苦悩の末の「自己紹介」


自己紹介の前に

 テスト版ホームページを立ち上げ、友人・知人・同僚に知らせたところ、「自己紹介ページがあったらいいな」とのアドバイスを受けた。う〜ん。本音を言えば、これは困った。何を書けばよいか分からないので、避けてきたことだからだ。でも考えてみると、肩肘張っても書けないので、自分で関心のあることを徐々に書き足していこうと決めた。思いつくままに、何が書けるか(あるいは書きたいか)を並べてみると、次の12項目が挙がってきた。@から順に書き連ねていこうと思う。
  @どもり
  Aアトピー性皮膚炎
  B短期ストレスバロメーター(どもり)と
   累積的ストレスバロメーター(アトピー性皮膚炎)
  C地域デザイン研究会(自治体イベント研究会)
  D就職そして転職
  E原風景と生活
  F空回り
  G自閉症・アスペルガー症候群
  Hロンドンとベルファースト(北アイルランド)
  Iチャタヌーガ(米国テネシー州)
  Jマレーニ(オーストラリアQLD州)
  K家族から学ぶこと

「どもり 幼少〜高校編」 どもり=元気の源

◆私は物心がついたときから「どもり」がある。未だに治っていない。そもそも、「どもり」が治るものかどうかも知らない。約40年間、お付き合いしている。

◆最初、どもっていることはしゃべり辛いということとして体感していただろうが、とりわけこの「どもり」を意識していたわけではない(たぶん)。意識するようになったのは、小学校に上がったころからだろうか。「人前」で話したり、音読したりする状況に直面すると、「どもり」が酷くなる。私の場合「あ行」が言葉として出ないことが多い。これは致命的である。自分の「鵜飼(うかい)」の姓が言えない。お礼が非礼になる。時には嘲笑を誘う。「有難うございます」、「お願いします」が言えないからだ。息が尽きた時にやっと言葉が出る。まだ出ればよいほうで、悪いと、時には息が尽きても出ない。この時、顎が上ずり、右足が浮き気味になる。からだがいつも硬直しているのだ。

◆よほどひどかったのだろうか、小学生のころ好きなサッカーの練習をしていて、コーチから「お前はお願いしますじゃなくて『オー』でいい」、一緒に練習している仲間からは「バッター『王(オー)』」とからかわれたものだ(なぜか、文章にならない言葉はでるのが不思議だ!)。高校生のとき、見るに見かねて母が私を「矯正研修」に通わせた。でも一向に改善しなかった。話すときに、教えられた矯正方法を試したのだが、矯正方法を使わなければならないと思うと、かえって頭と口と体が「これからどもります」との準備を始め、硬直し「どもり」は繰り返したからだ。また、高校時代、たまたま弓道部の部長になった。部長は、練習前の「礼記謝儀」と「射法訓」を唱えるリード役になるのだが、おそらく普通の人が1分で読むところを5分かかっても唱え終わらないという状況であった。

◆ただ、私の場合、「どもり」がサッカーや弓道への情熱を萎えさせることはなかったことは幸いであった。サッカーから弓道へと転向したのは、未知の弓道がやってみたいという純粋な好奇心からであった。同時に内に籠るということもなかった。とにかく、体を動かし、何かに集中している時間が心地よかったのだろう。フィットネスという発想が全くなかった子ども時代は、単純に足が速かったし、サッカーでは小学校6年で愛知県の韓国遠征メンバーにもなったし、弓道では小さいながらも地方の大会で優勝したこともあった。私の「どもり」は、見方を変えれば、元気の源だったのかもしれない。

「どもり 大学〜現在編」 どもり=「お付き合い」の相手

◆「鵜飼ちゃんの話し方は独特だよね〜!」これは元同僚の山口まみ(現:価値総合研究所主任研究員)が言った言葉だ。自分では全く気がつかないのだが、独特の間と流れがあるそうだ。しかもイントネーションが、東京方言と違うらしい。気をつけて自分の話し方を内省してみると、人よりほんの少しゆっくり話しているかもしれないことに気づいた。標準語を話していたつもりだが、いつまでたっても尾張弁の名残もある。というより、いつまでたっても生まれ育った尾張弁の微妙なニュアンスは、自身の心地よさからか抜けきらない。いずれにせよ、どうやら「どもり」に対処する中で、自分でも分からない微妙な違いの話し方に行き着き、人と異なる印象を与えていたようだ。

◆今でこそ、「どもり」を意識し、完全ではないが、体の硬直度にあわせた対応ができるようになっているが、大学入学以降の意識的な取り組みの成果だろう。そもそも完治の方法が分からないから、どのようにお付き合いするかを考え、対処するしかなかった。経験の積み重ねから学んだ対処方法である。

◆高校時代まではスポーツに集中することで「どもり」が意識の前面に出ていなかった。ところが、大学に入り経営学研究会という固い学術研究会に参加してしまった。「経営学部に入ったのだから、経営学をよりよく知ろう」という単純な図式が念頭にあっただけであるのだが、ここでは「言葉」のやり取りが中心だった。また、大学入学で上京した早々に叔父が経営する会社に電話をかけたところ、自分が話す日本語(標準語を聞けるので、同じ言葉を話していると思っている)が社員に通じなかったことも「言葉」への過剰な注力につながった。「どもり」の程度は高校時代から不変だったと思われるが、意識が「言葉」そして「どもり」に向いてしまったから、気になって仕方がない。かえって悪くなり、悪循環に陥ってしまった。これは本当に悔しかった。

