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日本愛妻家協会聖地委員会の宿
まずは、こちらを御覧ください。
http://www.kazeno.info/aisai/
http://www.aisaika.org/index2.html
嬬恋村愛妻家聖地委員会の主旨と指針
嬬恋村愛妻家聖地委員会は、2006年1月9日に、嬬恋村村長および嬬恋村の諸団体の長および賛同者の約40名をもって、結成されました。嬬恋村も、日本の風習であるところの、たてわり社会がはびこっておりますが、この会を結成するにあたっては、横のつながりを重視しました。以前なら、老人会・婦人会・青年団・消防団・観光協会・商工会・農協・郵便局・万座鹿沢口駅・・・・といった諸団体は、お互いに横のつながりがまったくありませんでした。嬬恋村役場の総務課・観光商工課・農林課といった縦の関係だけに所属していました。しかし、
「日本愛妻家協会の聖地を守る」
というキーワードをもってして、諸団体を横につなげることができました。そして、市民運動ならぬ 村民運動 という形で、今後発展していこうじゃないか・・・・というところまで合意をとりつけたところです。
つまり、「日本愛妻家協会の聖地を守る」という合い言葉をもとに、たてわり社会を横につなげ、聖地嬬恋村を、各方面の立場を超えて守っていこうというのが、この会の主旨であり、基本的な合意事項でもあります。
 キャンドルアーティスト小泉さんを取材するNHKの方々 嬬恋村のアトリエにて。
聖地嬬恋村について
日本書記によると1900年前に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥様の死を嘆いて、3回も、この嬬恋村で叫ばれたとか。嬬恋村という名前の由来は、ここからきています。つまり
妻に恋するから、 嬬恋(つまごい)村なのです!
もちろん吾妻郡嬬恋村の「吾妻郡(あがつまぐん)」も、このエピソードからきています。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、妻を思って叫んだ言葉は、
「あずまはや」
ですが、その意味は「わがつまや・・・」言葉そのものです。つまり吾妻郡とは、わが妻郡であり、
吾妻郡=わが妻や
嬬恋=妻を恋する
なのですね。ですから、吾妻郡嬬恋村は、日本愛妻家協会の聖地に指定されているわけです。ちなみに「あずまはや」を漢字で書くと吾嬬者耶(あずまはや)。嬬恋村の『嬬』という難しい字は、この吾嬬者耶(あずまはや)の文字からとっているんですね。
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 田代(吾妻)神社
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 三原神社
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 干俣神社
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 大笹神社
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嬬恋村愛妻家聖地委員会指定・四大社 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を お祭りしております。
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名誉会長・日本武尊の紹介
日本愛妻家協会のホームーページにもあるように、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、世界で初めて愛妻家宣言をした人物として有名です。そこで日本武尊(ヤマトタケルノミコト)について紹介したいと思います。
日本武尊は、羽曳野で一人の娘と出会いました。 名は弟橘比売(おとたちばなひめ)。 やがて二人は結ばれました。
しかし、日本武尊は東国の平定へと向かわねばなりませんでした。父は、東国の平定を日本武尊に命じたのでした。日本武尊は東征に出発。
船に乗って三浦半島沖から房総半島に向かいましたが、船出した直後に嵐がきました。雷鳴がとどろき、激しい雨と風に船なすすべもありませんでした。弟橘比売は「海神の祟り」だと言い、海の怒りを静めようと海に身投げしました。
