サイパン

昭和19年6月11日 4万3千の海陸将兵の守る「絶対国防圏」最前線の島サイパンに
米軍マリアナ諸島攻略部隊の機動部隊艦載機の空襲がはじまった
13日からは、艦砲射撃が始まり、サイパンの街はことごとく破壊された。
6月15日夜明け前から激しい艦砲射撃が始まり、午前9時前から、第2・4海兵師団の
上陸部隊が、チャランカノアの海岸目指し前進を開始した。
 
艦砲射撃の跡
 
11日から4日間で米軍が投じた砲弾、爆弾は3500トンにもおよび、当日朝からの艦砲射撃もあり、
日本軍の火砲は全滅したとおもわれていたが上陸部隊が海岸に迫ると日本軍の火砲が火を噴き、
奴らの頭上に降り注いだ。米軍は一時騒然としたが、戦線を立て直し、夜までには橋頭堡を築き、
内陸部へ侵攻を開始。日本軍は連夜、夜襲、等の抵抗をするが、失敗に終わり、追い詰められていく。

米軍上陸の報に接し、豊田副武GF長官は「あ」号作戦を発動、小澤中将率いる第1機動艦隊が出撃、
6月17日 空母「大鳳」のマストに、真珠湾以来のZ旗がひるがえった。
6月19・20日にかけて行われたいわゆるマリアナ沖海戦で、「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失い惨敗
その結果サイパンは孤立、大本営は24日サイパン島の放棄を決定する。
6月26日タッポーチョ山が占領され、日本軍・避難していた邦人は北部へと追い詰められていく。

7月5日、サイパンの海陸合同司令部は「我等玉砕以て太平洋の防波堤たらんとす」との訣別文を打電
7月7日、バンザイ突撃が行われた
軍の敗退と共に北部へと追い詰めらた在留邦人も、玉砕への道を進んでいく・・・・・


          ラストコマンドポスト


  旧・司令部〔海軍司令部が置かれていた〕
 

          旧・司令部内部


   手前にあるのは 1式47ミリ速射砲か?
 

 海軍(大正)10年式45口径12センチ高角砲


    海軍の珍砲 短20センチ砲?
 

    95式軽戦車陸戦隊のものか?
 
一時は米軍を圧倒し、恐怖に陥れたバンザイ突撃であったが、時間の経過と共に死者が増加
米軍の反撃もあり午後には戦闘終了。
残された非戦闘員の邦人たちも「捕虜になって辱めをうけるよりは・・」と、北端のマッピ岬や
マッピ山の断崖から、身を投げるなどし、日本軍と運命をともにした。
9日夕方、米軍はマッピ岬に到着。サイパンの占領を宣言、絶対国防圏の一角が崩れた。


スーサイドクリフ(自殺の崖)



  スーサイドクリフ観音像


スーサイドクリフから見る海軍バナデル飛行場跡
バンザイクリフ (マッピ岬)
 
バンザイクリフの平和観音、後の山がマッピ山        沢山の慰霊碑が立ち並びます

合掌 

 
 
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