橋本以行中佐

伊-58潜水艦長

       軍歴

明治42年京都生まれ昭和6年海軍兵学校卒業・59期
昭和9年「呂64潜」「伊65潜」乗り組み 12年支那事変 18号掃海艇で上海に従軍 砲艦「保津」で揚子江警備同年、水雷学校乙種学生 14年1等駆逐艦「沖風」乗り組み、同年潜水学校乙種学生 同年「伊123潜」水雷長
16年「伊55潜」水雷長 7月「伊24潜」水雷長で開戦を迎え、特殊潜航艇(酒巻艇)を搭載しハワイ戦に参加。
17年2月潜水学校甲種学生 7月「呂31潜」 18年「伊158潜」艦長として実験・練習艦の任務につき
潜水艦レーダーや水中無線の研究実験を行う。同年8月「呂44潜」艦長
19年9月「伊58潜」艦長 「回天」戦を展開し終戦を迎える



     資料を手に話される橋本中佐
 

伊58は9月の竣工以来、諸訓練をへて初出撃は回天戦になりました。19年12月30日 10:00 
4基の回天を搭載し「金剛隊」として徳山沖・大津島の回天基地を出撃、グアム島を目指し南下、敵の裏をかくべく一旦グアム島を通り過ぎ反転、北上 敵艦船が幾度も頭上を通り過ぎていきます
魚雷攻撃をかければ命中確実の態勢であったが、任務はアプラの空母でしたのでひたすらグアムを目指し北上 
1月11日 03:00 4基の回天を次々発進、05:30頃アプラ港あたりに2つの黒煙が上がっているのを潜望鏡で
確認しました。(改造空母1隻と大型タンカー1隻に命中、轟沈の情報があるが米海軍は正式発表していません)
1月下旬呉に帰港、3月1日硫黄島に出撃するも作戦変更の為、途中帰還。3月31日回天「多々良隊」を乗せ
沖縄にむけ出撃したが敵の厳重な警戒に近寄る事もできず、光基地へ帰投します。

伊58は回天6基搭載出来る様に改装、対空レーダーも八木式アンテナを採用、性能アップします。
7月16日フィリピン海方面に向け呉を出港 任務は「フィリピン東海域で敵艦攻撃」
対空、対水上レーダーを駆使し安全な海域を探しながら南下
レイテ、サイパン、グアム、沖縄、パラオ、ウルシーの基地を結ぶ航路の交差点で敵を待ちます。
28日、大型タンカーと駆逐艦を発見、回天2基を発進させ、爆発音を聞くもののスコールの為、戦果の確認が
出来ませんでした。(戦後の調べで駆逐艦1隻撃沈が判明しています)

7月29日レイテ・グアム パラオ・沖縄を結ぶ2本の線の交差海面でアイダホ型戦艦を葬り去ります。
戦後このアイダホ型戦艦が米国本土から原爆をテニアンに運搬後、レイテに向かい航行中であった
重巡「インディアナポリス」であった事が判明します。
 
中佐手作りの資料


         伊58潜行動図
 

         戦果艦のシルエット
 
中佐は7月29日の半弦の月に照らされた黄色い海面がよほど印象的だったのか
2度3度と月光に輝く海面の事を話されました。
南京攻略時の南京の様子も客観的に話していただきました。

約2時間の卓話終了後 作戦、技術についての質疑応答になりましたが
全て明確に即答され健在ぶりを示されました


      中佐を囲んで記念撮影
 
 
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