独断と偏見によるブロッホ最重要作品紹介
ここでは、私が独断と偏見で選んだ「最重要作品」を作曲年代順にご紹介します。言いかえれば、単に私が好きな曲ということになりますが、個人的な嗜好によるかもしれないと思われるものは除きました。
ここに紹介したものは、いずれも一聴の価値ある作品です。推薦盤もあわせて、ご紹介します。これら以外の作品についても、今後、紹介していく予定です。
ブロッホの作品の中では最も有名な作品です。現在では多くの国際級のチェリストも演奏するようになり、チェロの主要なレパートリーとして認知されるようになりました。
しかし、良くも悪くも、この作品がブロッホのイメージを作っていると言えます。
年代順作品リストをご覧いただければ分かりますが、この作品は全作品の中でも初期の物であるということが分かります。ブロッホの優れた作品群のほんの入り口にあたる作品だといえます。
改めて、私が下手な紹介をするまでもないとは思いますが、一応、型どおりの説明をさせていただきます。
「シェロモ」は、この時期にブロッホが作曲した一連の「ユダヤ連作」のひとつで、中でも際立った作品といえます。
タイトルのとおり、独奏チェロと管弦楽のための単一楽章の作品ですが、コンチェルトではなく、狂詩曲(ラプソディ)と示されているように、独奏チェロの技巧を示すような作品ではなく、自由な形式による作品といえます。
独奏チェロはソロモン王(シェロモ)を象徴し、独奏チェロによってオーケストラが導き出されていきます。
曲全体に神秘的な雰囲気と陰影に富んだ色彩感あふれるオーケストレーションなど、たいへんインパクトのある曲です。
この作品での一押しは、ロストロポーヴッチ/バーンスタイン/フランス国立管弦楽団のライブをビデオ収録したLDです。これと同時期に収録したCDもありますが、ライブで、しかも映像付きとなるとかなりインパクトがあります。オーケストラの全奏の中で、にじむ汗を拭おうともせず集中するロストロポーヴッチの姿は圧倒的です。残念ながら、LDは製造中止となっており、入手困難です。しかしながら、愛知芸術文化センターなどの施設では、LDを所蔵しており視聴することができます。
1919年という年はヴィオラ作品の当たり年といえます。ヒンデミットのヴィオラ・ソナタ作品11−4、レベッカ・クラークのヴィオラ・ソナタという優れた作品が、この年に生まれました。そして、もちろんブロッホのヴィオラ組曲も同じ年に作曲されました。
これまでの「ユダヤ作品群」とは、やや趣が異なり、民族的な色合いを前面に押し出すのではなく、正統的な4楽章形式を土台として構成されています。同時代のバルトーク、ストラヴィンスキーと比肩しうる作品といえるでしょう。
冒頭のピアノのアルペジオから、完全にこの曲の世界に惹きつけられ、神秘的な第3楽章、5音音階を用いて東洋的な味わいも見せる終楽章まで、一気に聞かせてくれます。
この作品はヴィオラとピアノのために書かれましたが、わずかの後、管弦楽伴奏としてオーケストレーションされました。
管弦楽版では、色彩感が強調され、神秘的な雰囲気がさらに深くなり、終楽章では、マーラーが「大地の歌」で描き出したような異国情緒あふれる世界を見せています。
この作品以降、1920年代には室内楽作品を多く手がけ、この時期の作品はユダヤ的な強烈な色彩感よりも、前衛的な作風を見せたり、神秘主義的でありながら新古典主義的な傾向を見せています。
この作品は、全く国内盤は発売されていませんが、海外では何種類かリリースされており、比較的容易に入手できます。
私が愛聴しているのは、エルンスト&ロリー・ヴァルフッシュのヴイオラ作品全集です。やや古い録音ですが、音質は良好です。ブロッホのヴィオラ作品はどれもすばらしく、このCDでは、全体に枯れた味わいで聞かせてくれます。
また、Yizhak Schotten / Katherine Collier の1919年の作品を集めたCDもなかなかのものです。
管弦楽版では、マーカス・トンプソン/ポール・フリーマン/スロヴェニア放送交響楽団によるバールトークのヴィオラ協奏曲とのカップリング盤が、エキゾチックな色彩感あふれる演奏を聞かせてくれます。
巨匠プリムローズによる演奏もありますが、かなり古い録音で音質はお世辞にも良いとはいえません。
1920年代に多く手がけた室内楽作品の中でも傑出した名作です。
単一楽章の作品で約20分を要し、室内楽作品としては、大作といってもいいでしょう。
1920年に発表したヴァイオリン・ソナタ第1番は、ヴァイオリンの技巧を大胆に駆使した前衛的な作品でしたが、この作品では、重音奏法なども少なく純粋な音楽表現を追求した作品といえるでしょう。
冒頭でヴァイオリンのみで奏される主題は、ほとんどE音とH音の5度音程で構成され、神秘的な雰囲気をもたらします。
Copyright, 1925, by F. E. C. Leuckart.
