母の介護 母の介護1

2006年11月 親の介護とは(11/05)
2006年9月 徐々に進む認知症(09/30)
2005年5月 3ヶ月振りの介護記録(05/03)  介護から学ぶ心の動き(05/18)
2005年2月 初めての経験(02/04)   ボケ症状との付き合い(02/10)  
2004年12月 二つの珍事(12/06 記)
2004年11月 最近の母の様子(11/04 記)    介護の記録(11/20 記)
2004年10月 順調なすべりだし(10/08 記)
2004年9月 介護計画(09/22 記)
2004年8月 疲れる会話(08/03 記))   母の食欲(08/29 記)
2004年6月 妄想(06/30 記)
2004年4月 ショートステイ(04/13 記)  高齢者虐待(04/22 記)
2004年3月 入浴の苦労(03/29 記)
2004年2月 母の状況(02/08 記)) 介護を妻と分担(02/18 記)) 気力を回復したのかな?(02/23 記)

親の介護とは(2006/11/05 記)
 昨日デーから帰ってくると、寝かせて欲しいという母の言葉通り、ベットに連れて行き、夕食の時間まで、のんびりと寝かせることにした。
夕食時に、「ご飯だよ」と起こしに行くと、「夕食はもう食べたから、いらない」との返事。
普段だと、これを2・3回繰り返すと、必ずおきて食事を一緒にするのが慣行になっているのだが、今日は食べようとしない。今までにないことである。

いくら呼びかけても、起きようとしないのでそのまま寝かせることにした。
これは夜中に、お腹がすいたのといって起こされることを覚悟する。ところが、起こされることなく朝を迎える。「朝食ですよ」と、声をかけると、「もう少し寝かせてくれ」との返事。妻とも相談し、起きてくるまで寝かせておくことにした。昼になっても起きようとしない・・・・・・・・・  
今度は、心配になる。

 そこで、何とか話しかけながら起して昼食を食べさせる。食後は、寝かせないように気持ちをまぎらわせ、3時頃まで起こしておく。
様子を見ていると、つらそうで無気力。口を開けば、「足が痛い」「これからどうしたらよいのか、教えてくれ。」「苦しい」の連続。しばらく言わせておくと、治まる。
夕食まで、ベットで休ませる。

 昨日からの一連の様子をよくよく見ると、体力が徐々に落ちてきているのがわかる。
下の世話も、今までよりは手がかかる。
母は、身をもって老衰を具現し、教えてくれているのだと気づくと愛おしきなる。親の介護とは、このようなことの繰り返しかもしれない。
徐々に進む認知症(2006/09/30 記)
 1年半ぶりの介護記録です。
最近の母は、毎月1週間のショートステイ、週3回のデイサービスが定着しています。このペースは1年間変わっていませんが、日常会話・反応・体力等をみると認知障害が徐々に進んでいることがわかります。具体的には
 @ 直面している場面での会話は出来ますが、5分前・10分前の会話や経験との繋がりが出来なくなりました。
 A 朝・昼・夕方の食事頃になると、落ち着かなくなり顕著な不安症状や妄想が出ます。
 B 夜は、8時30分頃を就寝時間にしていますが、ぐっすり寝れるかどうかが  不安らしく睡眠剤の要求繰り返します。飲んだことを忘れて、5〜6回同じこ  との繰り返しをしないと落ち着きません。
 C 夜間の徘徊はありませんが、家中の電気をつけて回ります。誰々が帰って来ないので電気をつけておくのだといいます。
 D 3ケ月前から、紙オムツになりました。最初は、汚すこともありませんでし   たが、最近は、オムツを汚すのが普通です。
 E 私や妻が出かけると不安になるらしく、ヘルパーさんが居ても早く帰ってくる事を要求します。
等など、まだまだあげれば切がありません。

 認知症は、直前の記憶が残らないため会話を繋げることが難しい病気です。したがって、母の気持ちになって話を聞くこととや記憶に残っている昔の話を一緒にすることが一番の対応のようですが、自分に余裕がないと、なかなかそのようにできないのが現状です。

 毎日の私の仕事は、
 ・朝起こして、オムツを替え、着替えをして食事をさせること。
 ・不安症状や妄想が出たときは、その対応をすること。
 ・お風呂に入れること。
 ・夕食後から寝るまでの間の見守り。
この繰り返しです。私が週に3〜4回、妻が残り回数を見るよう分担していますが、妻の方がストレスが溜まるようで、どのようにカバーすればよいのか暗中模索の現状です。
  
