「『枕草子』の夢」


■『枕草子』の夢■


第1章
純度百パーセントの言葉



第2章
価値に、なりたい!



第3章
価値のある言葉、歌枕



第4章
平安朝のユーミン、ツラユキ



第5章
やわらかな、悲しみ



第6章
バイバイ、パパ



第7章
夢の突端



第8章
カシコゲな女と言われて



第9章
不幸という事実



第10章
シラケ、ツマンナイ



第11章
不在の闇



第12章
深夜の遊園地



第13章
不思議な意志





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岩田澄人


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『枕草子』の夢>第13章 不思議な意志


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高欄のもとに、青き瓶〔かめ〕の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の、五尺ばかりなるをいと多く挿したれば、高欄の外〔と〕まで咲きこぼれる昼つ方、大納言殿、桜の直衣の少しなよらかなるに、濃き紫の固文〔かたもん〕の指貫〔さしぬき〕、白き御衣〔おんぞ〕ども、うへには濃き綾のいとあざやかなるを出だしてまゐりたまへるに、主上〔うへ〕のこなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷にゐたまひて、ものなど申したまふ。
御簾〔みす〕のうちに、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤・山吹など、いろいろ好ましうてあまた、小半蔀〔こはじとみ〕の御簾よりもおし出でたるほど、昼〔ひ〕の御座〔おまし〕のかたには、御膳〔おもの〕まゐる足音高し。警蹕〔けいひち〕など「おーしー」といふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、はての御盤〔ばん〕とりたる蔵人まゐりて、御膳奏すれば、中の戸よりわたらせたまふ。御供に、廂より大納言殿、御送りにまゐりたまひて、ありつる花のもとに帰りゐたまへり。
宮の御前の、御几帳〔みきちゃう〕おしやりて、長押〔なげし〕のもとに出でさせたまへるなど、なにとなくただめでたきを、さぶらふ人も思ふことなき心ちするに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふ言〔こと〕を、いとゆるらかにうち出だしたまへる、いとをかしうおぼゆるにぞ、げに、千年〔ちとせ〕もあらまほしき御ありさまなるや。     (第二十段)


 夢のような、光あふれる世界!

 価値から遠ざけられているようなものは何ひとつない。何もかもが百パーセントの価値として、みずから満たされている。

 「高欄のもとに、青き瓶〔かめ〕の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の、五尺ばかりなるをいと多く挿したれば、高欄の外〔と〕まで咲きこぼれる昼つ方……」って清少納言が、書き記す。

 これは情景描写じゃない。彼女の外のどこかにある風景なんかじゃない。

 でも、気持ちの現われでもない。彼女が自分の気持ちで勝手に色づけたんじゃない。

 中関白家の幸福な情景。みんなの幸福な気持ちと清少納言の幸福な気持ち。そして幸福な言葉。

 ぜんぶがぴたりと一致してるんだ。

 闇が入り込むすき間など、まったくない。奇跡のような百パーセントの価値。夢のような……。

 けど、中関白家の幸福も長くは続かなかったんだよね。

 清少納言が中宮定子のところに出仕したのが、正暦四年(九九三)初春、……翌々年の長徳元年(九九五)四月十日に道隆が死んで、中関白家は坂を転げ落ちるように落ち込んでゆく。 

 代わって権力を握った道長と伊周が対立するんだけれど、長徳二年(九九六)隆家の郎等が花山院に矢を射たかどで、伊周は大宰権帥とされ、また隆家は出雲権帥とされ京を追われた。

 さらに、悪いことは続くもので、定子の二条邸が焼失する。彼ら一族は、栄華の頂点から一転して不幸の淵に落ち込んでゆくのだ。

 価値の不在という現実の海に……。

 清少納言が、この世の価値の全部と信じた中宮定子の世界が、崩れ落ちるように価値の不在の海に沈んでゆく。

 暗い現実に浮かぶ夢!

 暗い現実に浮かぶ、明るい夢!

 この章は、彼女の不思議な意志によってつくられた美しい夢なんだね。 

 枕草子は、不可能な賭けを、草紙に向かう瞬間瞬間に、奇跡のように不断に賭けつづけた彼女の明るい夢だ。

 そこには、純粋な価値が百パーセントつまってるんだね。 百パーセントの光がつまっているんだね。 

 ほら、そこには、ないのに。

 ほんとうに、

 不思議な、

 意志、

 だね。
written by about ten years ago.