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さて、時代は江戸時代初期、17世紀前半。 豊臣秀吉の死後、徳川家康が政権をとり、儒教(朱子学〔しゅしがく〕)による身分秩序がしっかりした体制を作り上げていった。国内だけで完結した安定した社会をつくるため、鎖国もした。士農工商の身分制度も定めた。いろんな統制もした。 ある意味、キュークツな時代なんだけど、その分、社会はすごく安定してゆく。 江戸時代が、二百五十年間、ほぼ安定して続くのは、良くも悪くもこのおかげだ。 江戸時代初期の寛永文化は、織田信長や豊臣秀吉という天下人の豪壮な桃山文化に、江戸時代の安定感がミックスした過渡期の文化だ。だから、豪壮さを持ちながらも、だんだんオシャレで繊細になってゆく。 文化の花開く、ってわけじゃないから、量は少ないよ。 A 寛永文化の建築はゴージャス系とわびさび系 まずは、権現造〔ごんげんづくり〕という豪華な霊廟〔れいびょう〕建築の代表が、日光東照宮〔にっこうとうしょうぐう〕(栃木県)だ。徳川家康が祀〔まつ〕られている。 豪華絢爛〔ごうかけんらん〕だ。とにかく豪華。とくに陽明門〔ようめいもん〕は無数の豪華な極彩色の彫刻で飾られている。ゴージャス系。 そして、わびさび系なのが、数寄屋造〔すきやづくり〕と呼ばれる茶室風建築だ。 修学院離宮〔しゅがくいんりきゅう〕(京都府)は、後水尾〔ごみずのお〕天皇の山荘。 桂離宮〔かつらりきゅう〕(京都府)は、八条宮智仁〔はちじょうのみやとしひと〕親王の別荘。 桂離宮〔かつらりきゅう〕は、ドイツの建築家・ブルーノ=タウトという人が「まことに桂離宮は、およそ文化を有する世界に冠絶せる唯一の奇蹟である。パルテノンにおけるよりも、ゴシックの大聖堂或〔あるい〕は伊勢神宮におけるよりも、ここには遥かに著しく《永遠の美》が開顕〔かいけん〕せられている」と絶賛して、世界的に有名になっちゃった。 ビミョウに色の違う茶色の壁が組み合わされ、白い日光を映す障子、清浄な畳、……わびさび系だ、と思ったら、あざやかな青と白の四角が組み合わされた襖〔ふすま〕。 モダンだ。かっこいい。 B 寛永文化の絵画はゴージャスから洗練へ この時代でいちばん重要なのが、俵屋宗達〔たわらやそうたつ〕の「風神雷神図屏風〔ふうじんらいじんずびょうぶ〕」。これは、キンピカで、ゴージャス系。 いや、ゴージャス系なんだけど、構図がうんと安定感を増している。 右が風の袋を持った風神〔ふうじん〕、左がデカデカデカと太鼓を鳴らす雷神〔らいじん〕。 まん中がなーんにも描いてない構図なんだけど、真ん中に向かって天を駆ける風神と、やはり真ん中に向かって足をグイっと踏ん張った雷神。ふたりの動きが、そのなーんにもないまん中の空間で見事に交差している。そして音のしない大爆発を起こしている。 桃山時代と同じキンピカで力強いんだけど、この考え抜かれた構図は、たとえば、狩野派〔かのうは〕の「唐獅子図屏風〔からじしずびょうぶ〕」にはなかったものだ。 他には、朝廷の絵所預〔えどころあずかり〕(朝廷の専属絵師)となった土佐派〔とさは〕の土佐光起〔とさみつおき〕、住吉派〔すみよしは〕の住吉如慶〔すみよしじょけい〕を覚えておこう。 もちろん、狩野派〔かのうは〕も相変わらずがんばっていて、「大徳寺方丈襖絵〔だいとくじほうじょうふすまえ〕」の狩野探幽〔かのうたんゆう〕や「夕顔棚納涼図屏風〔ゆうがおだなのうりょうずびょうぶ〕」の久隅守景〔くすみもりかげ〕がいる。 「夕顔棚納涼図屏風〔ゆうがおだなのうりょうずびょうぶ〕」は、文字どおり、夕顔の棚の下で親子三人が涼んでいる絵だね。 C 寛永文化の工芸は、マルチ・クリエーター参上 この時代、本阿弥光悦〔ほんあみこうえつ〕というマルチ・クリエーターがいた。蒔絵〔まきえ〕、陶芸、書道となんでもOKだ。 徳川家康から、洛北の鷹ヶ峰という地を与えられ、そこにアトリエを開いた。 蒔絵〔まきえ〕は「舟橋蒔絵硯箱〔ふなばしまきえすずりばこ〕」。やっぱりキンピカなんだけど、落ち着きを感じさせるデザインだ。陶芸では、「不二山〔ふじさん〕」という楽焼〔らくやき〕の茶碗。これは、わびさび系。「嵯峨本〔さがぼん〕」という、豪華な装丁の古典の書籍を発行したりもした。 俵屋宗達〔たわらやそうたつ〕とコラボレーションなんかもしてる。 今、本阿弥光悦が生きてたら、きっと小説も書き、イラストも描き、映画も撮り、音楽では他のミュージシャンとユニットを組む、なんてスゴい人になってるだろうね。 |
| できるだけ「図説」みたいな本を見ながら読んでくださいね。 今、近くにそういう本がない人は、googleイメージ検索(ここをクリック)で探すと、すぐ画像が見つかりますよ。 |