介護から学ぶ心の動き(2005/05/18 記)
 今日は母がデイサービスに行く日、気にしながらも朝からボランティア活動に出かけた。
夕方帰宅すると母がベットで寝ている。妻に母の様子を聞くと「調子がいいようですよ。」との答えに安心する。
 妻の話によると、「今日のデイは、近くの小宮公園に散歩に行き、花や動物の観察をしたらしい。
 介護士さんの話によると、母は花や動物の名前を良く覚えており、得意気に話をし感心されたらしい。満足げで普段とは違って生き生きした表情で驚きました。」とのこと。

 夕食前に起きて、一人で老人会の会報を読み直したり、枕もとの片付けをしたりと普段と違った、正常な頃の母の様子に帰ったようで驚く。
 夕食後も居間で一緒にテレビを見ながら話し込む。今日のデイの様子を聞くと「小宮公園は子供のころ遠足で先生に連れて行かれたところなので良く知っている。楽しかった。」のという。
子供の頃は、ここ八王子には住んでいなかったので、認知障害であることは明らかであるが、「それは良かったね。よく覚えていて関心。」と褒める。「そのくらいは覚えているよ。」と満足げな表情である。

 昨晩は、ベット横のポータブルトイレを持ち出しトイレに汚物をあけたり、常夜灯を消して歩いたりと、気になる行動が重なったのが嘘のような態度である。
安心するやら、驚くやら、嬉しいやら・・・・複雑な気持ちになる。

 前回のデイでは、物をなくしたと大騒ぎをしたらしい。そのことを夕食のとき聞くと「お金の入った財布もなくなった。10万円くらい入っていた。」という。
「それは、困ったね。しかし、盗った人は余程、生活に困っていたんだと思うよ。私たちは、このように夕食も不自由なく食べれるし、寝るところもあるし、明日からの生活に困ることもないから幸せなんだよ。10万円は、大金だけど困っている人にあげたと思って諦めよう。」というと。
「ああそうだね。諦めることにする。」と母。妻が「おばあちゃん感心、感心。」といったのでニコニコと納得する。こんな母の様子は、可愛い孫のように思えてくる。

 認知症との付き合いは、介護者がその気持ちをどう相手に伝えるかが大切であることを知る。母の気持ちが和むような伝え方と対応がいつも出来れば、ストレスも溜まらないとは思うが、実際は、なかなかそうは行かない。自宅介護の難しさがある。
ショートステイとデイサービスを利用しながら、模索する毎日である。
 
3ヶ月振りの介護記録(2005/05/03 記)
  朝・昼・夕方と一日3回は、相変わらずの症状が出るが、週2回だったデイケアを訪問看護士さんのアドバイスで3回に増やしてから、変化が出てきたように思う。
4月の中頃から、夕食後と夜間の世話が楽になり、落ち着いた状態といえる。

 訪問看護士さんのアドバイスは、「体力的に余力があるので、週2回(水・土)のデイケアを月曜を加えて3回にしたらどうか。その方が気分転換になり、症状も和らぐかもしれない。」とのことであった。ケアマネさんとも相談し、2月から実施する。
 さらに、就寝時に睡眠導入剤を服用しても、3時間位は眠れない状態が続く母の様子を診療内科の医師にはなし、服用を中止することにした。

 その結果、4月の中頃から、徐々に夕食後と夜間は落ち着くようになり、最近では手入らずの状態が続いている。しかし、朝は7時頃から不安症状がでる。「苦しい。体調が悪い。朝食は食べられない。このまま寝かせてほしい。・・・・・・・」といった訴えが続く。最初は、デイケアに行きたくないという意思表示かとも考えたが、そうではないようである。デイに行ってきた翌日は、目に見えて調子がいい。

 最近は、週3回のデイと毎月定期的なショートステイの組み合わせが、母の体調管理に結びついているように思う。体力的な衰えからくる下の世話や認知症特有の短期記憶の欠如と不安・錯乱症状の訴えは、辛抱強く包含しながら介護をするより仕方がない。
私も妻も母の状態に合わせながら少しづつ慣れてきたのか、介護にも余裕が出てきたように思う。

 母の介護を通し、「生きがい」から「生きることの意味」を考えさせられる日々である。
ボケ症状との付き合い(2005/02/10 記)
 夕食後、「今日は眠いからすぐ寝ます。」と言うので、歯磨きと洗顔をしてベットに連れて行くと「面倒だから寝巻きに着替えたくない。」という。いろいろなだめながら、何とか着替えをさせて寝かせる。

 こんなときは、顕著なボケ症状が出ることが多いので用心していると、40分後位に呼ぶ声がする。行ってみると「2階に○○が(長女の名前)赤ん坊を連れて寝ているので、急に夜泣きをすると母乳が出なくなるから注意するように。」と言う。
我が家は、私共夫婦と母の3人家族、長女は10年前に結婚し独立。孫は3歳で、夜泣きの心配はない。