その後も、メロディーは5度音程、4度音程を中心に動き、和声も第3音を欠いた5度音程が多用され、澄み切った静寂感の中で、音楽はゆっくりと、そして次第に緊張感を帯びて行きます。ひとつの頂点を迎えたところで、音楽はにわかに表情を帯び始め、グレゴリオ聖歌を歌い始めます。
Copyright, 1925, by F. E. C. Leuckart.
この作品も、現在では国内盤は発売されていませんが、海外では何種類かリリースされており、比較的容易に入手できます。この作品は技巧的な要素が少ないので、演奏の良し悪しはプレーヤーの音楽性に大きく左右されるようです。凡庸な演奏のものは作品の真価を伝えることは出来ないでしょう。
ワイラーシュタイン・デュオのヴァイオリン作品全集(第2巻)に収録された演奏は、この作品の価値を十分に示してくれます。
リディア・モルドコヴィッチ/ジュリアン・ミルフォードのヴァイオリン作品集ではスケールの大きい感動的な音楽を聞かせてくれます。演奏時間は26分を超え、非常にゆったりとしたテンポで始まり、緊張感を途切れることなく、起伏に富んだ感情のうねりを表現していきます。まさに、この作品の真価を問う名演です。
これだけの名作でありながら、残念ながら、国際級のアーティストによる録音はほとんどありません。
この作品がヴァイオリニストの重要なレパートリーとして認知されることを願ってやみません。
コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)というバロック時代の様式に基づいた新古典主義的作品といえます。古典的な中にも近代的な要素があり、聞き映えのする作品です。
ピアノは独奏楽器ではなく、チェンバロのように通奏低音を受け持っていますが、独立した動きをみせる場面も多くあります。
全4楽章で構成され、それぞれ「プレリュード」、「挽歌」、「田園曲と田舎の踊り」、「フーガ」と、タイトルが付けられています。
第一楽章「プレリュード」は、2/4拍子と4/4拍子の組み合わせによる特徴的な主題をもつリトルネロ形式、第二楽章「挽歌」は緩徐楽章で、中間部では、長調の伴奏部に乗せて短調のメロディーが奏され、どこかユダヤ風の神秘的な雰囲気を漂わせています。そして、切れ目なく第三楽章「田園曲と田舎の踊り」へと続きます。第三楽章「田園曲と田舎の踊り」は、英国的雰囲気を持つ、品のある舞曲といえるでしょう。第四楽章は全曲を締めくくるにふさわしい壮麗なフーガです。提示部と嬉遊部を繰り返しながら大きなクライマックスに達し、第一楽章の主題が再現された後、コーダを締めくくります。
この曲の録音では、アマデウス室内管弦楽団が演奏、録音ともに非常に優れています。全体に明るい音で、特に後半の2つの楽章が特に素晴らしく、第3楽章の中間部のヴィオラのソリの美しさ、終楽章の圧倒的な躍動感は、他の録音では決して聞くことが出来ません。「フーガ」では、8分音符をスタッカートで弾くことにより躍動感が高まり、第一楽章の主題の再現の前後のあたりは最大の聞き所でしょう。
アマデウス室内管弦楽団とは対照的に、サンディエゴ室内管弦楽団の録音は深みのある落ち着いた音楽を聞かせてくれます。テンポの変化も、スコアに忠実に再現されています。
ハワード・ハンソン/イーストマン=ロチェスター管弦楽団はやや古い録音ですが、音質は良好です。
力強い骨太な音楽を聞かせてくれる、捨てがたい1枚です。
ネヴィル・マリナーによる録音もありますが、CD化されておらず、残念なところです。
ちなみに、東芝EMIから発売されたアナログ盤には、この作品のくわしいアナリーゼがついておりました。
再び、ヨーロッパに戻った1930年代には、ブロッホはそれほど多くの作品を残してはいません。しかし、この時期には、管弦楽作品を中心に、極めて充実した作品を残しています。
ブロッホは声楽作品は非常に少なく、初期の作品以外では、唯一の作品ですが、ブロッホの集大成ともいえるユダヤ教オラトリオとなっています。
バリトン独唱が、聖歌隊先唱者として、合唱を導いて行きます。オーケストレーションも色彩感のある美しい作品です。
この曲の録音はそれほど多くはありませんが、レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニックや、ジェフリー・サイモン/ロンドン交響楽団などがあります。また、作曲者本人指揮による録音 ( Rockport Records / Jewish Music Heritage Recordings ) もありますが、こちらは英語によって歌われています。非常に古い録音ですが、ノイズも少なく音質も悪くありません。
5音音階と色彩感にあふれた絶妙のオーケストレーションで、東洋的な雰囲気を見事に表現した傑作です。
