枕草子の夢/清少納言
「『枕草子』の夢」






■『枕草子』の夢■




第1章
純度百パーセントの言葉



第2章
価値に、なりたい!



第3章
価値のある言葉、歌枕



第4章
平安朝のユーミン、ツラユキ



第5章
やわらかな、悲しみ



第6章
バイバイ、パパ



第7章
夢の突端



第8章
カシコゲな女と言われて



第9章
不幸という事実



第10章
シラケ、ツマンナイ



第11章
不在の闇



第12章
深夜の遊園地



第13章
不思議な意志





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『枕草子』の夢>第1章 純度百パーセントの言葉


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月のいと明きに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などの割れたるやうに、水の散りたるこそ、をかしけれ。 (第二百十五段)


 あるとき、ぼくは、ふと枕草子のこんな章段に目を止めたんだ。これで、ひとつの、短い短い章段。

 ふうっっと、気持ちが純粋になった!

 ほら、この、風景ってゆうか、「絵」ってゆうか、……「月の明るい夜の中で、川を渡る、牛が歩く、水しぶきっ、水晶の割れたようっっ」、そう!この「絵」を、ビデオのストップ・モーションのとらえるより、もっとその一万分の一くらいの瞬間でとらえた、清少納言の目!感じた気持ち!そして言葉!それらが全部、イコール、イコール、イコールってぴったりと一致してて、ふだん、ぼくたちが心の中にもってるウソがないと思わない?

 ぼくのなかではいつも、ほんとうの世界と、それをとらえたぼくの目と、感じた気持ち、さらにさらにそれを表したぼくの言葉との間には、ウソってゆうか、スキマってゆうか、あるよ。

 あっ、さっきの一瞬に見た景色と、今それについて感じてることと、なんか、もう、違っちゃってるよお、……とか、あっ、心ん中で思ってることと口で言ってることがズレちゃってるよお、……とか。そういうこと、あるよ。

 けれど、清少納言が描いた枕草子のこの文には、そんなスキマが全然ないんだよ。

 まったく、ひとつ。

 なにも混ざってない。

 純度百パーセント。

 ほら、君だって、人間って、みんな、そんなトキってあると、思う。すごくときどきだけど。

 きれいな夕焼けとか、ウォークマン聴きながらふと立ち止まってしまうフレーズ、好きな人の表情や言葉とかしてくれたこと、中間テストの終わった学校帰りの風の肌触りとか、目や耳や気持ちや肌で「あっ!」ってとらえて、なにか気持ちが起こって、それが一瞬に、「わあっ!」とか「おっ!」とか「好きっ」とか「!!(声になってない声)」とか、とてもとても純粋な言葉になる。

 「私」が、一瞬、しぼりたて、果汁百パーセントのジュースがのどを通るときのように、純度百パーセントの状態になる。

 君だって……。

 そりゃー、人間って、ほんとは純度百パーセントなんかじゃないよ。言葉でゆがめちゃったり、そのときの気持ちに左右されちゃったり、目そのものがもう先入観でくもってたりして。むろんそれが人間のほんとの姿かもしれない。

 それだからこそ、そのウソとホントとの距離ってゆうかスキマってゆうかそうゆうものに空しさや苦しさを感じながらも、がんばって生きてるわけだ。

 でも、そういう人間にも、純度百パーセントの瞬間があるよねえ。

 そして、ほんとうは純度百パーセントなんかじゃないからこそ、まるで奇跡みたいな純度百パーセントの瞬間がかけがえがないほど大切なんだと思う。

 ぼくは、純度百パーセントの瞬間が、どうしてもほしくなるとき、つまり、ウソとほんととの間の距離が空しくて苦しくてどうしようもないとき、枕草子のこの文が恋しくなって、ヒソカに枕草子を開いて、この文章をちらっと読んでみる。

 純粋な感覚!

 「をかし」!!

 辞書には「趣がある」とか「面白い」とか訳されてて、学校の先生に教わったとおり枕草子は「をかしの文学」と言われてるんだけれど、でも、きっと、「をかし」の意味は、「私は今、果汁百パーセントの状態なんだよっ!!」って訳したほうがいいんじゃないかなあ。

 だから、「をかし」って言葉自体には、意味はないんだ。

 透明な、意味ゼロの言葉。ただ、純粋さを意味する言葉。

 もちろん、ほんとは「をかし」って言葉は、いろんな人が「意味のある」言葉として使ってたわけで、透明な、意味ゼロの「をかし」は清少納言の発明した「をかし」なんだ。

 ぼくたちも、ときどき、ほんの一瞬の会話で、「わあーーーっ」とか「すっげーー」とか、意味ゼロの言葉を発するけど、清少納言の「をかし」が文章でこんなに意味ゼロになれるのにはとてもかなわない。

 どうして、清少納言って人は、ひとこと、「をかし」なんて言葉でキメられるくらいに、こんな純度百パーセントに、なれたんだろうな。

 どうやって、彼女は、こんな、現実と気持ちと言葉とがひとつになってしまうような状態になれたんだろうね。

 だって、こんな純度百パーセント透明な言葉なんて、ぼくにはまるで奇跡のように思えるから。風に揺れてる樹木の葉の、ある一瞬のすべての葉の位置を、一生を賭けて、ひと言で言い当ててしまうことのように……。