●かしま

 奥州(現在の青森県)十三《とさ》の港より160日ほど北上した所にある島。「はだか島」の別名のとおり、島民は衣服を用いず、男も女も裸で生活していた。赤道直下ならともかく、冷帯に属する地域の裸族というのは世界的にも珍しいのではないだろうか。とは言え、彼らも好き好んで裸の習俗を守っていた訳では無いようで、平安時代末期(十二世紀末)に、源義経が千島に向かう旅の途中でここに立ち寄り、麻の衣を与えたときには、皆喜んでそれを受け取ったとのことである。なお、その際、義経と島民の間に次のような歌が交わされたと伝えれる。
 義経「風吹けば寒くはなきかはだか島麻の衣を身にもまとわず」
 島民「風吹けば寒くはあれどはだか島麻の衣のやうを知らねば」

(「御曹子島渡」『御伽草子』〈伝〉)

  

●ガボテン島

 大平洋上に浮かぶ絶海の孤島。遊園地の潜水艇で遊んでいた五人の少年少女が、潜水艇ごと流されて漂流の末この島にたどりついた。彼ら以前にもアフリカ探検隊の船が漂着しており、その唯一の生き残り(?)であるオウムが叫ぶ言葉から「ガボテン島」と命名された(意味は不明)。
 基本的に熱帯雨林に属す小さな島であるが、ジャングルには猿、シマウマ、カバからキリン、カンガルーにいたるまでありとあらゆる動物が共存している。そればかりか火山であるガボレスト山の麓に広がる密林には前世紀のシダ植物が密生しており、湖には水棲恐竜、山の頂上付近には翼竜が生息していると言う不思議な島である。
 生物学上の奇跡ともいうべき島は残念ながら火山の大噴火により、少年たちと一緒に脱出した恐竜(?)の一個体を除いて、現在では貴重な生物のほとんどが絶滅したと考えられる。

(久松文雄『冒険ガボテン島』〈漫〉)

 

 

●上木村

 日本の東北地方の過疎地帯にある山村。古代の高木信仰を継ぐ姫子神社があるが、現在では宮司もおらずほとんど廃社同然の有り様である。日本全国の伝承を集めた『諸国霊験奇集』によれば、この神社はかつて瓜子神社と言う名で呼ばれており、山中の巨大な木を神体としていた。しかし安政二年の落雷によって木は一夜にして燃え尽きたという。宮司は代々瓜生氏が務めることになっており、その娘が機織りをして祭っていたのである。異端の考古学者、稗田礼二郎はそのことから瓜子姫伝説との関連を考え、さらにはそれと「生命の木」信仰との結び付きについても推測を進めている。
 なおこの地域には巨石による祭祀遺跡も多数残っており、大規模な環状列石の一部が「鬼の爼板」「鬼の包丁」「天の岩戸」などと呼ばれているほか、川上に向かって目印のように巨石がおかれている。

(諸星大二郎『幻の木』〈漫〉一九八七『川上より来たりて』〈漫〉一九八八)

 

 

●加美島

 日本のどこかにある、風変わりな海竜祭によって知られる小さな島。島民は平家の落人の子孫であるという伝説が伝わっており、安徳神社という名の神社がある。これは小さな神社だが、神体として伝わっているのは、昔海底から引き上げられたという伝承のある立派な宝剣であると言われている。ここの神主が、海竜祭の祝も務める。
 旧暦の三月二十四日に行われるこの祭は、その言葉から普通に想像されるような明るく賑やかなものではない。浜辺に集まった島民たちが重苦しい雰囲気で見守る中、にわか検校の語る「平家物語」によって海竜祭は始まる。以前は本土から琵琶法師を呼んで語らせていたのだが、現在では語りを覚えた島の老人が検校役を務めているのだ。
 やがて、語り続ける老人を残し、村人たちは神主を先頭に岬へと向かう。そこには海から訪れる海竜を迎えるための鳥居が立て並べられている。神主はその一つ一つに供え物の魚を置き、祝詞を唱える。奇妙なことに、その内容は豊漁を祈願するものでもなければ、海難除け求めるものでもない。訪れる何物かに対して弁解をし、おとなしく帰ってくれるように頼んでいるのである。その心情は鳥居の並べ方にも顕著に現れている。初めは岬の突端から島内に向かって伸びているのだが、途中から次第に曲がり、最後はまた海へとつながっている。したがって海から来たものは、供え物を取って鳥居をくぐるうちに再び海へと帰ってしまうことになるのだ。
 儀式が済むと島民たちは村に戻り、その夜は物忌みをして、明かりも灯さず家に引きこもる。一度、海竜の正体を確かめようと、夜の間じゅう岬を見張った若者がいた。だが彼は、翌朝には精神に異常を来して戻ったという。

(諸星大二郎『海竜祭の夜』〈漫〉一九八二)

 

 