 ボケ症状の対応に慣れていない頃は、2階に赤ん坊がいないことを一生懸命に説明したものですが、最近は対応のコツを会得したので、「親切に有難う。お母さんによく言っておくから安心しなさい。」と返答し、なだめてから部屋を出る。
ところが、5分もするとまた呼ばれ、同じことの繰り返し。これは、忙しさにかまけて母の言い分を時間をかけてジックリ受け止めないからだと気付いた次第。
“どうしたらいいのか、良く聞く。赤ん坊の扱いを良く覚えていた事を褒める。長女の様子を話してやる。”などを話しながら、母との会話に身を入れると落ち着いてくる。

 四六時中、介護で一緒にいる家族の立場では、自分自身に余裕がないとなかなか落ち着いた対応が出来ない。分かっていながらも、自分自身の事を優先してしまう有様です。
介護と自分自身のやりたいことを両立するためには、このような試行錯誤を繰り返しながら対応する毎日です。
  
初めての経験(2005/02/04)
 午後、トイレに入っていた母が大声で「お父さん、お母さん、助けて」と呼ぶ声。
何事かと驚き、駆けつけると「ウンチが硬くて出ない。助けてくれ」とのこと。
「お尻に力を入れながら、時間をかけて頑張りましょう。」と話して、暫く様子を見る。
またまた、同じ事を繰り返し叫ぶので、思い切ってお尻の様子を見ると、硬い便が半分ほど出ているのだが、完全に排泄できない状態。
仕方がないので、肛門に手を入れて、便を取り出す。初めての経験で、私には勇気のいる行為であった。

 終わってから、状況を妻に話すと、前にも同じことがあり、浣腸や手での取り出しをした。最近はなかったので安心していたとの事。
私の知らないところで、母の世話をしてくれていた妻に感謝する。

 夕食後、風呂が嫌いな母を説得して一緒に入浴し、7時30分に就寝させる。
夜10時30分頃、起きてきて「お腹がすいた。何かおいしいものを食べさせてくれ」とのこと。
消化の良い卵ボール一皿と牛乳を飲ませてから、「そろそろ寝ましょう」と言うと「エッ、もう寝るの。まだ、夕方よ」との返事。長々と同じ会話の繰り返しの後、「私も、もう寝ますよ。」と言うとようやく納得してベットに行く。

 2,3ヶ月前と比較してみると、体力の衰えとボケの進行を確実に見ることが出来る。
このような状況を繰り返しながら、終焉を迎えるのが人生かと思い知らされる。
二つの珍事(12/06 記)
 朝、母の着替えをさせていた妻が
   「お母さん、パンツはどうしたの? はいていないよね。」
と呼びかけているのに気づいて、母の部屋に行く。
 ズボン下は、はいているがパンツをはいていない。ズボン下は、便で汚した跡がある。
聞いても、母は、「知らないよ。」の一点張り。きっと、汚したのでどこかに脱いでおいてあるに違いない。ベットの中、トイレ、タンス・押入れと探してみるが見つからない。

 すると、妻が「お父さん、昨夜の着替えのとき、パンツをはかせなかったでしょう。」と私のせいにする有様。(キット、自分はボケないと思っているのだ・・・・・・・)
「やれやれ、私がボケたのかもしれない。ボケたら頼むよ。」と言いながら、2人で大笑い。
自分で洗うつもりで、どこかにしまったか、トイレに流したのであろうということで決着。
 はかせたことは確かなのだから、後日、どこか意外なところから発見されるかもしれないと思っている。

 朝食後は、所要で外出し、夕方の5時ごろ帰宅すると、妻が「大変、大変。今日、お母さんが興奮し、オシッコを漏らした。こんなことは初めてよ。」とのこと。
 「永く生きすぎた。早くあの世に行きたい。」という母の愚痴を聞きながら、話し相手をしていたとき、電話があり急用とのことで話を中断して前の家に行き帰ってくる。
母は、何をしに行ったのか・話を中断してまで行くのは非常識、他人の相談事には深入りしてはいけない等と理屈を並べて妻を説教。興奮のあまり、説教の途中でオシッコを漏らしたとのこと。 

 いや、驚きました。こんなことは以前にはなかったこと。パンツの事・興奮してのお漏らしの事、この二つの珍事は、まだ、まだ、自意識がはっきりしている反面、自己中心的な態度を強要する病癖が顕著に出てきたと考えざるを得ません。
今後の推移が気になってきました。
 
介護の記録 (11/20 記)
2001年1月以来、母がお世話になっている「M訪問看護ステーション」の看護師さんから、
E病院の第5回介護者講習会で「痴呆症状のある高齢者を自宅で介護している様子」を
レポートにまとめ発表して欲しいとの依頼があり、引き受けました。
 当日は、90人余の受講者で会議室は盛況、自宅介護者の苦労を身近に感じる。
発表をしながら、私の場合は,介護が軽度で、救われていることを実感した次第である。
その時のレジメを記録として、下記にコピーしました。 
    
