軽井沢の風景 花木園のエゾシカ2

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 シカ社会は、基本的には母子群、雄群、発情期の一時的な雌雄混合群からなります。
 出産期は四〜七月で、最盛期は五、六月。
 分娩が近づくと雌親は前年出産した子を追い払い、一頭で茂みを選びます。
 一産一子。

 新生子には白斑があり、しばらくは茂みに隠れ、親が授乳に通うため、雌親以外との社会的接触はほとんどありません。産後2か月ぐらいたちますと、子は雌親について歩くようになり、しだいに雌グループの集まりの中に入っていきます。そこでは、当歳の幼獣どうしで集団をつくることが認められます。こうした集団の存在は、シカ類以外のオリックスやキリンでも認められます。また、出産期に一時追い払われた前年子の雌がふたたび雌グループ内の母親に合流し、一つの家族群を構成するのも認められます。

 雄の子は翌年の夏ごろまで母親のもとにとどまっていますが、やがて家族群を出て雄群に入っていきます。雌の家族群では年長の雌がリーダー的役割を果たしますが、雄の集団はまとまりも緩く、メンバーは不定で、明瞭(めいりょう)なリーダーは認められません。雄群は非発情期に出現率が高く、発情期になると分散します。これは、発情期の雄群は、存在しても若齢個体からなり、成獣の雄は単独行動かハレムを形成しようとするものが多くなり、非発情期では逆に成獣の雄群内加入が増加するためです。したがって雄群は、その年齢構成においても発情期と非発情期では差がみられます。

 発情期は9〜11月ごろで、それに先だって8月下旬より雄の袋角は角化し、しきりに茂みに角を突き入れたり、樹幹でこすったりして皮膚をはがしだします。さらに特定の地面に穴を掘り、土をこねては角で体にかき揚げて泥を浴び、地に伏して体をこすりつけたりするようになります。このため、後躯(こうく)、とくに内股(うちまた)は泥で黒褐色となり湿潤します。強力な雄はほかの雄と争って場所を確保し、通りかかる雌を囲い込もうとします。この時期の雄は、3節からなる大きな叫び声をしばしば発します。

 ちなみに古来シカ類は狩猟獣として主要な位置を占めてきました。肉、皮を利用するのもさることながら、みごとな角をもつ頭部が装飾品として高い価値をもつせいもあると思われます。シカ類の繁殖率は低いものではありませんが、狩猟による圧迫がきついとその率は減少します。しかし逆に生息数が多すぎれば植生への悪影響が出ることも否めず、両方の状態の調節がむずかしいですね。

 1787年(天明7)刊の『食品国歌』(大津賀仲安著)には、生き血を乾燥して強壮剤となると書かれています。肉も比較的脂肪が少なく淡泊で柔らかいところから、薬用とされていたらしいです。肉の代名詞として「しし」とよばれたのは、のちにはイノシシとなりましたが、古くはこのしか肉であったといわれます。

 ちなみに肉は淡泊で甘く、においが少ないですので、日本はもちろん中国やヨーロッパでも昔から珍重されてきました。日本ではすでに仁徳(にんとく)天皇の時代に、しか肉が献上されたということが『日本書紀』に記録されています。調理法としては、野菜との鍋(なべ)物、焼き肉、汁物などがあり、一種の野臭がありますので、これを消すために、みそに一夜漬けてから調理するとよいです。しか鍋は、しか肉を主材として、焼き豆腐、ゴボウ、ニンジンなどを取り合わせ、煮ながら鍋を取り囲んでつつきます。つけ焼きは、青竹の串(くし)に肉片を刺し、みりんとしょうゆをあわせた汁をつけて照り焼きにします。みそ煮は、一度肉を油炒(い)りしてから、みそに少量の砂糖を加え、煮ころがしてつきます。西洋料理では、ロースト、香味焼き、ソース煮込みなどにされます。

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