●カラ・ジルナガン
●Kara Jilnagang

 中央アジアのアフガニスタン北東部。パミール高原、ヒンズークシ山脈、カラコルム山脈の三大高地がぶつかりあうこの地域に、カラ・ジルナガンと呼ばれる巨大な渓谷がある。「カラ・ジルナガン」とは中央アジア一帯の通称で「黒い骨」という意味であるが、それは、雪嶺の中腹に開いた細長い谷の景観が、遠方からだと、あたかも一本の黒い肋骨のように見えるからである。
 カラ・ジルナガンは、“Niche rift”と呼ばれる地形、すなわち谷の開口部は細長いクレブァス状になっているのだが、その内部は実に広く深い壷型の構造をしているのではないかと推測されている。その規模は極めて大きなもので、さながら地軸まで達する程ではないかとの噂もあり、そこから日本語では専ら「大地軸孔」の字を以てあてられている。
 第二次世界大戦も近いある時期、南進を図るソヴィエト連邦と、英国領インドに挟まれて緊張の高まるこの地域が、世界の学術界の関心を集めていた。その理由は、カラ・ジルナガンに時々奇妙な発光現象が見られたことによる。あるいは火箭のような光がいくつも立ちのぼり、またあるいは開口部いっぱいにオーロラのような輝きが噴出し、時と共に色を変え、この世のものとも思われない絶景を示したのである。当然その原因については様々な憶説が出され、中には、カラ・ジルナガンの奥には未知の住民がいて、地上に向けて何かのメッセージを送っているのではないかという、空想科学小説紛いのものまであった。
 しかし真相を究明しようとする調査隊の前には、カラ・ジルナガンを囲む“Kyam”の難所が立ち塞がっていた。その正体は世界でも唯一の速流氷河である。通常の氷河は、どんなに早いものでも一日四〇メートル程度の速さなのだが、キャムに存在するものはその十倍以上、日速四九〇メートルと言われているのだ。轟々たる摩擦音を響かせながら移動する氷の上を行こうとする者の足元にはいきなり千尋のクレヴァスが口を開け、頭上からは数丈の氷塔が崩れ落ちて来る。そしてこすれあう氷から立ちのぼる濃密な霧は、登行者の疲労をいや増し、間断無く飛び来る氷礫は、彼の皮膚を容赦なく切り裂くのだ。

(小栗虫太郎『地軸二万哩』〈小〉一九四〇)

 

 

●カリオストロ公国

 ヨーロッパ内陸部に位置する世界でもっとも小さな国連加盟国。人口は約三五〇〇。
 この地を訪れる者が目にするものといえば一六世紀に初期建造物が建立されたカリオストロ城と、その城下町を中心とし、一九六〇年代に湖底よりローマ時代の遺跡が発見されて一躍有名になった「龍の尾の湖」を擁する光と水に溢れた牧歌的な小国家の姿である。少なくとも外見上は。だが壮麗な古城の地下には中世から近世、現代に至るまでヨーロッパの暗黒部分が封じられていたことに気づく者もいるだろう。その意味でカリオストロ公国はまさに光と闇の王国である。
 その起源は遠くローマ時代にまで遡リ、元々ガリア(伊から仏・独にまたがるローマの属領)の一地域としてローマ人の砦と都市がおかれていた。帝国の衰退と供に次第に姿を消していったローマ人と入れ替わるようにこの地に現われ、その都市を受け継いだのがゴート族、現在のカリオストロ公国の創始者であった。彼らは恐らく四世紀後半にローマ帝国に侵入した西ゴート族の一派であり、部族の大半がその後南ガリアを経てスペインに西ゴート王国を建設したあともこの地にとどまり、自らの歴史を歩み始めた。

 その後中世暗黒紀におけるカリオストロの動向は定かではないが、八世紀に本家の西ゴート王国がサラセン人に滅ぼされたあとも生きのび続け、一六世紀頃から上カリオストロ家(大公家)と下カリオストロ家(伯爵家)に別れて以来、それぞれ表の顔、裏の顔として現代まで公国を支配してきた。かくも長期に渡ってカリオストロ家がヨーロッパの動乱のなかを生きのびてこられたのは、後述する「ゴート札」による経済力、そしてその秘密を護る「影」と呼ばれる謎の騎士団(伯爵家の私兵)によるところが大きいと考えられる。二〇世紀に入ってからは次第に伯爵家の権勢が強くなり、特に五〇年代に時の大公、大公妃が火事で亡くなってからは、事実上公国の実権を握ってきた。
 公国は基本的に観光立国であり、国家の財源は主に緑と水に惹かれて世界中から訪れる観光客の落とす金と、伝統的な精密印刷技術による切手の発行に頼っている。軍隊と呼べるものはなく、警察の任務も城直属の衛士隊が代行している。そしてこれを表の顔とするならば、裏の顔こそは暗黒界で名高い偽札「ゴート札」の発行元としてのカリオストロである。ゴート札がいつ歴史に姿を現したのかは定かでない。しかし中世以来ヨーロッパの動乱の裏には必ずゴート札の影が噂されていた。フランス革命、ナポレオン・ポナパルトの資金源であったとも伝えられ一九二七年の世界恐慌、二度に渡る世界大戦の引き金にもなったという。この秘密を探るため、各国は何百という密偵を放ったが、誰一人として帰る者はなかった。
 ことほど左様にカリオストロの秘密は伯爵家の「影」によって守られていたのであるが、六〇年代に入り、ついにインターポールの手により独立国家によって営まれる通貨偽造の実体が白日の元にさらされた。折しも公国は一六世紀以来という大公家息女と伯爵家当主の結婚という一代国家行事の最中であり、混乱の最中、実質的な国家元首であるカリオストロ伯が湖の水門の決壊によって事故死するという痛ましい事態となった。だがそれはまた水門上の時計塔が崩れ落ちると同時に、古い澱のように城の地下に溜まった中世以来のカリオストロ暗黒の歴史が洗い流されたという事でもあり、その後大公家のクラリス・ド・カリオストロの即位により公国は新たな時代を記すこととなる。

(宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』〈ア〉一九七九)

 

 

●軽張山

 日本の東北地方の奥地にある小さな山。骨山という別名を持つ。あまり気味の良くないこの別名の由来は、江戸時代に「奥羽崩れ」と呼ばれる隠れキリシタンの大弾圧があったとき、当時の為政者が、処刑した彼らの骨までも打ち砕いて、この山頂から撒き散らしたという伝承による。このような事情から、かつてここは隠れキリシタンたちの聖地となっていた。しかし現在では、その不吉な来歴ゆえか、周囲の村人でここに近付く者は殆ど無い。
 一九〇〇年代後半、この山で一人の男の他殺死体が発見された。被害者の名前は善次と言って、軽張山から更に山ひとつ越えたところにある集落の住人であった。この集落は、付近の村からは「はなれ」と呼ばれている、いわゆる非差別部落であるが、それは、ここの住民全てが甚だしく知能が低いという、驚くべき事実による。ただし、周囲の集落から弾き出されたそのような人々が集まったからという訳ではない。歴史的には「はなれ」の方が遥かに古いのだ。
 「はなれ」のもう一つの特徴は、ここの住民全てが、いまだに隠れキリシタンであるという点である。明治になって禁教令が解かれ、周囲が正統カトリックに戻ってからも、彼らは昔から伝わる信仰を頑なに守り続けたのだ。それは様々な土俗信仰と混じり合い、非常に特異なものになっている。それが特によく示されているのは、彼らが聖書として用いている『世界開始の科の御伝え』という書物である。その中には、人類の始祖としてアダムの他にジュスヘルという人物が挙げられており、知恵の実を食べたアダムに対し、ジュスヘルは生命の実を食べたと伝えられているのだ。
 奇妙なことに、軽張山の事件の後、「はなれ」の人々は一人残らずその姿を消してしまった。同じ頃、「はなれ」のあった辺りに巨大な十字型の光が立つという現象が観察されており、それと「はなれ」の失踪事件とは何か関係が合ったのではないかと推測されている。

(諸星大二郎『生命の木』〈漫〉一九七六)

 

 

●北の町

 日本の北国、小高い山が海に迫っているそのふもとに、かつて存在した町。山の上には海神を祭った神社があり、付近の漁師などの信仰を集めていた。
 一時期この神社の人気が異常に高まったことがある。それはふもとの町にある蝋燭屋が、絵を描いた蝋燭を売り始めたころからのことで、その蝋燭を神社にあげて、燃えさしを身につけていれば、決して海での災難に遭わないという評判が立ったためである。蝋燭に画かれていたのは、赤い絵の具を使った、魚や貝、海草と言ったものの絵で、その美しさゆえに、売れ行きはもとよりよかったのだが、この評判によって、ますます買い求める者が増えたのである。
 蝋燭屋を営んでいたのは年取った夫婦であるが、絵を画いていたのは彼らの娘であった。娘は夫婦の本当の子供ではなかったようで、彼らとはひどく年が離れていたが、気立てがよく非常に美しい少女だった。しかしかなり内気だったらしく、めったに人前に姿を現すことはなかったという。
 神社の評判を背景に、町の繁栄はいつまでも続くかに思えたが、ある日を境にその評判は正反対の方向へと変わってしまった。奇妙なことに、それは蝋燭屋の娘が姿を消したのと同時期で、誰があげたとも知れない真っ赤な蝋燭が神社に灯ると、必ず海が荒れるようになったのだ。それどころか、その蝋燭を見ただけでも海難に遭うという噂が立つまでになり、信仰の対象だった神社は、恐怖と嫌悪の的へと化したのである。そして神社の凋落に連れ、次第に町もさびれ、ついには地上からその姿を消したのであった。

(小川未明『赤いろうそくと人魚』〈小〉一九二一)

 

 

