわけです。

オンミョウジ】 Onmyouji 陰陽師

  中国発祥の陰陽道を操る者達です。独特の占術と呪術を用いて吉凶判断や祓魔などを行います。7世紀からすでに宮中と深い関わりを持ち、ほどなく陰陽寮が設けられ、賀茂家・阿部家の両家を中心にして栄えました。公家は日常の行動の全てにことごとく吉凶を求めて、陰陽師に個人的な事柄に関する吉凶を詳細にしるした暦を作ってもらう事がステータスとなったほどです。これを具注暦といいます。しかしながら、南北朝の頃にこの体勢は崩れ、江戸時代に阿部家が土御門家として再興されるまで、陰陽師は民間のものだけになります。
  陰陽道で最も重要視されたのは泰山府君すなわち東岳大帝です。この神は泰山の神であると同時に、冥府を治め、人間の運命をも定める神だとされています。日本に伝来すると素戔鳴尊大国主命のように根の国と関係の深い神と同一視された他、本地垂迹により、やはり地獄と関係の深い地蔵尊とも同一視された神です。大地の窖を崇めるガイア教徒に相応しい役どころと言えるでしょう。

カマクラゲンゴロウ】 Kamakura Gengorou 鎌倉権五郎景正

  相模国鎌倉郷の出身で、十六歳で源義家に従い、後三年の役で手柄をたてた武士です。片目を射抜かれながらも、これを抜いて相手に射返した話、また、目に刺さった矢を抜くために顔を土足で踏もうとした朋輩に向かって、いやしくも武士の顔を土足では踏むな、と止めた話などが伝わっています。後に御霊として神社に祀られ、相模国で信仰されました。

カメンヒジリ】 Kamen-hijiri 仮面聖

  仮面聖そのものずばりがみつからなかったので、まずは仮面と聖にわけて考えてみたいと思います。まず、聖ですが、これは元来「火(霊)知り」であり、ヒすなわち火または霊の事を知っている者という意味です。聖と呼ばれた者は、山に住む呪術師的な性格を持つものと、里に住んで仏教とも関連が深く、葬祭をとりしきる者に大別できるのですが、ゲームに登場する者としては前者に近いのではないかと思われます。
  次に仮面ですが、これは本来巫術師などが特定の神霊や精霊に化身するため用いたもので、転じて仮面そのものが神霊や精霊と同一視される場合もあります。
  であるとすれば、仮面聖とは仮面を用いて霊を操る呪術師と見れば良いのではないでしょうか。そう、仮面はペルソナとも呼ばれます。女神転生異聞のペルソナ使いたちも、あるいは一種の仮面聖なのかもしれませんね。

キヨヒメ】 Kiyo-hime 清姫

  道成寺説話に登場する姫。説話の根幹は、旅の僧に恋した女(最も多くは、若い寡婦)が、僧に裏切られたために大蛇となり、おりしも増水していた日高川を押し渡って僧を道成寺まで追ったというものです。今昔物語集などにも見られ、説話としては大変に古いものですが、僧の名を安珍、女の名を清姫とするのは近世以降の事で、それより前は違う名前であったり、全く名前は伝えられていなかったりします。
  ここで注目したいのは、清姫が変身した蛇が、口から火を噴いていたという事でしょうか。安珍が隠れた鐘を灼いたところからも、ちょっとやそっとの火ではなかったように思われます。これは蛇というより、火竜を想像させます。
  その一方で、日高川には清姫帯という鱗雲の一種がかかる事があり、これは凶事の先触れであると伝えられています。これは、水と予言との関わりを連想させるものでもあります。
  なお、男に裏切られた女が嫉妬や恨みのあまり、大蛇となるというパターンの説話は、道成寺とは無関係に全国的に散見されるようです。〔参照〕 ウワバミ
 「今昔物語集」

クグツシ】 Kugutsu-shi 傀儡師

  単に傀儡(クグツ)とも言われます。人形まわしの事。クグツと言われる人形を持ち、これを操る人々の事で、本来は海人に属します。後には漂泊民の一種ともなったようで、幻戯に長けた者は忍者のような事もしたかもしれませんね。

