うれしたのし文学史


■古典文学史

第1章
和歌は平安


第2章
中世、和歌から連歌へ


第3章
万葉・古今・新古今


第4章
一〇世紀の物語群


第5章
『源氏物語』とその前後


第6章
日記の流れ


第7章
歴史の変わり目に歴史物語


第8章
説話文学、現(あらは)る

第9章
戦乱の時代を軍記物語が描く


第10章
ここで、随筆を


第11章
能と歌舞伎と浄瑠璃と


第12章
俳諧の人たち


第13章
江戸の小説



■近代文学史

第1章
近代文学、生まれる


第2章
浪漫主義の時代


第3章
自然主義の時代


第4章
漱石と鴎外


第5章
大正は三つの個性


第6章
昭和はいっぱい


第7章
現代の文学


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岩田澄人


古文単語チェック






うれしたのし文学史☆>古典文学史>第6章 日記の流れ







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 それでは、まず、あの、一〇世紀の日記文学から、行きます。

 日記文学の第一走者は、『土佐日記〈とさにっき〉です。『古今和歌集』『竹取物語』『伊勢物語』と同時期の、一〇世紀前半に、紀貫之〈きのつらゆき〉が書きました。もちろん、紀貫之は、『古今和歌集』の撰者でもあります。

 『古今集仮名序〈こきんしゅうかなじょ〉』を書いた貫之ですが、『土佐日記』も仮名〈かな〉で書きました。仮名で書く、ゆうても当たり前のことやない。真の名、と書いて「まな」。真名というのは、漢字のこと。つまり、漢字こそ、真の字ってゆーわけです。仮の名、と書いて、「かな」。つまり、仮名なんて、漢字を知らないオンナコドモが仮に使っている字、とゆーわけです。今でも、女の子が、自分たちの感覚に合ったちょっと変わった女の子文字を書く。でも、会社の重要書類にそんな字書くとエライさんに怒られる。当時、仮名というのはまさにそういう女の子文字だったわけです。でも、そんな仮名こそが、自分たちの本当の微妙な気持ちを自由に書き表わすのにいちばんぴったりの字なんや、と貫之は思った。貫之が、初めて仮名で『古今集仮名序』と『土佐日記』を書いた。そこから、すべての日本文学が始まったのです。偉大な文学者といえば、紫式部や芭蕉や漱石なのかもしれませんが、最も革命的だった文学者は貫之だと、思ってます。

 内容は、土佐守〈とさのかみ〉の任を終えての京都までの船旅の日記です。

 貫之は男ですけど、女が書いている、という設定で書かれてます。冒頭の文、有名ですよね。「男もすなる日記といふものを、女もしてみんとてするなり」、というの。「すなる」の「なる」は、サ変の終止形「す」に接続してるから、伝聞推定の助動詞「なり」。自分は女ですから、男のすることを「男の人がするという日記」と伝聞推定してるわけです。「するなり」の「なり」は、サ変の連体形「する」に接続してますから、断定の助動詞「なり」。「女の私もしてみよう思てするのだ!」と、断定してるわけです。「男の人もするという日記というものを、女の私もしてみようと思ってするのである。」と言っている。大事なことの言いついでに、ちょっと文法のベンキョウもしてみました。

 続いて、『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉一〇世紀後半。今度はほんとに女性が書いてます。書いたのは、藤原道綱母〈ふじわらみちつなのはは〉。(道綱の「綱」の字、合ってますか? 「みちあみ」になってる人けっこう多いっすよ。)これ以降、日記はすべて女性です。だから、最初の日記は『土佐日記』ですけれど、最初の女流日記は『蜻蛉日記』です。まだ地位も低かった藤原兼家〈かねいえ〉と結婚するのですが、兼家はどんどん出世街道まっしぐら、藤原氏のトップ(ってことは、当時の日本の事実上のとトップ)に立つ。兼家は、下積み時代の妻を捨てる。(うーん、今のタレントや歌手にもありそうな話だ……。)捨てられた藤原道綱母は、愛と憎しみの修羅場の中で、子供の道綱〈みちつな〉に心の支えを見いだしてゆく。そんなハナシです。