●Q市

 日本のどこかに存在する、城下町としての古い歴史を持つ地方都市。一部には新興の住宅地などもできかけてはいるが、大部分は昔ながらの町並を保存する、静かで落ち着いた雰囲気の町で、市民も殆どが先祖代々ここに住んでいた者たちである。だがここに残されているのは「古き良き日本の伝統文化」などというものではなく、むしろ「因習」という言葉がふさわしいようなものなのだ。身分や家柄といったものがいまだに隠然とした力を持っており、市の上層部は昔の上級武士の家系で占められている。また、学校や会社などでも、身分の低い家柄の者は、より高い者に服従すべきであるという不文律が存在している。常識から考えれば時代遅れも甚だしいことであり、Q市とは、あるいは「旧」市の謂ででもあろうか?
 そうしたことと関連があるかどうかは定かではないが、この町ではいろいろと不思議なことが起こる。例えば曲り角を曲がると、いつの間にか過去のQ市に迷い混んでいたり、真剣で斬った藁の束が血を流したりといったことが、日常茶飯事なのだ。これらはどうやら人間の意思の力に関係するらしく、強く思い込んだ事柄が現実の事象となって実現するのである。いわゆる超能力であるが、別にQ市民が特殊な人間という訳ではなく、力の源はQ市自身に存在しているらしい。何故ならたとえQ市の出身者であっても、一歩市外に出るとこの力は使えなくなるし、逆に、外来者でも十分に強力な意思力を持っていれば、市民と同じことができるのである。
 この力を利用したQ市独特の行事に「鬼の日」というものがある。それは、夜、町中を鬼が徘徊し、有志の人々がそれを払うという、いわゆる追儺の行事に類似したものだが、Q市で行われるのは単なる儀式以上のものである。また、民俗行事とは異なり、行われる日も一定していない。市が一年のある日を決定して、一周間ほど前に市民に布告するのである。
 その日市民は、選んだ行動によって三種類のグループに別れる。一つは外出をせず、家に閉じこもる者たち。もう一つは鬼と戦う者たち。そして三つ目は鬼を生み出す者たちである。この第三のグループを選ぶ者は、日ごろの生活に不満を抱いている者たちであることが多い。彼らは溜まった鬱憤を、生み出した鬼たちを思う存分暴れ回らせることで晴らすのである。鬼といっても伝説に現れるオーソドックスな姿ではなく、造り手の妄想の赴くまま、その姿は千差万別である。
 一方、それと戦う第二のグループは、武士の家柄の若者や壮年の者がその殆どを占める。彼らは多くの鬼をはらうことで自分の意思力を誇示することを望んでいるのだ。精神の力で生み出されたものとはいえ、鬼たちは実体をそなえているため危険も大きいが、その分彼らに対する評価も高まるのである。
 意外なことに、「鬼の日」のことは、他の地域には殆ど知られていない。この日Q市の旅館は絶対に客を泊めないし、噂を聞き付けて取材に来た人間も、鬼に出会わないか、たとえ出会っても、フィルムには(おそらくビデオにも)何も写らないのである。

(眉村卓『ねじれた町』〈小〉)

 

 

●キュノポリス
●ΚΥΝΟΠΟΛΙΣ

 古代エジプトにあった、金狼神アヌビスの子孫たる犬狼族の都市。歴史家プルタルコスの語るところによれば、この都市の住民は、魚族の都市オクシリンコス(鱗魚都市)の住民と激しく対立しており、文字どおり互いの血をすすり肉を食らう争いを続けてきた。この確執の由来は、古く神話の時代にまでさかのぼる。
 エジプトの主神オシリスは、あるとき弟の邪神セトに暗殺され、死体を十四の断片に刻まれてしまった。アヌビスはオシリスの葬儀を取り仕切ると同時に、死体の断片を集めて、それをミイラとして保存する方法を発明した。しかしその際、オシリスの陽根だけはどうしても見付けることができなかった。ナイル川に投げ込まれたそれは、貪欲な魚オクシリンコスに食われてしまっていたからである。アヌビスは深くこれを恨み、それ以来、犬狼族と鱗魚族との間には、抜き難い憎悪の念が生じることになった。
 この争いは幾世紀も続いたが、神々や人間たちを味方に引き入れたオクシリンコス側が次第に優位に立ち、犬狼族は世界各地から追い立てられていった。現在では彼らに残された安住の地は、わずかにアメリカ西部一帯のみと言われている。

(澁澤龍彦『犬狼都市』〈小〉一九六二)

 

 

