うれしたのし日本史



■うれしたのし日本史■


第1章
弥生時代、邪馬台国出現!


第2章
大和時代、大和朝廷、日本統一!


第3章
飛鳥時代、秩序ある日本構築!


第4章
奈良時代、日本崩壊!


第5章
平安時代、貴族全盛から日本破裂へ!


第6章
鎌倉時代、源氏の軍事政権成立!


第7章
室町時代、足利政権から、戦国の世へ!


第8章
安土桃山時代、天下統一!


第9章
江戸時代、安定から新時代へ!




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岩田澄人


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うれしたのし日本史☆>第3章 飛鳥時代、秩序ある日本構築!







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 飛鳥(あすか)時代は、7世紀の初めに聖徳太子(しょうとくたいし)が登場して、政治改革をガンガン進めて、8世紀の初めに大宝律令(たいほうりつりょう)ができて政治改革が実現するまでの、約100年間の時代だ。その途中に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智(てんじ)天皇)による大政治改革の大化改新(たいかのかいしん)があるわけだね。

 飛鳥時代は、聖徳太子や中大兄皇子による政治改革がガンガン進められた、元気いっぱいの時代なんだ!
 法律がちゃんとある社会(律令(りつりょう)国家)・リーダーを中心にした秩序ある社会(中央集権国家)が、完成した!
 この時代は、日本が、ちゃんとした「国家」になった時代なのだ。

a. 聖徳太子、改革の夢!
 さあ、蘇我氏(そがし)などの豪族が好き勝手やっている無秩序状態を改革しようと登場するのが、推古(すいこ)天皇の(おい)摂政(せっしょう)(天皇のサポート役、……といっても、実際には政治の中心)の聖徳太子だ!

 聖徳太子は、〈聖徳太子改革〉の第1弾として、604年、憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)を制定した。
 あの超有名な「和をもって、貴しとなす」は、決してニコニコと「仲良くしましょうね」って言ってるわけじゃない。「豪族たちよ、争いをやめよ! 秩序ある社会をつくるのだ!」という堂々たる聖徳太子の改革宣言なんだね。

 さらに、〈聖徳太子改革〉の精神的支柱として仏教を導入した。
 聖徳太子にとって、仏教は、秩序ある社会をつくる強力な社会思想だったのだ。

 607年には、(ずい)(中国)に遣隋使(けんずいし)を送った。
 そう、まさに、581年にできた大帝国・隋こそ、律令国家(無秩序状態じゃなく、法律で秩序が保たれた社会)・中央集権国家(豪族の好き勝手じゃなく、ちゃんとリーダーがいる秩序ある社会)のモデルだったわけだ。

 隋を理想とした聖徳太子だけれど、一方では〈聖徳太子外交改革〉も行っている。
 「日()づる(ところ)の天子、書を日没する(ところ)の天子に致す。恙無(つつがな)きや〈元気ですか〉。」という、めっちゃタメグチな手紙を隋の煬帝(ようだい)に送っている。
 煬帝はぶちぎれたんだけど、聖徳太子は堂々と冊封(さくほう)体制(中国周辺の国々が、「ははー、中国さま」と服属する体制。日本も、それまではそうだったのだ)から対等外交に持ち込んだ。

 しかし、残念ながら、律令国家・中央集権国家の夢は叶わないまま、聖徳太子は世を去った。

b. 大化改新で日本改革へ!
 聖徳太子の死後、蘇我氏の横暴はどんどんひどくなり、643年には、とうとう聖徳太子の子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)蘇我入鹿(そがのいるか)が自殺に追い込んだ。
 これには、とうとう天皇サイドもぶちぎれた!

