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室町時代に、能〈のう〉、そして江戸時代に、歌舞伎〈かぶき〉、浄瑠璃〈じょうるり〉といった演劇がはやります。この章は、そいつらの話です。 で、まずは、能。能楽〈のうがく〉ともいいます。あの、ちょっと気味の悪い能面をつけてやるやつですね。室町時代に、観阿弥〈かんあみ〉・世阿弥〈ぜあみ〉の親子が大成しました。世阿弥が書いた能楽論『風姿花伝〈(ふうしかでん〉』……『花伝書〈かでんしょ〉』ともいうんですが、これは重要ですので、覚えておいてください。 あと、能といっしょにやる滑稽〈こっけい〉な劇を狂言〈きょうげん〉という。 で、江戸時代になると、今度は、浄瑠璃と歌舞伎です。 浄瑠璃は、あやつり人形を使ってやるのです。元禄〈げんろく〉期に、語りの竹本義太夫〈たけもとぎだゆう〉と脚本の近松門左衛門〈ちかまつもんざえもん〉のコンビによって大成しました。近松門左衛門の代表作、『曾根崎心中〈そねざきしんじゅう〉』、『冥途の飛脚〈めいどのひきゃく〉』、『心中天の網島〈しんじゅうてんのあみしま〉』、それから『国性爺合戦〈こくせんやかっせん〉』、以上覚えてください。 それから、近松の芸術論。彼は、芸術とは、虚構と現実のはざまにあるんだと言っています。たとえばテレビで、かっこいい俳優さんが先生役のドラマをやる。すると、「現実にはあんな先生いるわけないやないか」なんて皮肉ったりするやつがいる。しかし、かっこいい俳優さんだから、見てて楽しい、面白いわけで、ひきつけられる。かといって、現実の学校生活とまぁーったく遠い虚構ばかりになると、やっぱつまんない。その両方のビミョーなところで、現実には絶対いっこない先生の中に、自分が現実に考えている何かをふっと見るからこそ、感動するわけです。私たちの心を真にうつのは、そんな虚構と現実のはざまにあるのだ。そう、近松門左衛門さんは、考えています。これを、虚実皮膜論〈きょじつひまくろん〉といいますから、いっちょ覚えてやってください。 次は、歌舞伎です。顔に色塗って、髪さかだててやるやつですね。化政〈かせい〉期に鶴屋南北〈つるやなんぼく〉が、有名な『東海道四谷怪談〈とうかいどうよつやかいだん〉』を書きました。 この章は短いですが、これで終わり。 |
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