◆一念発起、意図して逆効果を狙ったといいたいが、結果的に「どもり」と付き合う塩梅(あんばい)がわかった経験をした。大学2年生の時に、好奇心と義務感から選挙の応援活動をしてみた。親類(今は故人)が国選にでることになり、大学受験10日前に父を亡くしていた我が家にとり人手がなかったというのが実情であったからだ。一日目標100件のお願い個人演説を自ら課した。この集中的に話しまくる経験は、他に代え難いものであった。例えば、当然言葉から入るのだが、精神的には場を和ませることから入る。それに向けて「今日のお題」を準備し、精神的なもって行き方を考える。場ではゆっくり喋り、相手とのタイミングを考える。「あ行」の言葉が会話の先頭に来るときは、「あ行」から始まらない他の同義語や類義語に置き換える。探索しても咄嗟に出てこず「あ行」から始める時には、気持ちと言葉に勢いをつけて話し始め、その後ゆっくりペースに戻りそれを維持する等々。その後意識しなくなったのだが、話し方についてはこの時の試行錯誤が今のベースになっているようだ。

◆今も「どもり」はあるが、知らない間に人に話すこと、聞くことが好きになってしまった。ただ、私の話し方は、試行錯誤の結果「丁寧語のオンパレード」になっているので、聞く方には壁を作っている印象を与えるようだ(栃木県出身の妻いわく)。また、「言葉」に気をつけ場と一体化し集中的に会話をすることは、人の話す内容の連続性と断絶を迅速にキャッチする自分をつくってしままったようだ。学生時代には「セミナー荒らし」(沼津市役所の匂坂信吾さんの言葉)と呼ばれ、主催者と演者にいやな思いをさせていました。

「どもり 外国編」どもり=言語を超越する

◆英語で「どもり」を"Stammer"という。縁あって1989年から1年間、英国ロンドンで過ごすこととなった。その際の私の英語の能力は読める程度で、聞く、話す、書くについては全くといってよいほどのひどいものであった。

◆さて、「どもり」はどうなったか?もう最初のうちは、聞くことに必死で、自分が「どもり」を持っていることすら意識することはなかった。というより、生活するために他のことを考える余裕が無かったといってよい。この期間はおよそ2ヶ月続いただろうか。その後、耳も慣れ、意思を伝える最低限の会話もできるようになった時、どうしたことか「どもり」が復活した。やはり「あ行」だ!「A, I, U, E, O」その時の気持ちは、「また来たか。 あ〜あ」であった。英語になれば日本語と違うので、「どもり」は出ないだろうとたがをくくっていたのだが、甘かった。なかなか「どもり」はしつこい相手(おっかけ)であった。

◆しかし、私には日本語での経験がある。この時の心境は、その経験に則り英語での「どもり」がどのように変化していくかを眺めてみようというものであった。その時期に何気なく聞いていた知人達の会話が非常に面白く、また、私自身の会話に対する姿勢を変えるきっかけになり、日本語で「どもり」をある程度克服してきた原則を補強するものでもあった。つまり、知人達の会話は、内容面ではなく、その会話の成立過程が面白かった。ロンドン出身のA君はいわゆる上流階級に属すると思われる英語を話し、ウェールズ出身のB君はウェールズ訛の英語を話していた。この両者の会話が、いっこうにかみ合わないのである。B君はある話題で同じ内容を、言い方を変え幾度もA君に話し、徐々に会話がかみ合ってきた。別の話題でも同じようなことが繰り返されていた。このB君は、会話の第一声で必ず、「どもり」とは違うようなのだが、同じ言葉を数回繰り返す特徴があった。

◆自分でも明確に意識しないうちに「どもり」は悪いこと、隠さなければならないことと思い込んでしまっていた私に、この知人達の会話は衝撃と安心感を与えたことは言うまでもない。「そのままで良いのだ!」「一回の発言で、そもそも会話は成立しないのだ!」「恥ずかしいと思う気持ちが、そもそも精神的な歯止めになっている!」この気づきを得た後、約3ヶ月の間、ビジネス・インキュベーターのプロデューサー兼インキュベーション・マネージャーであるジェフ・フェファーズ(ロンドンにあるサウスバンク・テクノパークの元マネージャー)の下で、トレーニーとして働く機会を得た。黙っていることが許されない時間。これが正直なところだろう。自分の意思を伝える会話の繰り返しであった。トレーニーとしての研修期間も終わりに差し掛かったとき、「どもり」を意識せず、話している自分がいた。ジェフに感謝しなければならないと同時に、「どもり」が出るパタンはいずれの言語にも共通していることが理解できた。

◆今振返って考えてみると、日本語でも英語でも、私の場合は意識しないレベルまで話しまくるというプロセスが極めて重要になっている。事前に考え過ぎることがよくないと人に言われたことがあるが、経験的に言えば私の場合そうではなく、話した量と相関があるようだ。最近、自分が直面している場での絶対的な量と関係しているのではないかと気づいた。今後も「どもり」を良く分かった相手として付き合って行きたい。脳科学、顎等の形状等様々な分析が出されているが、現場に直面した私の経験談も別の意味で面白いのではないだろうか。




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