Half Mile Project
東京荏原都市物語資料館・後方支援のページ
ブログ「東京荏原都市物語資料館」の、後方支援のための、いわば資料庫です。
このWebの基本テーマの一つである、三田用水をめぐる文学作品や地図等の資料については、
別ページの「三田用水文学」や
グーグルマップの「三田用水分水図[暫定]」
をご覧ください。
小田急線の代々木上原・梅が丘間の連続立体交差化工事で消滅する踏切や、かつて各駅のホームの伸長などによって消滅した踏切の所在図です
こちらは、KinKimura ヴァージョン
・世田谷町大字下北澤字新屋敷の道路の通称名
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51639851.html
によれば、リクエストの多いらしい、昭和はじめの、下北沢・新屋敷の通りの通称名
いわゆる「進駐軍の地図」に、昭和9年ころの当地の通りの通称名を重ねてみました
地図をクリックすると、大きな地図が表示されます。
先の戦争のとき、代澤国民学校(現・小学校)の5・6年生の児童は、長野県松本市の浅間温泉、さらに、塩尻近郊の寺院に疎開しました
その所縁の地点と、あわせて当時の中央東線に数多かったスイッチバックのある停車場をプロットしたものです
鉛筆部隊つまり代澤国民學校だけでなく、松本市郊外の浅間温泉には、再疎開まで、世田谷区内の各国民学校の児童が疎開していました。
その、各旅館を、各国民学校ごとにマークを色分けしてプロットしました。
大きな地図で見る
もともとは、殖民軌道の資料探しのために、よくアクセスしていた札幌の古書店の市英堂さんなのですが、なぜか、大正〜戦前の東京の1万分の1地形図を譲っていただくなど、三田用水がらみの資料の宝箱になってしまったお店です
しかも、先日、在庫リストをチェックしていたところ、なんと、代澤国民学校の児童の疎開先である浅間温泉、その戦線の絵はがきの在庫があることがわかり、早速、送っていただきました
小田急線と地下鉄千代田線の接続駅である代々木上原駅の改札階のコンコースには、ときおり神田の古書店さんが出店していて、ここも、結構「プチお宝」の発掘場所です
まぁ、こちらの興味がニッチというかマイナーなせいもあるのですが、お値段もリーズナブルなのがありがたいところで、まずは、平成21年11月27日の「出土品」
毎日グラフの昭和43年5月31日増刊号で、「鉄道100年特集号」と銘打ってはいるものの、ほとんどの写真はどうということもないものばかりだったのですが、この写真ともう一枚の戦時中の写真は「さすが新聞社!」と思わせるもので、正直なところ、その2枚の写真だけのために、購入したような本でした
毎日グラフ昭和43年5月31日増刊号p.34掲載の「疎開列車」
体験者からうかがった車内の雰囲気「そのまんま」です
■広島にチンチン電車の鐘が鳴る
・The Emperor's Tram Girls
被爆した広島電鉄の乗務員だった当時の女学校生に取材したドキュメンタリー映画のダイジェスト版
http://www.youtube.com/watch?v=x3Sc008Ha_w
きむらけん先生も出演しています。
・The Emperor's "train" girl
電車の女性運転士は、省線、つまり今の国電にもいました。
これが、疎開写真と並ぶ「もう1枚の写真」です。
毎日グラフ昭和43年5月31日増刊号p.26掲載の、昭和19年8月に登場した女性運転士
(註:下端中央のキャプションは、写真とちがい著作権が存続中ですので消去してあります)今でこそ女性運転士さんは数多く見かけますが、制動は「半コンピュータ制御のワンハンドマスコン」。
ところが、当時の広電は、エアブレーキ(上の省線電車あるいは戦災で乗務の機会はなかったようですが女性運転士のいた帝都線もこのタイプ)ですらなく、大きな輪っかをまわす機械式だったのには驚きです。
東京工大を取り囲む3つのお稲荷さんの話題に端を発して、最後は、柳田國男ゆかりのダイダラボッチにゆきつきました
柳田の論文「ダイダラ坊の足跡」のせいか、世田谷区代田の語源が、このダイダラボッチであることは、定説となっているようです
大正9年5月19日、東海道線の品川・大井町駅間の碑文谷道踏切で起こった、死亡事故