 ●空中温泉
 日本の群馬県の山中に、非常に特殊な状態で存在している露天風呂。どういうことかというと、森の奥深くの地上八メートルの高さに温泉が湧き出しているのである。と言っても別にインドの魔術よろしく、お湯だけがふわふわと宙に漂っているわけではない。巨大な杉の古木の根本に湧いた温泉が、幹の中の空洞を通って上昇し、その最初の枝にある窪みに溜まっているのである。
 その様があまりにファンタジックであるので、ここを知る人は、大勢の観光客が押しかけることによりせっかくの雰囲気が台無しにされることを怖れ、他人にはその正確な場所を教えたがらない。
 したがってその泉質、効能などは明らかになってはいないし、周囲に宿泊できる施設も存在していない。温泉に入ろうとしても、エレベーターはおろか階段すらつけられておらず、頼りになるのは木に取り付けられたはしごだけである。
 しかし、そのような苦労をしても入るだけの価値がこの温泉にはある。耳には小鳥のさえずり、目には一面の緑とその向こうに雄大にそびえる白豚岳、これ以上はないという環境の中で、入浴と森林浴を同時に楽しめるのだ。小賢しい効能書きなどなくても、健康に良いことは疑いないだろう。
 一度でいいからこの温泉に入ってみたいと考える人は多いことであろう。だが前述したとおり、この場所が一般に知られ、道や宿泊施設などができてしまえば、この理想的環境は失われてしまう。したがって、読者もトレッキングの途中などに偶然この温泉を見つけることがあったら、どうか自分ひとりの心の中にしまっておいてもらいたい。


(清水義範『秘湯中の秘湯』〈小〉一九八九)

 

 

●クク・エー・キングワ
●Kuk-e-Kingwa

 日本語に訳せば「霧神の大口」。アラスカ半島の付け根、カツマイ火山とアニアクチャク火山の中間地点にある、直径一〇マイルの大噴火口跡。その独特の景観から「地球の気まぐれ」とも呼ばれている。
 その名が示すとおり、火口の上はうっすらとした霧によって常に覆われている。それは、まだ微かに活動を続ける噴気口がクク・エー・キングワには多数残っており、それらが絶えず水蒸気を噴出しているからである。
 こうした状況のため、航空機による火口内の観測は非常に困難で、霧の切れ目から、僅かに火口湖と緑の存在が確認されるばかりある。また、地上を行く者にとってもクク・エー・キングワへの道は厳しい。まず、その東側にはムクルクという氷河がある。これはまだたいしたことはない。通常の装備で十分渡ることができる。だがそれを過ぎると一面の湿地帯になる。そこに広がる泥沼は、人間が一歩でも足を踏み入れれば体全てを呑み込むまでは決して離さない、恐るべき天然の罠である。そしてそれを乗り越えた冒険者に、最後に立ちはだかるのは、クク・エー・キングワ自身の巨大な絶壁である。それはただ険しいだけではない。風化した火成岩は僅かな振動で崩れ落ち、砂雪崩を起こすのである。
 希代の冒険家、折竹孫七も一度はこの難関の前にその道を阻まれた。しかしある事情によって再びクク・エー・キングワに侵入する必要が起きたとき、彼は独自の方法で攻略ルートを発見し、ついにこの魔境を落としたのである。
 そのとき彼の目の前に開けたのは、実に信じられぬ光景であった。まだ活動を続ける火山の地熱と、噴出する水蒸気の影響により、そこは極地にありながら、熱帯の陽気に包まれた緑の大湿林だったのだ。そこかしこに羊歯や蘭が繁茂し、昼顔が人の頭程もある花を咲かせている。そしてそれらの密生の間を、巨大な蜘蛛が餌を求めて這い回る。これらの動植物は、上空を通過する渡り鳥によって落とされた種や卵が、隔絶された環境の中で独自の進化を遂げたものなのだ。折竹はこの奇観にしばらく唖然とするばかりであった。

(小栗虫太郎『アメリカ鉄仮面』〈小〉)

 

 

●久部良島

 日本の南端、沖縄県八重山諸島の更に南五〇キロメートルの海上にある小さな島。文字どおり絶海の孤島で、交通の手段としては石垣島から月に三便ほど出る連絡船しかなく、それも天候次第で欠航することがしばしばである。
 島の周囲は約六キロメートル。隆起サンゴ礁によって形成された島に特有の、平たい盆のような形をしており、西側がやや高台になっている程度である。島を取り巻く冠礁の内側は穏やかな礁湖をなしていて、連絡船はそこにつき出した桟橋につけられる。
 桟橋から、やや上り坂になった道を真っすぐ進んで行くと、サトウキビ畑を抜けた先に小さな村がある。村は路地によって碁盤の目のように区切られ、白いサンゴ岩の石垣を持つ家々が立ち並んでいる。
 島の西側の丘陵部は「オタケ」と呼ばれる聖地になっており、他所者はもちろん、島民であっても男が入ることは堅く禁じられている。平地から丘陵部へと移る崖際には、破風型屋根を持った石造りの白い小さな建物がある。それは沖縄地方独自の門中墓と呼ばれるもので、一族の死者を全て合祀する為のものである。
 島には二〇〇人ほどの住民が住んでいるのだが、人類学者が彼らを見たら、おそらく首を捻ることだろう。彼らが古くからこの島に住み着いていたのは明らかなのだが、色が白く、すらりとした体格の彼らは、南方系の人種の特徴を少しも示しておらず、周辺の地域にも彼らと類似した人種は住んでいないのである。彼らは非常に閉鎖的で、周囲の島々とも殆ど交渉がない。それは必ずしも地理的な条件のためばかりでなく、彼ら自身、他の地域の人々との接触を意識して避けている節が見受けられるのである。美しい自然にひかれて、旅行者がここを訪れても、そこで彼を待っているのは柔らかな拒絶とでも表現すべきものなのである。露骨に排斥される訳ではなく、むしろ穏やかな人当りなのだが、踏み込んだ付き合いをすることは断固として許さない、そうした雰囲気が村じゅうに漂っているのだ。
 ところがこれと矛盾しているように見える習慣がこの島にはある。島の女性の多くは、若いうちに本土に出て行くのである。これは「若者の田舎離れ」などといったものとは全く異なる。男が島を出ることは皆無と言って良いし、女も二十二・三才になると必ず島に戻って来るのだ。周辺の島の住民は、なかば揶揄的に「男を見付けに行くのだ」と噂しているが、彼女らが島の外で結婚し、そこに落ち着くということは絶対にないのである。それどころか、女が妊娠し、相手の男が島に婿入りする意志を持っていたとしても、女はそれを許さず一人で島に戻るのが常であった。そして、未婚の母となることによって、女が村の中で白眼視されることは決してない。
 それでも男の意志が強く、女に対する愛が真剣なものと認められれば、彼はしかるべき代償と引き換えに島民として受け入れられ、島の哀しい宿命を教えられるであろう。