3つの部分からなり、すべて、切れ目なく演奏されます。第1曲「沈思」は、ピアノ、チェレスタを効果的に用いた神秘的な曲、第2曲「戦いの神」は、その名にふさわしい凶暴な音楽、第3曲「回帰」は、異国情緒にあふれた、どこか中国的な美しい音楽です。
どこか仏教的な気分もあり、黛敏郎の「涅槃交響曲」に通づる世界があるのではないでしょうか。
この曲の録音は少なく、現在のところ、ジェームス・セダレス/ニュージーランド交響楽団盤とデヴィッド・アモス/リトアニア国立フィルハーモニー管弦楽団盤のみです。しかしながら、いずれも演奏、録音共に良好です。
ブロッホは、独奏楽器とオーケストラのための作品を比較的多く書いていますが、純粋に「協奏曲」と名づけられたのは、この作品だけです。
ブロッホは、かつてイザイの元でヴァイオリンを学び、ヴァイオリンという楽器を熟知していました。
重音奏法など、イザイに通じるものがあり、ブロッホの本領を発揮した、まさに「代表作」といえます。
全体に色彩感あふれる見事なオーケストレーションで、時にユダヤ的であったり、東洋的であったり、また、どこかネイティブ・アメリカンを想起させるような音楽です。
全3楽章からなり、第1楽章はソナタ形式で、再現部に入ったところでカデンツァがあります。「シェロモ」に通づる雰囲気を持っています。第2楽章は神秘的で感傷的な美しさにあふれた緩徐楽章、第3楽章は、第1楽章の主題が再現され、アメリカ的な明るさを持った音楽が展開します。
私の愛聴盤は、メニューイン/クレツキー/フィルハーモニア管弦楽団の録音です。演奏、音質共に良好で、この曲の真髄を示す模範的な録音といえます。
この作品を初演したシゲティは2種類の録音を残しています。ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団、メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との共演によるものです。
ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団盤は、古い録音ながら捨てがたい一枚です。音質も、この時代にしては悪くないと思われ、十分、鑑賞に堪えます。
メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団盤は、ライブ録音です。第3楽章では、ひやりとさせられる場面があります。
この作品もカタログが少なく、もっとメジャー・アーティストに演奏していただきたいものです。
イツァーク・パールマン、ギル・シャハムあたりが演奏すれば、かなりいい演奏をすると思うのですが...
あまりにもシンプルなタイトルで、聞くまでは全くといっていいほどノーマークの作品だったのですが、実際に聞いてみると、極めて高い完成度の傑作だとわかります。
このようなシンプルなタイトルであるのは、この作品が描写音楽ではなく、情緒的な要素を排し、楽式に最重点をおいた絶対音楽であるからに違いありません。
3つの楽章で構成され、それぞれ「序曲」、「パッサカリア」、「フィナーレ」となっています。
この曲のハイライトは「パッサカリア」で、「序曲」に続いて、切れ目なく演奏されます。まるで、ドイツ音楽のような重厚な、みごとなパッサカリアです。パッサカリアは、バロックの変奏曲の様式で、以降の時代で使われるのは非常に珍しく、有名なところでは、ブラームスの交響曲第4番の終楽章があります。
「フィナーレ」も、また、みごとな曲で、ロンド形式(あるいはリトルネロ形式)と思われます。スコアを確認できないので正確には確認できませんが、テンポの変化も少なく、古典的なアレグロ楽章を踏襲していると思われます。
第2次世界大戦中、長い間、作曲活動を停止していたブロッホは、この曲によって作曲を再開します。
これまでの作品は描写的な作風が中心的でしたが、この作品以降、晩年の作品は、通俗的ではなく、楽式に重きをおいた新古典主義的な作風となります。
この曲は録音が非常に少ないですが、サカリ・オラモ/マルメ交響楽団の好演を聞くことが出来ます。
是非とも、カタログの充実を期待したい。
また、この作品を知る機会を増やすためにも、なんとかスコアの刊行を期待したい。
交響組曲(1944)と同様、重厚な新古典主義的作品といえます。
当然、ピアノが独奏楽器としてフューチャーされていますが、全曲を通じて金管楽器が派手に鳴り響き、野性的で重厚な音楽です。
全3楽章で、通常であれば[急−緩−急]の3楽章構成となりますが、この作品は中間楽章にスケルツォ(3拍子ではないが)が置かれ、[急−急−急]というたいへん珍しい構成を取っています。
この中間楽章は、長大なトリオが置かれ、これが実質的に緩徐楽章に当たるとも考えられます。
特徴的な第1楽章の主題は、第2楽章でも再現され、第3楽章では、これを発展させたモチーフが展開して行きます。
Copyright, 1950 in U.S.A. by Hawkes & Son (London), Ltd.
