君の読んだ絵本には、どういうふうに書いてあったんだろう。実は、かぐや姫って、とっても不思議な存在なんだ。
その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いとうつくしうてゐたり。翁いふやう、「われ、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の女にあづけて養はす。うつくしき事かぎりなし。いとをさなければ籠に入れて養ふ。
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【現代語訳】お爺さんが取っておるたくさんの竹のなかに、根もとがぴかあと光る竹が一本あったそうな。不思議に思って、近寄ってみた。竹の中が光っておる。お爺さんが、そおっとなかをのぞくと、どうじゃ、十センチくらいのかわいい女の子がちょこりと座っておる。お爺さんは、「朝も夕方も見ておる竹のなかにおまえがいらっしゃったから、見つけたんじゃよ。わしの子になりなされ。」とひとりごとのように言い、手のなかに入れて家に持って帰った。お婆さんに養ってもらうことにした。ほんとうにほんとうにかわいい子じゃった。小さい子じゃったから、籠に入れて養うことにした。 |
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そもそも竹が光ってるのも不思議だけれど、かぐや姫は身長十センチくらいなんだ。お爺さんも手のなかに入れて帰っている。育てるのも籠の中。
そう、かぐや姫は人間じゃないんだ。
かぐや姫は、まるで宇宙人のように(かぐや姫は月世界人だったわけだから、ほんとうに宇宙人なんだけど……)、二人の前に現れた。
まだまだ不思議なことは続く。
竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔ててよごとに黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。
この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よき程なる人になりぬれば、髪上げなど左右して、髪上げさせ、裳着す。帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。この児のかたちけうらなること、世になく、屋の内は、暗き所なく、光り滿ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。腹立たしきこともなぐさみにけり。
【現代語訳】竹取のお爺さんが、竹を取るとな、この子を見つけてから竹を取るとな、節と節との間に黄金が入っている竹を、何度も何度も見つけるようになったんじゃ。こうしてお爺さんはだんだんとお金持ちになっていったんじゃ。
この子は養ううちに、すくすくすくすくと大きくなっていった。三月ほどになるころに、おとなの背丈にまでなったものじゃから、おとなになる儀式の仕度をしてな、おとなになったしるしに髪を結い上げさせ、おとなの着物を着せたんじゃ。人前にも出さず大切に育てた。この子の顔かたちの美しいことといったら、この世にほかにはいないほどじゃ。家の中は、暗いところもなく、光が満ちあふれた。お爺さんは、気分が悪く苦しいときも、この子を見るとな、苦しい気持ちもなくなった。腹の立つことも気持ちが晴れた。 |
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不思議だろ。かぐや姫を見つけてから、黄金の入った竹をたくさん見つけたり、籠に入るほど小さかったかぐや姫はたった三か月でおとなになっちゃったり、かぐや姫がいると家の中は光が満ちあふれたり、かぐや姫を見ると病気も治っちゃったり。
でも、そうだ、ぼくはこんな感情を経験したことがあるような気がする。
突然、ぼくの前に、ある人が現れ、自分の想像をどんどん超えて、その人の存在がぼくの中で育ってゆく。
ぼくの回りは光が満ちあふれ、どんな悲しみも消え失せてしまう。本当に、少しくらいの病気なら治ってしまう。
いや、ぼくは、たいそうなたとえ話をしてるんじゃない。
『竹取物語』のこの場所を読んだとき、ふと、でも、ありありと、そんな気持ちを経験したことを、思い出しただけだ……。
予想もしなかった他者の出現。
そのときの不思議な気持ち。おそれ。
喜び。
ほんとうに光が満ちあふれたこと。
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