母 の 介 護 メ モ 作成 2004/11/12
1.生育暦と現況
  @生年月日 明治44年1月2日 生 (93歳)
  A介護度 要介護度 3
  B生 活 ・長男夫婦と同居し、自宅介護。
・食事と排泄は自立。移動は短い距離を杖で歩ける程度。
  C症 状 ・ボケ症状と不安症状が毎日ある。(昼、夕方、就寝前等)
  D介護施設の利用 ・毎月10日間のショートステイ、週に2回デイサービスと週2回の訪問看護。
2.病歴・介護暦等
   年 月 日 病歴・介護暦等 状    況
     2001年1月 訪問看護を依頼(Mステーション) 頭痛の訴え、薬に対する不安等の症状に対応。
その後、継続し現在に至る。
         4月 T相互病院入院 頭痛と不安を強力に訴え救急車で入院(4月6日)
検査の結果、異常なし。
同病院にて白内障の手術(右目) 術後、風邪を引き左目の手術はしない。
夜間トイレで転倒し、歩けなくなるが1週間の歩行訓練で回復する。
        5月 退院(5月末)
       12月 E病院入院(中旬) 頭痛と胸の苦しさを訴え、その検査のため。
検査の結果、異常なし。
退院(12月末)
    2002年3月 ショートステイの開始(S園) 月に4日間。
        4月 S園の心療内科で治療開始 S園にショートステイで入所中に毎回診察。
        9月 左手首の骨折(T整形外科病院) 自宅で夜間転倒。ショートステイは1ヶ月間休む。
10月からショートステイ再開。
    2003年6月        左大腿骨頚部骨折でE病院入院 ショートステイ中、夜間転倒して骨折(6月11日)。
手術(6月13日) 人工骨を用いて手術は成功。
年齢の割には骨がしっかりしているとのこと。
        8月 同病院退院(8月5日)
        9月 ショートステイの再開 その後、毎月継続し現在に至る。
   2004年10月 週2回のデイサービス開始 嫌がりながらも、それなりに定着しつつある。
3.自宅介護の状況
  @介護者 月・水は妻、火・木は夫が介護、金・土・日は夫婦で介護。
  A環 境 ・我が家は開放的で、近隣の高齢者が母の話し合い手によく来てくれる。
・妻が介護の日は、月1回位、近隣の高齢者と母を交えて昼食会を自宅でする。
  B母の症状 ・不安症状
    ・胸の苦しさ、頭痛、腹痛などを長時間訴える。
    ・長く生き過ぎた、早くあの世に行きたい。
    ・寂しいから一緒に寝ようと訴える。
    ・玄関などの戸締りの確認をするよう頻繁に要求する。
・夜間のボケ、妄想など
    ・ベットの隣に寝ていた子供がいなくなった、探してくれ。
    ・出かけた子供が帰ってこない。
    ・亡くなった自分の兄弟や親の名前を呼び、探す。
    ・入院していると勘違いし、自宅に帰りたがる。
    ・食事をしたにもかかわらず、食べてないのでお腹がすいたとの訴え。
最近の母の様子(日記ふう 11/04 記)
 最近の母の様子を日記ふうに書いてみます。

11月3日
 朝8時、母を起こしに部屋に行くと「今日は、調子が悪い。もうだめだ。」とかすれ声で訴える。3日に一度は、このような訴えがあるので、別に驚くことはない。
「困ったねエ〜。どんな具合いですか?」と、ユックリしたテンポで丁寧に様子を尋ねながら会話を続ける。

 頃合を見て、着替えさせ食事にする。今日は、デイサービスの日。行きたくないと言いながらも、それなりに適応しつつある様子が言葉のハシハシから覗える。
10:00に迎えの車で出かけ、17:00頃に帰宅。

 14:30から、所属している社交ダンス愛好会のダンスパーティがあるので、久し振りに妻と一緒に出かける。私共の帰宅が18:30過ぎになるので、弟夫婦に母がデイから帰る頃に世話を頼む。夕食は、母を交えて5人でする。

 母中心の話題になるので、上機嫌。いつもの不安症状は出ない。デイの疲れもあるのか20:30頃ベットに入り就寝。
デイと弟夫婦の来訪が、母にとって好結果となっていることは明らか。
私共もダンスの余韻に浸りながらも、母の様子に一安心。

11月4日
 昨晩、深夜の2時頃、「もう朝だから起きましょう」と言って母が部屋に入ってくる。
「ハイハイ。どうしたの? まだ外は暗いよ。」と声をかける。
話しているうちに、「そうだね。申し訳ありません。」と母も自分の行動に気づく。
「さあ。寝ましょう・・・・・」とできるだけ穏やかに声をかけて、部屋に連れ戻す。

