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類は友を呼ぶ

学校の行き帰りに、直通電車だと1時間20分ほどかかる。
その時間、たまに私は、社会学者になったり動物行動学者になったり心理学者になったりする。
その方面の専門書を読むとかいった立派なものではない。単に観察者、傍観者として車内を眺め、その結果、すぐれた観察者としての私は、いくつもの法則を発見しているのである。

電車というものには、その日その日の独特の「気」のようなものが存在する。
いや、電車に限らない。
諸々の発見の結果、日々の私たちの暮らしはすべて見えない力に支配されているのだと思い至るようになった。

あいつも、いよいよアブナくなってきた、とお笑いいただくもよし。
でも、同じような経験を持つ方、多いのではないですか?

(1) 美人のあとには美人


仮に、私の正面に美人が座っているとする。その美人も1時間20分乗っててくれればありがたいが、まず、そういうことはない。どこかの駅で降りてしまう。こちらが落胆する間もなく、おお、次なる美人が乗ってきてその席に座るではないか! 他にも席は空いているのに!

この理由として、美人の正面に座っている紳士の存在を挙げたいが、どうにも根拠になりにくいようだ。とするなら、美人の行動学というものが成立しそうである。どなたか学問を立ち上げていただきたい。

私の観察を付け加えておくと、美人にもいろいろあるが、「すらっとして彫りの深い顔の、洋風の」美人のあとに「いかにも品がよく、これぞ大和撫子といった」美人が座ることは、まず、ない。必ず、同系が座る。

(2) 誰も私の両隣だけは座らない


ほとんどの座席が埋まって、立っている人もちらほら見えるのに、私の両隣だけは誰も座らない。

私の威に圧倒されてみな畏れて近寄らないのだと強弁したいが、この状態が続くと不安になる。特に、前の日風呂に入っていなかったりすると、たちまち不安になる。来ないとなると、中年男ですら寄ってこない。

一度、あまりに不安になって隣の車両に移ったことがある。お察しの通り、次の駅で隣人は降り、私が降りるまで誰も私の横には座らなかった。

(3) お前だけは来るなよ、来るなよ、ああ!


私の隣が空いている。電車が駅についてドアが開く。何人もの人が乗ってくるとき、その中に私が苦手とするタイプの人影が見え、「あっち行け! お前だけは来るなよ!」と心の中で念じたら、もうダメだ。十中八九、その人は一直線に私の隣をめざしてくる。(特に私が苦手とするのは、汗ばんだ肥った中年男、地声で話す中年女である。)

こうしたケースでは、私がその姿を見さえしなければ、ほとんどの場合この手の不幸は訪れない。本や譜面に集中している時にこういう目にあったことはほとんどない。(熟睡している時にデブが乗り降りしたことはあるかも知れないが。)

運というのだろうか、気というのだろうか。
電車の中だけだって、これだけの例証があるのだ。
その他にも、最近経験した「宿命」としか言いようのない例をあげておく。

・ 朝パソコンが立ち上がらなかった日、クルマで移動していたがETCが作動せずバーが開かなかった。あぶない思いをした。その後、道路わきにあった立ち食いソバ屋に入って、出たら駐車禁止のステッカーが貼ってあった。
・ 約束の時間まで少し間があったので、譜面でも見ようと思い立ち、途中で電車を下りて店に行ったら月に一度の定休日だった。その後の待ち合わせでは30分経っても誰も来なかった。手帳を見たら日が違っていた。
・ これはいい方の例。あの人に電話しなければと思った矢先に相手から電話がかかってきた。その後、学内の遠くまで人を訪ねなければと思ったらその人が歩いてきた。さらに、自販機で買い物をしたら、つり銭が多くでてきた。

(2009/11/15)



老人二景

某市のバスセンターで長い下りエスカレーターに乗っていた時、横の階段を、おばあさんが手摺につかまりながら降りていた。
足が悪いのだろう、両手で手摺をつかんで、一足一足降りている。
一段進むごとに、足元の荷物も一段おろし、それを繰り返している。
あのペースでは、階段を降りきるのに、優に15分はかかるだろう。

バリアフリーとか言う。
駅や地下街には、エスカレーターが続々と設置されている。
そういうのに、福祉関係の補助金がつく。
最近でこそ上下二本設置されているところが多くなってきたが、一本だけのところも少なくない。それはだいたい上りで運用されている。

ああいうもので、福祉だの、人にやさしいだの言われても困る。
単なる利用者サービスだ。
福祉目的だと言うなら、一本なら下りだろう。
山登りを経験すればすぐわかることだが、上りより、下りの方が足腰にはよほど負担がかかる。年寄りにとって、上り階段がきついことは間違いないが、下りはそれに輪をかけて危険をはらむ。

さらに、下り階段を歩くおばあさんは、下りエスカレーターを設置してもだめだということを見せつけてくれた。
あの足取りでは、動いているエスカレーターにうまく乗ることなんて、できるわけがない。

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ある日曜の朝、東京都内の某駅に下りた。
風景があまりに貧しく、きたならしいのに驚いた。

日曜だから閑散としてはいるが、ここは23区内のJRの駅で、電車は休日でも2、3分ごとに発着している。
その駅前広場には、カラスと老人しかいない。
ベンチでたばこを吸う者、なにやら大声で話している者、そのほとんどが老人である。
目的があってそこにいる姿には、とても見えない。
いや、そこにいること自体が無意識の結果というような姿。
正直なところ、目をそむけたくなる。

このあたりは戦災で焼けなかったことでも知られている。そのためか、古くからの居住者も多い。また、古い建物も多く、家賃が比較的低い物件も多い。
そうすると、こうなる。

駅前は、さほど大きいものがあるわけではないにせよビルが立ち並び、近くには学校も多い。平日の朝なら、背広の紳士とカジュアルな女性が整然とオフィスへ急ぎ、制服姿の学生が群れをなし、張りのある笑顔や歓声も聞こえるところであろう。

そんな時、あの老人の群れは、どこにいるのだろう。
ひっそりと家で息を潜めて嵐の去るのを待っているのだろうか。
それとも、日曜と同じように平日だってそこにいるのに、見向きもされないから目立たないだけなのだろうか。

スラム化、という言葉が思い出された。
ようやく政府が貧困の存在を認め、その率が先進国の中でも際立って高いことが示されたこの国は、世界で最も早く老齢化が進んでいる国でもある。

いずれ、なんて呑気な話ではない。
もうすぐ、いたるところに日曜のあの駅前のような光景が出現するだろう。
(2009/11/01)

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