 そして、一〇〇〇年。『源氏物語』と同時期なのが、『和泉式部日記〈いずみしきぶにっき〉『紫式部日記〈むらさきしきぶにっき〉です。

 まず『和泉式部日記』ですが、むろん書いたのは和泉式部〈いずみしきぶ〉。有名な歌人でもあります。一一世紀初めに書きました。前にも指摘しておきましたが、この和泉式部の歴史的位置、まちがえやすいですから、注意しておいてください。『古今和歌集』の時代のヒトじゃありません。それより百年後の『源氏物語』の時代のヒトです。帥宮〈そちのみや〉という人と歌をやりとりしたりする、恋愛日記です。

 次に、『紫式部日記』。むろん書いたのは、『源氏物語』の作者・紫式部で、『源氏物語』が一〇〇〇年ですから、この日記もそれくらい、一一世紀初めに書かれました。藤原道長〈みちなが〉の娘が中宮〈ちゅうぐう〉彰子〈しょうし〉ですが、紫式部は彰子に仕えてた人ですから、この日記にも、道長や彰子〈しょうし〉やの宮廷生活が描かれています。

 この二つが『源氏物語』と同時期、一〇〇〇年ごろに書かれた日記です。

 で、今度は、その『源氏物語』に夢中になってた女の子の日記。『更級日記〈さらしなにっき〉です。女の子の名前は、菅原孝標女〈すがわらたかすえのむすめ〉で、一一世紀初めに書かれた『源氏物語』にあこがれてたわけですから、『更級日記』の書かれた時期は、一一世紀後半ですね。『源氏物語』にあこがれる、なんてゆうと、知的な文学少女、みたいですが、『源氏物語』なんて当時の感覚で言えば、エッチもありーの、オカルトもありーのです。そんなのを読みふけってるんですから、当時の感覚からすれば、はっきりゆってフリョーです。とゆーか、イナカの女の子が、木村拓哉とか松嶋奈々子とかの出てる東京が舞台のドラマにあこがれて、「わだすも高校出たら、東京さ行くべ。行ってキレイになって、ドラマみたいな恋をするべ」とか思ってるわけです。もっとも平安時代ですから、東国の女の子が京都に行きたいと思うんですが。ステキなエッチのことばかり考えていた若いころを反省して仏道に入っちゃいます。

 あと、一一世紀後半には、『成尋阿闍梨母集〈じょうじんあじゃりのははしゅう〉なんてのもあります。一二世紀前半には、『讃岐典侍日記〈さぬきのすけにっき〉

 一三世紀前半には、『建礼門院右京大夫集〈けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう〉。建礼門院〈けんれいもんいん〉にお仕えしてたわけです。建礼門院、わかりますよね。平清盛〈たいらのきよもり〉の娘で、平家滅亡のとき、壇ノ浦〈だんのうら〉に子供の安徳〈あんとく〉天皇と身を投げて、しかし自分だけ助かっちゃって、出家して大原にこもるんです。そのへんの、はなしです。

 一三世紀後半、つまり一二〇〇年代後半ですからもう鎌倉時代に入ってますが、『十六夜日記〈いざよいにっき〉。これは、覚えときましょうか。作者は、阿仏尼〈あぶつに〉です。

 で、一四世紀初め『とはずがたり』

 これで、日記を終わりますが、やはり日記に関しても、一〇世紀イコール『源氏物語』以前、『源氏物語』と同時期つまり一〇〇〇年ごろ、『源氏物語』以後、という『源氏物語』を中心においた把握の仕方をしてください。

 一〇世紀つまり『源氏物語』より前に、『土佐日記』、『蜻蛉日記』。一〇〇〇年ごろの『源氏物語』の時代に、『和泉式部日記』、『紫式部日記』。『源氏物語』以後に、『更級日記』、です。そして、その後も、あれこれたくさん出てくるわけですが。


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