事故自体は、おそらく当時いくらでもあった踏切事故のようですが、その責任を感じた警手2人が、その3・400メートルほど南の蛇窪道踏切で自決したことから、多くの同情と共感を集め、近隣の天龍寺に地蔵が建立され、さらには「碑文谷美談」という映画まで大正12年に作られたようです
碑文谷道踏切は現在立体交差化され、蛇窪道踏切にいたっては、その西側が国鉄大井工機部(現・JR東日本東京総合車両センター)の敷地となったため、踏切はおろか蛇窪道自体が現存していません
そこで、明治42年の地形図(前面の赤色)と現在の路線価図(背景のグレー)を重ねて位置を特定し
その結果をもとにプロットしてみました
▼高須光治
【追記】2011/08/13
下北沢在住当時の作品が、「下北沢風景」「世田谷風景」のほかにもあることがわかりましたので、それらを含めて描画地点を推定してみました。
そのため、高須作品を、小サイズでなら「引用」可能となりました。
委細は、 高須光治の下北沢シリーズ作品群解題 でどうぞ。
本当は、高須画伯の「下北沢風景」と「世田谷風景」を載せたいのですが、著作権が存続していますので、できません。
しかし、岸田劉生の作品については、著作権が消滅していますので…
岸田劉生「高須光治君の肖像」1915尋ねてくる知人を捕まえてはポートレイトを描くので、「劉生の首刈り」といわれていたそうですが、これもその1枚でしょう。
*URLは失念しましたが、どこかで、高須画伯の晩年の写真をみたことがあります。
ものすごく、精悍で現代的な「おじいさん」でした。
▼横光利一
平成21年7月24日、先に記した代々木上原駅の古書店の出店で、不思議なモノをみつけました
やたらに横平たい冊子で、端に「旅愁 横光利一」と書いてあります
開けてみると、昭和12年、横光が連載した、当時の新聞の切り抜きを編綴した冊子でした(しかも、買い損ったと思われる号の部分は、手書きの写しで補足してあります)
よくみると、挿絵は、なんと、あの藤田嗣治(不勉強のため初めて知ったことでした)
一も二もなく、速攻で購入しました
店員さんは「さっきまで、荷風のもあったんですが…」とやたらに恐縮していたものの(「濹東綺譚」?)、池ノ上の住人にとっては、こっちのほうがはるかに有り難かったことはいうまでもないのですが、これが「本当のお宝」であることがわかったのは、その晩でした
宇野千代が、東郷青児と暮らした「コルビジェ風」の家
原典:建築写真類聚 洪洋社 大正4年10月〜昭和18年10月
註:設計者の石本なる人物は「白木屋」の設計者らしい
右端奥の煙突だけは、いかにも「日本的」な感じがする
木造のようだが、屋根の防水はちゃんとできていたのだろうか?
▼萩原朔太郎
●代田の朔太郎邸
ここ
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51434428.html
で話題になった、世田谷区内にある、建築家山田醇設計の「現・某T邸」です。
実は、朔太郎邸は、このT邸とは、玄関(したがって、おそらく応接間の)位置が、東西逆の配置ながら、下の写真のとおり「そっくりさん」といえます。
竣工直後の「現・T邸」(当時「I邸)
「住宅建築の實際」山田醇・著/新光社昭和7年5月20日・刊 口絵p.14
朔太郎邸現に、長女の葉子さんの話では、朔太郎は、山田醇の設計が好きだったとのことです。
と、いうわけで、今日(2010年3月7日)邪宗門さんに行って、朔太郎邸が写っている写真3枚を複写してきました。
[追記]2010/03/22、
1枚目については、より鮮明な写真が掲載されている書籍を入手しました。
この家が空襲で焼失した昭和20年5月以前に撮影された写真であり、著作権が消滅していることは確実ですので、写真を差換えてありす。
[追記]2010/04/04 下の画像をスキャナを使用したコピーに置換え
実は、「現・某T邸」、国の「有形保存文化財(建築)」に指定されており、図面も不十分ながら公刊物に掲載されていますので、これを元に、葉子さんの「蕁麻の家」とか「父朔太郎」の記述をたよりに、朔太郎邸を、図面上で復元してみたい、と思っています。
[追記]2012/03/24