 朝は、いつもより上機嫌で起床。朝食後、「眠いからまた寝ます」と言って部屋に入る。
このような時は、昼頃、不安症状が出たりボケ症状が出るのが通例。
予想通り、昼頃、「昼は食べられない。腹が痛い。苦しい。」との訴えを繰り返す。

 妻も心得たもので、「お婆ちゃん、美味しい”おじや”を作るから食べようね。」となだめながら食事に誘う。食べる事で気分転換が出来るとケロリと直る。

 午後は、ケアマネージャーが来年度の介護度の認定申請をかねて来訪。

 夕食後、妻が所要で出かけた。母は、「お父さん、1人では寂しいでしょうから、私が付き合ってあげる。」と思わぬコトバ。(*^_^*)
一瞬、母の顔を見直しながら、「ありがとう。寂しいから付き合ってよ。」と私。驚きました。母が自分自身の寂しさを言い換えたのではないかと気づきながらも、有難うと言う気持ちを分かりやすく伝えた。
 
 45分後の20:45頃、「もう眠いから寝ます」と言うので、入れ歯をはづし、歯磨きと寝巻きの着替えを手伝い、ベットに連れて行く。明日は、ゴルフなので、今夜はぐっすり寝たい。
深夜、母に起こされないことを願うのみ。 
順調なすべりだし(10/08 記)
 デイサービスから帰ってきた母に「今日のデイサービスは、どうでしたか」と聞くと、
以外にも「楽しかったよ」との返事。
思わず母の顔を見直し、真意を確かめたくなってしまいました。しかし、そんなことをするよりも、“楽しかった”という母の気持ちをそのまま受けとめることが大切と思い直し
「良かったね。いろいろな人と話ができて、楽しかったでしょう」というと
「そう、家に帰り息子や娘の小言を聞くより、同じような年寄り同士が集まり、いろいろ話をするのもいいもんだよ」との答え。

 いやはや、これには驚きながらも反省させられました。知らず知らずのうちに言う小言が、母のストレスになっていたのです。四六時中生活を共にしていると、食事のこと・朝の着替えのこと・入浴のことなどなど・・・・・ついつい小言を言いがちです。
ボケ症状が出ていないときの会話には、十分配慮する必要を痛感しました。

 夕方になると出るボケ症状、夕食後から寝るまでの間に出る妄想などは、相変わらずの状況ですが、ショートステイとデイサービスの組合せが順調にいきそうで一安心しているところです。介護をする私共に精神的な余裕がないと、母の訴えを受け入れた対応が中々出来ません。

 ボケ症状や妄想は、母の過去の体験によるものが多々あるようです。母の訴えを聞きながら分析を試みるのも心理的には面白いかも・・・・・・などと考える始末です。
明日から、ショートステイです。その間、余裕があるので、老齢期の心理学でも勉強し、視野を広げてみようと思う。
介護計画(09/22 記)
 敬老の日の新聞報道によると、「65歳以上の高齢者の全人口に対する割合が約2割に達した」とのこと。5人に1人が高齢者です。
高齢化社会の宿命として、高齢者が高齢者を介護する割合が増えるということです。
1937年生まれ、68歳の私にとっては、考えさせられる記事でした。

 訪問看護に週2回来る看護師・保健婦さんに、母は血圧・心音・肺機能・体温等の身体機能をを定期的に診てもらい主治医に報告してもらっています。
「妄想やボケ症状・不安症状はあるものの、94歳にしては、身体機能に問題はなく食事・トイレは自立している。そこで、自宅介護で家に閉じこもるのではなく、外部との交流と気力回復を目的にデイサービスの利用を考えたらどうか。」とのアドバイスがあった。

 早速、ケアーマネジャーと相談し、介護計画を次のように立てる。
   @月に、ショートステイを3日間以上利用する。
   Aショートステイのない週は、デイサービスを2回利用する。
   B訪問看護を、週2回利用する。
 ショートステイやデイサービスは嫌がる母ですが、看護師さんやケアーマネジャーさんの協力を得て、9月から実施することにしました。

 昨日、母はショートステイから帰宅。間をおかないで、今日はデイサービスでした。間をおかないのは、看護師さんのアドバイスです。
 若干の心配はありましたが、帰宅後の様子は良好です。
夕方に出る不安症状や夕食後のボケ症状も、ほとんどなくベットに入りました。ホット一息ついているところです。

これがベストの方法だとは思いませんが、いろいろな介護の方法を試みて、様子を観察していきたいと思う。

母の気持ちを和らげ、私共夫婦のストレスの軽減していく介護のあり方を模索したい。 
母の食欲(08/29 記)
 夕方、書斎で本を読んでいると母が入ってきて
「今日は体調が悪く、夕食の準備を手伝えないので、お前が手伝ってやってくれ。お母さん1人では大変だから。」という。(母は、妻のことをお母さんと呼ぶ)
「はいはい、分かったよ。手伝うからね。」と答えて、母を部屋に連れ戻す。