(田中光二『幻魚の島』〈小〉)

 

 

●熊の木

 日本のどこかの山間部、蕎麦の名産地として知られる四つ曲の近くにある土地。ここにはその名も「熊の木本線」という名の単線の鉄道が通っている。これは、この地方の主要幹線となっている毛多線の猪の木駅から山の上へとのぼり、山頂近くの熊の木駅を経て、鹿の木駅で再び毛多線に合流するというものである。何故このような短い、しかも単線の鉄道が「本線」と呼ばれているかと言うと、もともとこの地方には熊の木本線しかなかったからである。それが、山裾にある毛多の町が大きくなるにつれて、そちらを回る鉄道の方が整備されたという訳なのだ。
 熊の木本線を走っているのは、地方の支線でよく見かけられるディーゼル機関車によって牽引されるものではなく、一両だけの自力で走る電車である。しかしその内部は普通の電車とは少し異なり、進行方向に向かって片側一列に座席が設置されている。これは途中からこの電車がケーブルカーとなるためで、その部分だけは複線となっている。
 しかし普通に旅行している者は、おそらく熊の木本線に乗ることはないだろう。と言うのも、公式にはこの鉄道は廃線になっているからだ。それを地域全体が共謀して、鉄道本社には秘密で維持しているのである。言うまでもなくこれは犯罪行為だが、彼らがそうまでして熊の木本線を残しているのには理由がある。この地方に最も古くからあった熊の木、猪の木、鹿の木の三つの集落は、熊の木を本家とする同族者集団であった。そのため彼らの結び付きは非常に密接で、今でもよく行き来するのである。ところが毛多線を使うと大回りになり、猪の木から鹿の木まで四時間もかかってしまうし、熊の木にいる長老の元に何かを相談に行くにも不便なことになるからだ。
 では一般の旅行者が熊の木本線を利用できる機会は皆無かというと、決してそんなことはない。熊の木周辺の住民は、日本の山村にしては珍しく排他的でなく、むしろひとなつっこい人々であるため、近道となる熊の木本線に乗ることを勧めてくれることもあるのだ。これは純粋な好意から言ってくれているので、変な遠慮はせず、素直に受け入れるべきであろう。勿論この鉄道の所属についてあれこれ詮索したり、後になってやたらと吹聴しないというのは、当然の礼儀というものだ。
 山の中腹にある猪の木駅から乗り換えると、熊の木本線はしばらく林の中を走ってから、熊の木山の麓で前述のケーブルカー方式に切り替わる。そしてそのまま山を登って、山頂にある熊の木駅に到着するのだ。熊の木駅は、初めて目にする者にとってはちょっとした驚きに違いない。なにしろ巨大な茅葺きの民家としか見えないものの中に線路が入り込んでいるのだから。だがもっと驚くべきことがある。熊の木には、これ以外に人家は存在していないのだ。すなわち熊の木は既に集落ではなく、この一件の建物の中に一族の全員が住んでいるのであり、それを駅としても兼用しているのである。電車は一階の土間に停車する。土間の右手は炊事場、左手は二十畳ほどもある板の間になっており、この板の間がプラットホームの役割を果すのである。
 運の良い旅行者は、熊の木の祝い事に行き当たり、参加して行くように勧められるかもしれない。よほどの急ぎ旅でない限り、その言葉に従って損はない。きっと楽しい一時を過ごせるに違いないから。特に、その宴でふるまわれる「旭申」という地酒は絶品で、辛口でありながらとろりとした口当りは、正しく銘酒と呼ぶにふさわしい。もし分けてもらうことができれば、絶好の土産となることだろう。
 場が盛り上がると、熊の木の人々が決まって歌うのが「熊の木節」である。これはテンポの良い短い歌を、珍妙な振りを付けて踊る、非常に愉快なものである。興にのった彼らが、旅行者にも歌うように勧めることがあるかもしれないが、これればかりは他所者は辞退した方が無難である。

