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■『枕草子』の夢■ 第1章 純度百パーセントの言葉 第2章 価値に、なりたい! 第3章 価値のある言葉、歌枕 第4章 平安朝のユーミン、ツラユキ 第5章 やわらかな、悲しみ 第6章 バイバイ、パパ 第7章 夢の突端 第8章 カシコゲな女と言われて 第9章 不幸という事実 第10章 シラケ、ツマンナイ 第11章 不在の闇 第12章 深夜の遊園地 第13章 不思議な意志 『枕草子』ブックガイド top page 岩田澄人 古文単語チェック |

逢坂の関から衣の関までは、歌枕なんだ。 歌枕っていうのは、古来、歌に詠まれてきて、ひとつの詩的なイメージがばぁーんと確立されちゃってる地名のこと。地名のブランドものみたいなもんかもしれないね。 昭和の歌でいえば長崎とか函館、イマの歌でいえば六本木とか青山みたいなものかな。たとえ行ったことなくっても、「函館の女」と「六本木ガール」とかいう歌詞があったら、ほら、「マフラーを首に巻いて、雪がちらつく北の海の寒さに耐えるように、つらい恋にじっと耐えている函館の女」とかみたいに、日本人ならそれだけでイメージがわーっっとわいてくるでしょ。 いや、歌枕には、それ以上に伝統と権威があるから、もう宮廷の男も女も、誰もが、「いい」ってゆうイメージをもってるわけ。まさに、地名のブランドもの。古今和歌集が帝の御命令で作られて、和歌というものの地位もしっかり確立し、和歌をかっちょよくサラサラーって作っちゃうのがきらびやかな宮廷生活をやってゆくのにはどうしても必要な技術になっていた、この十世紀から十一世紀にかけての時代、歌枕は宮廷で生活する男女にとって、とてもとても「価値あるもの」だったんだ。 逢坂は、山城と近江の境界にある関で、京から東国にゆくとき、そして東国から京に帰ってくるときには、必ず通るわけ。 まあ、当時は、京を一歩出れば地の果て、みたいな感覚だったわけで、京から出るときに逢坂を通るものは不安でいっぱいだったろうし、京へ帰り着いたときに逢坂を通る人はなんともいえない安堵の気持ちを味わってたんだろうね。そこで、人間の心のドラマが数限りなく繰り返される。もう歌に詠まれるにはもってこい。 「逢う」という言葉が含まれてることもあって、男と女が「逢う」なんていう状況と掛けてよく使われる代表的な歌枕なんだ。 次の須磨は、摂津と播磨の境界にある関で、つまり逢坂が東の果てならば須磨は西の果て。やっぱり、歌に詠むにはもうもってこいの場所。 何度失敗しても懲りないことを「懲りずま」っていうんだけど、男と女のことで何度失敗しても懲りない、っていう状況で、「懲りずま」の掛け詞として使われることが多い。 当時の宮廷の男女は、逢坂とか須磨とか聞いたら、もうそれだけで、じいーん、となってしまうんだ。しかも、その場所が実在する場所で、場合によっては自分自身その場所でドラマしてるかもしれないわけで、単に「恋ってナニナニです」みたいな一般的な歌にはないリアリティが加わるってもんだ。 続く鈴鹿は、近江と伊勢の境界。「鈴」の縁語に使われたりもする。 その鈴鹿を越えて、大和へ向かう途上にあるのが、岫田。 白河の関と衣の関は、ずっと東北の方にあって、白河は東山道から奥州への入り口、さらに衣の関は、もうそこから先は蝦夷の地、というまさにこの世の果て。 「関って言えば、逢坂が一番よねえ。彼氏が京都から出てゆくとき、さようなら、って手を振る。その関の名が、『逢う坂』と書いて『逢坂』だなんて、ちょっといいわよねえ。」 「私は、須磨がイチオシ。なんたって私は恋に懲りない『こりずま』女なの。ホホホ。」 「衣の関も捨て難いわね。北のロマン、ってやつかしら。」 価値のある言葉、歌枕。 女房仲間や、清少納言の大好きな中宮の定子さまとのまるで果てることのないワイワイガヤガヤ。そして、いつものように、彼女が、大好きな中宮さまからいただいた草紙にひとり向かうと、墨で筆を濡らし、「関は」って書き記す彼女の指先が、走るんだね。 その心の風景は……。 彼女は、どこにいるの? |