| テニアン |
| テニアン島は平坦な島で、日本軍の飛行場が四個在り、軍事上の要衝でした 昭和19年2月、海軍第1航空艦隊(角田覚治中将)が進出するも、米軍の空襲やビアク島への攻撃に 戦力を割かれるなど、苦戦を強いられながらも、5月終わり頃から敵のマリアナ方面への反抗に備え 121航空隊・151航空隊が彩雲・彗星偵察機等で挺身偵察を始めるなど、重要な任務に当たっていました。 6月11日米軍のサイパン上陸から日本軍玉砕までの間、増援部隊派遣を幾度も試みるが失敗 艦砲射撃や空襲、さらにサイパン攻略部隊による、サイパン・アギーガン岬からの砲撃で航空機は全滅、 第1航空艦隊は歩兵第50連隊・緒方敬志連隊長の指揮下で、米軍上陸に備えることになりました |
![]() 上空から見たテニアン島 |
| 7月24日米軍は島の北部に上陸、日本軍は懸命の応戦をするが、米軍は艦砲・陸砲で終夜照明弾を 打ち上げ夜襲に備え、また火炎放射器を使用するなど火力、装備で日本軍を圧倒 27日連隊本部は南のカロリナス台地まで後退、29日には島唯一の水源地マルポへの進入をゆるし 30日には全ての飛行場が米軍の手におちました。翌31日、日本軍はマルポ井戸、第3飛行場で反撃を試み 同夜から朝にかけて夜襲をおこなうが撃退され、8月1日午後7時前上陸部隊はテニアン島占領を宣言 8月3日、残された日本軍将兵、邦人の義勇隊ら約1000人は最後の突撃を敢行、緒方敬志連隊長 角田覚治司令長官、三和義勇1航艦参謀長、大家吾一第56警備隊司令などが戦死、守備隊は玉砕しました。 この間の米軍戦死者は389名、太平洋の上陸作戦において最も少ない戦死者数でした。 これで米軍上陸作戦のマニュアルが完成、後の硫黄島、沖縄へと続きます。 |
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| 艦砲射撃の跡 自然破壊の最たるものですね |
| 米軍はこの様に艦砲射撃、空襲で徹底的に上陸地を破壊し尽くしてから上陸を開始するという作戦を 太平洋上の島々、硫黄島、沖縄でおこないました。 |
![]() 英国製安式(アームストロング)の6インチ砲 7月24日戦艦「コロラド」に大打撃をあたえた |
![]() 手前は海軍96式25ミリ2連装機銃 |
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| テニアン島のスーサイドクリフ ここでも多くの人が自ら命を絶ちました |
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| 現在のテニアン空港 〔日本軍のカヒット飛行場 米軍ウエスト・フィールド飛行場〕 |
| ウエスト・フィールドと呼ばれたこの飛行場はアメリカ第20空軍第58航空団が使用 B―29(スーパーフォートレス)戦略爆撃機専用滑走路2本と小型機用が1本ありました |
| 鎮魂 |
| サイパン、テニアン、グアムを占領した、鬼のアメリカは三つの島に次々と飛行場を建設 B―29(スーパーフォートレス)戦略爆撃機による日本本土へ無差別大量殺人をおこなった。 広島に原子爆弾を投下し大量虐殺をおこなったエノラゲイはテニアンのハゴイ空軍基地から 飛び立ちました |