この曲も録音が非常に少なく、Mitchell/Golschmann/Vienna State Opera Orchestra によるものと、Yui/Amos/ロンドン交響楽団によるものがあるだけです。
是非とも、カタログの充実を期待したい。
また、スコアについては出版元で在庫切れ状態の模様ですが、東京文化会館音楽資料室などでは所蔵されているので閲覧することが出来ます。
「シェロモ」のイメージとは程遠い、すがすがしい美しさにあふれた小協奏曲。
見方によっては、モーツァルト的な作品といえるかもしれません。
3つの部分(楽章)から構成され、アレグロ・コモドの楽章から、緩徐楽章、フーガと、切れ目なく演奏されます。フーガは、3連符と8分音符の組み合わせによる風変わりな主題を持ち、スケルツォ風の、どこかコミカルな曲です。
なお、この曲の最後の14小節で、突如、2管編成のオーケストラが加わるというヴァージョンもあります。
この曲も録音がほとんどありませんが、Kofler/Nicolai/アマデウス室内管弦楽団の録音が、この作品の魅力を伝えてくれます。
カタログの充実が切望されます。
蛇足ですが、G.Schirmer のカタログに、この作品のスコアが載っていることがありますが、実際にはスコアではなく、ピアノ伴奏譜付きのフルート、ヴイオラ、クラリネットの譜面(50286760)ですので、ご注意ください。
ブロッホの最後の管弦楽作品。80歳近くなっていたブロッホは、癌に侵され、健康状態は優れず、死は身近なものとなっていました。
死を目前にした作曲家たちは、しばしば、それまでとは異なった世界観を描き出すようになります。
例えば、リヒャルト・シュトラウスは、巨大なオーケストラを駆使して、色彩感にあふれた官能的なオーケストレーションで、劇的な管弦楽作品やオペラを作曲しましたが、最晩年には、「メタモルフォーゼン」、「最後の4つの歌」といった、それまでとは全く異なった、深い世界観を持った作品を残しました。
ブロッホもまた、死を目前にして、この作品を生み出しました。
この曲は、「葬送曲」と「命は再び?」の2つの部分から成ります。タイトルからもわたるように、明らかに死をテーマとした作品といえるでしょう。曲は、コントラバスのD音が奏される上で、特徴的なリズムを示し、冒頭から、ただならぬ緊迫感を漂わせます。
© Copyright 1961, 1975, by Broude Brothers Limited.
やがて、フルートのソロが導かれ、第一部では弦楽器は終始、弱音器を付けたままであり、大きな起伏もなく「葬送の音楽」が流れていきます。そして、冒頭の緊迫感が再び現れ、切れ目なく第2部「命は再び?」へと入っていきます。
第2部に入ると、音楽はにわかに活気を帯びて動き出します。しかし、どこか空虚な表情を湛え、躍動感をみせることはありません。
この作品は、楽器編成も比較的小規模であり、大きな盛り上がりもありません。全編に澄み切った透明感の漂う「彼岸」の音楽といえるでしょう。
この作品は、現在のところ、オーケストラ伴奏盤は、アレクサ・スティルの録音しかありません。しかしながら、この作品の真価を伝えてくれる素晴らしい内容です。
今後、更なるカタログの充実を願ってやみません。
「エピック・ラプソディ」は、直訳すると、「叙事詩的狂詩曲」とか、「壮大な狂詩曲」といった感じになるんでしょうか?
全3部から成り、アメリカの歴史を音楽で表した作品です。
未開の大陸を思わせるかのような導入部に始まり、最後は合唱が加わり「賛歌」で華々しく曲を閉じます。
また、この作品にはフォスターの「故郷の人々」などの歌曲が数多く引用されており、こうした曲のメロディーが次々と登場します。
通俗的な作品ではありますが、それなりに面白い作品といえるでしょう。
この作品は1927年ミュージカル・アメリカの作曲コンクールで受賞しています。
この作品の録音はストコフスキー/シンフォニー・オブ・ジ・エアーがありますが、このCDには作曲者本人による、この作品についてのスピーチが収録されています。
ちなみに、ストコフスキーは、この作品が第1位を獲得した時の審査員の一人でした。