 645年のある日、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で、中大兄皇子の母・皇極(こうぎょく)天皇を迎え、盛大に儀式が行われていた。
 中大兄皇子とその家来・中臣鎌足(なかとみのかまたり)たちが、最前列の蘇我入鹿を狙う。蘇我入鹿は政界の大物だ。緊張でブルブル震えて、動けない仲間もいる。しかし、今しか、ない! 多くの皇族や豪族の眼前で、蘇我入鹿は刺殺され、父の蘇我蝦夷(そがのえみし)は自邸で自殺に追い込まれた。乙巳(いっし)の変(大化のクーデター)だ。

 さあ、聖徳太子の夢見た律令国家中央集権国家を目指して中大兄皇子の改革政治が始まった! 大化改新だね。
 中国には、隋以上の大帝国・(とう)ができたから、遣唐使(けんとうし)をどんどん送り、新しい日本の建設のお手本にしようとした。

 中大兄皇子の政治改革(大化改新)は、663年、朝鮮の中でも日本と仲のいい百済(くだら)が滅ぼされ、それを助けようと新羅(しらぎ)軍と戦って、白村江(はくすきのえ)の戦いで負けたこと以外は、だいたい順調に進んだ。

 ……なんだけど、ちょっと問題が起きた。
 中大兄皇子が天智(てんじ)天皇として即位して、年をとって、次期天皇としては弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が候補に挙がってたんだけど、天智天皇は、子どもの大友皇子(おおとものおうじ)を天皇にしたくなっちゃった。
 天智天皇は、ある日、大海人皇子を自室に呼んだ。「次期天皇のことじゃが、おまえはどう思う?」 もし、大海人皇子が「私がやりたいですなぁ」と言えば、天智天皇は「謀叛(むほん)か!」と殺すつもりだ。しかし、それを察した大海人皇子は、「天皇の位など私はぜーんぜん興味ありませんよ。出家しますわ」と機転を利かせ、その場は逃れた。
 で、天智天皇の死後、大海人皇子と大友皇子が大衝突。これが672年の壬申(じんしん)の乱だ。結果は、大海人皇子の大勝利。

 大海人皇子は、天武(てんむ)天皇として即位した!
 ほとんどの豪族が敗れた大友皇子側についてたから、豪族たちはみんな没落しちゃって、結果的に天武天皇の権力がグンと強まった。まさに、中央集権国家
 皮肉なことだ。天智天皇(中大兄皇子)が目指した中央集権国家が、天智天皇の子・大友皇子が敗れるというこの事件で、ほぼできあがっちゃったわけだ。
 歴史には、たくさんの皮肉がある。人々の想いを、濁流のように押し流しながら、歴史(とき)は流れてゆくよ……。

 この後、天武天皇が飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)という法律を作ったり、天武天皇の妻・持統(じとう)天皇が初の本格的な都・藤原京(ふじわらきょう)を造ったりして、律令国家・中央集権国家完成への道が用意されていった。

c. 秩序ある日本、とうとう完成!
 ついに、ジャーン、701年に、初の本格的な法律の大宝律令(たいほうりつりょう)が、刑部親王(おさかべしんのう)藤原不比等(ふじわらのふひと)(中臣鎌足の子)によって作られた!
 法律により秩序が保たれ、中央政府がちゃんと全国を取り仕切る律令国家・中央集権国家が、真に完成したのだ。
 思い起こせば、聖徳太子の夢が、100年後にかなったわけだね。涙……。うう……。

 左大臣(今の総理大臣みたいなもの)・右大臣・大納言・少納言などで構成される太政官(だいじょうかん)というのが、中央政府だ。
 地方も、(こく)(今の県みたいなもの)・(ぐん)(今の市みたいなもの)・()(今の町みたいなもの)にちゃんと分けて、それぞれの長も置いた。
 貴族(このころから、豪族のことを、お上品に「貴族」と呼ぶ)には 官位相当(かんいそうとう)の制によって「正一位」とか「従二位」というランクが与えられて、そのランクに応じて、いろんな役職に就任する、というちゃんとしたシステムができた。

 それまで豪族がたんまりもっていた私有の土地も、中央政府が所有することにとなった。豪族は、この私有の土地をいっぱい持っているおかげで、いばれてたわけだから、それを失っちゃ、もういばれない。
 中央政府が土地を農民に与え、その分、税を取る。この班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)により公地公民制(土地も人々も中央政府が支配するもので、豪族の勝手はさせんぞ、ってことだ)もできあがった。

 日本全体が、しっかりとした社会になった。
 こうして、律令国家・中央集権国家が、真にできあがったのだ!





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