ピアノを弾く人でスタインウエイというピアノを知らない人は、まずいないでしょう。世界中のピアノで
最もコンサートなどで弾かれているピアノであることは間違いありません。
その輝かしい音は「イニミタブルトーン(比類なき響き)」なんて言われています。
ここでは、そのスタインウエイについて述べてみたいと思います。
スタインウエイ&サンズの創設者である、ハインリッヒ・スタインヴェクは1797年、ドイツ北西部のハノーヴァーとライプツィヒの
間にある小さな村、ウォルフシャーゲンで生まれました。1797年といえば、ベートーヴェンが活躍をはじめ、
まさにウィーン古典派は花開いている時期ですね。また、ヨーロッパはフランス革命の余韻で動揺している時期でも
ありました。

ハインリッヒが15歳になったころ、家族が森で落雷による火事にあい、彼以外全員死亡してしまうという痛ましい事件が おこりました。そのため孤児となった彼は軍隊に入ったようです。21歳まで軍隊にいたあと、木工見習をはじめました。 その後、生まれ故郷のヴォルフシャーゲンから程近い、ゴスラーの町で教会用オルガン作りの見習いを始めています。 ここにいたってやっと彼と楽器作りの運命的な出会いがあったのです。そして友人であるユダヤ人のカール・ブランドによって ピアノとの出会いもはたしています。スタインヴェクはブランドのピアノを真似てピアノを作ったようです。 1835年から彼はゼーゼンの町で本格的にピアノを作り始めました。彼の仕事は順調で1839年にはグランドピアノと スクウエイア型のピアノ2台を州の小品見本市に出し、そこで1等賞をとるほどまでになりました。
彼の仕事は一応順調でしたが、彼が住んでいるドイツは決してピアノ作りに最適な場所ではありませんでした。
ドイツは他の西欧諸国にくらべ、封建社会が色濃く残り、貧しい国だったのです。ピアノを市場や港に運ぶためにも、
いろいろな規制によって2度も3度も国境税や、川の通行料を払う必要がありました。また、1845年にはヨーロッパで
大飢饉がおこり、食品価格は平均50%も上昇してしまったのです。そして、1848年になると人々の不満が
暴動となってあわられます。ハインリッヒの息子、チャールズはそんな中、政治活動に熱中していたが、ハイリッヒ夫婦は
彼の身に危険を感じていました。そのためチャールズを国外、パリ・ロンドン、そしてニューヨークへ向かわせました。
若いチャールズは大都市ニューヨークに来て、興奮しました。そして早速家族にこちらへ来るようにと手紙を
書きます。そして1850年の春、53歳のハインリッヒと46歳の妻ユリアンは長男のセオドアだけドイツに残し、
アメリカへと向かうのです。
スタインヴェク家は、既にアメリカで会社を興す充分な資金を持っていましたが、彼らは当初アメリカや英語になれるために
3年間、他社で働きました。そしてニューヨークのでピアノ製造について充分わかってきた1853年、いよいよ「スタインウエイ&サンズ」
を興すのです。
「スタインウエイ」は「スタインヴェク」の英語読みしたものですが、ここの辺りにも彼らのアメリカでの成功への
意欲を感じさせます。当時ピアノは中流階級以上の家庭では生活力の高さを象徴するものであり、そのためピアノの需要は
高まっていました。彼らの創業は時代の波に乗っていたのです。ちなみに後にスタインウエイの最大のライバルになる
ベヒシュタインとブリュートナーもこの年に創業しています。
情報量が少なかった当時、ピアノの認知度を高めるためには展示会に出品して高い評価を受けることが手っ取り早い方法でした。
スタインウエイは早速1855年に米国展示会に出品して「素晴らしい音の力、低音部の深みと豊かな音、中音部の柔らかさ、
そして高音部の輝かしいまでの純粋さ」との高い評価を受けました。この展示会での後、売上台数は一気に3倍になるのです。
このようにスタインウエイは順調に発展していくのですが、これにはハインリッヒの息子であるヘンリー・スタインウエイ・ジュニアの
技術がおおいに貢献しました。ヘンリーはどういうことをスタインウエイに施していったのでしょうか。
彼の功績は、グランドピアノで一体型のフレームの改良と低弦が高音域の弦の上を交叉する交叉弦を考え出したことでした。
フレームの改良は大きくなったホールに対応するためには不可欠のものでした。大きなそして輝かしい音をだすには
どうしても弦の張力をあげる必要があります。しかし木製のフレームだとその張力には耐えられなかったのです。
一体型のフレームはそれを解決するものでしたが、音を金属音にしていまうという欠点がありました、ヘンリーは
プレートとピアノをしっかり結びつけることに成功し不愉快な音を消したのです。また交叉弦も豊かな音を
つくることに貢献しています。
このような改良をほどこしたスタインウエイのピアノは1862年のロンドンでの国際見本市でも高い評価を得たのでした。 こうしてヘンリーがつくったピアノは順調かと思われましたが、しかし彼は34歳の若さで結核で亡くなってしまいます。 そこでスタインウエイの社長であるウイリアムはドイツでピアノ製作をしていた兄のセオドアを呼び寄せます。 セオドアはアメリカに行くのを渋っていましたが、最終的にはF・ウィルヘルム・グロトリアン(今でも一流のメーカーですよね) などに工場を売却してアメリカに旅たつのです。