台所に行き妻に
「お婆ちゃんがきて、何か言わなかった?」と聞くと
「先程、台所に来て、体調が悪くて手伝えない。お母さんごめんね。」と言ったので
「お婆ちゃん気にしないでいいよ。今夜は、好物の餃子を作ってあげるからね。」と言うと
「ありがとう。お願いします。」と行って部屋に帰ったとのこと。

こんな会話が出来るときは、母の体調もよく、正常に近い状態のときである。
夕食が出来たので、母を呼びに行くと
「今夜は食べたくない。このまま寝かせて欲しい、お願いだから。」と言う。
私:「お婆ちゃんの好きな餃子だよ。食べましょう。食後の薬もあるからね。」

食べたくないと言い出すと中々食べないのが、最近の母である。しかし、餃子に惹かれたのか、素直に起きて食堂に出てきた。席に着くやいな
「ここにいた兄ちゃんは、どこに行ったの?」と言う。いつもの幻覚の始まりである。
母の子供の頃の兄弟の話をしながら食事を始める。

餃子をいくつ食べるか数えていると、8個も食べる。この食欲なら心配ないと安心する。

考えてみると、今日は、私と妻が共に家におり、母との接触や会話が出来た日である。そのことが、母を落ち着かせることになったのではないかと思う。
2人が揃って家にいて母の介護をする時間を増やすことが必要かもしれない。しかし、現実的には、なかなかそうも行かない。大変、大変・・・・・・・・・
疲れる会話(08/03 記)
 今日は、母と凄い会話があった。
母は、私のことを呼ぶとき「おとうさん」と言う。「おとうさん、ちょっと、ちょっと」と呼ばれたので行くと、「もういい、早く行きたい」と言う。

私、「エッ! 何、どこへ行きたいの」と聞くと
母、「ほら、あの世に、早く行きたい。もういい・・・・・・長く居すぎた。」

私は、一瞬絶句。なんと答えたらよいかを考えながら、間をおいて

私、「あの世に行きたいの? どうやって行くのか教えてよ。」
母、「そうだね。行きたいからといって、簡単に行ける所ではないよね。」
私、「そうだよ。簡単に行ける所なら、行き方を教えてよ。車で連れて行って
   あげるから。」・・・・・・・・・(これは言い過ぎかと、反省する)
母、「行き方が分かっていれば、苦労などしない。・・・・・・・・・
   だから言ってみるのだ。」・・・・沈黙

こんな会話を長く続けてはいけないと思い、母の兄弟のこと、生れ故郷の佐渡島のこと等に話題を変える。一応、一件落着。
1時間位、間をおいてから、また呼ばれたので、部屋に行くと

母、「おとうさん、お願いがあります。」と言う。
私、「何ですか、おばあちゃん」
母、「そこの薬屋に行くと、あの世に行く薬を売っているから、買ってきて欲しい。」

またまた、私は、驚いてしまい、一瞬絶句。

私、「そんな薬、薬屋さんに売っていたかね。」
母、「確かに、売っているはずだから、買ってきてくれ。」
私、「薬の名前は? 名前が分からないと薬屋さんでは売ってくれないよ。」
母、「名前は分からないが、確かにあるはずだよ・・・・・・ 思い出しておきます。」と言う

来客があったので、ここで会話は、途切れる。
その後、この件に関して、母からの話はない。
夕食を一緒に食べる頃は、正常になり、普通の会話に終始し、ベットに行く。

何時の日か、また、同様な会話があるかもしれないので、熟慮しておく必要があると痛感した次第。事の顛末は、妻とも話しておく。
妄想(06/30 記)
 昨夜の9時30分頃、母の呼ぶ声で部屋に行ってみると、「ベットの横に寝ていた子供がいなくなったので、探してきてくれ。」とのこと。
母はいつも1人で寝ているので、「おばあちゃん、横には誰も寝ていなかったんだよ。一人で寝ていたのだから、心配しないでいいよ。」と諭してやる。

すると真剣になり、「そんなことはない。確かに小さい子供と添い寝をしていた。」という。
そこで、「横に寝ていたのは、誰でしたか?」ときくと、弟の嫁さんの名前をいい「その子と寝ていた。」という。こちらが否定すればするほど、意固地になって「小さい子だから、誰かに連れ去られたのかもしれない。命にかかわることだから、真剣に探せ。」の一点張りである。