   「熊の木節」

 なんじょれ熊の木
かんじょれ猪の木
*ノッケ ノッタラカ
ホッケ ホッタラカ
トッケ トットットットットットッ

(*以下は、節に合わせて自由に歌詞を作る)

(筒井康隆『熊の木本線』〈小〉一九七四)

 

 

●グラニア国

 おそらくヨーロッパの温帯域海岸にあると思われる小王国。国のほぼ中央には王の城があり、そのまわりに小さな街がひらけている。
 人口も少なく、これといった産業もないこの国の経済を支えているのは、一年を通して全世界から訪れる来訪者たちである。
 しかしこの国は特に風光明媚というわけではなく、歴史的に重要な名所旧跡があるというわけでもない。気候も特に厳しいということはないが、決してリゾート向きではない。では何が客たちをひきつけているのか?それはこの国だけで味わうことのできる料理である。グラニア国は世界でも珍しい料理立国なのだ。ここの料理を目当てに、政治家たちは、国際的にはさして重要ではないこの国を訪問したがり、商人たちも、商売とは関係無くても、この国を出張先に加える。いわゆる食道楽たちについてはふれるまでもあるまい。
 多くの学者たちがその味の秘密を研究したが、得られた結論は、グラニア国の料理のうまさは、気候風土、および特別な材料によるものではなく、ただその料理法にこそあるということであった。そこで世界各国の情報組織が、秘伝を探り出すべく数多くのスパイを送り込んだが、戻って来た者は一人もいないということである。

(星新一『国家機密』〈小〉一九六八)

 

 

●ケシモの海

 神話の時代に世界を覆っていた原初の海。緑の髪を持ち、赤銅色の肌をした当時の人類は、そこに船を出し、漁を行うことで生活の糧を得ていた。ケシモとは当時の言葉で「驚異」を意味するのだが、その呼び名にふさわしく、この海は非常に不思議な性質を持っていた。
 その深さは平均でもおよそ三〇〇キウス、最深部では五〇〇キウスにも達するのだが、一〇キウス辺りに目に見えない障壁が存在し、人がそれ以上潜ることを不可能にしている。この障壁は人間に対してだけ働くものではないらしく、魚類も一〇キウスまでに棲息する小魚は、その障壁より深く潜ることはできない。ただワシスと呼ばれる海虫だけが障壁を越える能力を備えており、人々はそれを餌として用いることによって、深海の大魚を獲物としていた。
 古来より人々は、ケシモの海に隠された謎を探ろうと様々な方法を試みていたが、それらはすべて徒労に終わっていた。そして、釣り上げた深海の魚を調べることによって僅かに得られた知識はと言えば、そこが光の存在しない、高圧の世界であるということと、小魚の泳ぐ表層部と、大魚の潜む最深部との間には魚の棲息していない層があるらしいということぐらいであった。
 言い伝えによれば、この障壁を作ったのはヨネチと呼ばれる魚の王であった。すべての魚の祖先と考えられているところから原魚とも呼ばれるこの魚は、遥かな過去に人類の始祖たちの前に姿を現し、一〇キウス以降の海を封印することを宣言した。そしてその時以来、強固な意志と超越的な力を持つ絶対者(ヨネツラル)として深海の底に君臨し、人がケシモの海の秘密を探ろうとする試みを妨げ続けたのである。
 やがて人々はヨネチを敵と見なし、彼を釣り上げることがケシモの海を開く唯一の手段であると考えるようになった。そして一人の若者が、ろくろと歯車を組み合わせて作った巻取機を用いてそれに成功したとき、人類の運命は決定されたという。

(かんべむさし『原魚ヨネチ』〈小〉一九八〇)

 

 

●犬狼都市→キュノポリス

 

 

●轟天秘密基地

 南大平洋上の孤島に設けられた旧日本帝国海軍の秘密基地。昭和二〇年、敗色濃い戦局を挽回する一大回天兵器建造のため、一隻の大型潜水艦(伊-四〇三)が密かに内地をあとにした。搭乗する轟天号建武隊を率いる人こそだれあろう、帝国海軍にこの人ありとうたわれた神宮司大佐である。建武隊は目的地を隠蔽するために途中で潜水艦をも捨て、苦難の末理想的ともいえる土地を発見した。
 そこは地図にものっていないような島であるが、いかなる地質学上の奇跡か黄鉄鉱、ボーキサイト、マンガン等の地下資源が層をなして地表に露出している。このため必要な資源は露天堀りによって至極容易に手にはいるのである。熱帯雨林に属する植性は食料の自給も容易であり、原住民との関係も神宮司大佐の言葉をかりれば「協力的な土民以外は一人も」という様に非常に良好である(非協力的な原住民がどうなったかに関してはさだかではなく、大佐も黙して語っていない)。この恵まれた地で建武隊は二〇年近い時間がかかったものの、ついに超兵器、海底軍艦「轟天号」を完成させたのである。