ジライヤ】 Jiraiya 児雷也、自来也

  近世の説話に登場して人気を博した義賊で、蝦蟇の妖術を使う事がよく知られています。名前は、原型の説話では盗んだあとに必ず「我来也(我、来たるなり)」と書いていったというところから後に脚色されたもののようです。妻に蛞蝓(なめくじ)の精である綱手、敵役に蛇精である大蛇丸を配し、いわゆる三竦みを確立しました。

テンジクトクベイ】 Tenjiku Tokubei 天竺徳兵衛

  実在の商人で、播磨国高砂に生まれ、江戸初期、二度に渡ってシャムや東南アジアに渡航しました。その記録が長崎奉行所に提出され、後に『天竺徳兵衛物語』『渡天物語』などとして知られるようになりました。地理的な誤りなどを含むものの、当時の東南アジアの様子を伝えるものとして、その報告は貴重な資料とな

ドウマン】 Ashiya Douman 蘆屋道満、蘆屋道摩

  法師陰陽師。安倍晴明と術比べをした事などで知られています。晴明関連だけでもいろいろな説話があり、藤原顕光の手先となって藤原道長を呪殺しようとするも、晴明に見破られて流罪にされたとか、術比べの結果敗北して晴明の弟子となるが、晴明が唐に赴いている間にその妻利花に取り入り、秘伝の書を盗みだして晴明の首を斬る(晴明は師匠によって命をながらえ、逆に道満の首を斬る)などが知られています。どちらかといえば、邪悪な影を思わせる説話が多いように思われます。
  実在の人物か、それに近いものであったらしく、播磨国三宅にはいまでも子孫が住んでいると伝えられ、また、この地を領した赤松家に仕えた者もあるようで、賀茂・安倍両家とは別系統の陰陽師の一族だったのではないかとも考えられます。だとすれば、中央の朝廷に仕えた賀茂・安倍家が正として伝えられるのは世の常というもので、道満は損な役回りを振り当てられただけなのかもしれませんね。

ナガスネヒコ】 Nagasunehiko 長髄彦

  または登美毘古(トミヒコ)。登美は大和の地名で、ここに勢力を持っていた豪族です。また、名前のナガスネは手足の長い土着の民、特にツチグモなどと呼ばれたまつろわぬ民に用いられた呼称で、山野を走る速さを表したものだとも言われます。ナガスネヒコも勿論、大和朝廷に長く反抗した首長でした。彼の妹たちは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の妻になっています。この神は天の磐船(アメノイワフネ)で天下った神と言われていますが、ナガスネヒコに関する物語では、大和朝廷との長い争いに、とうとうナガスネヒコを切って、朝廷に帰順したとも言われているので、この神を奉じる豪族の長につけられた名前でもあったかもしれません。また、ナガスネヒコはニギハヤヒノミコトに従う豪族の一人で、その将軍のような地位にあったのかもしれません。尤も、大和朝廷と争ったのは、朝廷が東征してきた時の話ですから、ナガスネヒコはこれに抵抗した土地の英雄でもあったわけです。

ビワホウシ】 Biwa-houshi 琵琶法師

  平安時代に登場した遊芸師の一種で、琵琶を奏でながら叙事詩を詠います。通常盲であり、僧形をしています。このため、法師と呼ばれるわけですが、僧職にあるわけではありません。祖は源博雅に秘曲を伝授した蝉丸であると言われています。
  とはいえ、遊芸師という事は諸国を放浪した道々の徒であるわけで、そこには歩き巫女や修験者など、霊界との繋がりの深い者もひとつならずあります。また、音楽や舞いはそもそもが神霊や祖霊との交渉に不可欠の手段でした。琵琶法師もまた、霊界と何らかの繋がりがあったのかもしれません。
  一般に、琵琶法師が霊界と繋がりをもった説話として最も有名なものは耳なし芳一の物語があります。この説話では、平家の怨霊に魅入られた琵琶法師が、取り殺されるところを耳を除く全身に経文を書く事で危うく逃れたとなっていますが、琵琶法師にその危難を教えたのは寺の僧であり、実際に琵琶法師が取り殺されるところだったのかどうかはそこからはわからないのです。はっきりしている事は、平家の怨霊が平曲を奏でる芳一の琵琶によって慰撫されたという事です。
  なお、琵琶という楽器は、そもそも鬼などの好むところであったかもしれません。「今昔物語集」には、異国から伝えられた琵琶の名器が鬼によって取られた話が伝えられています。また、鬼ではありませんが、インドの「カター・サリット・サーガラ」には、琵琶の名器をもって野象をとらえる事ができた王の話が載っています。