仕方なく、弟の家に電話し事情を話して、母と電話で話をしてもらう。「お前は、断りもなく無断で子共を連れて行ったのか。」と怒る有様。いろいろ話をしているうちに、やや落ち着きを取り戻し、「不思議だなあ、確かに横に寝ていたと思うのだが、勘違いであったかなあ。」と言い出す。それを機に電話を、妻に代わってもらい、私は、母を慰めると、ようやく平静に戻ることができた。

ボケ症状が出たときは、いくら説得してもダメであることを悟らざるを得ない。本人のボケに合わせて、話を聞き、行動してみることから始めないと、対応はできない事を教えられる。しかし、四六時中このような症状が出るようでは、今後が思いやられる。ボケは徐々に進行していく事は必至、自宅介護の難しさをつくづく思い知らされた出来事であった。
高齢者虐待(04/22 記)
20日(火)の朝日新聞の朝刊1面に、「高齢者虐待の3割は息子」の活字を見つけハッとしながら読む。
厚生労働省の全国調査によると、虐待している人で最も多いのは息子で32%、次いで、息子の妻が21%・・・・。虐待の内容は、多い順に、心理的虐待、介護・世話の放棄、身体的虐待、経済的虐待、性的虐待の順とある。

虐待している人が、息子とその妻で53%、虐待の内容では、心理的虐待が最も多い。
このことは、わが身に当てはめてみると反省することが多い。
もしかしたら、私共のあの対応は、心理的虐待ではと思い当たることが多々ある。

例えば、母はショートステイに行くことを嫌がる。しかし、行ってもらわないと2〜3日間世話が出来なくなるとき、私共が介護のストレスから解放されたいと思うときなど嫌がっても行ってもらわざるを得ないので、説得してしまう。
これは、心理的虐待の一種かもしれない。しかし、在宅介護を続ける限り、どうしても必要なことなので、続けざるをえないのが実情である。

65歳以上の高齢者が、ボケや痴呆のある親を介護している現状では、心理的虐待の許容範囲が非常に難しいのではなかろうか。

しかし、この記事で、不満な点もある。75歳以上で介護を必要とする高齢者に対する
      在宅介護の割合、施設入居者の割合
を明記しないと数字としての客観的な比較が出来ないことである。
高齢化社会における介護の難しさを実感した記事であった
ショートステイ(04/13 記)
 9日(金)から、10日間の予定でショートステイに入る。月に10日間のショートステイは、恒例にしている。
妻とも話し合った結果、“無理のない介護、ストレスをためないで済む介護”を続けるには、ショートステイを上手く利用することが、欠かせない対応になっている。

しかし、本人にとっては、気の進まない対応であるらしく、入園する前日は大変。
     「体調が良くないので今回は行きたくない。」
     「こんな体では、ショートステイは受け入れともらえないのでは・・・・・」
     「家が一番いいから、このまま居たい。」
などなど、不安を言い始める。
     「家にばかりいないで、園で知らない人と交わってくるのもいい刺激だよ。」
     「園には、ヘルパーさんと医師・看護婦さんが常駐しているので、不安なことにつ       いてはいつでも相談できるから、安心ですよ。」
     「嫌になったらいつでも帰ってきなさい。」
等と言って、慰めながら説得をし了承させる。

 12日(月)は、かかりつけの精神科の医師が園に来る日なので、診察に行く。
まず、母の部屋に行き、
     「今日は、医師の診察を予約した日だから、一緒に行こう。」
と声をかけると、
     「そうか、行かなければいけないね。」
との返事。これは、調子もよく、落ち着いている証拠。予定の時刻まで少しあるので、世間話でもと思い話し始める。40分位会話をしているうち、突然に
     「今日は行きたくない。気分が優れないから、お前1人で行ってきてくれ。」
とのこと。こうなると説得するのに大変なので、結局、私が1人で医師とのカウンセリング。

医師には、後で本人の部屋に行き診察をするようお願いして帰宅する。
入浴の苦労(03/29 記)
月曜日は、母に入浴をさせる日である。午後からの体調を見ながら入浴を勧めると、
     「今日は体調が悪いから、明日にしてくれ。お願いだから・・・・・」
という返答である。これは毎度のことで、素直に受け入れられることはない。そこで、説得にかかるのだが、
     「汗をかいているから入浴をしてさっぱりしよう。」
     「入浴は、血行を良くし体にいいから。」
     「入浴をすると、適度の運動をしたと同様で、寝つきが良くなるよ。」
等と説得するのだが、なかなか了解しない。

そこで、そこで最後の切り札は、
     「お母さんの体は、汗で臭い。一緒に生活している私や妻は、耐えられない
      から、今夜はどうしても入浴だ。」
と声を高くすると、ようやく承知する有様。

入浴は、夕食前の6時頃。私も裸になり、一緒に入浴をする。
     「お母さん、94歳にもなり、息子にこうやって体を洗ってもらえるのは幸せで
      しょう。私もこの年で、母の背中を流せるのは幸せだよ。」
などと話すと、ようやく穏やかになり、「有難う。世話をかけるね」という言葉が返ってくる。

