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軽井沢花木園には、たくさんのハーブがあります。
そこでハーブの歴史を。
古くから人々は、試行錯誤を繰り返しながら植物による治癒力を発見してきました。
「主は地より薬をつくり給うた」
と聖書にもあるように、神から授かったたいせつなものとして植物と薬は一体と考えられていたのです。
ハーブについての記録はすでに紀元前5000年ごろの中国、紀元前2800年ごろのエジプトに存在していました。紀元前2100年ごろのバビロニアの古代遺跡から発見された粘土板に書き残された、植物を神に捧(ささ)げる絵模様からも、宗教儀式、病気の手当、悪魔払いなどに用いられていたことがうかがえます。
古代エジプト人たちはハーブを神から与えられた植物としてたいせつに扱い、「聖なる植物」として神に捧げ、衣類や唇までハーブで染めていました。古代アラビアの狩人たちにとっては、獲物の保存のための防腐剤として必要なものでした。
古代ギリシアでは、エジプトから受け継がれた知識がベースとなり、医学の基礎を築き始めていくことになります。紀元前5世紀ごろのギリシアの学者で医学の祖とよばれるヒポクラテスは、ハーブによる治療法を400種も考案していたといわれます。
植物学者であり哲学者でもあったテオフラストスによって書かれた『植物誌』9巻や、1世紀後半の皇帝ネロの軍医で植物学者でもあったディオスコリデスの薬草学に関する書物『薬物誌』には、600種もの植物の薬効が記録されています。オリエントの人々は、ハーブには悪魔から身を守ってくれる力があると信じ、「お守り」としてつねに身につけていました。
ヨーロッパにペストが流行したときには、その殺菌力を利用し、街中をハーブで焚(た)きしめて菌を追い出しました。このように、自生している草花や木の実などを生活のなかに取り入れることで植物の不思議な力を発見し、それぞれの植物のいちばん適した使用法を人々は身につけてきたのです。
中世には、修道僧がこれらの薬草療法を守り続け、知識保存のために手書きで本を写し取り、修道院の庭でハーブを育て、薬をつくり始めました。15世紀なかば、印刷技術の発明によってその知識伝達が容易となったハーブの世界は、大いに前進してゆくことになります。
1629年、イギリス国王ジェームズ1世の薬剤師だったジョン・パーキンソンは、庭づくりの本を出版してハーブを料理や家事に必要なものとして紹介し、生活のなかに生かす術を広めました。1652年には、占星学者のニコラス・カルペッパーが薬草に関する本を出版し、医者にみてもらえない人々のために、野生のハーブの知識とその処方を公開しました。
人々のハーブに対する関心が高まり、修道僧のなかにも、薬店を開業する人が出現しました。
彼らは自らが医療に用いるハーブを育てながら園芸と医学を広め、それぞれのやり方で薬を調合していたのです。これは1886年、ロンドンでハーブ取扱者(ハーバリスト)の資格制度ができるまで続きました。
17、18世紀と、花やハーブを用いた庭園づくりに情熱を傾けたイギリスでも、19世紀のビクトリア朝のころにはハーブに対する関心が薄らいでいました。また、1806年ケシからモルヒネの単離物質がつくり出されるなど、有機化学の研究が医療の方向を変え始めていました。
改めて人々がハーブを見直し始めたのは1960年代のことです。合成薬剤の副作用が問題となり、昔からの伝承療法が見直されるようになったのです。人々は、ハーブを見直し、古人の知恵の膨大な蓄積が、新しい発見を伴って、いま生活のなかによみがえってきたのです。
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