(東宝『海底軍艦』〈映〉一九六三)

 

 

●子供の城

 一時期日本で、特殊なホルモンを調節することによって肉体の成長を十才すぎぐらいの段階で止めるということが流行した。最初は一部の親たちが、寿命が延びたり成人病にかかりにくくなる(いずれも医学的な根拠は殆ど無かったのだが)ことを期待して、自分の子供達に成長停止剤を与えていたにすぎなかったのだが、その子供達は成年に達してもなお子供の姿でいることを望んだのだ。こうした傾向は、中流以上のいわゆるエリートたちに多く見られた。その影響で成長停止剤を使用することは全国的に流行することになり、やがて大部分の成人が子供の姿のままで生活するという異常な社会が成立したのである。
 こうした状況を可能にした要因の一つに、テクノロジーの発達が挙げられる。AIの大幅な導入によって、人間が判断しなければならない部分は少なくなり、肉体的な労働も、その殆どが機械によって代行できるようになったため、大人の体を持つ必要がなくなったのだ。
 有り余る余暇の時間を、彼らは専ら遊ぶことに費やした。それも、塾と試験に追い立てられた真実の子供時代を取り戻そうとするかのように、幼児退向的な遊びを好んだのである。彼ら自身は「童心に帰る」と称していたのだが、その実態は、子供の姿を隠れみのにした無責任、無節操きわまりないものであった。しかもその根底に潜んでいるのは大人としての欲望なので、結果として非常にグロテスクなものになったのである。『ガリバー旅行記』に描かれる小人国にちなんでリリパティアンと呼ばれた彼らの憧れの的となったのが、ここに紹介する「子供の城」である。
 それは東京近郊に存在する大規模な会員制の遊興施設で、成長停止剤の特許を持つ「津軽非成長者財団」という法人によって維持管理されていた。創始者は大富豪の津軽大造。彼は、自分の子供に成長停止剤を用いた人物としても有名であるが、彼らのために私邸を改造して造りあげたのが「子供の城」の始まりである。莫大な財力を背景に、彼らは子供の姿のままで一生を遊んで過ごしたという。やがて彼らの生き方を理想と考える者たちがそこに集まるようになり、「子供の城」は法人としての活動を始めたのである。
 広大な敷地を囲む塀に開いた門をくぐると、一番最初に目につくのは、何本ものロープで地面に縛り付けられた巨人の像である。言うまでもなく、リリパットに漂着したときのガリバーの姿だが、ここの、さらには当時の日本の状況と思い合わせると、非常に象徴的である。
 庭には人工の滝や湖、ジャングルが造られ、機械仕掛の人魚や妖精、恐竜が動き回っていた。また、それらの真中には、「子供の城」の名のとおり、おとぎ話そのままの巨大な城が聳えていた。この作り物のネヴァーネヴァーランドの中では、会員となったリリパティアンたちはどんな遊びも許されていたのであった。
 政治と経済をその手に収めたリリパティアンの繁栄はいつまでも続くかに見えた。だが多数の死者を出すことになった、あるスキャンダラスな事件によって子供の城が崩壊したことをきっかけに、成長停止剤の流行は急激に衰退し、人々は年齢にふさわしい姿を取るようになったのである。

(諸星大二郎『子供の王国』〈漫〉一九八四)

 

 

●崑崙

 中国大陸の奥地、ゴビ砂漠のさらなる彼方に存在するといわれる幻の秘境。古来よりこの地には神獣、妖獣が跋扈し、不死の一族さえ住むと伝えられてきた。そして黄河の源である崑崙を制するものは中国を制するとさえも。このため数多くのものが崑崙を目指したが、行き着いたものは少なく、帰りついたものはさらに稀である。
 一九三〇年代、各国の思惑が錯綜する中、日本人を中心とする崑崙探検隊が組織された。さまざまな苦難を乗り越えて彼らが目にしたものは、おおよそ信じられぬ光景、砂漠の真中に広がる巨大な竹林だった。一本の直径が三〇センチはあるその竹は、鋭い葉を飛ばして侵入者を撃退するとともに、崑論に特有な空気をその節の中で製造している。そして竹林に囲まれた崑論は守護獣たる剣歯虎に守られ、空桑の琴瑟をつまびく巫女に率いられた相柳の一族が支配する別天地だった。彼らは神そのものである崑論の地に仕え、古代より治水の祭祀をつかさどっているのである。
 そして崑論はけっして一つの土地にとどまるものではない。さまよえる湖として知られるロブ・ノールと同じく、何十年か何百年かの周期で崑論の神は眠りにつき、同時に崑論の土地も消滅してしまう。崑論はいわば神が目覚めているときに見る白昼夢、蜃気楼のようなものなのかもしれない。相柳の民は再び神が目覚める日がくるまで、長い放浪の旅にでるのである。

(山田正紀『崑崙遊撃隊』〈小〉一九七八)