やがて海は静まり、日本武尊たちは上総(千葉県木更津)に渡ることができました。海岸で日本武尊はクシを見つけました。それが弟橘比売のものとわかると悲しみがこみ上げて、去りがたい思いでいっぱいになりました。木更津(きさらず)は、この時の日本武尊の「君さらず」からきています。
この後、東国を平定し、日本武尊たちは帰途につきました。そして、関東地方を去るにあたって嬬恋村で 「あずまはや(わが妻や)・・・・・」
と3回も嘆き叫んだと言われております。
野菜は愛妻に通ず
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の吾嬬者耶(あずまはや)伝説によって、日本愛妻家協会の聖地に指定された嬬恋村ではありますが、嬬恋村民としては、聖地で収穫された「野菜」を「愛妻」とかけて、サイサイをもって、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に、奉納しなければならないなと思い立ちました。
日本愛妻家協会の小泉氏は、このようにおっしゃっています。
「本当の愛妻家は、日本愛妻家協会に入る必要はないんだ。愛妻家でない男どもを、どうやって愛妻家に育てるか? そのノウハウを研究するのが日本愛妻家協会の役目なんだ」
つまり、愛妻家は、男が無理してなるものではなく、妻たちが育てるものであると。奥さんが旦那を愛妻家に変身させてるものなんだと。それを聞いた嬬恋村民は思いました。
 嬬恋村グリーンツーリズム 推進協議会長萩原氏
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「聖地嬬恋村には野菜がある。そうだ、聖地嬬恋村の野菜を、愛妻家育成のために捧げよう!」
というわけで、私たち嬬恋村民は、日本武尊と、旦那を愛妻家に改造したい世の奥様たちのために、農家は愛妻野菜を精魂込めて作り、ペンション・ホテル・レストランは、野菜を使った愛妻家への改造レシピを開発し、嬬恋村に泊まった御客様の男性たちを、たちまち愛妻家に改造し、世界平和のために活躍したいと思いました。「野菜は愛妻に通ず!」です。
新しい村民運動の形
ここから先は、私事になります。すいません。私は嬬恋村で夫婦で小さな宿を経営しております。そして私には、過去に苦い思い出があります。といっても、離婚したとか、夫婦間がうまくいってないという事ではありません。
私の友人が、2組も離婚してしまった。 それを、どうしても防ぐことができなかった。
私は、離婚は待てと言いました。世間には、無責任にも『別れちゃえば』と言う人も多かったですが、私は「縁あって結婚したんだから、もうちょっと頑張ってはどうか」と、かなり手の込んだ仲裁をしました。
具体的にいうと旦那さんや奥さんを、別々に時期をずらして私の宿で、1年近く預かりました。そして、1年ちかくかけて、奥さんとも、旦那さんとも、じっくり話し合いました。その時は、何十人もの友人たちをフルに動員をかけ、それらの友人たちと、復縁のための極秘メーリングリストまで作って、なんとかしようとしましたが駄目でした。
駄目な時は、本当に駄目なんですよね。 私の仕掛けが、全部裏目に出てしまったこともあり それは思い出すたびに心が痛くなる苦い思い出です。
それから数年後、私は、役場の政策推進課の方の紹介で日本愛妻家協会の小泉純司さんと面識をえました。以前の私なら「ケッ、愛妻なんて馬鹿馬鹿しくてやってられねえよ」と思ったことでしょう。バンカラな私は、そういうものと一番縁が薄かったことは、私を知る者全部が知っています。
けれど日本愛妻家協会の人と出会い、底抜けに明るい氏の人柄に感銘をうけました。そして、どうみても親父ギャグでしかない、日本愛妻家協会の主旨も、案外本気になってやれば、これは、ひょっとしたら世界を救う一つのキーワードかもしれないなと、思い直しました。私は、友人たち離婚を防ごうとしたあまり、くそ真面目に対応しすぎたのかもしれない。もっとユーモアと遊び心をもってもよかったのかもしれない。そう思っていた矢先に小泉純司氏から
「嬬恋村を愛妻家の聖地にしよう!」
という呼びかけがありました。私は、即座に観光協会に電話をかけました。そして過去の苦い思い出を思い浮かべながら。
昔の私に、こんなユーモアがあれば、あいつらも・・・・ と思いつつ、所属観光協会や、役場に電話していました。
願わくば、離婚ショックで消息不明となった友人が、どこかで、このサイトをのぞいてくれて、いつか私の前にひょっこり笑顔で現れてくれないかなと・・・・。
(つづく) |