マサカド】 Masakado 平将門

  桓武平氏の流れで、高見王の子孫にあたります。一族の内紛をおさめて関東を掌握しますが、その勢いを恐れた朝廷によって平貞盛、藤原秀卿が差し向けられ、討ち滅ぼされます。ところが、京に晒された首が関東に飛び返った怪異を初め、その遺骸が埋葬されたという将門塚の周辺でもさまざまな怪異が後をたたず、ついに神田明神として祀られる事になります。これによって、将門は江戸、または武蔵野一帯を守護する地霊の統領となったと云われています。また、神田明神の他に日輪寺も将門ゆかりの寺で、明神ともども、延文年間に遊行上人によって建てられたものです。但し、明治になってから将門が逆臣である事が問題となって、神田明神の主神はオオクニヌシスクナヒコナに替えられ、改めて二の宮として将門神社が建てられました。とはいえ、江戸以外にも関東一円に将門を祀る神社は数多くあります。
  将門の関東支配は実質数ヶ月にすぎないものですが、初めて朝廷の勢力を追い返したという点が関東の民衆の心をつかんだといえます。後に将門の伝説は妙見信仰と深い関わりを持ち、将門自身はこめかみの一点以外は鉄のように頑強な大男で左の目には瞳が二つあり、六人の影武者を従えたと表されています。妙見は北斗七星の事ですから、六人の影武者及び本人で七星を体現するわけですね。これらの影武者は実在のものではなかったようで、影がなかったと伝えられています。ついでながら、妙見(北斗)は軍神であり、死の神でもあった事を付け加えておきましょう。

ミヤスドコロ】 Miyasudokoro 御息所

  本来は天皇の正妃の事で、後には東宮や上皇の正妃以外の妃の名称としても用いられました。ですが、単に御息所といって魔物や霊などとの関連が思い浮かぶといえば、六条御息所をおいて他にはありますまい。これは源氏物語に語られ、後に能の「野宮」にもなった話で、東宮の妃であった六条御息所が光源氏の恋人となった時、生霊となって葵上を悩ませるというものです。更に後には夕顔にも祟っています。
  尤も、宮中ともなれば妃たちの勢力争いが盛んに行われた事は想像にかたくないですから、ミヤスドコロは、そのような女の争いに関連する怨霊なのかもしれませんね。

ヨシツネ】 Yoshitsune 源義経

  源頼朝の異母弟で、常勝の英雄です。平家を西海に追い落とした立て役者であり、あまりに人気が高いので兄頼朝に疎まれ、ついには叛逆者の汚名を着せられて、奥州に命を落としました。とはいえ、蝦夷や、果てはモンゴルにまで落ち延びたという伝説がいろいろと残っています。牛若丸といった幼少の頃は、鞍馬山の天狗に剣術などを教えられたといい、このため大変身軽だったと言われています。また、母である静御前はもとが白拍子、つまり神の前で舞う事もある遊女だったわけで、山や漂泊民との繋がりが推測されます。そういえば、義経は小柄で色黒であったと伝えられていますが、こういった特徴と身の軽さはかつての土蜘蛛のような山の民の特徴に近いような気がしますね。

ラリョウオウ】 Raryou-ou 蘭陵王

  中国の話に題材をとったものですが、雅楽の題であるため、日本に項目を立てました。北斉といいますから、7世紀の頃の人物ですね。名は長恭といい、大変に美しい若者であったため、戦場に出る時は常に怖ろしい面を被り、戦いを勝利に導いたという故事となっています。