昨2011年11月、会期末の迫った、世田谷文学館の「生誕125年 萩原朔太郎展」に行きました。
お目当ては、朔太郎の撮影した立体写真を見ることと、前橋文学館が収蔵している、娘の萩原葉子さんの記憶に基づく朔太郎邸の復元図面が、あるいは展示されているのではないか、との期待からでした。期待どおり、図面が展示されており、昔、建築設計事務所にいた家内に頼んで、鉛筆書きで複写てもらったのですが、残念ながら1階部分だけで、謎の多い2階の朔太郎の書斎については、どうやらその下に隠れているらしいのですが、どうにも読めない。
少々残念な気分で1階のエントランスホールに降りたところ、なんと、ミュージアム・ショップに、前橋文学館の展覧会図録などが、多種類販売されています。
これまで、興味はあっても内容がわからず、送料を考えると、ギャンブルで発注するにはなかなか勇気が必要でしたから、これは、両館による大変有り難いはからいです。
さっそく、会員限定販売なので入手を半ばあきらめていた「萩原朔太郎撮影写真 完全版」を購入。さらに、脇の本棚を見ると「萩原朔太郎とデザイン」展の図録がありました。
この図録、前橋文学館の図録の中で、「件の図面が載っているとすればこれだろう」と目を付けていたもので、さっそく中を見ると、予測的中で、2階の図面まで小サイズながら掲載されていましたので、いうまでもなく購入。
実は、そもそもの目的は、これらの図面を元に、朔太郎邸の模型を作ることにあったのですが、図面に素直に従うと、1階の母家の南西隅に「鏡の間」なる奇妙な張り出しがあって、この部分の屋根の掛けかたが全く見当が付かないため、いまだに実現できすにおります。
いずれにせよ、この図面を踏まえて、この項については、近日中に、別ページにすると同時に、全面手字にリライトする予定です。
▼坂口安吾
●「風と光と二十の私と」解題
安吾が、荏原尋常高等小学校北澤分教場(現・世田谷区立代沢小学校)の代用教員をしていた当時の体験を元に書かれたこの作品。
「北沢史」を調べているうち、ノン・フィクションの随筆に近いものであることがわかってきました。
その顛末はこちらで。
■都市物語を旅する会
▼北澤川源流部
2010年6月12日、北澤川の源流を探るプレツアーが行なわれました。
その記録を兼ねた GoogleMap は、こちら です。
▼下北沢の教会を歩く
12月第3土曜日の定番になった感のある、このツアー。
残念ながら、当方は、毎月第3土曜日は仕事の会合で塞がっていて、旅する会への参加自体が難しいうえ、教会となると、そのような機会でないとなかなかおうかがいしにくく、とりわけ
・木造で国登録有形文化財の日本基督教団富士見丘教会さん
・鉄骨と木の混構造という珍しい構造のカトリック世田谷教会さん
の建物は是非拝見したかっただけに、ちょっと残念な思いをしていました。
幸い、平成21年11月3日に、富士見丘教会さんでバザーが開かれることを知り、有形文化財の建物をじっくりと拝見し、また、信者の代表者の方から、耐震補強の経緯などのお話をうかがうことができました。
◆富士見丘教会の「感動記」
▼東京山手急行線
平成22年4月17日、Dr.Bekkuこと、別宮通孝さんがコンダクターをされた「東京山手急行の痕跡を尋ねる」ツアー。
例によって、私自身は参加できなかったのですが、Kin−chanが頂いてきた資料集をみると、帝都線(現・井の頭線)と、東京山手急行線の接続駅の「松澤驛」の平面図が載っておりました。
この平面図、
「鉄道未成線を歩く〈私鉄篇〉」森口誠之・著/JTB2001年・刊<p.63>
に転載されている、東京都公文書館に所蔵されているものの一部とのことですが、この図面のおかげで、今までの疑問をかなり解明することができました。
その結果は こちら。
■海外植民学校
ほとんどの戦前の地図に載っているのに、ほとんど中身のわからなかった謎の学校
■北澤川文化遺産保存の会「劇部」公演
2010年 8月28日
下北沢
ザ・スズナリの向かい
タウンホール
2階集会室
きむらけん・原作「代田の不思議 ダイダラボッチ」
■[域外]竹久夢二の「少年山荘」
「瓢箪から駒」みたいに突然盛り上がった結果、いわば「トリプル・コラボ」になった、旧松澤村大字松原」にあった、夢二の「少年山荘」解明の顛末は こちら