着せ替えは、妻の役割で、
     「息子と一緒に入れてよかったね。さっぱりしたでしょう」
と言うと
     「ああ、気持ちよかった。天国だよ。」
との返答。それを風呂の中で聞きながら、これで良かったのだと気持ちが和むのである。
気力を回復したのかな?(02/23 記)
 母にとって、4年ぶりの珍事(いや、好ましい出来事)があった。
妻に進められて、編み物を始めたのである。いやいや驚きました。
 
 元気な頃は、編み物や針仕事をするのが趣味のようで、毛糸の靴下・スカートなど編んでいました。
私も防寒用の長いスカートを編んでもらい、机に向かうときは愛用しています。
たまたま、今日、私が着用しているのを見つけ、以前を思い出したのかもしれません。
妻がタイミングよく編み物を進めたのが、功を奏したようです。

 何事にも関心を示さず、無気力な状態の連続で、テレビを見ない・ラジオも聞かない・新聞も読まない・ただベットに横たわるだけの毎日だったことからは、予想も出来ないことでした。めづらしく、午後は、夕食まで起きており、居間で妻と会話をしながら、編み物などをしていました。

夕食後も、素直に入浴を済ませ(普段は、風呂を嫌がり、説得するのが大変)、割と落ち着いた就寝でした。

午後、不安症状が出たとき安定剤のワイパックスを服用していますが、思いがけない効果が出ることもあります。その効用の一つかもしれないとも考えられます。
 いづれにしても、これを契機に、少しずつでも気力の回復につながることを期待したいと思う。
介護は妻と分担(02/18 記)
1週間ほどショートステイに行っていた母が昨日(17日)の午後に帰ってきました。
昨日は、あれあれと思うほど正常で、少し良くなったのかと妻と共に喜びました。
就寝のときも、私が着替えをさせると「子供のようだね。」とニコニコ顔で反応、無邪気さと素直さに微笑ましくなってしまいました。

介護施設で、いろいろな方と会話し刺激を受けたことが良かったのか、介護士の方や看護士・医師の診察と配慮に安心したのか・・・・・・   うれしいことです。
 私ども夫婦の1週間の介護分担は、
   ・月・水曜日は、終日、妻が介護し、私は趣味活動や
    自由時間とする
   ・火・木曜日は、終日、私が介護し、妻が趣味活動や
    自由時間とする
   ・金・土・日曜日は、分担しながら介護をし、2人で出
    かけるときはヘルパーを依頼する
と決めています。しかし、妻に負担がいきがちなのが現状ですので、母の入浴だけは、私がします。

 ところで、今日、私が出かけて帰ってくると、妻が「お母さん以前の状態に戻ってよう。大変だった。」との言葉に、がっくり。 老化からくるボケは、直ることはないと分かりながらも、もう少し良くなって欲しいと思うのは、同居する親族の願いです。  
母の状況(02/08 記)
 母は、明治43年生まれの94歳である。自宅で家内と協力して介護を続けている。3年位前からボケ症状が出て妄想・幻覚等が出たり、ストレスのためか過呼吸的症状や突然の腹痛・頭痛などを訴えたりする。
昨年の6月に左大腿骨を骨折してからは、その症状が強く出るようになった。骨折を契機に車椅子生活になっては困ると思い、家内と交代で毎日病院に出かけ、リハビリに専念させた甲斐があってか、どうにか杖で歩けるまでに回復したことは幸いである。

しかし、さまざまな症状の訴えを、そのまま受容することは非常に難しい。こちらに精神的・肉体的余裕がない時には、特にそうである。
症状が1時間くらい続くときは、5分おき位に呼ばれるので、こちらもイライラしてしまうのが実情である。訴える内容は
    ・苦しい
    ・おなかが痛い
    ・足が痛い
    ・早くあの世に行きたいがどうしたらよいか
    ・寂しいからちょっと呼んだだけ
    ・などなどさまざま
母の不安な気持ちを理解して、そのままに受け入れながらやさしい会話をして落ち着かせることが必要なことは良くわかっているが、毎日のことなので中々そうは行かない。

 こんなとき、救われるのは、1年10ケ月になる孫の存在である。近くに住んでいるので、保育園に迎えにいったり、口実を設けて遊びにいったりして孫と無心に遊ぶことで、気持ちが癒される。
高齢になると子供に帰るとの事、むずがる子供をあやすように接してやろうと思い直し、また介護を続けている。家内も同様のようである。

上の写真は、昨年の11月に私の母(左側)と家内の母(92歳)が自宅撮ったスナップである。このスナップを見てどう感じるでしょうか。
家内の母のことも含めて、また次回に書きます。

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