セオドアはヘンリーが発明したものを改良したり、独自に特許ととったりしてスタインウエイピアノをさらに高めていきました。 その結果、「スタインウエイシステム」としてピアノの現代化を成し遂げます。 セオドアのピアノは展示会でも高い評価を受け、1867年にはパリの万国博覧会で金賞を受賞します。
さて、展示会で高い評価を受け、それを宣伝に使うというスタインウエイの営業戦略は述べましたが、
もう1つのスタインウエイの営業戦力の柱はスターピアニストにピアノを弾いてもらうということでした。
当時スタインウエイを使用したピアニストにアントン・ルービンシュタインがいます。彼は1872年にアメリカで
215回のコンサートツアーをスタインウエイの援助で行なっています。
しかし何といってもスタインウエイアーティストの中でのスーパースターはイグナス・パデレフスキーでは
ないでしょうか。彼はアメリカで殺人的なスケージュールをこなし、スタインウエイに大きな繁栄をもたらしました。
彼の殺人的なスケージュールは本当にビックリするものです。アメリカでの最初の1週間のスケジュールで6つの
コンチェルトをこなしています。しかもその中の2つは彼がほとんど知らない曲だったそうです。
また最初の2週間に6回のリサイタルを開くことにもなっていたそうです。
彼のアメリカツアーでの1日は演奏・練習に17時間、食事に1時間、睡眠に6時間というものだったそうです。
これではどんな人でも体を壊してしまいますよね。案の定、パデレフスキーは指を痛めてしまったそうです。
彼は指を痛めながらもスケージュールをこなし、結局117日で107回のコンサートをしたそうです。
すごすぎますね。
その後もホロヴィッツなど一流のピアニストに愛用されているのは皆さんもよくご存知だと思います。
スタインウエイは戦争やストライキなどにも翻弄されながらも、そのピアノの名声を高めていきます。
しかしその経営状態はいつもいつも良いときばかりではなかったようです。
さらにその経営にプレッシャーをかけたのは日本製のピアノの台頭でした。ヤマハやカワイに代表される
安価で安定した品質の日本のピアノは関税の問題などを乗り越えて徐々にアメリカ市場にくいこんでいきました。
そして、とうとうスタインウエイ社は1972年にCBSに買収されることになったのです。
スタインウエイ社は売却されましたが、その後もスタインウエイはすばらしいピアノを作り続けています。 ピアノ弾きにとってスタインウエイが特別の楽器だということは昔も今も変わっていないのではないしょうか。
スタインウエイは数々の特許をとってピアノ製造に新たな旋風を巻き起こしました。 それらは現代のスタインウエイ、また他のメーカーでもスタンダードな システムになっているものが多いですね。 その中から一部をご紹介してみます。
まず1つめはデユープレックス・スケールというものです。 これはセオドアが発明したものです。物理学者ハーマン・フォン・ヘルムホルツを基礎とし、 従来のピアノでは振動をとめてあった弦の前と後ろの部分をも基音に 共振させるというものです。 これによってより華やかで豊かな高音が得られるというシステムです。
また、グランドピアノで弦を交叉して張る、交叉弦を採用したのもスタインウエイです。 これもまた豊かな響きに貢献しています。
さらに豊かな響きを追求して、楽器全体を鳴らそうとする工夫があります。 それはサウンドベルというものです。ピアノの裏に響板の振動を楽器全体に つたえるためにサウンドベルという金属の部品がついているのです。 これらの音の豊かさへのあくなき追求は本当にびっくりしますね。
私が初めてスタインウエイに出会ったのはかれこれ12年くらい前になります。
ホールで演奏できる機会があって、そこに設置されていたのがスタインウエイのD型でした。
普段アップライトで練習していた私は、リハーサルでそのピアノを弾いた時に、
その反応の良さから全く弾きこなすことができなくなり、立往生した記憶があります。
ちょっとしたバランスの悪さで、イメージよりも全然大きな音になってしまい、
一歩も前に進めなくなってしまったのです。
しかし、その圧倒的な音量にピアノというものはこういう楽器だったのか、と
認識をあらたにしました。
その後、スタインウエイを弾く機会は何度かありましたが、 いつもその豊かな音量に魅了されます。コンサートピアニスト達が好んで弾くのは よくわかります。
最近ある本で、1970年以降のスタインウエイは変わってしまったという ことを読みました。なんどか古いスタインウエイは弾いたことがありますが、 もしかしたら現在のスタインウエイはたしかにどこか無理をしているのかもしれません。 ただ、すばらしい楽器であることは間違いないでしょう。 これからも高価であったとしても”可能な限り最高のピアノを”という創業の精神で すばらしい楽器の数々を世に送り出してほしいものです!