フランスの伝統的なメーカーであるプレイエル。
その花の香りがするような音色はとても魅力的です。
プレイエルの創始者、イグナース・プレイエルは1757年に
ウィーンの近くで生まれています。なんと24番目の子供ということでした。
24人子供がいるというのはどんな風景なんでしょうね。相当賑やかな家庭でしょう(^^)。
さてさて、イグナースは音楽的な才能があったらしく、あのハイドンに師事しています。
その後、作曲や演奏家として名をあげますが、1795年にパリに移り住み、楽譜出版を手がけます。
さらに1807年にはピアノの生産事業も始めます。まさに精力的な起業家だったんですね。
上品な音色からはあまり想像ができません。
その後、1831年にイグナースの息子、カミーユ・プレイエルが跡を継ぎます。 彼は優れたピアニストでした。彼のもと、プレイエルはエラールとともにフランスの代表的なメーカーとして発展していきます。
さて、プレイエルといえばショパン抜きには語れません。
ショパンいわく「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」
これはエラールが良くないピアノというわけではなく、ショパン的にはプレイエルの方が好きだという
いうことなのでしょう。実際ショパンとカミーユ・プレイエルは固い絆で結ばれていたようです。
ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、
世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで
行なわれています。現在のプレイルは当然ショパン時代のものとは違いますが、それでもプレイエルで
ショパンを弾くとなんともいえない美しさを感じます。ふんわりと響きがつく音色はとてもショパンに合うのです。
それはともかく、その後もプレイエルはエラールとともにフランスの代表的なメーカーとして残っていきますが、
19世紀後半からのスタインウエイやベヒシュタインの成功にやや押されてしまったようです。
大音量を志向する時代の流れについていけなかったのでしょうか。
そしてついに戦後、フランスの代表的なメーカーである
エラール、ガヴォーは合併し、その後プレイエルも合併してプレイエル・ガヴォーという会社になります。
しかしこの会社も1970年にとうとう倒産してしまいます。プレイエルのブランド名はドイツのシンメルに貸し出され、
しばらくの間、シンメルでプレイエルというピアノは造られていました。
その後フランスでは伝統産業だったピアノ製造をもう一度復興させようと政府援助のもとラモー社を再興します。
ここではプレイエルやガヴォーの設計図や職人を集めていたようです。その甲斐もあってか1990年代には
ラモー社は復活を遂げます。そして1996年にはシンメルからプレイエルのブランドを買い戻しました。
やっとプレイエルが本来のフランスのピアノとして生まれ変わったのです。
19世紀後半からピアノは常に大音量、音の輝かしさを求めて発展してきました。 さらに不幸な2つ大戦によって伝統的なメーカーがどんどん姿を消していきました。 プレイエルもその1つでした。たしかに大音量や音の輝かしさは現代の大きなホールでの 演奏では必要かもしれません。しかし、一方で最近は小規模なサロンや100人程度のよく響くホールでの コンサートも多くなっています。そういった場所で耳を傾けたくなるようなピアノがプレイエルではないでしょうか。 皆さんも一度プレイエルを触ってみてください。きっとその音色に魅了されます。